第10話 兄上への報告をしようと思う
屋敷に戻ると、すぐにルーカスの部屋へ向かった。
扉をノックする。
「入れ」
短い返事。扉を開けて、中に入った。
ルーカスは書き物をしていた。顔を上げることなく、ペンを動かし続けている。
「ただいま」
「……ああ、エリオか、遅かったな」
「色々あってさ」
ルーカスがようやく顔を上げた。エリオを一瞥して、ペンを置く。
「セラは」
「元気だった」
「それだけか?」
「元気どころか、めちゃくちゃ楽しそうだった」
ルーカスは少し眉をひそめた。
「……詳しく話せ」
エリオは椅子を引いて、腰を下ろした。
「まず荷物の件だけど、あの日、家の外に馬車を用意してたみたいでさ。すでに荷物がかなり積まれてた」
ルーカスは何も言わない。ただ、わずかに視線だけを向ける。
「リンデンの城下町で、ドレスとか宝石をいくつか売ってる」
一拍置いて、
「そのあと、オリバーの店に寄ってた」
ルーカスの目が、わずかに細くなる。
「うちとも付き合いのある店だろ。あそこ」
「……ああ」
「マジックバッグ、しっかり値切ってたらしい」
ほんのわずかに、口元が緩んだ。
「……あいつらしいな」
思わず、少し笑った。逃げ出すにしても、ちゃっかりしてる。それがなんか、思ってたセラだった。
「で、肝心の山の中だけど。火は起こせてた。寝床も作ってた。水場も自分で見つけて、罠で獲物も捕まえてた」
「……一人で」
「一人で」
しばらく、沈黙が落ちた。
「魔物は」
「それが殆ど出てこなかったんだ」
エリオは少し間を置いた。
「精霊に好かれてるとか関係ある?」
「……は?」
ルーカスの眉が、わずかに上がった。
「火を起こしたら風が助けてたし、水場を探したら光が集まってた。あれ、絶対精霊が動いてる」
「魔力はないはずだが」
「魔力じゃないんだよ。なんか……自然に沿った動き方をしてるから、精霊が勝手に寄ってくる感じ」
ルーカスは黙って、エリオの話を聞いていた。
エリオは実際に見た光景を思い返す。説明しろと言われても難しいけど、確かに見た。
「でもまあ……外には言わない方が良さそうだな」
ルーカスは、それを聞いてしばらく黙った。
その時。
扉が勢いよく開いた。
「エリオ! セラは!? 無事か!?」
アルベルトが飛び込んできた。グリーンアッシュの髪に白いメッシュ。いつもは落ち着いた父親が、目に見えて動揺している。
エリオは少し面食らった。父上がここまで取り乱すのを、あまり見たことがない。それだけ心配してたんだろうな、とは思う。思うけど、部屋に飛び込んでくるのはさすがにどうなんだ。
「無事だよ」
「怪我は!? ちゃんと食べてたか!? 山の中で一人なんて……」
「父上」
ルーカスが静かに制した。
「落ち着いて下さい」
「落ち着いていられるか! セラが……セラがあんな山の中に……」
「アルベルト」
今度は母、リディアの声だった。
ピンクの髪をきれいにまとめた母親が、呆れたような顔で入って来た。
「廊下まで聞こえてるわよ」
「しかしリディア、セラが……」
「エリオが無事って言ってるでしょう。まず座って」
アルベルトは、しぶしぶ椅子に座った。リディアはため息をついて、部屋に入ってくる。
「で、エリオ。あの子、本当に大丈夫なの?」
「大丈夫。というか、楽しそうだった」
「楽しそう……」
リディアは少し目を細めた。
「食事は?」
「自分で作ってた。罠で獲物捕まえて、スパイスまで使って」
「……あの子ったら」
「あ、あと髪、首のとこまで切ってた」
リディアの眉間に、しわが寄った。
「首までですって?」
「うん。でも切りながら、ごめんって言ってたよ」
少しだけ間を置いて。
「許してやって」
リディアは、ゆっくり息を吐いた。
「……そう」
それだけ言って、窓の外に目を向けた。
アルベルトはまだ落ち着かない様子で、エリオを見ている。
「本当に追い詰められてたわけじゃないんだな?」
「違う違う。むしろ楽しそうだったって」
「……そうか」
アルベルトは、ほっとしたように息を吐いた。
「でも、一度帰ってきてほしいんだ……顔だけでも……」
「アルベルト」
リディアが、また制した。
「あの子が自分で決めたことでしょう」
「そうだとしても……」
「エリオ」
リディアがエリオを見た。
「また様子を見てきてくれる?」
「まあ、いいけど」
「ありがとう」
それだけ言って、リディアはアルベルトの腕を引いた。
「さあ、戻りましょう」
「でも……」
「戻りますよ」
二人が出て行くと、部屋が静かになった。
エリオはしばらく扉を見ていた。父上はああ見えて、ああいう人だ。心配が全部顔に出る。母上は逆に、ほとんど出さない。でも出ないだけで、ないわけじゃない。さっきの眉間のしわが、なんとなく頭に残った。
ルーカスはしばらく黙って、また口を開いた。
「セラが、のびのびしていると言ったな」
「うん」
「そうか」
それだけ言って、また書き物に戻った。
でも、ペンはしばらく動かなかった。
エリオはそれを見て、小さく笑った。兄上も兄上で、わかりやすい。本人はそう思ってないだろうけど。
「ドーナツでも持って通うかな」
「なぜドーナツだ」
「セラ、好きだから」
ルーカスは何も言わなかった。
でも少し間を置いて、
「……持っていけ」
短く言った。
エリオは立ち上がって、扉に手をかける。
「じゃあ、また行ってくるよ」
「セラに言っておけ」
「何を?」
「好きにしろとは言ったが」
一拍置いて。
「無理をするな」
また少し間を置いて。
「……いつでも帰ってこい」
エリオは少しだけ笑って、扉を閉めた。
いつでも帰ってこい、か。
言い方はそれぞれだけど、みんな同じだ。
セラのことが、心配で仕方ない。
家族が心配を募らせる頃――
当の本人は、まったく別のことで悩んでいた。




