第4話 水がないのは普通に困る
木漏れ日の眩しさにゆっくりと瞼を開くと、真っ先にひどい喉の渇きを覚えた。
ぼんやりと見上げた視界の先では、木々の隙間から朝の光が優しく差し込み、どこか遠くで小鳥のさえずりが聞こえている。手作りのハンモックは体の節々こそ少し痛むものの、硬い地面で寝るよりはずっと快適で、予想以上にぐっすりと眠ることができた。
体を起こして軽く背伸びをしながら、小さく息を吐く。
けれど、心地よい朝の余韻は長くは続かない。ふと手元の水筒を確認すると、中身はもうほとんど空っぽだった。昨日のうちに想定以上のペースで飲んでしまったらしい。これはちょっと、まずいかも。
ぐるりと周囲を見渡してみても、川のせせらぎなど聞こえないし、水場らしき気配も一切ない。木から降りて最低限の荷物をまとめると、私は早々に水源を探すべく歩き出した。
と言っても、完全に勘である。こっちかな、となんとなく方向を決めるだけの行き当たりばったりの探索だ。
案の定、しばらく歩いても見つかる気配はなく、思わずため息がこぼれる。そんなにすぐに見つかるわけがないと頭では分かっていても、喉の渇きはじわじわと焦りを生んでいく。
足を止めて、考える。
水のある場所。低い場所。湿っているところ。
前世の記憶を総動員し、そう意識しながらゆっくりと周囲の景色を観察した。
するとふと、ある方向でピタリと視線が止まった。明確な理由があったわけではなく、ただなんとなく「あっちが気になる」という直感だけを頼りに足を踏み出す。
しばらく進むと、肌に触れる空気がすっとひんやりとしたものに変わった。微かに耳を澄ませば、チョロチョロという小さな水の音が聞こえてくる。
もしかして、ある?
期待に胸を高鳴らせて早足で木々を抜けると、そこには澄んだ小さな小川が流れていた。
あったー! ほっと安堵の息を漏らし、私は水辺にしゃがみ込んだ。
揺れる水面に、自分の顔が映る。
ピンクがかった髪が、あちこちに跳ねていた。山道を歩いてきたせいで、余計にひどいことになっている。
アンバーの瞳が、水の揺らぎの中でぼんやりと揺れていた。
(酷い格好。誰も見てないけど、邪魔だな。いっその事、髪の毛切っちゃう?)
そんなことを考えながら、両手で水を掬ってごくごくと喉を鳴らす。
一瞬キュッと目を閉じてしまうほどの心地よい冷たさが、乾き切った身体に染み渡っていく。あー、生き返る……!
何度か水を飲んでようやく一息ついた私は、そのまま水に両手を浸してぼんやりとその流れを見つめる。指先から伝わるひんやりとした感覚が気持ちよくて、ついでに掬った水でパシャリと顔を洗った。
額から頬を伝って落ちる水滴が、昨日の汗や埃を一緒に洗い流してくれる。荷物から取り出した布切れを濡らして固く絞り、首筋や腕のべたつきをざっと拭っていくと、たまらなく爽快だった。
王都での生活は確かに便利だったけれど、こういう不便な中で見つける小さな喜びも悪くない。むしろ、今の私にはこれくらいがちょうどいいのかも。
ふと近くに生えている木の実を手に取った。
匂いを嗅ぎ、恐る恐る口に運んでみる。特別美味しくはないけれど、贅沢は言っていられない。うん、お腹の足しにはなれば大丈夫。
そうやって新しい生活への一歩を踏み出していた、その時。
ふわりと、風が吹いた。
木の葉が一斉に揺れて、水面に細かな波が立つ。
私はそれをただの風だと思ってぼんやりと眺めていた。
◇ ◇ ◇
小さな光がいくつか、水辺に静かに集まってくる。
――ねえ、この子。
――うん。
――なんか、似てる。
――流れ、乱さない。
――うん。
――でも、止めもしない。
――うん。
――そのまま、通す感じ。
風が、すっと通り抜ける。
――懐かしい。
――うん。
――あの人のときと、同じ。
――でも。
――うん。
――気づいてないね。
――うん。
小さな笑いのような揺らめきが、光の中に混じった。
そのまま、ゆっくりと散っていく。
セラには、何も見えていない。
ただきらきらと光る水面を眺めながら、「来て、よかったな」と心から安堵の息を吐き出していた。
高く昇った太陽が木々の隙間からやわらかな光を落とし、森の風が、優しく私の頬を撫でていった。




