第4話 水がないのは普通に困る
目が覚めた時、最初に思ったのは――
「……喉、乾いたな」
だった。
ぼんやりと空を見上げる。木の隙間から光が差し込んでいて、鳥の声がどこか遠くで聞こえている。気持ちいい。
「……朝か、こんなにぐっすり寝れるとは」
体を起こす。ハンモックは、思ったよりも悪くなかった。体の節々は痛いが、地面で寝るよりはずっとマシだろう。
「……いけるな、これ」
小さく呟いて、軽く伸びをする。
その瞬間。
「……いや、水」
現実に引き戻された。
持ってきた水は、もうほとんど残っていない。昨日のうちに、思っていたより飲んでしまった。
「……これはまずいな」
周囲を見回す。川の音は、聞こえない。それっぽい気配もない。
「……探そう」
木から降りる。軽く荷物をまとめて、歩き出す。
少し進んで、立ち止まる。
「……どっちかな」
完全に勘だった。
……勘って、当たるのかな。
当たるといいけど。
「……まあ、こっちに行ってみようかな」
なんとなくで方向を決めて、歩き出す。
しばらく歩いた。
「うーん。ないな」
早い。
ため息をつく。
「いや、そんなすぐ見つかるわけないか」
分かってはいる。
でも、喉の渇きはじわじわと強くなる。
足を止めて、考える。
水のある場所。低い場所。湿っているところ。
……前世の記憶よ、頼む。
周囲をゆっくりと見回す。
ふと、視線が止まった。特に理由はない。ただ、なんとなく。
「……なんか、あっち気になるな」
歩き出す。少し進むと、空気がひんやりと変わった気がした。
「……ん?」
さらに進む。
かすかに、水の音が聞こえた。
「……ある?」
足が速くなる。木を抜けた先に、小さな水の流れがあった。
「……あった」
ぽつりと呟いて、近づいてしゃがみ込む。
水面に、顔が映っている。
ピンクがかった髪が、あちこちに跳ねていた。山道を歩いてきたせいで、余計にひどいことになっている。
アンバーの瞳が、水の揺らぎの中でぼんやりと揺れる。
(……酷い格好。誰も見てないけど、邪魔だな。髪の毛切っちゃっても良いかな)
そのまま水に手を突っ込んで、ごくごくと飲んだ。
「……冷た」
一瞬、目を閉じる。
「……生き返る」
何度か水をすくって飲み、ようやく一息つく。
「……助かった」
そのまま手を水に浸したまま、ぼんやりと眺める。
指先から伝わる冷たさが、じんわりと体に染みていく。
「……ついでに」
手で水をすくい、そのまま顔にかけた。
ひやり、とした感触に思わず肩が揺れる。
「……っ、冷た」
もう一度、今度は少しゆっくりと。
額から頬へ、水が流れていく。昨日の汗や埃が落ちていく感覚が、心地よかった。
軽く目元を拭ってから、息を吐く。
「……ちょっとはマシになったかな」
周囲を見回して、近くの布を取り出す。
持ってきていた布切れを水に濡らし、軽く絞る。
それで首筋を拭うと、ひやりとした感触が走った。
「……あー、これいい」
腕や手もざっと拭っていく。
山に入ってからずっと気になっていたべたつきが、少しずつ落ちていく。
「……便利だったなあ、あっちの生活。
でも、不便なくらいが、私にはちょうどいいのかも」
ぽつりと呟いて、小さく笑う。
濡れた布を軽く振って、水を切る。
完全とは言えないが、それでもだいぶすっきりした。
「……よし」
そのまま座り込んで、周囲をぼんやりと眺める。
水がある。木もある。日陰もある。
……悪くない。
むしろ、かなりいい。
「……この辺りにしようか」
軽く頷いて、近くの木の実に目を向ける。
「……これ、いけるやつかな」
手を伸ばして、少し考えて、ひとつ取る。匂いをかぐ。
「……いけそう」
かじる。一瞬止まる。
「……たぶん、大丈夫」
美味しくはない。でももう一口。
「……うん、普通」
食べられなくはない。
……まあ、贅沢は言えない。
「……なんとかなるか」
軽く頷いた、その時。
ふわりと、風が吹いた。
木の葉が一斉に揺れて、水面に細かな波が立つ。
セラはそれをぼんやりと眺めていた。
ただの風だと、思っていた。
小さな光がいくつか、水辺に静かに集まってくる。
――ねえ、この子。
――うん。
――なんか、似てる。
しばらく、沈黙。
――流れ、乱さない。
――うん。
――でも、止めもしない。
――うん。
――そのまま、通す感じ。
風が、すっと通り抜ける。
――懐かしい。
――うん。
――あの人のときと、同じ。
少しだけ、間。
――でも。
――うん。
また少し、間が空く。
――気づいてないね。
――うん。
小さな笑いのような揺らめきが、光の中に混じった。
そのまま、ゆっくりと散っていく。
セラには、何も見えていない。
ただ水面を眺めながら、小さく息を吐いた。
「……来て、よかったな」
高く昇った日は、木々の隙間からやわらかな光となって差し込んでいる。
風が、心地よかった。




