第105話 大聖女の眠る場所
王都の中央の大教会。
エリオの言葉通り、事後確認という名目で、教会の地下の通路を通る事が出来た。
暗い石畳の道に、コツ、コツと足音が反響する。
「ここからは、我が案内しよう」
ヴァルディオスが先頭に立つ。
エリオは深く頷き、先を任せた。
重い扉が開き、ひんやりとした湿った空気の流れと共に水流の音が聞こえてくる。
ヴァルディオス先導のもとで足を踏み入れたその場所で、私は思わず足を止めた。
「わあ……」
そこは、地下とは思えないほど広大な空間だった。
そして視界のすべてを埋め尽くしていたのは、一面に咲き誇る白い花――白留花だ。
話には聞いていたけれど、本物を見るのは初めてだった。
前世で見た百合を思わせる大輪の花。王都を揺るがせた存在とは思えないほど美しい。
その花畑を囲むように、壁際では澄んだ水が絶え間なく流れている。王都の地下を巡る、地脈の水路なのだろう。
「セラ、行くぞ」
「あ、うん。ごめんなさい」
ヴァルディオスに促され、私はハッと我に返った。
彼は花畑の奥へと進み、何もないように見えた石壁の前で足を止める。ヴァルディオスが壁にそっと手をかざすと、ガガガ、と低い音を立てて隠し扉が開いた。
その奥に広がっていたのは、さらに下方へと続く薄暗い長い階段だった。
「ここから先は、足元が悪くなる。気をつけよ」
私たちは階段をさらに一歩一歩下っていった。
下へ進むほどに、先ほどの白留花の甘い香りと水音が遠ざかり、少し寒いくらいの冷たい空気に変わる。
やがて行き着いた最地下の聖堂には、仄かな魔力の光が漂っていた。
その中心、清らかな結晶に囲まれた祭壇の上に、百二十年もの間、時を止めて眠り続ける大聖女の姿があった。
横たわる彼女を見た瞬間、不思議と心が凪いでいくのを感じた。
長い翡翠色の髪。透けるように白い肌。
あまりの美しさに、私は言葉を失って見惚れてしまった。長い時間が経っているなんて到底信じられない。今にも「おはよう」と目を開けて、ふわりと微笑みかけてきそうなほど、彼女はただ静かに眠っているだけのように見えた。
「セラよ」
ヴァルディオスは祭壇の女性へ静かに目を向ける。
「これより封印を解く。もう引き返せぬぞ」
「……はい」
「百二十年。この娘は、その身を封印へ捧げ続けてきた。……どうか、その最期を見届けてやってほしい」
――最期。
その言葉を聞いた途端、胸のどこかで抱いていた淡い期待が静かに消えた。
封印を解けば、この人は救われる。そんな都合のいい話ではなかったのだ。
ヴァルディオスが静かに進み出て、祭壇を護る結界へそっと手をかざす。
「……長きにわたる封印、今こそ解こう」
ヴァルディオスが古い言葉で短く詠唱を紡ぐ。
その声に応えるように、大聖女の身体を包む淡い膜が静かに浮かび上がった。
薄氷を思わせる透明な光は、彼女のつま先からゆっくりとほどけ始める。
細かな光の粒となった膜は、身体をなぞるように胸元へ、肩へ、そして閉じられた瞼の先へと流れ、最後に額からふわりと舞い上がった。
無数の光は天へ昇る蛍火のように漂い、やがて跡形もなく消えていく。
――だが、聖堂は静まり返ったままだった。
光の残滓が消え去った聖堂には、ただ、変わらず横たわる大聖女の姿があるだけ。
地響きが起きるわけでも、まばゆい光が溢れ出すわけでもなく、奇妙なほどに何も起こらない。
劇的な変化を予想していた私は、思わずヴァルディオスを振り返った。
「……えっと。これで、終わりなの?」
「分からぬ」
ヴァルディオスもまた、わずかに眉を寄せて祭壇を見つめていた。
「我らは封印を託されただけだ。だが、器が現れれば継承できるとだけ聞いている」
誰も正解を知らない。
エリオも、ヴァルディオスも、周囲を警戒しているが、これ以上待っていても何も起きそうになかった。
(……少し、近づいてもいいかしら)
私はゆっくりと前を向き、一歩、また一歩と、自分から祭壇へと近づいていった。
石造りの床を歩く自分の足音と、心臓の音だけがやけに大きく聞こえる。
間近で見る大聖女様は、まるですぐにでも目を覚ましそうなほど綺麗だった。
私はそっと手を伸ばし、彼女の白く美しい手へ指先を近づける。
「……失礼します」
触れた、その瞬間。
――視界が、真っ白な光に飲み込まれた。
「――っ!?」
声が出ない。指先から全身へ、凄まじい奔流が流れ込んでくる感覚だけがあり、そこで、私の意識は途切れた。
「セラ!」
背後で、エリオの悲痛な叫びが響いた気がした。




