第1話 人生詰んだので、少し外の空気でも吸おうと思う
先日、私宛に一通の手紙が届いた。
――婚約破棄の知らせだった。
……いや、ちょっと待って。
婚約破棄って、そんなさらっと届くものだったっけ?
もっとこう、段階とか、話し合いとか、前触れとか。そういうの、あるものじゃないの?
なかったんだけど。
びっくりするくらい、なかったんだけど。
間もなくパーティーを控えたタイミングだったので、てっきりお誘いか何かだと思っていた私は、いつものように侍女に「読んでくださる?」とお願いしてしまった。それも家族の前で。
……結果がこれである。
ほんと、やめとけばよかった。
一瞬だけ、侍女のアリシアが言葉に詰まりーーあ、これ嫌なやつだ。
そう思った時にはもう遅かった。
アリシアは、何事もなかったかのように読み上げ続けていた。
場の空気が、ぴたりと止まる。
誰も何も言わない。
ただ、全員の顔色だけが、分かりやすく変わった。
……いや、そんな顔するくらいなら止めてほしかったんだけど。
今さら言っても遅いか。
でも、そんなはずはないと思い、文面をもう一度ざっと目で追う。
うん。
どこからどう見ても、婚約破棄だった。
「……危険な行動が多く、カーライル家の令嬢としてふさわしくない、ね」
小さく呟く。
「……危険、か」
少し考える。
危険。
危険ね。
「火? 焚き火のことかな」
窓の外へ視線を向ける。
庭の端。以前、枝を集めて火を起こそうとして怒られた場所が見えた。
(まあ、確かに思い当たることはある)
いや、あるどころじゃない。
むしろ――
「思い当たることの方が多いな」
小さく息を吐く。
ああ、そういうことかと、妙に納得する。
……うん、普通に危ないことはしていた。
それは否定できない。
できないけど。
――でも。
そこまで言われるほどかと言われると、ちょっと納得いかない。
だってあれ、全部家の中の話だ。
外に漏れるようなことじゃない。
わざわざ婚約破棄の理由にされるほどのものでもない。
……はず。
そこで、ふと引っかかる。
じゃあ、なんで知ってるの。
ルシアン・カーライルは、公爵家の嫡男だ。
話しかければちゃんと答えてくれるし、私が変なことを言っても笑わなかった。
そういう人だと、思っていた。
でも――
彼に、話したことがあっただろうか。
記憶を辿る。
思い返してみても……ない。
少なくとも、思い当たるものはない。
じゃあ、なんで。
なんで知ってるの。
ほんの一瞬だけ浮かんだ疑問は、すぐに消えた。
考えても分からないものは、分からない。
それに――
もう、どうでもいい。
今さら理由を知ったところで、婚約が戻るわけでもない。
両親の反応を見れば、十分だった。
父は眉を寄せていた。
――まるで、何かを堪えているみたいに。
母は窓の外を見ていた。
誰も、私を見なかった。
……ああ、そういうことね。
納得は、早かった。
セラ・ローエン、十五歳。
――どうやら、人生は詰んだらしい。
◇
とはいえ。
泣くほどでもないし、怒る気にもなれなかった。
面倒事が増えた、くらいの感覚だ。
……いや、増えたというより、なくなったのか。
婚約も、立場も、役割も。
全部まとめて、ぽいっと。
……まあ、いっか。
とりあえず一人になりたくて、これからどうするのか、と考えながら歩く。
考えているようで、あまり考えていない。
ぼんやりと、ただ歩いているだけだ。
ふと、庭の木が目に入る。
ちょうど奇麗な赤い実がなっていた。
あれ、美味しそうだな。
少しだけ思案する。
……取れるかな。
いや、取れるでしょ。
やめる理由も、特に思い当たらない。
こういうのがダメだったのかもしれない。
近くの石に足をかけ、体を伸ばす。
もう少し。
あと少しで届く。
指先が触れた、その瞬間。
ぐらり、と足元が揺れた。
支えにしていた石が、音もなく崩れる。
あ、と思った時には遅かった。
体が傾く。
止めようとした手が、空を掴む。
……あ、これダメなやつ。
妙に冷静な自分がいる。
遠くで、小さく息を呑む音がした。
視界の端に、スカートの裾が揺れた気がした。
足場を失った感覚だけが、妙にはっきりしていた。
遅れて、落ちると理解する。
視界が一気に流れていく。
空と地面が、ぐちゃぐちゃに混ざる。
◇
落ちながら、二つの記憶が重なった。
庭の木に手を伸ばして、足を踏み外した今の記憶。
山の中で、実を取ろうとして足場を見誤った記憶。
似ているようで、まるで違うはずのそれが、ひとつに重なる。
……あれ。
これ、知ってる。
この感覚。
この落ち方。
この、どうしようもない感じ。
地面が迫る。
その直前――
「……あ」
気づいた。
ああ、これ。
私、前にもやってる。
◇
激痛が走る。
しばらく、体が動かない。
それでも、頭の中ではばらばらだった記憶が、ゆっくりと繋がっていく。
空を見上げたまま、ぽつりと呟く。
「一回目の人生、それで死んだんだ」
間を置く。
「……私、ダサ」
いや、ほんとに。
同じミスで死ぬって、どういうことなの。
成長してないにもほどがある。
そのまま、意識が途切れた。
◇
目を覚ます。
……あ、生きてる。
見慣れた天井が、すぐそこにあった。
息を吐く。
「……思い出した」
再び目を閉じて、これまでのことを振り返る。
思い返せば、私の人生にはおかしなことが多かった。
幼い頃から、何度も同じような夢を見ていた。
見たこともない山の中で、火を起こしたり、木の実を焼いたりしている夢だ。
此処とは違う服装の人達と笑いあっていた。
妙にリアルで、目が覚めたあとも余韻が残るくらいで。
……そして。
気づけば、やっていた。
庭で枝を集めて火を起こそうとして大騒ぎになったこともあった。
草を摘んで食べようとしたこともあった。
……そりゃ止められるわ。
なるほど、と妙に納得する。
夢だと思っていたものは、夢ではなかったらしい。
◇
それから、数日が経った。
特に何も変わらなかった。
婚約はなくなったまま。
家の中の空気も、相変わらず微妙で。
ただ――少しだけ静かになった気がする。
いや、正確には違う。
以前は必ず誰かがそばにいたのに、今はそれもない。
呼べば来る。
けれど、向こうから来ることはない。
侍女であるアリシアですら。
……まるで。
必要以上に近づかないようにしているみたいに。
少しだけ引っかかる。
でも、それ以上は考えなかった。
今さら考えても仕方ない。
◇
ベッドから立ち上がる。
思ったより痛みは少ないが、数日ぶりだ。さすがにフラつく。
婚約破棄になった今――やることも、特にない。
だから、結論は簡単だった。
ここにいる理由がないなら、出ればいい。
窓の外に目を向ける。
整えられた庭と、その向こうに広がる外の景色。
閉じた空気より、あっちの方がまだマシに思えた。
「……ちょっと、外に出ようかな」
軽い気持ちだった。
本当に、それだけのつもりだった。
――この時は、まだ。
セラはそう呟いて、そのまま歩き出した。
この先、セラが山でどんな生活をしていくのか。
もし少しでも気になったら、ブックマークしてもらえると嬉しいです。




