第106話 想定外
崩れ落ちるセラを、エリオが間一髪で抱きとめる。
「セラ! おい、セラ、目を覚ませ!」
「何が起きた……」
ノクスの表情が険しく強張った。
セラに鼓動はある。呼吸もしている。だが、エリオがいくら肩を揺さぶっても、目覚める気配がない。
その時、地下の空間に、柔らかな光の粒子が満ち始めた。
光は祭壇の前に集束し、やがて一人の女性の姿を形作る。
「……イリディア」
ノクスが、信じられないものを見るように目を見開いた。
百二十年前を最後に一度も、姿を見ていなかった。魂を司る大精霊。彼女が姿を現したということは、聖女の封印が役割を終えたことを意味している。
「ああーっ、長かったわぁ……! やっと外の空気が吸え……って、え?」
大きく背伸びをしようとしたイリディアの動きが、ぴたりと止まる。
彼女は、祭壇に横たわる大聖女と、エリオの腕の中で気を失っているセラを交互に見比べた。
「な、何この状況? ちょっと待って、誰か説明して! なんで二人とも倒れてるの? 継承はどうなったの?」
「分からぬのだ」
教会の地下に、ヴァルディオスの余裕のない声が響く。
目覚めたばかりのイリディアにとって、目の前に広がる光景は理解の追いつくものではなかった。
イリディアは慌てて祭壇へ駆け寄り、大聖女の胸元へそっと手をかざすと表情からすっと表情が消え去った。
「嘘。この身体……もう完全に限界を迎えてる。それに、つい先程まで確かに私と共にあったはずの魂が……ここにはもう存在しない」
「なんだと……? 遅かったか」
ギリッ、ヴァルディオスが強く奥歯を噛み締める。
絶望の色が地下室を覆い尽くそうとしたその時、イリディアがエリオの腕の中にいるセラをじっと見つめた。
「いえ、ちょっと待って。この子から、微かだけどあの子の『魂』を感じるわ」
「どういうことだ」
「私も、こんなことは初めてでわからない。……でもまだ希望はあるかもしれないわね」
イリディアの言葉に望みを託し、しばらくその場で待ってみたものの、セラに変化は訪れなかった。
やがて、エリオが周囲を見回しながら口を開く。
「……これ以上ここに長居するのは危険だ。いくら俺が人払いをしているとはいえ、教会の人間にいつ怪しまれるか分からない」
ヴァルディオスも短く同意し、彼らは人目につかない時間帯を見計らって地下を抜け出し、待たせてあった馬車へと乗り込んだ。
◇ ◇ ◇
王都にあるエリオの家――セラの家族が暮らす屋敷に馬車が到着したのは、すっかり日が落ちた頃だった。
運び込まれた意識の無いセラの姿に、出迎えた両親の顔からさっと血の気が引く。
「セラ!? エリオ、一体何があったの!」
「お父様、お母様、落ち着いてください。セラは生きています。まずはベッドへ」
気が動転してパニックになりかける両親をエリオが制し、セラを抱きかかえたまま寝室へと向かう。ヴァルディオスとイリディアもそれに続こうとしたが、エリオが廊下で足を止めて二人を振り返った。
「お二人は、あちらの応接室でお待ちください。後ほど向かいます」
◇ ◇ ◇
セラの寝室。
静かな寝息を立てる妹をベッドに寝かせた後、エリオはベッドサイドに立つ両親へ向き直った。
不安で両手を握りしめる母親と、険しい顔で状況を問う父親。エリオは隠し立てすることなく、セラが『器』であったこと、地下聖堂で起きた出来事のすべてを真っ直ぐに伝えた。
「そんな……あの子が、聖女の器だなんて……」
「俺がついていながら、このような事態になり申し訳ありません」
深く頭を下げるエリオに、父親が首を横に振る。
「いや、お前を責めても仕方がない。しかし……大聖女様のことなど、お前一人でどうにかできる問題ではないだろう。応接室にお通ししたあの方々、お見かけした事が無いが教会の偉い方なのか?」
エリオは一瞬言葉に詰まったが、意を決したように真っ直ぐ父親を見た。
「……あちらでお待ちいただいているのは、精霊王ヴァルディオス様と、魂の大精霊イリディア様です」
「なんだと」
「なんですって?」
驚きの声が重なった。
両親の動きが、ピタリと停止した。
「せ、精霊王様……? 神話の……?」
「ええ。くれぐれも、粗相のないようにお願いします」
◇ ◇ ◇
一方、その頃。
屋敷の一角にある応接室では、イリディアがふかふかのソファに腰掛け、ヴァルディオスを問い詰めていた。
「ちょっと、ヴァルディオス。あなた、精霊王の分際でこんな人間の家にのこのこついて来て大丈夫なの?」
「……何がだ」
ソファの背にもたれかかるヴァルディオスに、イリディアは呆れたような視線を向ける。
「何がって、人間なんて信用できない生き物の筆頭じゃない。あの男の子、本当に信頼できる人間なの? いくらあの器の子の兄でも、私たちを売り飛ばそうとするかもしれないじゃない」
「人間ごときにそんな事が出来るか」
ヴァルディオスは一切の迷いなく即答した。
「我はしばらくあの娘の側で過ごしたが、あれは権力や欲など微塵も考えずに行動するような娘よ。己の利など顧みず、ただ山を、街を、無償で救ってみせるほどにな。……我が、少々の我が儘くらい聞いてやろうと思わされる程度には、稀有な人間よ。因みに、あの兄も信頼に足る男だ」
「ちょ、ちょっと……あなた誰よ! すっかり骨抜きにされてるじゃない」
威厳を見せつつも、セラたちを完全に特別視している彼の言葉に、イリディアは呆れたように首を横に振った。
「あなたが、すっかり人間の女の子を気に入って身内びいきしているなんて……」
彼女が頭を抱えた、その時。
「お、お待たせいたしましたぁっ!」
応接室の扉が勢いよく開き、顔面を蒼白にさせたセラの父親と母親が、使用人にも任せず、自ら最高級の茶葉と焼き菓子を載せたお盆を手に、震えながら転がり込むように入ってきた。
焼き菓子を見つけた途端、イリディアの表情がぱっと明るくなった。
「あら! いただいてもいい?」
投稿時間が荒れに荒れてしまい、すみません!
当初はセラが聖女になったところで完結する予定だったのですが、その先の物語も形になってきたため、今後の展開をじっくり練り直しています。
その影響で、しばらくは更新時間が不定期になります。
更新は続けていきますので、これからもよろしくお願いします。




