第26話 神獣の足湯体験と、抗えない極楽
「ぷはーっ! すっごく気持ちよかったー!」
特製の焼き石露天風呂から上がり、布で身体を拭いた私は、ホカホカと湯気を立てながら岩の裏から顔を出した。
全身の疲労は完全に吹き飛び、お肌もなんだかツヤツヤになっている気がする。
手作りのお風呂がこんなに最高だなんて、思ってもみなかった。
「……随分と長風呂だったな。のぼせて倒れたのかと思ったぞ」
倒木の上で待機していたノクスが、呆れたようにため息を吐く。
「だって本当に気持ちよかったんだもん! ねえノクス、ノクスも一回だけ入ってみなよ! 絶対感動するから!」
「何度言わせる気だ。余は濡れるのが嫌いなのだ。だいたい、毛皮が濡れたら乾かすのが面倒だろう」
ふいっ、と顔を背けて毛繕いを始めようとするノクス。
でも、この「極上のくつろぎ」を私一人で独占するのはもったいなさすぎる。
美味しいご飯を一緒に食べた時のように、この感動も共有したい。
「じゃあ、全身じゃなくていいから! 『足湯』だけしてみない?」
「あしゆ?」
「そう! 足先っぽだけお湯に浸けるの。毛もほとんど濡れないし、これなら乾かすのも一瞬だよ。ね? ちょっとだけ! 一瞬だけだから!」
私がしつこく拝み倒すと、ノクスは「チッ」とわざとらしく舌打ちをした後、面倒くさそうに立ち上がった。
「……そこまで言うなら、少しだけ試してやらんこともない」
「やった! こっちこっち!」
私はノクスを浴槽のふちの平らな岩に誘導した。
湯気の手前でピタリと止まったノクスは、警戒するように鼻先をヒクヒクと動かした後、おそるおそる、右の前足をちょんと水面につけた。
――ピクリ。
ノクスの耳が、大きく揺れた。
(……む?)
ただの温かいお湯ではない。
ノクスの肉球が触れた瞬間、待ってましたとばかりに水の中に溶け込んでいた精霊たちがわらわらと集まり、もふもふの足先を優しく包み込んだのだ。
適度な温かさが足先からじんわりと全身へ広がり、凝り固まった筋肉がほぐれていく。
「……どう? 熱くない?」
「…………」
ノクスは無言のまま、ゆっくりと左の前足もお湯の中へ沈めた。
気づけば、後ろ足もじわじわと水際へ引き寄せられていく。
そのまま体を横の岩に預けるようにして、力を抜いた。
パタン、パタン。
ノクスの太い尻尾が、ご機嫌なリズムで岩を叩き始める。
「ふふっ、気持ちいいでしょ?」
「……ふん。まあ、悪くはない」
そう言ってトロンと目を細めたノクスだったが――精霊たちの全力のマッサージと、お湯のあまりの心地よさは、伝説の神獣の理性をあっさりと溶かしてしまったらしい。
ズルッ……ザブンッ。
「えっ? ちょっと、ノクス!?」
岩の上でとろけていたノクスはそのままズルズルと前傾姿勢になり、最終的には自らお湯の中へ、首までどっぷりと浸かってしまった。
「ぬれるの嫌いって言ってたのに! 全身浸かってるじゃん!」
「……不可抗力だ。湯が余を呼んだのだ」
苦しい言い訳をしつつも、その顔は完全に極楽浄土にいる表情だ。
結局、ノクスはそのまま一時間近くも全身でお湯を満喫した。
そして――
ザバァッ!
ようやくお湯から上がったノクスは、見事なまでに毛がペチャンコになり、普段の威厳はどこへやら、一回りも二回りも細い別の生き物になっていた。
「ぷっ……あははは! ノクス、ほそっ!」
「笑うな!」
ブルブルブルブルッ!!!
ノクスが激しく全身を振るうと、水しぶきが雨のように私に降り注ぐ。
「きゃっ! ちょっと、冷たいっ!」
「よし。風呂上がりは腹が減るな!」
身震いで半分ほど毛のボリュームを復活させたノクスは、先ほどまで「濡れるのが嫌だ」と渋っていたことなど完全に忘れ去ったかのように、キリッとした顔で言い放った。
「何か美味いものを食わせろ! 余は少し狩りに行ってくる!」
「えっ、ちょ、ノクス!?」
引き止める間もなく、ノクスは弾丸のようなスピードで夜の森へと駆けていく。
私は顔にかかった水しぶきを拭いながら、自由すぎる相棒の姿にお腹を抱えて笑った。




