第115話 イリディアの問い
イリディア様はふと思いついたように私を振り返った。
「ところでセラちゃん。無事に『聖女』になれたようね」
「えっ?」
唐突な言葉に、私は真っ白な世界での出来事を思い返した。
正直なところ、自分自身ではまだ実感がない。けれど、こうして部屋中に満ちる小さな精霊たちの姿がはっきりと見え、愛らしい声まで聞こえるようになっているのだから、間違いなく役目を受け継いだのだろう。
私が戸惑いながらも小さく頷くと、イリディア様は満足そうに微笑んだ。
「ふふ。今のあなたからは、しっかりと聖女の力を感じるわよ。……彼女なら、大精霊との『契約』についても話してから送り出したと思っていたのだけれど。どうかしら?」
「け、けいやく……?」
私が首を傾げると、イリディア様は不思議そうに瞳を丸くした。
そして、傍らで気まずそうに視線をそらしているノクスへとジロリと目を向ける。
「ちょっと、ヴァルディオス。あなた、この子に何一つ説明してないわけ?」
ジロリと睨まれたノクスは、気まずそうに視線を泳がせた後、小さく鼻を鳴らした。
「……これほど無垢で欲のない娘だ。わざわざ重く窮屈な使命で縛る必要はあるまい。ただ己の心のまま、穏やかに生きていればそれでいいであろう」
「あらあら、すっかり保護者ね。この子を面倒事から遠ざけておきたかったのでしょうけれど、過保護すぎるのも考えものよ」
呆れたようにため息をつき、イリディア様はふわりと私のそばへ歩み寄る。
ベッドの端に腰を下ろすと、蜜色の髪から桜色の毛先がさらりとこぼれ落ちた。翡翠の瞳が、真っ直ぐに私を見据える。
「ねえ、セラちゃん。人間界では『聖女』って、どんな存在として語り継がれているのかしら」
「えっと……強大な魔力で浄化して、人々に奇跡をもたらす存在、でしょうか……?」
私が自信なさげに答えると、イリディア様は優しく微笑んで首を横に振った。
「それは、人間たちが勝手に後付けした結果論に過ぎないわ。本当の聖女の役目はね、『架け橋』になることなの」
「架け橋……」
「ええ。世界はね、本来、とても不安定なものなのよ。火、水、風、大地、命、魂……すべては均衡を保ちながら巡っている。でも、ほんの少しでも均衡が傾けば、その隙間から『歪み』が生まれるわ」
「歪み……?」
「あなたたちが『黒花』や『魔物』と呼んでいるものも、その一つよ」
静かに告げられた言葉に、私は息を呑んだ。
この世界を脅かすものの正体が、世界の均衡が崩れたことで生まれる歪みだったなんて。
「そして、サーヴェラは……その歪みを糧にして力を増す存在なの」
「っ……」
「私たち大精霊は、それぞれ世界の理を司っているの。けれど、私たちだけでは足りないの。私たちは世界を支えることはできても、人の想いを理解することはできない。だから、人と精霊を結ぶ存在が必要だったの。」
イリディア様はそっと私の手を取り、両手で包み込んだ。温かな体温が伝わる。
「だから、あなたが必要よ。人と精霊を結ぶ『要』として。それが、聖女の本当の役目」
「私が……要……」
「そう。あなたが今、この小さな子たちの声まで深く感じ取れているのは、彼女が残した力が、あなたを世界へ繋いでくれているから。でも、それはいずれ薄れてしまうわ」
包み込まれた手から、心地よい脈動が伝わってくる。
「この繋がりを未来まで残し、世界の循環を完成させるために、私たちは『契約』を結ぶの」
「契約……」
「ええ。契約とは、互いを信じ、世界の均衡を守るため、人と精霊が手を取り合う誓約よ」
イリディア様は言葉を区切り、少しだけ表情を引き締めた。
「普段の生活は何も変わらないわ。精霊たちの声を聞き、大規模な浄化や異変の時だけ、私たちの力を貸し借りする。……けれど、一つだけ『代償』があるの」
「代償、ですか」
「代償というより……覚悟、かしら。私たちは大精霊として、全力であなたを守る。その代わり、世界の均衡が崩れ、私たちがあなたに『助けてほしい』と願った時は、ともに世界を支えてほしい。」
真剣な翡翠の瞳が、私を真っ直ぐに射抜いた。
「それが、架け橋となる者が背負う事になるわ」
その言葉が響いた直後、部屋の隅に控えていたノクスが静かに歩み寄ってきた。堂々たるヴァルディオスの姿となりながら。
「……契約を結べば、お前は二度と、精霊と無縁の人生には戻れぬ」
低く落ち着いた声だった。
見上げると、青色の瞳には、私を気遣う色が滲んでいた。
「世界の危機となれば、必ずお前は矢面に立たされる。平穏を望むなら、何も知らずに生きる道もあった。だからお前が何を選んでも後悔しないと、自分で思える時まで、話すつもりはなかった」
「ヴァル様……」
世界の重荷から遠ざけたいという想いと、私自身に選ばせたいという想い。そのどちらも手放せなかったからこそ、ヴァル様は何も語らなかったのか。その不器用な優しさが、胸にじんわりと広がっていく。
イリディア様が、ゆっくりと微笑みを浮かべる。
「どうかしら、セラちゃん。私たちと、その『契約』を結んでくれる?」
静かに問いかけられる。
ふと気がつけば、部屋中を漂っていた小さな光たちが、一斉に私へ向いている気がした。返事を待つように。




