第36話 神獣の山へ入るための条件
ローエン家の広大な敷地の一角。
外部の者を通すための応接室は、ローエン家基準では質素だった。
だが、平民からすれば目が眩むほど豪奢であることに変わりはない。
そのソファで、二人の男がガチガチに身を強張らせていた。
「おいルーク……俺たちの雇い主って、ローエン家の人間だったのかよ」
「馬鹿、声が大きいぞゼイン。俺だって知らなかったんだ。ただの金回りのいい訳ありの依頼人だとばかり……」
かつて東の山で瀕死になっていたところをセラに救われた冒険者パーティ『ルーンシーカー』の魔術師ルークと、剣士のゼイン。
彼らは先日エリオと接触し、事情を聞いた上で協力を約束したが、まさか指定された合流場所が国内有数の権力を持つ貴族の屋敷だとは思ってもみなかったのだ。
ガチャリと扉が開く音がして、二人は弾かれたように立ち上がった。
「待たせたな」
入ってきたのは、見慣れた平服の上に旅装を纏ったエリオだった。その顔には、どことなく深い疲労感が滲んでいる。
(……ようやく、屋敷の外に出られる)
エリオは内心で小さくため息を吐きながら、ここ数日のローエン家の大混乱を思い返していた。
あの日、持ち帰った樽一杯の『奇跡の水』。あれは長男のルーカスが顔を真っ青にしながら幾重にも厳重な封印を施し、ローエン家最深部の宝物庫へと「最高機密の非常薬」として安置されることとなった。
ただ、「お姉さまにもらった僕のお水だもん!」と絶対に譲らなかったフィンの水筒にだけは、たっぷりとその水が補充されている。無邪気な弟が水筒を鳴らしてごくごくと飲むたびに、ルーカスが頭を悩ませる日々は今も続いている。
そして父に至っては、神話の存在である神獣が姉の傍らに当然のように存在しているという事実に知恵熱を出し、丸一日寝込んでしまった。
(……まあ、いい。あっちの頭痛の種はルーカス兄上に任せよう)
エリオは思考を切り替え、鋭い視線をルークたちに向けた。
「準備はいいか」
「ああ。……本当に、あの奥地に案内してくれるんだな?」
ルークが、緊張した面持ちでエリオを見返す。
魔物が巣食う危険な山だ。さらに今回は、通常の冒険者が決して立ち入らない未知の深部へと足を踏み入れることになる。歴戦の冒険者である彼らでも、顔の強張りを隠しきれていなかった。
「約束だからな。だが、入山する前に絶対の条件を三つ、提示しておく」
エリオは歩みを止め、静かだが凄みのある声で告げた。密偵として培った冷たい気迫と、貴族としての絶対的な威圧感に、ルークたちが思わず息を呑む。
「一つ、何があっても決して武器には手をかけるな。二つ、何を見ても大声で騒ぎ立てるな。三つ――山の『主』には、最大の敬意を払え。相手はただの魔物ではない。機嫌を損ねれば、我々など一息で消し去れる神話の存在だということを忘れるな」
エリオの忠告に、冒険者二人の顔からスッと血の気が引いた。この強大な権力を持つローエン家の人間ですら、最大の敬意を払い、恐れる存在。それが「山の主」なのだと理解したからだ。
「ぬ、主って……あの山を管理する存在……?」
「お前たちの立ち入りはセラに免じて、今回は許可してくれたが、慈悲深い相手だとは勘違いしないことだ」
(もっとも山で共に過ごした限り、セラやフィンに対してだけは妙に甘かったが)という内心のツッコミは、エリオはあえて伏せておいた。ここで彼らにしっかりとした危機感を持たせ、絶対に余計な真似をさせないための防波堤を作る必要があったからだ。
「……分かった。命に代えても、条件は守る」
「よろしい。では、行くぞ」
悲壮な決意を固める冒険者たちを連れ、エリオは再びあの過酷な山道へと向かうのだった。




