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無自覚聖女のモフモフ山籠り生活 〜婚約破棄されたので山にこもったら、なぜか信仰対象になりました〜  作者: なな日々
第1章:お山スローライフの基盤作り編

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第2話 とりあえず山に行こうと思う

 何日か眠っていたようで、少し体が鈍ってしまった。

 けれど痛みはすっかり無くなり、散歩して体を慣らしている。

 昔から、何故か怪我の治りは早かった。

 今回も――まあ、そういうものなのだろう。

 目が覚めてからは、ずっと山のことを考えていた。

 あの風の抜ける感覚。登りきった瞬間に広がる景色。

 ああ、と思う。

 体が、覚えている。

 山道を登って、息が上がる。足は重くなるし、途中で何度も「帰りたい」と思う。

 それでも。

 登りきった瞬間、風が抜ける。

 一気に視界が開けて、眼下に広がる景色が目に飛び込んでくる。

 あの感じ。

 思い出した瞬間、胸が少しだけ弾んだ。

「……あー、これ」

 思わず、笑いが漏れる。

「めっちゃ好きなやつだ」

 しんどさも、そのあとの気持ちよさも。

 しんどいからこそ、気持ちいい。

 全部ひっくるめて、楽しかった。

 ――ああ、そっか。

 私、これが好きだったんだ。

 元登山部の血が騒ぐ、ってやつだ。

 単純に。ただ、好きだった。

 視線が、窓の外の遠くの山へと向く。

 さっきまでただの景色だったそれが、急に"行きたい場所"に変わっていた。

「……いいな、山」

 と、そこまで考えて。

 ふと、手が止まる。

「……いや、待って」

 今の自分の部屋。当たり前だけど、あるのは貴族の生活用品ばかりだ。

 テントもなければ、ランタンもない。

 保存食も、火を起こす道具も、何もない。

「……いや、無理かな、これ」

 ぽつりと呟く。

 前の人生とは違う。

 整備された登山道なんてないし、目印もない。

 そもそも――

「魔物、いるんだよね」

 さらっとした事実が、じわじわと重くのしかかる。

 少し、黙る。

 普通に考えれば、やめるべきだ。

 準備をして、情報を集めて、安全を確保してから。

 そういうものだ。

 分かっている。

 ちゃんと分かっている。

「……」

 視線が、また遠くの山に向く。

 あの空気。

 あの景色。

 あの達成感。

 それを思い出したら――

「……行きたいんだよなあ」

 小さく息を吐く。

 分かってるけど、でも。

 分かってるけど、だからって諦められるほど軽いものでもない。

「……じゃあ、せめて」

 ぽつりと呟く。

「最低限の準備くらいは、するか」

 決めた瞬間、迷いは消えた。

 ああ、もういいや。

 どうせ止められるし、どうせ反対される。

 だったら――先に動いた方が早い。

 屋敷の倉庫に自ら足を運び、使えそうなものを片っ端から引っ張り出す。

 布。ナイフ。水。簡単な食料。

 あと使えそうな袋とか紐とか、適当に。

 ……適当って言ったけど、割とちゃんと選んでる。

 たぶん。

「……こんなもんか」

 完璧とは言えない。

 でも、何もないよりはマシだ。

 たぶん。

 たぶん大丈夫。

 たぶん。

「セラお嬢様、また変なことしてるらしいわよ」

「え、今度は何?」

「山に行くって言ってるらしくて……」

「誰も止めないの?」

 ひそひそとした声が、廊下の向こうから聞こえてくる。

 ……あ、これ絶対私のことだ。

 まあ、いいけど。

 もう慣れたし。

 どうせ何しても言われる。

 だったら好きにした方がいい。

「……ですが」

 その中に、ひとつだけ聞き慣れた声が混ざる。

 ぴたりと、手が止まる。

「……セラお嬢様には、しばらく離れていただいた方が、都合のいい方もいらっしゃいますから」

 一拍。

 沈黙。

「……え?」

 思わず、声が出た。

 今の。

 今の、アリシアの声。

 なんで?

 どういう意味?

 考えようとしたけど、その前に足音が遠ざかっていく。

 廊下はすぐに静まり返った。

 ……聞き間違い?

 いや、そんなはずはない。

 でも。

「……まあ、いっか」

 考えても分からないことは、考えても分からない。

 それに――

 ちょうどいい。

 どうせ出ていくつもりだった。

「お姉さま、凄い荷物だね! なにしてるの?」

 振り返ると、フィンが立っていた。

 六歳の末弟だ。ピンクアッシュの髪に、ヘーゼルの大きな瞳。顔立ちは母親譲りで、見ているだけで顔がほころぶような可愛さがある。

「準備」

「じゅんび? どこいくの?」

「山に行こうかなって」

 フィンの瞬きが、ぴたりと止まる。

「……やま?」

「うん」

「すぐ帰ってくる?」

「んー、まだ決めてないよ」

「えっ」

 分かりやすく固まる。

「お山にはお家あるの?」

「木の下とかで寝たら気持ちよさそうじゃない?」

 フィンの顔が、みるみる歪んでいく。

 あ、これは。

 まずいやつ。

「……やめた方がいいと思う」

「そう?」

「ちょっと待ってて!」

 ぱたぱたと走り去っていく。

 ……あー、呼びに行ったな。

 まあ、来るよね。

 知ってた。

「兄様! 早く止めて!」

 勢いよく扉が開く。

 フィンに引っ張られるようにして、ルーカスが入ってきた。

 長男のルーカスだった。グリーンアッシュの髪に緑の瞳。兄弟で唯一、父親似だ。

 部屋の中を一瞥して、眉をひそめる。

「……何をしている」

「山に行く準備」

「……何故だ」

「気分転換?」

 軽く答える。

「ほら、私すっかりやる事もなくなっちゃったし」

 沈黙。

 空気が、少しだけ重くなる。

「ふざけるな」

 低い声だった。

 一瞬で、空気が張り詰める。

「そんな軽々しく言うが、何をしようとしているか分かっているのか」

 淡々としているのに、圧が強い。

「整備された山でもなければ、安全も保証されていない。魔物も出る。遊びで行くような場所じゃない」

 正論。

 めちゃくちゃ正論。

 でも。

「ちゃんと考えたよ」

 軽く返す。

「危ないし、普通はやらないよね」

 一拍。

「でも、行きたいの。もう決めたの」

 ルーカスの目が、細くなる。

「……無茶だ」

「うん、知ってる」

 即答。

 沈黙。

 少しだけ、空気が緩む。

 ルーカスが小さく息を吐いた。

「……ここ数日大人しくしていると思ったら、メイドを使ってこそこそ準備をしていたというじゃないか」

「バレてた?」

「最初からだ」

「……そっか」

 ですよね。

 筒抜けでしたか。

 また沈黙。

 フィンが不安そうに見上げる。

「兄様……」

 ルーカスは懐から小さな護符を取り出し、無造作に投げた。

「魔物避けだ。持っていけ」

「へえ、ありがと」

「……死ぬな。面倒だ」

 それだけ言って、踵を返す。

 フィンが慌ててついていきながら振り返る。

「お姉さま、気をつけてね」

「うん、大丈夫」

 小さく手を振る。

 準備を終えて、部屋を出る。

 廊下を進み、屋敷の外へ。

 門をくぐる。

 振り返らない。

 ……振り返ったら、たぶん戻る。

 だから、見ない。

 怖くないわけじゃない。

 不安がないわけでもない。

 でも。

「……楽しみだな」

 ぽつりと呟く。

 少しだけ、笑った。

「……あれ、マジで行くんだ」

 少し離れた場所から、その背中を見ている影があった。

 呆れたような声。

「……面倒なことを」

 壁に寄りかかりながら、小さく息を吐く。

「まあ、適当に見るか」

 影は静かに動き出す。

 誰にも気づかれないまま。

 その後を、追った。

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