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結婚破棄されたので山にこもったら、なぜか精霊に好かれすぎて信仰対象になりました  作者: なな日々


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第3話 思ってたより全然しんどい

 山に入って最初に思ったのは、整備された登山道がいかに偉大だったか、ということだった。

 足場は悪い。枝は顔に当たる。地面はぬかるんでいて、一歩踏み出すたびに靴が沈む。

「……しんど」

 それでも。

 木々の隙間から差し込む光が、地面にまだらな影を作っている。葉が揺れるたびに、土と草の匂いが鼻をかすめる。

「……あー」

 ふっと、体の力が抜けた。

 これだ、と思った。しんどいのに、嫌じゃない。この感覚を、ずっと忘れていた気がする。

「やっぱ好きだわ」

 思わず笑いながら、また一歩踏み出す。

 しばらく歩いて、開けた場所を見つけた。

 木々が少し間隔を空けていて、地面も比較的平らだ。日当たりもいい。

「……ここでいいかな」

 荷物を下ろして、周囲を見渡す。

 日が傾いてきていた。やれることから片付けた方がいい。

「とりあえず、火だな」

 枝を集め始める。乾いていそうなものを選んで、地面に並べていく。

 思い返せば、記憶が戻る前からやっていた。

 夢で見たような気がして、枝を削って摩擦で火を起こそうとしたこともあった。何度やっても煙が出るだけで、結局うまくいかなかった。そのうち石を使うやり方を試して、ようやく小さな火種が出た時は、使用人に大騒ぎされて止められた。

 でも、やり方だけは体に染み込んでいる。

 ナイフを取り出し、石を拾う。

「……マッチ、ないよね」

 当たり前だ。

「作れる気もしないな」

 即諦めて、石を打ち合わせる。

 カチン。カチン。

 何度繰り返しても、火花はほとんど出ない。

「……いや、無理かな、これ」

 ため息をついて、ふと手のひらを見る。

「……あ、そういえば」

 そういえば、この世界には魔法がある。使えるかどうかは別として。

 指先に意識を集中する。

 ――ぽす。

 小さな火が、一瞬だけ出て消えた。

「……弱っ」

 もう一度。ぽす。消える。

「安定しなさすぎるでしょ」

 眉をひそめて、結論を出す。

「……使えないな、これ」

 やっぱり普通にやるしかない。

 ……分かってたけどね。

 最初から分かってたけどね。

 石を打つ。カチン。カチン。

 何度も繰り返す。指先が少し痛くなってきた頃、小さな音がした。

「……ん?」

 小さな火種が、枝の先に移っていた。

 思わず動きを止める。火は、消えない。じわじわと、確かに広がっていく。

「……ついた?」

 しばらく見つめて、ゆっくりと息を吐いた。

「……っしゃ」

 小さく拳を握る。

 その火は、思ったよりも安定して燃えていた。

 ――その時、ほんの少しだけ風が吹いた。炎が揺れて、まるで何かに育てられるようにじわりと大きくなる。

 違和感が一瞬だけ胸をかすめる。

 けれど。

「……いい感じ!」

 そのまま気にせず、火の前に腰を下ろした。

 ぱち、と小さく薪が弾ける。

 じわじわと広がる熱が、冷えていた指先に戻ってくる。

「……あ」

 ふと、思い出した。

「……ご飯」

 そういえば、朝からほとんど何も食べていない。

 空腹を感じていなかったのは、多分、久しぶりの感覚に浮かれていたせいだ。

 荷物を引き寄せて、中を探る。

 布に包んでいたものを取り出すと、ほんのりとした香りが広がった。

「サンドイッチか」

 出発前に、用意されていたものだ。

 ……たぶん、兄様だ。

 あの人、ああいう顔してるくせに、妙なところで世話がいい。

 頼んだ覚えはないけど、見ていれば分かる。

「……ほんと、分かりにくいんだよなあ」

 指先で軽く押すと、まだ少し柔らかい。

 一口かじる。

 思ったよりも、ちゃんと美味しかった。

 肉と野菜を挟んだだけの、シンプルなもの。

 だけど、疲れた体にはそれで十分だった。

 もぐもぐと咀嚼しながら、ぼんやりと火を見つめる。

 ぱち、とまた音が鳴る。

 ――不思議だ。

 同じ食べ物でも、場所が違うだけでこんなにも違う。

 屋敷の中で食べていた時は、味なんてほとんど覚えていなかったのに。

「……外で食べると、美味しいんだな」

 ぽつりと呟く。

 サンドイッチを食べ終えて、次に手に取ったのは固めのパンだった。

 せっかくだし軽く炙ってみる。

 表面が少しだけ色づいて、香ばしい匂いが立ちのぼる。

「……いい感じ」

 かじると、外は少しだけ固くて、中はまだ柔らかい。

 いつもよりも、ずっと美味しく感じた。

 山の中は静かだった。

 風の音と、火の音と、虫の声、自分が何かを食べる音だけだ。

「……」

 ふと、手が止まる。

「……一人で食べるの、久しぶりかも」

 前の人生を思い出す。

 仕事の合間に、こっそり屋上に上がって。

 人のいない場所で、風に当たりながらぼんやりするのが好きだった。

 手すりにもたれて、適当に買ったパンをかじりながら、ただ景色を眺める。

 忙しい日ほど、あの時間が妙に落ち着いた。

 誰かと話すわけでもなく、何かをするわけでもなく。

 ただ、外の空気を吸っているだけなのに。

「……ああ」

 なんだか、妙にしっくりきた。

 今の自分は、ちゃんと“ここにいる”気がする。

 食べ終えて、手を軽く払う。

 火のそばに残った余熱が、じんわりと体を温めてくる。

 組んだばかりのはずの火は、不思議なくらい安定して燃えていた。

 さっきまで湿っていたはずの枝も、もう音を立てて乾いている。

 火力も落ちる気配がなく、均一に熱が広がっているのが分かる。

 ――こんなにうまくいくものだっけ。

 一瞬だけそう思って、すぐに首を振った。

「……まあ、ラッキーってことで」

 深く考えることもなく、視線を外す。

「……さて」

 小さく息を吐いて、立ち上がる。

 次は寝床だ。

 周囲を見回す。地面、木、枝。

「……地面は、嫌だな」

 即決だった。湿っているし、虫も気になる。

「じゃあ――上か」

 木を見上げる。ふたつの幹が、ちょうどいい間隔で並んでいた。

 布を取り出して、幹と幹の間に結びつける。体重をかけると、ぎし、と音がした。

「……あ、ちょっと怖いな」

 ゆっくり乗ってみる。

 ――ぐら。

「おっと」

 バランスを崩して、そのまま地面に落ちた。

「……痛っ。これはダメだ」

 もう一度やり直す。

 結び方を変えて、高さを調整して、張り方を工夫して。数回繰り返した末に、ようやく安定した。

「……これかな」

 恐る恐る乗ると、ぎし、ぎしと鳴きながらも今度はちゃんと体を受け止めてくれた。

「……いけるな」

 仰向けになって、空を見上げる。木の隙間から夜空が見えた。星が、思ったよりずっと多かった。

 ……すごい。

 こんなに見えるんだ。

 風が吹く。ハンモックが、ほんのりと揺れる。

 その揺れが、不思議なくらい優しかった。さっきまでのぎこちなさが、嘘みたいに消えている。

「……疲れた」

 小さく息を吐く。体中が重くて、瞼も落ちてくる。

「でも」

 口の端が、自然と上がった。

「楽しいな」

 そのまま、ゆっくりと意識が落ちていった。

 少し離れた場所。木の影に、ひとつの人影があった。

「……普通にやってるな」

 しばらく眺めて、小さく息を吐く。

「……なんだ、あれ」

 火の燃え方も、風の流れも、ほんのわずかに自然じゃない。

 だが、それに気づいていない様子が、余計に奇妙だった。

 影は、静かにその場に腰を下ろした。

 視線だけは、ずっとセラに向いたままだった。


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