15
天候の悪化が後押しになってか、アイザックが渋々と頷いた。エルフリートの粘り勝ちである。
「早く屋敷に戻ろう? ちょっと天候が不安」
エルフリートがそう言う通り、ちらついていた雪はひと粒れひりられらりりが大きくなり、吹雪の様相に変わってきていた。この天候では、帰るのだってひと苦労である。
エルフリートは先頭を歩きながら、空を見上げた。分厚い雪雲が空一面に広がっている。暗いのに明るい。このまま天候が悪化すれば、ホワイトアウトするかもしれない。
「ロープで全員を繋ぐ。遭難したくなければすぐにやって! 悪いけど、レオンは私の補佐。マリンはレオンの代わりに殿を!」
エルフリートが持ってきていたロープを自分にくくりつけると、それをレオンハルトに渡した。ロープワークを習得していない人には近くの騎士が行い、ロープの長さが足りなくなれば繋いで伸ばし、全員が繋がった。
寝不足な上に、悪天候。エルフリートは最悪な組み合わせに思わず奥歯を噛み締める。
判断ミスは許されない。とにかく天候が悪化する前に、屋敷の近くまで戻る。
「レオン」
「なに? フリーデ」
レオンハルトに向け、エルフリートは言った。
「私の判断がおかしいと思ったら、すぐに教えて。レオンも寝不足だとは思うけど……」
「フリーデよりは寝てるから大丈夫。ホワイトアウトが怖いんだよね?」
強風の為、二人は支え合うように歩きながら会話を進める。
「うん」
「この天候じゃ、魔法を使っても倍くらいかかるよ」
「分かってる。最悪は私とマリンで結界を張ってビバークする」
風が強くて目を開けていられない。エルフリートは自分の顔の前に結界を張って、安全を確保した。
「雪洞作るなら、力になれるけど」
「作っている余裕があったら、お願いするよ」
エルフリートは吹雪いて視界の悪い先を見つめ、自身に強化魔法をかける。そしてレオンハルトに合図をして立ち止まった。
「移動速度を上げる。自分に強化魔法がかけられない者は今の内に近くの騎士へ申告、強化魔法をかけてもらう事」
魔法で作られた鳥からエルフリートの声が発せられる。その鳥は、エルフリートの言葉を繰り返しながらロープで繋がっている最後尾に向けて飛んでいった。
最後尾が強化魔法をかけるのに必要だと思われる時間を、エルフリートはレオンハルトとの打ち合わせに費やす。
「分かっていると思うけど、ロープ経由で合図をお願いね」
「うん。事前に全員へ教えているアレだよね?」
雪山を歩く事になる為、参加する面々には決まり事などを周知、教育してあった。本当は必要にならないように過ごしたかった。
だが、こうなってしまったからにはやってもらうしかない。
「そう。後ろから連絡があった時はそれをそのまま真似して。何か気付いたらそれを合図で教えて」
「任せて。あ、ちょうど動けるよって合図来た」
「……じゃあ、行くね」
エルフリートはレオンハルトに強く頷いてから、歩き出した。歩きにくさを軽減させる為、あまりやりたくはないが自分に精神魔法を使う。
疲労感を遮断させるそれは、身体の危険に対する感知能力まで下がる。だから、あまりやりたいとは思えない魔法だった。それでも使ったのは、ここが崖っぷちではない、ホワイトアウトの不安がある以外は比較的安全な道だからだった。
歩いてきた道を戻るだけだが、既に雪がその跡を埋めつくそうとしている。エルフリートは、目元以外を完全に隠した。魔法で目元を保護しているとはいえ、正面からぶつかって来る風や雪から目を守るだけで、完全ではない。
呼気は凍りつこうとするし、雪は体温を奪おうと隙間からぶつかってくる。
久しぶりに過酷な移動である。エルフリートは気合を入れ、ひたすら前に進むのだった。
どんどん視界が悪くなる。ロープの長さの分だけ後方にいるはずのレオンハルトが見えなくなった。レオンハルトとの距離は、数メートル。たったそれだけの距離でも視界を失っている。
ほぼ、ホワイトアウトと言っても良いだろう。そろそろ、移動を強行するのは危険だ。そう判断しようとした時、エルフリートの肩に重みがかかった。
「え?」
「クィルゥゥゥ」
「父上の、鳥」
真っ白な世界の中に、真っ黒な鳥。領主であるアーノルドが使役している魔獣である。
エルフリートは立ち止まり、その脚に結ばれている小袋を手に取った。袋を開けば、見覚えのある魔法具が入っている。一緒に入っているメモには“屋敷の方向と距離が分かる”とだけ書かれていた。
「父上……」
指輪型の魔法具に魔力を注げば、それは鮮やかな青色に光った。……つまり、屋敷は近い。エルフリートは移動を続ける事に決めた。
「ありがとう。すぐに戻るから、一足先に私たちの安全を伝えてくれるかい?」
「クィ……」
エルフリートの声に応えるように小さく鳴いた鳥は、さっと飛び立った。カルケレニクス領の領主だけが使役できる魔獣は、悪天候をものともせずに移動する。
そういえば、あの魔獣を何と呼ぶのかまだ教えてもらえていない。
父親の配慮をありがたく思いながら、指輪の光が示す方向に向けて一歩一歩、確実に足を動かすのだった。




