第52話 家に伝わるもの、と言うことにした
カーライル家の研究棟を訪れたエリオは、いつものように資料が山積みになった机の前に座るルシアンを見つけた。
「来てくれたか。解決策が見えそうだと連絡をもらってから早く聞きたくて楽しみにしていたよ」
ルシアンが振り返る。その目が、いつになく生き生きしていた。
エリオは静かに頷き、懐から布に包んだものを取り出した。
「これを作るきっかけですが」
「ん?」
「教会で聖水を使って体を清める習慣がある者の症状が、そうでない者より軽いことに気づきました」
ルシアンが目を細める。
「……それは興味深いね。続けて」
「洗浄力を高めるために、こういうものを作ってみたんです」
布を開くと、白い石鹸が現れた。
ルシアンは手に取り、じっくりと眺めた。
「これは……?」
「汚れを落とすためのものです。泡立てて使う」
「泡?」
エリオは簡潔に説明した。
ルシアンは石鹸を裏返したり、匂いを嗅いだり、しばらく無言で観察していた。
「材料は?」
「聖水と……灰と、脂です。」
「それだけで?」
「ああ」
ルシアンはしばらく考え込んだ。
「これ……思い付いて、作ったの?」
エリオは一瞬だけ間を置いた。
(しまった。効果を実証することばかり考えていて、出処の誤魔化し方を考えていなかった)
ほんのわずかな思考の空白。だが、エリオは一切表情を崩さず、涼しい顔で言い切った。
「……家に伝わるものです」
「家に?」
「はい」
(後で父上と兄上に口裏を合わせておこう……)
密かに実家へ重圧を丸投げしつつ、エリオは視線を逸らさなかった。
ルシアンはエリオをじっと見た。
沈黙が、数秒流れた。
やがてルシアンは、ふっと笑った。
「……君は本当に面白いね、エリオ」
「……いえ、そんなことは」
「追及はしないよ。ただ」
ルシアンは石鹸を持ち上げながら続けた。
「こういう発想は、僕にはなかった」
「……」
エリオは何も言わなかった。
きっとルシアンは、最近の自分の変化に気づいている。
セラと深く関わるようになって、今まで持ち込まなかった発想や知識が増えていることも。
だが、それ以上は追及してこなかった。
追求してくれた方がまだ楽だった、とエリオは内心で思う。
それが気遣いなのか、それとも別の理由があるのかは分からないまま。
「で、実際に試してみても良いかな」
ルシアンが立ち上がり、棚から器を二つ取り出した。
「これを使って洗うと言っていたが、具体的にはどう使う?」
「水で濡らし、泡立てて、汚れを落とします」
「なるほど」
ルシアンは小さく頷いた。
それから器の横に置かれた石鹸に視線を落とす。
「実際に、少し試してみてもいいかな」
「どうぞ」
エリオが答えると、ルシアンは石鹸を手に取り、水で軽く濡らした。
指先で数度擦ると、じわりと細かな泡が立ち始める。
「……おお」
思わず小さく声が漏れる。
それは驚きというより、確認に近い反応だった。
「思ったより簡単だね」
泡を手のひらに広げながら、静かに観察するように見つめる。
「感触も悪くない。滑りはあるが……」
ルシアンはそこで一度言葉を切り、指先の泡を見下ろしたまま考えるように間を置いた。
それから、そのまま水で手をすすぐ。
泡はするりと溶けるように流れ落ち、指先には何も残らない。
「流せば残らないし」
わずかに軽くなった指先を見ながら、ルシアンは小さく息を吐いた。
「……なるほど」
ルシアンは短く頷いた。
「これは確かに効きそうだね」
もう一度手を見て、少しだけ目を細めた。
「今までの洗浄とは違うね。汚れを“剥がす”感覚に近い」
器を戻しながら、淡々と続ける。
「面白い。これはかなり応用が効く」
エリオはその様子を見ながら、何も言わなかった。
(この人は、こういう時だけは子供みたいだな)
ほんの一瞬だけ、そんな考えがよぎった。
「洗うときや、流す時にも聖水の方が効果は出やすいだろうが……用意できない人も多い」
「だから比較も必要だね」
器を並べながら、ルシアンは続ける。
「普通の水でも試して、差を見ておこう」
ルシアンは淡々とそう言い、次の器を手に取った。




