第110話 私にできなかったことを、あなたに
(間違いの、始まり……?)
思いがけない言葉に、私は思わず口を閉ざした。
尽きない魔力でたくさんの人々を救い、感謝される。それは魔法を使う者として、これ以上ないほど素晴らしいことだと思うけど。
なのに、どうして彼女はそんなに悲しそうな顔をするのだろう。
私が問い返すよりも早く、エルシェ様は静かに言葉を継いだ。
「いつの間にか、自分なら何でもできると思い込んでしまったの。私なら大丈夫。私にしかできない。……そんな思い込みが、良くなかったの」
エルシェ様は自身の胸元へそっと手を添え、それから静かに微笑んだ。
「……あの方は、ちゃんと約束を守ってくださったのね」
「え?」
「ヴァルディオス様よ。あなたをここへ導いてくださったのでしょう?」
「はい。ヴァル様が……」
「……ヴァル、様?」
エルシェ様がふいに目を丸くして、まじまじと私の顔を見つめた。
「ずいぶんと……可愛らしい呼び方ね。あなたたち、とても親しいの?」
「えっと……はい。よく食べる食いしん坊ですし、最近では背中に乗せて遠くに連れて行ってくれたりもして。本当に、家族みたいな感じです」
私が正直に答えると、エルシェ様は一拍遅れてまばたきをし、それからおかしそうにくすくすと笑い声を上げた。
「ふふっ……ヴァルディオス様を食いしん坊だなんて。それに、背中に乗せてくれるだなんて聞いたこともないわ。よっぽど、あなたのことがお気に入りなのね」
「そう、なのでしょうか」
「ええ、間違いないわ。……よかったわね」
エルシェ様は心底ほっとしたように息を吐いた。
「あの方は昔から、とても責任感の強いお方だったもの」
懐かしむような響き。けれどそこにあるのは、私の思っている家族のような親愛というよりも、頼もしい戦友を尊ぶような適度な距離感……というところだろうか。
「私は、あの方やイリディア様に幾度となく助けていただいたわ。けれど……私は、最後まで一人で何とかしようとしてしまったの」
「イリディア様、ですか?」
聞き慣れない名前に首を傾げると、エルシェ様は優しく微笑んだ。
「『魂』を司る大精霊様よ。私が自分自身を封印してほしいと頼んだあの時から、ずっと側で付き添ってくださっていたの。私の魂が、消えてしまわないように」
「百二十年間も……」
「ええ。きっと、あなたもこれからお会いすることになると思うわ。彼らは私にずっと寄り添ってくれていたの」
焦りすぎてしまったわ、とエルシェ様は目を伏せた。
「浄化しても、浄化しても、サーヴェラが活動する限り全然間に合わないんだもの。ヴァルディオス様もイリディア様も、あと少し待てば道は開けるかもしれないと仰ってくださっていたわ。もっと早く相談していれば。もっと早く周りを頼れていたなら……何か変わったかもしれないわね」
エルシェ様が少しだけ微笑む。
「あなたならきっと、もう一人の大精霊様と、お会えることを祈っているわ」
「もう一人……?」
「ええ。人にはほとんど知られていない大精霊様がいらっしゃるらしいわ」
胸の奥が小さく波立つ。
ヴァル様だけでも、人の姿をみた時は神話の中の存在が目の前に現れたようで信じられなかった。
(ヴァル様のようなお方が、あと……一人?)
いや、イリディア様も大精霊様だと言っていた。
(ということは、ヴァル様のようなお方が、三人も……?)
あまりに話が大きすぎて、頭の中でうまく整理が追いつかない。
そんな私を見つめていたエルシェ様は、ふと表情を引き締めた。
「……それよりも、セラ。」
穏やかだった声色が少しだけ低くなる。
「私は少し前に、封印が完全に砕けたのを感じたの。今、外の世界はどうなっているのかしら。サーヴェラは今、どこに……?」
予期せぬ問いかけに、私はあの薄暗い鍾乳洞での激しい光景を思い出した。
「サーヴェラは復活した時ヴァル様が深手を負わせてくれたのですが、最後は黒い霧になって逃げてしまって。今はどこへ行ったのか分からないんです」
私の言葉を聞いたエルシェ様は、痛ましそうに眉をひそめた。
「ヴァルディオス様が戦って下さったのですね……。けれど、逃げてしまったのなら急がなければならないわ。私の至らない封印のせいで、あなたやあの方々にまた重い荷を背負わせてしまうなんて」
「そんな……エルシェ様は、世界を守って下さったのだから」
「ありがとう、セラ。でもね――あなたには、私が見ることのできなかった景色を見てほしい。」




