第46.5話 百年前の公爵家記録
――初代聖女に関する記述――
本記録は、黒花災害終息後二十年を目処に、公爵家保管資料を元として再編・整理されたものである。
なお、原本の多くは既に欠損しており、一部は口伝を基に補完されている。
また、本記録編纂時点において、聖女と認定された者は既に長らく現れていない。
教会はこれを平穏の証としているが、本家では慎重に経過を観察するものとする。
それは、まだ王国の形が定まる以前のこととされている。
当時の世界は、今よりも遥かに不安定だった。
季節は乱れ、土地ごとに気候は大きく偏り、豊かな水辺が一夜で枯れることもあれば、逆に止まぬ雨によって村ごと流されることもあったという。
精霊の力は今よりもずっと強く、人の営みは、その気まぐれに大きく左右されていた。
火は燃えすぎ、風は吹き荒れ、水は溢れ、土は痩せる。
均衡は常に揺らぎ、世界はどこか歪んでいた。
――その歪みを、初めて”整えた”者がいた。
名は残されていない。
ただ、「最初の聖女」とのみ記されている。
記録に残る僅かな証言によれば、
力ある者に見られがちな厳かさはなく、常に穏やかな気配を纏っていたと伝わる。
特筆すべきは、その力の在り方である。
彼女は癒したのではない。
正したのだ。
熱に苦しむ者へ触れれば、滞っていた流れがほどけるように整い、乱れていた呼吸は静かに落ち着きを取り戻したという。
傷ついた者へ手を当てれば、無理に塞ぐのではなく、本来そこにあるべき巡りが戻ることで、自然と再生が進んだと記されている。
それは、人が望む都合の良い奇跡ではなかった。
ただ、本来あるべき形へ戻るという現象だった。
決して劇的なものではない。
だが確実に、“正しい流れ”へ戻っていった。
土地においても同様である。
枯れた大地はすぐには応えない。
だが、止まっていた雨が戻り、淀んでいた風が巡り、やがて少しずつ命が返ってくる。
彼女が行ったのは、“流れを取り戻す”ことだった。
当時の記録には、精霊との関係についても記されている。
彼女は命じなかった。
従わせもしなかった。
ただ、必要な時に手を差し出し、精霊がそれに応える形で力を貸したという。
それは契約とは呼べない。
支配でもない。
後の時代の学者はこれを「共鳴」と表現している。
精霊の力を”借りる”のではなく、共に”整える”。
その在り方は極めて特異であり、現在に至るまで同様の例は確認されていない。
ゆえに彼女は、“最初の聖女”と呼ばれた。
後の時代にも、“聖女”と呼ばれる者たちは現れている。
癒し、加護、浄化。
彼女たちは確かに力を持ち、多くの命を救ってきた。
中には、“大聖女”と呼ばれるほど強大な力を持つ者も存在した。
近年の記録において確認されている最大規模の事例もまた、二十年前の黒花災害と同時期に大聖女が存在したとされる事例である。
各地で瘴気汚染と魔物の異常活性化が確認され、多数の死傷者が発生した。当時の大聖女は各地を巡り、浄化によって被害の拡大を抑えたと記録されている。
だが、それでもなお。
初代のように、“流れそのものを整えた”という記述は存在しない。
この違いを理解する者は、現在では既に少ない。
黒花災害終息後、大聖女に関する記録は急速に減少していく。
以降、公の場へ姿を現したという記録は確認されていない。
死亡したという記述も存在しない。
ただ、災害の終息とほぼ同時期に、その消息は途絶えた。
ある者は、力尽きたのだと語る。
ある者は、精霊と共に姿を消したのだと語る。
またある者は、今もなお世界のどこかで均衡を支え続けているのだと語る。
いずれも、確証はない。
当時の記録は混乱が多く、黒花災害がどのように終息したのかについても、詳細は明確に残されていないためである。
ただし一部の記録には――
「彼女は何かを残した」とする記述も存在するが、その詳細は失われている。
人々は聖女に救いを求めた。
だが、人の願いは際限がない。
最初は命を救うためだったものが、やがて富を守るため、争いを有利に進めるためへと変わっていく。
力ある者は求められる。
救いは、次第に当然のものとして扱われるようになる。
歪みは、消えたわけではない。
ただ、先送りにされていただけだった。
癒されたはずの大地の奥に。
整えられたはずの流れの外側に。
行き場を失った歪みが、静かに積もっていく。
調律とは、歪みを消す行為ではない。
本来流れるべき場所へ戻し、循環を取り戻す行為である。
ゆえに、流れを拒むもの。
あるいは、過剰に留め置かれた歪みとは、いずれ衝突する。
後の時代、一部の学者はこれを「留まり」と記録している。
流れるべき歪みが、その場に留め置かれ、固定化した状態。
教会が管理する”留まり花”は、この現象を模して作られたものではないか――という説も存在する。
真偽は不明である。
ただ、ひとつの記述が残されている。
留まり花が教会の外へと広がり始める時、それは世界の均衡が再び乱れ始める兆しである。
過去にも、同様の事例が記録されている。
その時、世界が必要としたのは力ある者ではなかった。
流れを取り戻せる者だった。
均衡とは、ただ静かな状態を指すものではない。
一見平穏に見えても、流れそのものが滞っている可能性は否定できないためである。
ゆえに本家は、この記録を後世へ残すものとする。
もし再び、同様の存在が現れた場合。
世界が最も乱れた時、その者だけが流れを取り戻せる。
それがいかなる形であれ、守り、支えよ。
決して利用するな。
決して敵に回すな。
決して、歪めるな。
以上を、我らの責務とする。




