第112話 涙の「ただいま」と、察してくれない妹
「……ただいま。帰ってきたよ」
そう微笑んだつもりだったのに、視界がぐにゃりと歪んだ。
ぽろ、ぽろと。
自分の意思とは無関係に、目尻から次々と熱い雫がこぼれ落ちていく。エルシェ様との別れの余韻が、胸の奥をぎゅっと締め付けていた。
「セラ!? どうした、どこか痛むのか。何があった?」
大粒の涙を流す私を見て、エリオが血相を変えた。
「ち、違うの。酷いことなんて、何もされてない」
私は慌てて首を振り、手の甲で何度も涙を拭った。
「ただ、思い出したら少しだけ悲しくて。でも、すごく温かい人だったから……」
言葉を紡ぎながら、赤くなったまぶたを瞬く。
――その時だった。
涙を拭って鮮明になった視界に、ふわりと小さな光が映り込んだ。
「え……?」
一つではない。淡い緑色、穏やかな青色、ぽかぽかとした橙色。
色とりどりの光の粒が、ベッドを囲むように部屋の宙を舞っていた。
(……きれい)
思わず見とれていると、一つの光が私の頬へふわりと寄り添う。
『おはよう』
幼い子どものような声が、頭の中へ優しく響いた。
(夢……じゃ、なかったんだ)
私の中に、エルシェ様から受け継いだ力が確かに息づいている。
他の精霊の光たちが「おかえり」と告げるように頬へすり寄ってくるのを感じながら、私はベッドの上でゆっくりと姿勢を正した。
その途端、体がふらりと揺れる。
「わっ……」
慌ててベッドへ手をついたものの、腕にうまく力が入らない。
「無理をするな」
倒れそうになった私の肩を、エリオが素早く支えてくれた。
「ありがとう……」
「二週間も眠っていたんだ。急に動ける方がおかしい」
エリオはそう言いながら、枕を整えて私が楽な姿勢になれるよう背中へ当ててくれた。
そっか……。
そんなに長い間、私は眠っていたんだ。
「セラ様、こちらを」
ルークが湯気の立つ木のカップを両手で差し出した。
「まだお食事は胃に負担がかかりますから。栄養がつくよう、温かいミルクに少しだけ蜂蜜を入れてあります」
甘く優しい香りが鼻をくすぐる。
「ありがとう、ルーク」
一口含むと、温かなミルクが喉を通り、重たかった体に少しずつ温もりが戻ってくる気がした。
二週間も眠っていたなんて。
たしかに、そんな気だるさが全身にまとわりついていた。
視界に入った腕は少し細くなっていて、服の袖にもわずかな余裕ができている。
(体がおかしいわけだ……)
そう納得しかけた、その時。
真っ先に浮かんだのは、自分のことではなかった。
「あの……エルシェ様は、今どこにいらっしゃるの?」
「エルシェ?」
ノクスがその名に、わずかに目を細める。
「大聖女様のお名前だけど」
「……名を明かしたのか」
小さく漏らしたその声には、わずかな驚きが混じっていた。
「彼女の……お身体は、今どこに」
「大聖女なら、教会地下にある聖堂に今もある」
「……え?」
思わず聞き返してしまう。
(まだ、そこに?)
エルシェ様は力を私へ託した。もう役目を終えたはずなのに。
「そんな……駄目よ」
エルシェ様に頼まれた訳じゃないけど……。このまま教会地下に置いておける訳ない。
「大聖女様のお名前はね、エルシェーヌ・フォン・アルバ第一王女様……なの」
「……待て」
エリオが目を見開く。
「今、何と? 第一王女、と言ったのか?」
「う、うん。エルシェ様が教えてくれたの」
私は精神世界でエルシェ様から聞いた出来事を、できる限り詳しく話した。
話が終わる頃には、エリオの表情はすっかり険しくなっていた。
やがて、考えを巡らせるように押し黙る。
「アルバ王家の……第一王女」
小さく繰り返したその声には、隠しきれない動揺が滲んでいる。
「そのような記録は、現在の歴史には残っていない。少なくとも俺は聞いたことがない」
「えっ……?」
「だが、もしそれが事実なら……」
エリオはゆっくりと息を吐き、私を見つめた。
「その御方を王家の墓へお戻しするには、まず王家へ真実を伝えなければならない」
そこまで言って、エリオは額に手を当てた。
(……またか)
約二週間もの間、眠り続けた妹が無事に目を覚ました。それだけで十分だったはずなのに。
今度は大聖女が、アルバ王国の第一王女。
しかも、その名は歴史から消えている。
(これは……兄上だけじゃ足りない)
父上にも話さないと。
……いや。
ルシアンにも相談するべきか。
頭が痛くなってきた……。
エリオは額に手を当てたまま、小さく何かを呟き続けている。
「兄上は何て言うかな……いや、その前に証拠を……王家にはどう説明する……」
どうやら、一人で考え込み始めてしまったらしい。
そこまで真剣に向き合ってくれていることが、なんだか嬉しかった。
私は自身の胸元へそっと手を当てた。
私の中に満ちた温かな光が、背中を押してくれている気がした。
「私、王家の方へエルシェ様の想いをちゃんと伝える」
ノクスとエリオ、そしてルークの顔をまっすぐ見つめる。
「エルシェ様を、ご家族が眠る王家のお墓へ帰してあげたいの。彼女が、本当の意味で……大切な人たちに会えるように」
エリオは目頭をそっと押さえた。
「……そうだな」
一筋の涙が頬を伝う。
(エリオも……)
エルシェ様のお話に心を動かされたんだ。
私は少しだけ嬉しくなって微笑んだ。
「きっと、エルシェ様も喜ぶと思う」
エリオは頷きながらゆっくりと息を吐き、覚悟を決めるように立ち上がった。
「セラ。今日はもう何も考えなくていい。ゆっくり休め」
「えっ?」
「ルーク、頼む」
「承知しました」
それだけ言い残すと、エリオはどこか心ここにあらずといった足取りで部屋を出ていく。
(兄上……助けてくれ)
「……?」
私は手にした木のカップを見下ろした。
(私、今目が覚めたばっかりなんだけど……)
前話、たくさんのリアクションをありがとうございました!
そして、少しずつ増えていくブックマークが本当に嬉しいです。
皆様の応援を励みに、これからも頑張ります!
「面白かった!」「これからの展開が楽しみ」など、少しでも楽しんでいただけましたら、
下の評価欄から【☆☆☆☆☆】を【★★★★★】にして応援していただけると、とても嬉しいです!
(皆様の応援が毎日の執筆のエネルギーになっています!)
ブックマーク追加もぜひよろしくお願いいたします。




