第45話 白いドレスと小さな違和感
濾過装置が各地の教会へ広まったのは、それから間もなくのことだった。
ルシアンとエリオの研究の末、魔力を効率よく循環させる仕組みが形になった。
これまで使い捨てにするしかなかった魔石が半永久的に機能するようになり、濾過の効率も飛躍的に向上したことで、聖水の生産量は目に見えて回復し始めた。
地方教会からも、少しずつ良い知らせが届くようになっている。
治療院への供給が再開され、神官たちの負担が減った。巡礼地への備蓄も、ようやく底を突かずに済む。
「思ったより早く形になったね」
ルシアンは珍しく、心底ほっとしたような顔で笑った。
エリオも小さく頷く。張り詰めていた肩の力が、少しだけ抜けていく感覚があった。
――その時だった。
窓の外から、ふわりと明るい笑い声が聞こえてきた。
エリオが視線を向けると、手入れの行き届いた庭で、ルシアンの母であるオリヴィア夫人と聖女イザベラが向かい合って茶会を開いていた。
法衣を思わせる清楚な意匠の純白ドレスに、聖女の身分を示すケープを羽織ったイザベラは、柔らかな笑みを浮かべ、優雅に紅茶のカップを傾けている。二人はとても親しい間柄のようだった。
「そういえば、お父様の具合はどう? 以前イザベラ様の治療を受けてたよね」
窓の外を眺めながら、ルシアンが何気なく問いかけてくる。
「……一時的には楽になるんですが」
(今はセラの水のおかげで、すっかり健康になっているが、言えないな)
エリオは内心の言葉を完全に呑み込み、静かに、当たり障りなく答えた。
「一時的、か」
ルシアンは手元のペンをそっと置いた。
ふっと、部屋の空気が変わる。
「……こんなことを言っていいのか、分からないんだけど」
静かな、少し躊躇うような声だった。
窓の外の優雅な光景へ視線を向けたまま、ルシアンはゆっくりと続ける。
「以前、イザベラ様が術を使っているところを見たことがあってね。精霊術を扱う者として、精霊の気配を感じる人間かどうか……なんとなく分かるんだ」
そこで一度言葉を切り、ルシアンはエリオを見た。
「……その時、感じなかったんだよね。精霊の気が」
エリオは何も言わなかった。ただ、静かに目を細める。
聖女の力に、精霊の加護がない。
それが事実なら、あの女の正体は一体何なのか。
「確信があるわけじゃない。気のせいかもしれない」
ルシアンは小さく苦笑し、再び視線を窓の外へ戻した。
「ただ……できれば内密にしてもらえると助かる。母のこともあるし、確かめもせずに広めていい話じゃないから」
「……分かりました」
エリオは静かに頷いた。二人とも、それ以上は追及しなかった。
だが、お互いに同じ「違和感」を持っていることだけは、確かに伝わっていた。
窓の外では、陽だまりの中でイザベラが美しく笑っていた。
屋敷に戻ると、ゼインが待ち構えていた。
「エリオ様、報告があります」
その顔は、いつになく硬く引き締まっている。
「アリシアの件ですが……人気のない場所で、女性と会っているところを確認しました」
「女性?」
「顔までは確認できませんでした。ただ、身なりは良く……高位の人間かと」
エリオは静かに考え込んだ。
カーライル公爵家から紹介された、不審な侍女。彼女が密会していた身なりの良い女性。
そして今日見た、オリヴィア夫人と親しげに笑い合う『精霊の気がしない』聖女。
まだ断定はできない。
だが、胸の奥に冷たく嫌な予感が広がっていく。
「引き続き調べてくれ。決して悟られるな」
「はい」
ゼインが静かに頭を下げて退室した。




