第1話 人生詰んだので、少し外の空気でも吸おうと思う
先日、私宛に一通の手紙が届いた。
内容は「婚約破棄」。
いや、ちょっと待って。
婚約破棄って、そんなにさらっと手紙一枚で済ませていいものなの?
もっとこう、段階とか、話し合いとか、前触れとかあるでしょ。
一切なかったんだけどね!
間もなくパーティーを控えたタイミングだったので、てっきりその案内だと思い込んだ私は、家族が揃うサロンで侍女のアリシアに「読んでくださる?」とお願いしてしまった。
結果がこれである。ほーんと、やめとけばよかった。
手紙を読み始めたアリシアが一瞬言葉に詰まった時点で、「あ、これ嫌なやつだ」と察したけれど時すでに遅し。
彼女は何事もなかったように最後まで読み上げ、場の空気はぴたりと凍りついた。
誰も何も言わない。ただ、全員の顔色だけが分かりやすく青ざめていく。
(そんな顔をするくらいなら途中で止めてほしかった……)
今さら言っても仕方がない。手渡された文面を、もう一度ざっと目で追ってみる。
うん。どこからどう見ても、間違いなく婚約破棄の通達だった。
「『危険な行動が多く、カーライル家の令嬢としてふさわしくない』……ね」
小さく呟いて、少し考える。
危険。危険ね。
「火? 庭での焚き火のことかな」
窓の外へ視線を向けると、庭の端が見えた。
あそこは以前、私が落ち枝を集めて火を起こそうとし、見つかって大目玉を食らった場所だ。
思い当たることはあるどころじゃない。むしろ――。
「思い当たる節しかないわね」
小さく息を吐き、妙に納得してしまった。
うん、普通に危ないことはしていた。それは否定できない。
できないけど。
――でも。
そこまで言われるほどかと言われると、ちょっと納得がいかない。
だってあれは全部、家の中だけの話だ。わざわざ婚約破棄の理由にされるほど、外に漏れるようなことでもないはず。
そこで、ふと引っかかった。
じゃあ、なんで向こうの家が知っているの?
婚約者だったルシアン・カーライルは、公爵家の嫡男だ。
話しかければちゃんと答えてくれるし、私が変なことを言っても決して笑わない、誠実な人だと思っていた。
彼に、私が庭で火を起こした話なんてしたことがあっただろうか。
記憶を辿ってみても……ない。少なくとも、自分から話した覚えはない。
ほんの一瞬だけ浮かんだ疑問は、すぐに霧散した。
考えても分からないものは、分からないし、今さら理由を知ったところで失われた婚約が戻るわけでもない。
両親の反応を見れば、すべては十分だった。
父はまるで何かを堪えるように深く眉を寄せ、母はただ黙って窓の外を見つめている。
誰も、私と目を合わせようとはしなかった。
ああ、そういうことね。
納得するのは、早かった。
セラ・ローエン、十五歳。
――どうやら私の人生、この家において完全に「詰んだ」らしい。
◇
悲しくて泣くほどでもないし、理不尽だと怒る気にもなれない。
ただ単に「面倒事が増えたな」くらいの感覚だった。
婚約も、未来の立場も、令嬢としての役割も。
私を縛っていたものが、一気に剥がれ落ちていく。
少しだけ胸がチクリとしたけれど、惜しいという感情はもう湧いてこなかった。
とりあえず一人になりたくて、これからどうしようかと考えながら廊下を歩いていた。
ふと、庭の木が目に入った。ちょうど奇麗な赤い実がなっていて美味しそうに見える。
取れるかな。いや、取れるでしょ。やめる理由も、特に思い当たらない。
こういう令嬢らしからぬ行動がダメだったのかもしれないけれど、もう関係ない。
近くのバルコニーの大理石に足をかけ、ぐっと体を伸ばす。
もう少し。あと少しで届く。
指先が赤い実に触れた、その瞬間。
つるり、と大理石に乗せていた靴底が滑った。
「あっ」
悲鳴を上げる間もなく、ぐらりと視界が反転する。
体が大きく傾き、咄嗟に伸ばした手が空を掴んだ。
あ、これダメなやつだ。
宙に浮いた体とは裏腹に、妙に冷静な自分がいた。
遠くで誰かが小さく息を呑む音がした。視界の端に、アリシアのスカートの裾が揺れた気がした。
足場を失った感覚だけが、はっきりと全身を包み込む。
遅れて、落ちると理解する。
視界が一気に流れ、青い空と緑の地面がぐちゃぐちゃに混ざり合った。
落ちていく一瞬の中で、二つの記憶が重なり合った。
庭の木に手を伸ばして足を踏み外した今の記憶と、山の中で実を取ろうとして足場を見誤った記憶。
似ているようでまるで違うはずの景色が、カチリとひとつに重なる。
――あれ。これ、知ってる。
この浮遊感。この落ち方。このどうしようもない感じ。
地面が迫る、その直前。
「あ」
気づいた。
ああ、これ。私、前にもやってる。
◇
背中に激痛が走り、しばらく身体が動かせなかった。
それでも、頭の中でばらばらだった記憶のピースが、ゆっくりと繋がっていく。
空を見上げたまま、ふと理解する。
一回目の人生、私それで死んだんだ。
……私、ダサッ。
いや、ほんとに。
同じミスで死にかけるって、どういうことなの。成長してないにもほどがあるでしょ。
視界が暗く沈んでいく。
その奥で、ふわりと何かが揺れた気がした。風でもないのに、空気が優しく撫でる。
小さな光の粒のようなものが、いくつも、いくつも。まるで様子をうかがうように、私の周りを取り囲んでいた。
――大丈夫、とでも言うみたいに。
小さな光たちが、わずかに弾む。
そのうちのひとつがそっと頬に触れると、不思議と痛みがすっと引いた気がした。
けれど。
「……夢、かな」
意識が沈みきる直前、そう思った。
◇
目を開ける。眩しい。
――同時に、どこか安心するような気配が、ふっと遠ざかった気がした。
窓の外の木々がざわりと揺れた。風はないのに。まるで、そこに”いた”みたいに。
死んだ?
いや、見慣れた自室の天井がすぐそこにあった。
ゆっくりと息を吐き出す。
「……思い出した」
再び目を閉じて、頭の中に流れ込んできたこれまでのことを振り返る。
思い返せば、私の人生にはおかしなことが多かった。
幼い頃から、何度も同じような夢を見ていた。見たこともない山の中で、火を起こしたり、木の実を焼いたりしている夢だ。
こことは違う奇妙な服装の人達と一緒に、笑いあっていた。目が覚めたあとも余韻が残るくらい、妙にリアルで鮮明だった。
――そして。
気づけば、現実でも同じことをやっていた。
庭で枝を集めて火を起こそうとして大騒ぎになったこともあった。名も知らぬ雑草を摘んで食べようとしたこともあった。
そりゃ止められるし、婚約破棄もされるわ。
なるほど、と妙に納得する。
私が夢だと思っていたものは、夢ではなかったらしい。
◇
それから、数日が経った。
屋敷の状況は、特に何も変わらなかった。
婚約はなくなったまま。家の中の空気も、相変わらず微妙に重い。
ただ――私の周りだけ、少しだけ静かになった気がする。
いや、正確には違う。
以前は必ず誰かがそばに控えていたのに、今は誰も寄り付かないのだ。長年付き添ってくれた侍女のアリシアですら、私に必要以上に近づかないよう意図的に距離を置いているみたいだった。
少しだけ引っかかるものはあったが、それ以上深くは考えなかった。
今さら理由を考えたところで、私が「詰んでいる」事実に変わりはないのだから。
ベッドからゆっくりと立ち上がる。
思ったより痛みは少ないが、数日ぶりに立って歩いたせいか少し足元がフラついた。
婚約破棄になり、家族からも距離を置かれている今――私には、この屋敷でやるべきことが特にない。
だから、導き出された結論はとても簡単だった。
ここにいる理由がないなら、出ればいい。
窓の外に目を向ける。
窮屈な庭と、その向こうに広がるどこまでも続く外の景色。
誰とも目を合わせないこの閉じた空気より、あっちの自由な世界の方がまだずっとマシに思えた。
「……ちょっと、外に出ようかな」
軽い気持ちだった。
――その一歩が、山の精霊たちに”見つかる”ことになるなんて、この時の私はまだ知らない。
そして、それが後に”聖女”として崇められるきっかけになることも。
この先、セラは山で自由に暮らしていく――はずなのですが、なぜかモフモフや精霊たちに囲まれていくことになります。
のんびりスローライフのつもりが、少しずつ周りがおかしくなっていくお話です。
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