第102話 やっぱりノクスはこうでなくちゃ
なるほど。大聖女様は今も封印の中で、器が現れるのを待っている。それなら、早く器の人が力を受け継げば――
……あ。
私だ。
(いや、いやいやいや……)
想像以上に重すぎる過去の真実に、頭がうまく働かない。私には想像もつかないほどのことを、彼らは百二十年もの間、ずっと背負い続けてきたんだ。
「――器が邪神に狙われておることを知れば、きっと怯えて生きることになろう。……それでよいのか、我にはわからん。時が来るまでは何も知らぬまま、ここで静かに暮らす方が、気楽であろう」
それに……と何故か照れ臭そうに話を続けた。
「其方の兄に必ず守ると約束をしていたしな」
え、エリオとそんな約束してたの? ……ずっと、私を守ろうとしてくれていたのか。隠し事をされていたという小さな不満は、いつの間にかどこかへ消え去っていた。
「あ奴が逃げ出した今、あの邪神が何を考えているかわからんが……」
ヴァルディオスは再び言葉を繋ぐ。
「百二十年前、サーヴェラは聖女の存在そのものを『滅ぼそう』とした。だが今回は、器であるお前を『利用しよう』としている」
「そうね……」
「あやつも必死なのであろう、やり方を変えてきている。……だが、万が一捕まれば、お前の意志など関係なく利用されるかもしれん」
そう言うと、ヴァルディオスは静かに立ち上がり、窓辺へ歩み寄った。
私もその隣へ並ぶ。
そして、言いにくそうに言葉を繋いでいく。
「我は其方を守るが、大聖女の封印が続く限り、今回のように完全な力は使えない。だから、直ぐにとは言わないが大聖女の力を受け継ぐ時が来たと思っている」
そうよね。それを伝えたかったのよね……
正直、今の暮らしがずっと続けばいいと思っていた。
山で畑を耕して、石鹸を作って、お風呂に入って、美味しいご飯を食べる。そんな当たり前の毎日が、私は好きだった。
でも――。
このままでは、その日常を守れない。
「……それじゃ駄目だよね」
私は膝の上で、ぎゅっと拳を握る。
「捕まれば利用される。なら、隠れて怯えるんじゃなくて……私が、誰にも利用されないくらい『力』をつけなきゃいけない」
隣りでわずかに目を見張る気配がした。
小さく息を吐いて、私はわざと困ったように笑ってみせた。
「もう、そういう大事なことはもっと早く言ってよ。一人で抱え込むの、ヴァル様の悪い癖だよ」
「癖ではない。それに、その呼び方……許可してないぞ」
「ふふっ……今まで、守ってくれてありがとうね」
そう言うと、ヴァルディオスは少し驚いたように目を見開いて、それからふいと視線を逸らした。
「礼を言われるようなことではない」
「ううん。そんなことないよ。ヴァル様が隣にいてくれるんだもの。私、絶対に強くなるよ」
「……ああ」
その言葉を口にした途端、張り詰めていた糸がふつりと切れたように、急激な眠気が襲ってきた。
無意識のうちに体が傾き、隣に座っていたヴァルディオスへごつん、と頭がぶつかった。
「おい」
「……んん」
目を閉じたまま首を擦り寄せる。けれど、いつもなら顔を包み込んでくれる極上の感触がない。あるのは、しっかりとした骨格と筋肉の硬い感触だけだ。
「……違う」
「何?」
「ふわふわじゃない。これじゃ全然落ち着いて寝られないよ……」
うとうとしながら文句を言うと、頭上から呆れたようなため息が降ってきた。
「我は布団か?」
「いつもの姿に戻ってよぉ……もふもふがいい……」
「ハッ……お前という奴は、本当に」
呆れ果てたような声の直後。
ふわりと風が巻き起こり、硬かった肩の感触が、ふかふかの温かい毛並みへと変わった。
フェンリルの姿に戻ったノクスが、私の体を包み込むようにそっと身を横たえる。
「ん、これこれ。やっぱりノクスはこうでなくちゃ……」
極上の毛並みに顔を埋めると、もう完全に抗えない睡魔が意識を引っ張っていく。
頭のすぐ上で、鼻先が髪へ軽く触れた。
「呆れた娘だ。……やすめ、セラ」
低く穏やかなその声を子守唄代わりに、私は深い眠りへと落ちていった。
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