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無自覚聖女から始まる辺境山暮らし 〜婚約破棄されたけど、神獣と精霊に愛されています〜  作者: なな日々
第5章:動き出す運命は規格外編

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第108話 消えていた名前

 ゆっくりと瞼を開く。


 視界を埋め尽くしたのは、果てしなく広がる真っ白な光の世界だった。


 慌てて身を起こし、辺りを見回す。


「……エリオ?」


 返事はない。


 先ほどまで後ろにいたはずのヴァルディオスの姿も見当たらない。


 急激な不安に駆られ、立ち上がろうとした、その時。


「気づいたのね」


 穏やかな声が耳に届いた。


 振り返った瞬間、私はその姿に釘付けになった。


 翡翠色の長い髪に透き通るように白い肌。


 先ほどまで祭壇で静かに眠っていた女性が、今は穏やかな微笑みを浮かべて、私を見つめていた。


「大聖女様……?」


 思わずその名を口にすると、彼女は花がほころぶように嬉しそうに頷く。


「ええ。初めまして」


 その声音はひどく柔らかく、私は戸惑いながら再び周囲を見回した。


「でも……ここは?」


 彼女は少し困ったようにふわりと笑う。


「残念だけれど、あなたは目を覚ましたわけではないの」


「え?」


「ここは、あなたの精神世界よ」


 彼女はゆっくりと歩み寄り、静かに言葉を継いだ。


「あなたの身体は、今もまだ眠っているわ」


 その言葉に、意識を失う直前の出来事が一気によみがえった。


 視界を白く染め上げた眩い光。崩れ落ちる自分の身体。そして、悲痛な声で私の名を呼ぶエリオの声。


「じゃあ、エリオたちは……」


「安心して。みんな、あなたの傍にいるわ」


 大聖女様は優しく、ひだまりのように微笑んだ。


「今ここにいるのは、あなたと私だけ」


 私は胸を撫で下ろした。


「よかった……」


 エリオたちが無事だと聞いただけで、身体から力が抜けていく。


 そんな私を見つめ、大聖女様はくすりと笑った。


「あなたは自分のことより周りの人を心配するのね」


「え?」


「目が覚めて最初に心配したのも、自分ではなく大切な人たち。」


 その瞳が、どこか懐かしいものを見るようだった。


「……ようやく、お会いできました」


 その一言に、胸が大きく鳴った。


 ずっと待っててくれた切実さが伝わってくる。


「私を……待っててくれたのですか?」


「ええ。ずっと」


 大聖女様はゆっくりと頷く。


「あなたがここまで辿り着いてくれる日を。お話ししたいことが、たくさんあるの。きいてくれるかしら」


 切実な響きに、私は姿勢を正した。


「ええ、私でよければ」


「ありがとう。どこから話そうか迷ってしまうわね」


 穏やかな笑みに、不思議と緊張がほどけていく。


 目の前にいるのは歴史に名を残す大聖女様のはずなのに、どこか懐かしい人と話しているような温かさがあった。


「まずは自己紹介をさせてちょうだい」


 少しだけ背筋を伸ばし、優雅に一礼した。


「私はエルシェーヌ・フォン・アルバ」


(……アルバ?)


 その姓を耳にした瞬間、胸がどくりと鳴る。


 翡翠色の髪を見た時から、もしかしたらとは思っていた。


 でも、それはあくまで私の勝手な想像でしかなくて。


「私はこの国で第一王女として生まれ――そして、先代聖女の力を受け継いだ者よ。と言ってもあなたからすると大昔の話になってしまうけれど」


(やっぱり……!)


 思わず口が空いてしまった。


 第一王女。


 つまり、この国の王女様だった人。


 そんな方が目の前で穏やかに微笑んでいるなんて、頭が追いつかない。


「私あなたとは親しくなりたいわ。どうかエルシェーヌと呼んでちょうだい」


「えっと……」


 さすがに呼び捨ては気が引ける。


 少しだけ考えて、私は顔を上げた。


「じゃあ……エルシェ様、でいいですか?」


 一瞬きょとんとしたエルシェーヌ様は、すぐに頬を緩めた。


「ええ。もちろん」


 そう口にすると、エルシェ様はどこか嬉しそうに微笑む。


「ふふっ。エルシェと呼ばれるのが懐かしいわ」


「え?」


「夫も、親しい人たちも、みんなそう呼んでくれていたの」


 その声は穏やかで、懐かしい日々をそっと思い出しているようだった。


 私は胸の奥が少しだけ温かくなるのを感じた。


「それじゃあ、改めてよろしくお願いします、エルシェ様。……私はセラと申します」


「ええ。よろしくね、セラ」


 エルシェ様はふわりと微笑みを返してくれたが、寂しそうに静かに視線を落とした。


「王族だと名乗ってはみたけれど……今の私に、名乗る資格はないのよ」


 エルシェ様は笑顔を作ったがどこかぎこちない。


「聖女になると決めた日に、自ら王家を離れたから」


「自ら……?」


 目の前で微笑むたおやかな姿と、その大胆すぎる決断の落差に、私はまじまじと相手の顔を見つめてしまった。


(お淑やかに見えて、実はものすごく行動力のある方なのかもしれない)


「ええ。当時の私は第一王女だったでしょう? だから、私が聖女の器かもしれないということは、ごく限られた人の間で秘密にされていたの」


「そうだったんですか……」


「でも、誰もその事実を認めたがらなかったわ。父も母も、私には王女として、そして一人の女性として生きることを望んでいたわ」


 穏やかに語るその横顔には、家族を責める色はなかった。


「だから何も知らない私は、そのまま結婚して、子どもにも恵まれたの」


「えっ……」


 思わず声が漏れる。


 大聖女様に、ご家族が……。


「私自身も、あのまま穏やかに歳を重ねていくのだと思っていたわ」


 エルシェ様は遠くを見つめるように微笑む。


「けれど、ある日突然、その時の聖女様から助けを求められたの」


「……!」


「『あなたしか救えない』と言われて、とても驚いたわ。まさか、本当に私が器だったなんて……夢にも思っていなかったもの」


 白一色の空間に、彼女の静かな声が響く。


「その頃の聖女様はすっかりお年を召されていて……次の器を必死に探していたそうよ。でも、私のことは王家が伏せていたものだから、なかなか見つけられなかったみたい」


「……」


「ようやく王城で私に接触できた時には、『あなたが聖女の器です』と告げた途端、虚言を広めた罪で捕らえられてしまったわ」


「そんな……」


「けれど、その方は決して話を曲げようとはしなかった。あまりにも真剣だったから、私も嘘とは思えなくて……」


 その時のことを思い返したのか、目を伏せたまま言葉を繋ぐ。


「だから、お父様に問いただしたの。ずいぶんと言い合いになってしまったわ」


 かすれるような声を聞くうち、私には、かつて響いたであろう激しい声のぶつかり合いが直接耳に届くような気がした。


「お父様は『忘れなさい』『お前は普通に幸せになればいい』と、何度もそうおっしゃった。きっと、私を失いたくなかったのでしょうね」


 父を思いやる優しさがその声にはあった。


「でも……私は、諦めてはいけない気がしたの。もし私が目を背けたら、誰も救えなくなる。そう思ったら、もう迷えなかった。私はその後、聖女様を逃がし誰にも告げず王城を抜け出したわ。そして、その方から力を受け継いだの」


 エルシェ様は自分の胸にそっと手を添えた。


「初めて魔法が使えるようになった時、私は自ら、自分という存在を人々の記憶から消したの」


「どうして……そんなことを?」


「お互いに干渉し合っては辛いだけでしょう? その時から私は、自分の名前を名乗ることをやめたわ。万が一、誰かが私の名前を耳にして記憶を取り戻してしまったら、大きな混乱を招いてしまうかもしれないから」


 エルシェ様は困ったように微笑む。


「……寂しく、なかったんですか?」


 思わず口をついて出た問いに、エルシェ様少しだけ空を見上げた。


「寂しかったわ」


 その返事はあまりにもあっさりとしていて、胸が締めつけられる。


「夫にも、子どもにも、最後のお別れすら言えなかったもの」


「……」


「でもね、不思議と後悔はしていないの。あの人たちが生きる未来を守れたのなら、それでよかった」


 そう語る横顔は穏やかだった。


 けれど、その穏やかさの裏に、どれほどの想いを飲み込んできたのかは、私にも分かった。


「……エルシェ様」


 名前を呼ぶと、ゆっくりと私を見つめ返す。


「だからね、セラ。あなたには、同じ道を歩んでほしくないの。」


「え……?」


「私は一人で決断して、一人で背負ってしまったわ」


「でも、あなたは一人ではないわ。先ほど祭壇で私たちの手が重なった時、あなたの魂から、とても温かいものを感じたの。あなたを心から案じる人々の強い祈りや、傍で寄り添う精霊たちの気配を」


 エルシェ様が一歩近づき、私の両手をふわりと包み込む。


「だから、聖女として、判断に困る事があっても私みたいに一人で抱え込まないで」



お読みいただきありがとうございます!

余談ですが、作者は今日丸一日、大聖女様の名前ばかり考えて過ごしました。笑

納得のいく名前をつけるのって本当に難しいですね……!


「面白かった!」「これからの展開が楽しみ」など、少しでも楽しんでいただけましたら、

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