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結婚破棄されたので山にこもったら、なぜか精霊に好かれすぎて信仰対象になりました  作者: なな日々


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第12話 山の主の日課

 夜明け前に、獲物を置いた。


 セラが喜ぶかもしれない。それだけだ。


 しばらくして、セラが目を覚ます。ハンモックから降りて、獲物に近づいて。


「またこんなに。なんかお供え物みたいだね」


 お供え物――この娘は、いつもどこかズレている気がする。


 返答に困るのだが。



 余は長く生きた。


 この山に何百年と在り続け、人間というものをよく知っている。


 欲深く、自然を壊し、精霊を利用したがる。いつの時代も、そういうものだった。ただ、ひとりを除いて。


 だから最初は、この人間も同じだと思っていた。


 だというのに。


 精霊が嫌がることを、しない。


 それだけのことだが、今の人間にはできない。なのにこの人間は、当たり前のようにやる。だから精霊が集まる。理屈としては、分かっている。


 調査は、とうに終わっているはずだった。


 それでも――


 気づけば、また足が向いていた。


 理由など、分かっている。


 分かっていて、認める気がないだけだ。



 セラが振り返った。


「ノクス、今日も一緒に食べるよね? 違うの作ろうと思ってるの。楽しみにしててね」


「何を作る」


「まだ秘密」


 セラが笑う。


 余は長く生きた。人間の笑い方など、見飽きるほど見てきた。


 だというのに。


 この笑い方は、なぜか目に残る。


「楽しみにしている」


 口から出た言葉に、自分でわずかに驚く。


 そんなことを言うつもりは、なかった。


 セラは少し嬉しそうに笑って、火の準備に戻った。余は、その背中をただ見ていた。



 午後になり、風がわずかに変わる。


 鳥の声も、途切れる。


 異質な気配がする。でも、どこかセラと匂いが似ていた。


「来る」


「え?」


「人間だ」


 セラは首をかしげる。


 やがて、木々の間から人影が現れた。ピンクの髪。飄々とした顔。片手に袋を提げている。


「やあ、セラ。元気そうで――」


 言葉が、途切れた。


 視線が、余に向く。


 余は人間の目を見れば、だいたいのことが分かる。恐怖。驚愕。畏れ。長く生きれば、そういうものに慣れる。


 だが。


 気づけば、セラの前に体を寄せていた。無意識に。自分でも、気づかなかった。


「セラ」


「あ、エリオ。久しぶり」


「それ」


「ノクスだよ」


「その大きさ――フェンリル、だよね」


「よく知ってるね」


「なんで普通にしてるの」


「可愛いでしょ?」


 ……何を言っているのだ、この娘は。


「フェンリルが……可愛い」


 エリオの手から、ドーナツの袋がずり落ちそうになる。


 余はエリオを一瞥した。敵意はない。ただ、戸惑っている。セラの知り合いなら、害はないだろう。


「セラの知り合いか」


 ノクスの一声に、エリオが一瞬固まった。


「……喋った」


「ふふ。凄いでしょ? 私も最初びっくりしたんだよね――うん、兄だよ」


「そうか」


 それだけで十分だ。視線を外す。


 エリオが、セラと話している。


 他愛のないやり取りだ。


 だが――


 妙に、耳障りだった。


 余はわずかに目を細める。


 理由は分かっている。


 この人間が、セラの知り合いだからだ。


 それだけのはずだ。


 なのに。


 セラが笑うたびに、視線がそちらへ向く。


 エリオの言葉に、頷くたびに。


 ――なぜか、面白くない。


 ……くだらん。


 余は小さく息を吐いた。


「あの」


「なに、エリオ」


「それ、本当に大丈夫?」


「大丈夫だよ」


「どこが」


「ノクスがそう言ってるから」


「フェンリルが言ったら信じるの?」


「うん」


 彼奴は言葉を失ったようだ。


 余は黙って、肉を食べ続けた。


 この人間はセラを心配している。それは分かる。だが、余がいる。余がいる限り、この山でセラに害が及ぶことはない。それだけのことだ。


「あの」


「なに、エリオ」


「それ、今、肉食べてるの」


「うん。美味しいんだよ、ノクスが獲ってきてくれるやつ」


「獲ってきてくれる……」


 エリオの表情が、ゆっくり消えていく。


「何か用か」


「いや、まあ」


 エリオはドーナツの袋を持ち直して、深呼吸した。


「兄上から、これ」


「え、ドーナツ?」


 セラの目が、ぱっと輝いた。


「うん。甘いの好きだっただろ」


「ありがとう! ノクス、甘いやつだよ。食べる?」


「甘い、か」


「食べたことない?」


「ない」


「じゃあ食べてみて」


 セラが差し出す。


 余は少し間を置いた。


 人間の食べ物に、興味を持ったことなどなかった。


 ――本来なら、口にする理由もない。


 一口、かじってみる。


 その瞬間、動きが止まった。


 これが、甘い。


 今まで知らなかった味が、ゆっくりと広がっていく。


 もう一口、かじった。


 また、甘い。


 ――なんだ、これは。


 舌に残る感覚が、妙に離れない。


 こんなものに、価値があるとは思っていなかった。


 ……だが、悪くない。


「夢中だね」


 セラが、くすりと笑った。


 余は何も言わなかった。


 言う必要が、ない。


 少しだけ、尻尾が揺れていた。自分でも、気づかぬほどに。


 ――小僧に見られた、か。


「セラ」


「なに?」


「色々、聞いていい?」


「いいよ」


「どこから話せばいいんだろう」


 余はもう一口、ドーナツを食べた。セラも自分の分を食べ始める。


 小僧は、しばらくその場に立ち尽くしていた――滑稽なものだ。

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