第11話 山の主は意外と無防備らしい
食事を終え、簡単に後片付けを済ませる。
使った食器を水で流して、軽く拭く。それだけの作業なのに、不思議と満足感があった。
日の光が、ぽかぽかと心地いいせいかもしれない。
「さて、と……」
ぽつりと呟いて、手を止める。
昼下がりの穏やかな時間。
火は落ち着いているし、食料も今のところ問題ない。拠点も少しずつ整ってきた。
――やることが、ない。
なんとなく周囲を見回す。
風が木々を揺らし、さらさらと音を立てている。
その視線の先に。
ふんわりとした白銀の毛並みが、目に入った。
日の光を受けて、やわらかく揺れている。
――モフりたい。
思わず、目を逸らした。
いや、ダメでしょ。
相手は山の主。どう考えても強い。うっかり触ったりなんかしたら、普通に怒られる未来しか見えない。
でも。
もう一度、ちらり。
――昨日も思った気がする。
その前も。
たぶん、明日も思う。
……モフりたい。
どう見ても、気持ちよさそうだ。
昨日よりも近い距離にいるせいか、余計にそう思う。
手が、じわじわと伸びかけて。
「……何をしている」
「してない!」
びくっとして、慌てて引っ込める。
ノクスはじっとこちらを見ていた。青い瞳が、わずかに細められる。
「今、何かしようとしていただろう」
「してないってば」
視線を逸らす。
ちょっとだけ。
ほんのちょっとだけ触りたいなって思っただけで。
いや、結構思ったけど。
その時、ふと気づく。
毛並みが、少しだけ乱れている気がした。
風のせいかもしれないけど、ところどころ絡まっているようにも見える。
――あ。
これ、いけるんじゃない?
セラはこほんと咳払いをして、改めてノクスを見る。
「ねえ」
「なんだ」
「ちょっと、毛並み整えた方がいいと思うんだよね」
「……必要ない」
「あるよ。絶対ある。ほら、ここちょっと絡まってるし」
少しだけ近づいて、そっと毛先に触れる。
ふわり、と沈む。
――やばい。
思った以上に、柔らかい。
「……触るな」
「整えるだけだってば」
名残惜しさを押し殺して、手を離す。
「ブラシあるし。ちゃんと手入れした方が気持ちいいよ?」
「……」
ノクスは何も言わない。
ただ、じっとこちらを見ている。
少しだけ間があって。
「……短時間なら許す」
「やった」
思わず声が弾む。
急いで荷物からブラシを取り出し、ノクスの隣にしゃがみ込んだ。
「動かないでね」
「……」
返事はない。
けれど、逃げる様子もない。
そっと、背中にブラシを当てる。
す、と引く。
ふわ、と毛並みが整う。
「……なにこれ」
思わず、声が漏れる。
さらさらと指をすり抜ける毛並み。触れるたびに、やわらかな温もりが広がっていく。
もう一度。
ゆっくりと、撫でるように。
ブラシを動かす。
気持ちいい。
ノクスの毛並みも、手の感触も。
どっちも。
「……悪くない」
ぽつりと、ノクスが呟いた。
その声は、いつもよりわずかに緩い。
「でしょ?」
少しだけ得意げに言いながら、またブラシを動かす。
背中から、首元へ。
首元から、肩へ。
ふわり、ふわりと整えていく。
気づけば、ノクスは目を閉じていた。
呼吸が、ゆっくりと落ちていく。
――寝てる?
そっと顔を覗き込む。
起きる気配は、ない。
「……無防備すぎない?」
小さく呟いて、くすりと笑う。
そのまま、そっと体を預けた。
ふわり、と沈む。
あったかい。
包み込まれるような感触に、思わず息を吐く。
「……ちょっとだけ」
そう言って、目を閉じた。
風が、やわらかく通り抜ける。
気づけば、セラの呼吸もゆっくりと整っていた。
◇
――寝ちゃったね。
――うん、寝ちゃった。
小さな光が、ふわりと揺れる。
その様子を、少し離れたところから見つめている。
――あの子、くっついてる。
――ふふ、あったかいんだよ。
くすくすと笑い声が重なる。
その時。
ノクスの耳が、ぴくりと動いた。
ゆっくりと、目が開く。
視界に入るのは、腕に抱きつくように眠る少女。
「……」
一瞬だけ、動きを止める。
払いのけることもできた。
起こすことも。
けれど。
ノクスは、何もしなかった。
代わりに、静かに尻尾を動かす。
ふわり、と。
包み込むように。
外気を遮るように。
そっと寄せる。
そのまま、再び目を閉じた。
呼吸が、ゆっくりと重なる。
――優しいね。
――うん、優しい。
光たちは、くすくすと笑いながら揺れていた。




