第3話 思ってたより全然しんどい
山に入って最初に痛感したのは、前世の整備された登山道がいかに偉大だったかということだ。
伸びた枝が容赦なく顔に当たってくるし、分厚く積もった落ち葉に足を取られる。ついには滑って派手に尻もちまでついてしまった。隠れた木の根につまずきそうになることなんて、もう数え切れない。
「初見殺しのトラップ多すぎない? もしかして私、今めちゃくちゃハードな天然のアスレチックコースに挑戦させられてるんじゃない?」
誰に聞かせるでもない独り言をこぼしながら歩いているうちに、木々の隙間から差し込む光が地面にまだらな影を作っていることに気づく。葉が揺れるたび、土と青草の匂いが鼻をかすめ、ふっと身体の力が抜けた。
息は上がるし、足は重い。だけど、全然嫌じゃない。
「やっぱり、こういうの好きだな」
しんどいからこそ、最高に楽しい。元登山部の血が騒ぎ出し、思わず笑みをこぼしながら私はまた一歩を踏み出した。
しばらく歩き続けると、木々の間隔が空いた、日当たりのいい平らな場所を見つけた。今日の休憩地はここにしよう。
荷物を下ろして周囲を見渡す。日が傾き始めていたので、やれることからさっさと片付けないとね。
「とりあえず、まずは火!」
集めた落ち枝を組み、火打石を数回打ち合わせる。
正直、前世の知識があるとはいえ、道具も不十分なこの環境で素人が火を起こすのはかなり骨が折れるはず——だったのだが。
あっさりと散った小さな火花が枝に移ると、なぜかじわじわと、まるで誰かが優しく息を吹きかけてくれているかのように、スムーズに燃え広がっていった。
「……ついた。こんなに早く着くの初めて! なんか今日、めっちゃツイてるかも」
一瞬で安定した炎に少しの違和感は覚えたものの、「まあ、いっか!」とあっさり受け入れ、火の前に腰を下ろす。
火が落ち着いてふと思い出した。そういえば、朝からほとんど何も食べていない。空腹を感じていなかったのは、たぶん久しぶりの感覚に浮かれていたせいだ。
荷物を探り、布に包まれたサンドイッチを取り出す。ほんのりとした香りが広がった。
出発前に、こっそり用意されていたものだ。きっと兄様だろう。あの人はああいう顔をしているくせに、妙なところで世話焼きなのだ。
「ほんと、分かりにくいんだよ」
静かな山の中で食べるサンドイッチは、疲れた身体に染み渡るように美味しかった。
食事を終え、適当な木と木の間に布を結びつけてハンモックを作る。
恐る恐る体重をかけると、ぎしっと嫌な音がしたが――ふいに優しい風が吹き込み、さっきまでの不安定さが嘘のようにピタリと安定した。
「……疲れたぁ。でも、楽しい」
木々の隙間から覗く星空を見上げながら、私はゆっくりと瞼を閉じた。
◇
少し離れた場所。木の影に、ひとつの人影があった。
(……普通にやってるな)
しばらく眺めて、小さく息を吐く。
なんだろう。あいつの周りは火の燃え方も、風の流れも、ほんのわずかに違和感がある。だが、本人がそれに気づいていない様子が、余計に奇妙だった。
影は、静かにその場に腰を下ろした。視線だけは、ずっとセラに向いたまま。




