第97話 セラの答え
「さあ、選びなさい。あなた自身の意思で」
サーヴェラが優雅に手を差し伸べ、洞窟の中が沈黙に包まれる。
ノクスが息を呑み、精霊たちの光すらも瞬きを止めた、その時。
「……えっと、ちょっと待って」
セラは困惑したように眉を寄せ、首を傾げた。
「私、聖女の力とか貴方の力とか……何かの力を欲しいなんて、思ってないんだけど」
「……は?」
サーヴェラの笑みが、スッと消えた。
「騙されてたとか、器だとかは……うん、後でヴァ、ヴァルディオス……様にはちゃんと文句を言うけど。でも、だからって『じゃあ貴方の力をもらいます』なんてならないわ」
セラは真っ直ぐにサーヴェラを睨み据えた。
その瞳には、絶望も、闇への誘惑も、微塵も映っていない。
「味方だって言うなら、そんな力はいらないからリアナちゃんを渡して。私はただ、あの子と一緒に帰りたいだけ」
ヴァルディオスは一度だけ目を伏せ、こらえきれなくなったように喉を鳴らした。
「……っ、ふ、ははっ!」
普段なら決して見せない笑いだった。
額を押さえ、小さく首を振る。
「そうだったな……お前は、そういう奴だった」
一方で、完璧な心理劇を台無しにされたサーヴェラは、ゆっくりと差し出していた手を下ろした。
深紅の瞳から慈愛の聖母の仮面が剥がれ落ち、殺気が溢れ出す。
「そう、本当に……どこまでもあの女と同じ」
「……?」
「反吐が出るほど……あの女によく似ている。何百年経っても、聖女というものは変わらないのね。手に入らないなら、器ごと壊すまでよ」
その言葉と同時だった。
サーヴェラの姿が黒い靄となって崩れ落ちる。
膨れ上がった闇の中から現れたのは、巨大な蛇だった。
赤い瞳。漆黒の鱗。その一枚一枚の縁は青白く発光している。
あまりの巨体に、心臓が嫌というほど脈打つ。血の気が引き、足が勝手に後ずさった。
「これが……邪神……」
対するヴァルディオスも静かに前へ出る。
人の姿を解き、銀色の毛並みへと変わる。あっという間に見慣れた巨大な神獣――フェンリルの姿へと戻った。
『下がれ、セラ。結界の中から出るな』
低い声が響く。
その直後、大蛇が動いた。
鎌首をもたげて次の瞬間には、その巨体が残像を引いていた。
岩盤が削れ、洞窟に砂埃が舞う。
毒霧が洞窟を埋め尽くすが、ノクスは退かない。迫る毒を正面から吹き飛ばす。
光と闇が幾度も衝突し、洞窟が激しく揺れる。
その乱戦の中、大蛇の赤い瞳が――不意に、後方で結界を張るセラを捉えた。
蛇の体がバネのように縮み、剥き出しの牙を向けて死角を突いてセラへ迫る。
『――ッ!』
ノクスが慌てて飛び込んだ。
セラの盾となって立ち塞がったフェンリルの肩口を、大蛇の毒牙が裂く。
肉を貫き、骨へ届くほど深く食い込んだ。
「ノクスッ!!」
セラの悲鳴が響く。
黒い毒が、牙からノクスの体内へと注ぎ込まれる。
美しい白銀の毛並みが、赤黒い血に染まっていった。
しかし、ノクスは止まらなかった。牙を突き立てられたまま大蛇の首元に喰らいつき、鋭い前脚でその漆黒の腹を大きく引き裂いた。
「ギィイイイイッ!!」
大蛇が苦悶の叫びを上げ、血を撒き散らしながら離れる。間違いなく致命傷だった。
だが、腹から血を流しながらも、サーヴェラは低く笑った。
『ふふ……あははっ! その毒は、神獣すらも確実に蝕むわ』
『……貴様、だけは……ッ!』
ノクスが追撃しようと踏み出す。
しかし、巨大な前脚が折れ、重い音を立てて膝をついた。肩口の傷から、青黒い痣が広がっている。
大蛇の輪郭が、再び黒い霧へと溶け始めていく。
逃げる直前、赤い瞳がセラと、苦しげなノクスへと向けられた。
『その子を守るたび、ヴァルディオス。いずれ貴方が先に壊れるわ』
『黙れ……』
『ふふっ……毒が回りきる前に、真実を話せるといいわね』
嘲笑を残し、サーヴェラの姿は黒い霧となって完全に消え去った。
「ノクス!」
敵が消えた瞬間、セラは駆け寄った。
ノクスの体は荒い息に合わせて上下し、噛まれた傷口からは黒い瘴気が立ち昇っている。
セラは震える手で、血に染まったノクスの毛並みに触れた。
隠し事があるのは事実なのだろう。騙されていたのかもしれない。
でも答えは、もう目の前にある。
彼は何の迷いもなく、命を懸けて私を守ってくれた。
だから今度は、私が助ける番。




