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無自覚聖女の辺境山暮らし 〜婚約破棄されたけど、新しい相棒と精霊に愛されています〜  作者: なな日々
第2章:広がる噂は規格外編

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第33話 季節外れの花と、神獣の許可

 山道を抜け、見慣れたはずの景色に辿り着いた瞬間。

 エリオは、ぴたりと足を止めた。後ろを歩いていたフィンが、エリオの背中にこつんとぶつかる。


「ちょっと! 急に止まらないでよ! ……え? なに、ここ」


 文句を言いかけたフィンの声が、驚きに裏返った。


 そこには――本来、この季節に咲くはずのない花が、一面に広がっていた。

 淡い色の花弁が風に揺れ、光を弾く。柔らかな香りが空気に溶け込んでいる。

 まるで、この場所だけ世界から切り取られ、別の季節が置かれたかのようだった。


「きれい……」


 フィンは呟くように言い、ゆっくりとその中へ歩み出る。踏みしめるのもためらうような、おっかなびっくりの足取りだった。


 エリオはその様子を見ながら、静かに目を細める。

(いくらあいつの『水』でも、こんな範囲になるはずが……)


 風が吹き抜ける。

 花々が一斉に揺れ、さざ波のように広がった。


 その瞬間だった。

 ――空気が、変わる。


 ひやりとした重い気配が、肌を撫でた。

 フィンの足が止まる。気づいたのはエリオだけではない。


 “それ”は、そこにいた。


 白銀の巨体。ただそこに在るだけで、すべてを押し潰すような圧倒的な存在感。

 神獣、フェンリル――ノクス。


 静かにこちらを見下ろすその青い瞳からは、感情を読み取れない。ただ、生き物としての次元が違うという事実だけが、そこにあった。


 フィンは、しばらくその場に立ち尽くしていた。

 足が動かない。動かせない。

 それは恐怖というより、あまりに巨大で美しいものを前にした時の、あの感覚に近かった。


 喉が、わずかに鳴る。

 それでも。


「かっこいい……」


 ぽつりと、こぼれ落ちた。

 恐怖ではなかった。純粋な感嘆だった。

 フィンは恐る恐る、一歩、また一歩と前へ進む。


 その様子を、ノクスは静かに見ていた。

 止める様子も、威圧する様子もない。ただ、小さな子供を見守るように静かに見据えている。


「すごい……」


 フィンが小さく息を吐くように言った、その時だった。


「フィン!」


 聞き慣れた声が、弾むように響いた。

 振り返ると、セラが花畑の奥から駆け寄ってくるところだった。


「セラお姉さま!」


 フィンの顔がぱっと明るくなる。そのままセラの元へ駆け寄り、勢いよく抱きついた。


「わあ、フィン! 来てくれたの?」

「うん!」


 セラがしっかりと抱きとめると、フィンはまじまじとその顔を見つめて目を丸くした。


「あれっ? セラお姉さま、髪の毛短いとエリオ兄様にそっくりだねぇ! 驚いちゃった!」

「えへへ、そうでしょう?」


 嬉しそうに笑う双子の妹と末の弟を一瞥し、エリオは短く息を吐いてノクスへ視線を向けた。


「……ノクス。本題に入る前に、一つ聞きたいんだが」

「なんだ」

「この季節外れの花は、どういうことだ。いくらあいつの『水』でも、こんな範囲になるはずがないだろう」


 エリオの問いかけに対し、ノクスはさして気にした様子もなく鼻を鳴らした。

 

「ああ、あれか。セラが裏に『風呂』なるものを作りおってな。その湯を毎日あの辺りに捨てているからだろう」

「……風呂?」

「うむ。もっぱら本人は精霊の仕業だとは気付いておらぬようでな。『温かいお湯で季節を勘違いさせてごめんね』と花に謝っておったが」

「は?」

 

 エリオの思考が、完全に停止した。

 

「花が、勘違い……?」

「セラが数日がかりで穴を掘り、精霊どもが騒がしく湯を沸かしておる」

 

 呆れたように、だがどこか満足げに目を細めるノクス。


 エリオは、目の前の神話の存在と、大量の『風呂の残り湯』で育った見事な花畑を交互に見比べた。

 王都で必死に情報統制の算段を立てている裏で、妹は神獣に見守られ、精霊をこき使いながら風呂を満喫している。


 ――頭が痛い。


「……いや、もういい。その話は後だ」


 深く息を吐き、気を取り直す。本来の目的を先に済ませておきたかった。


「セラのことだが。以前、この山で死にかけていた冒険者を助けたことがあっただろう」


 エリオが静かに切り出すと、ノクスはわずかに耳を動かした。


「ああ。酷い血の匂いがしていた時の事だな」

「その時の話が尾ひれをつけて、王都で『神隠しの聖女』として噂になり始めている。このままでは、セラが教会に目をつけられかねない」


 ノクスの青い瞳に、すっと鋭い光が宿った。


「だから、噂の出所である冒険者たちを探し出して、接触してきた。口止めと協力関係は取り付ける予定だ。だが、向こうはこちらに従う前に、事実の確認を求めている」

「……」

「一度、この場所に彼らを連れてくる許可が欲しい」


 言葉を切ると、山の静けさが戻る。

 風が、花を揺らした。


 ノクスは、しばらく沈黙していた。

 やがて、ゆっくりと視線を動かす。

 視線の先では、セラとフィンが花を摘みながら、無邪気な笑い声を上げている。


 ノクスは短く、深い息を吐き出した。


「人間のしがらみというやつは、どうにも厄介だな」

「全くだ」


 エリオの自嘲気味な返答に、ノクスはわずかに目を細めた。


「構わぬ。連れて来るがいい」


 あっさりと下りた許可に、エリオがわずかに目を見張る。

 ノクスは遠くで笑うセラを見つめたまま、低く唸るように続けた。


「セラの足枷にならぬよう、上手く立ち回るのだな」


 そして、青い瞳が静かにエリオを射抜く。

 空気が、びりりと震えた。


「あの娘が悲しむようなことになれば、我は容赦せぬぞ」

「……言われるまでもない。助かるよ」


 一瞬の重圧を真正面から受け止め、エリオは短く頷いた。


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