第6話 アニ研の作戦会議と、ステルスな彼女
夕暮れ時の総合美術大学。
西日が差し込むファインアート棟で100号キャンバスへの下塗りを終えた俺は、油絵の具とペトロールの匂いを身にまとったまま、映像・メディア表現棟にあるアニメ研究会の部室へと向かった。
引き戸を開けると、そこには油絵のキャンバスとは全く異なる、独特の熱気が充満していた。
型落ちの液晶タブレットが放つほのかな熱、トレース台の蛍光灯の匂い、そして部屋の隅に乱雑に積み上げられたアニメ原画集や設定資料の紙の香り。
「おつかれ、遊技」
パイプ椅子に深く腰掛け、クロッキー帳にシャープペンシルを滑らせていた佐々木賢吾が、メガネの奥の目を少しだけ上げて俺を促した。
「遅かったな遊技! 待ってたぞ!」
部室の端にある長机で、A3の絵コンテ用紙を大量に広げて頭を抱えていた陣内弥太郎が、身を乗り出すようにして叫ぶ。
「油絵の下塗りが長引いてな。……で、今年の学園祭のやつか?」
「おうよ! 今年のアニ研の学園祭出展は、上級生チームや女子チームとは別に、俺たち三人組で“一分半のショートアニメーション”を一本立ち上げる!」
弥太郎が鼻息荒く宣言した。
俺たちアニメ研究会は、普段こそアニメの批評や学課の課題でダラダラ過ごす溜まり場だが、11月の学園祭に向けては本気で自主制作を行う“クリエイター集団”でもある。
* * *
「それでだな……肝心の企画なんだが、どうにもビシッと決まらなくてな」
弥太郎が髪をぐしゃぐしゃと掻きむしった。
デザイン学科で演出や企画を専攻している弥太郎は、情熱と勢いは人一倍あるのだが、アイデアが散乱してまとまらないのが玉にキズだ。
「アクション、SF、日常系……弥太郎の構想はどれも、一分半という短い尺に収めるには要素が多すぎるんだよ。作画枚数的にも破綻する」
作画監督を担当する賢吾が、冷静なトーンで指した。
作画アニメーション専攻の賢吾は、人体の骨格や動きのコマ打ちを緻密に計算する職人肌で、弥太郎の暴走を止めるブレーキ役でもある。
二人のやり取りを聞きながら、俺は近くの長机の角に腰を下ろし、ふと自分の胸の奥に漂う寂しさに思いを馳せていた。
突然、俺の前から姿を消してしまった、あの愛おしいシオンさん。
彼女の面影を追い求め、どこかに手がかりはないかと探し回っている自分の惨めな姿。
(……面影を追って、旅をする……か)
無意識のうちに、俺の口から言葉が零れ落ちていた。
「……例えばだが」
俺の声に、二人同時に視線が向けられた。
「離れ離れになった恋人を探して、健気に旅をする可愛らしい動物の物語……なんてどうだ?」
静まり返る部室。
自分がシオンさんを探している境遇を、無意識に投影してしまった言葉だった。
言ったあとで「少しポエティックすぎたか」と後悔しかけた――が、次の瞬間。
バシィンッ!
弥太郎が長机を猛烈な勢いで叩いた。
「それだぁぁぁぁぁっ! よし、それでいこうっ!!」
弥太郎の目がギラリと光った。
「素晴らしいぞ遊技! 一分半という短尺だからこそ、セリフは最小限にして、健気な小動物が風に吹かれ、雨に打たれながらも、一途に恋人の面影を追って崖を駆け上がるダイナミックな画面構成ができる! 哀愁と愛らしさのギャップで客の心を掴むんだ!」
大興奮でコンテ用紙にアイデアを書き殴り始める弥太郎。
「ふむ……悪くないな」
賢吾もあごに手を当て、メガネのブリッジをクイッと押し上げた。
「キャラクターをシンプルな二頭身の動物にデフォルメすれば、作画の負担を抑えつつ、動きの可憐さや感情表現にリソースを集中できる。総カット数は12〜15。コマ打ちは3コマ打ちメインで、サビの走りだけ2コマにすれば……総作画枚数は250枚前後に収まる」
「だろ!? これならいけるぞ! 動画検査の手間も省ける!」
弥太郎が破顔し、俺の肩をポンと叩いた。
「で、遊技。お前には背景美術を全面担当してもらう。そうだな……『恋人を探す旅』の切なさと温かみを、お前の得意な油画風の重厚な厚塗りで起こしてほしいんだ。光の空気感が欲しい」
「ああ、分かった。キャラクターの可愛さを引き立てるような、温かくもどこか寂しげな背景画を12枚、気合いを入れて起こすよ」
自分の密かな切なさが発端となった企画だったが、二人のクリエイターとしての熱量に引っ張られ、俺の胸の中にも創作の火が静かに灯っていくのが分かった。
* * *
それから一時間ほど、具体的な制作スケジュールの詰めの作業が続いた。
「原画回収の最終締め切りは9月末だ。美大の後期課題と並行することを考えると、ここを過ぎたら動画と仕上げが学園祭に間に合わなくなる」
賢吾が自前のノートに、ガントチャートをサラサラと書き込んでいく。
「よし! 打ち合わせ終了! いやあ、今日はいい企画が決まったな!」
弥太郎が満足そうに背伸びをし、缶コーヒーのプルタブをプシュッと開けた。
俺も自分の缶コーヒーに口をつけ、冷たい液体で乾いた喉を潤す。
これで今日のミーティングは平和に終わる――
そう思っていた、まさにその時だった。
* *
「……ところで、遊技」
弥太郎の声のトーンが、突然低くなった。
カチャン、と賢吾がメガネを外し、クロスで静かに拭き始める。
部室の空気が、まるで冬の氷点下に落ち込んだかのように急激に冷え込んだ。
「……なんだよ、二人とも」
俺は缶コーヒーを手に持ったまま、身構えた。
弥太郎がゆっくりと腕を組み、尋問するような鋭いジト目で俺を睨みつけてくる。
「お前、いつのまに他の学科の女子とあんな仲良くなったんだ……? しかも、あんな美人たちと話をするとは……」
「言い逃れはできんぞ、遊技」
賢吾がメガネをかけ直し、光を反射させながら冷ややかに追及を加えた。
「今日の昼休み、デザイン棟の前だ。お前が眩しいほどの“二人”の美人と、親しげに笑い合っている姿を、俺たちはこの目で確かに目撃した」
「二人……?」
俺は一瞬、首をかしげた。
(ああ……熊川さんと、栃谷さんのことか)
今日の昼下がり、鷹司さんと並んで歩いていた時にやってきた、あの賑やかな二人組だ。
茶髪ハーフアップで明るい視覚伝達デザインの熊川梨々花さんと、サバサバしたショートヘアで空間デザインの栃谷瑠以さん。
確かに二人とも、キャンパス内で目を引くレベルの華やかな美人だった。
(……だが、待てよ)
俺は心の中で、静かに呆れの溜息を吐いた。
(“二人”だと……?)
こいつらには、『彼女』が見えていないのだ。
熊川さんと栃谷さんという華やかな美少女にばかり目を奪われ――
その端で、ダボついたグレーのパーカーとロングスカートに身を包み、大きめの黒縁メガネで気配を消していた『鷹司詩織』という少女の存在に、愚かにもまったく気づいていない。
そして何より、そのダボついた服の奥に隠された、国宝級とすら言えるあの美しい下半身のラインに、美大生でありながら欠片も気づいていないのだ。
(やれやれ……。美大で映像や作画を専攻しているくせに、この二人の視線の解像度はどれだけ低いんだ)
デッサン眼を持つ油画専攻として、少しだけ優越感に似た呆れが込み上げてくる。
だが同時に、安堵の気持ちもあった。
(まあいい。わざわざこいつらに、鷹司さんの存在や、あの奇跡のようなお尻の魅力を教えてやる必要もないか)
もしあのお尻の美しさに男どもが気づいてしまったら、それこそ余計なライバルが増えるだけだ。
* * *
「おい! 黙り込むな遊技! 否定しないってことはマジなのか!?」
弥太郎が身を乗り出し、俺の肩を揺さぶってきた。
「大人しそうな顔をして、まさかあんな華やかな女子と接点を持っているとは……。一体どういうルートで知り合ったんだ?」
賢吾も『不正を追及してやる』といった様子で、ノートの手を止めてこちらを凝視している。
俺は表情一つ変えず、静かに缶コーヒーの残りを飲み干した。
「別に、お前たちが思ってるような大層な話じゃない」
「じゃあ、どういう話だ! 吐け!」
「同じアパートに住んでる子がいてな。今日、キャンパスで偶然会って世間話をしていたら、その友達二人がやってきただけだ」
嘘は言っていない。
事実をそのまま、淡々とあしらうように答えた。
「……同じアパートの知り合いだと……!?」
弥太郎がガタッと椅子を鳴らして立ち上がった。
「なんだその、シチュエーションはっ! 安アパートで一人暮らしを始めた途端に、隣に女の子が住んでいて、その子の友達がハイレベルな美少女だったなんて……そんなことが現実にあっていいのかっ!?」
「落ち着け、弥太郎。声が大きい」
賢吾が呆れつつも、やはり羨望の混ざった視線を俺に向けてくる。
「まあ、納得はしたよ。アパートの隣人経由で、おしゃれで華やかな女子グループと接点ができたわけか。それだけなら、まだいいが――遊技、お前は無口なフリをして、一番美味しい果実を独り占めしているんじゃないだろうな?」
「そんなわけないだろ。ただの挨拶程度だ」
俺は二人からの嫉妬混じりの追及を涼しい顔で受け流すと、カバンから自分のクロッキー帳を取り出した。
「それより、アニメの背景画のラフを描くぞ。さっき弥太郎が言ってた『恋人を探す小動物、ハムスターが駆け上がる雨の崖(階段)』のイメージだ」
「ぐぬぬ……! 話を逸らしやがったな……!」
悔しそうに歯噛みする弥太郎を無視して、俺はクロッキー鉛筆を紙の上に走らせ始めた。
ざり、ざりと、紙を擦る心地よい音が部室に響く。
鉛筆の先が描き出していくのは、冷たい雨に打たれながらも、一途に前を目指す健気な動物の姿。
そして、その背景に広がる、どこか切なくも美しい風景。
(……シオンさん)
描きながら、俺は胸の中で呟いていた。
俺の前から消えてしまった彼女の面影。
そして――
自分の隣で、可憐に顔を赤らめていた鷹司詩織さんの姿。
俺の中でふたつの存在が重なり合い、不思議な温もりとなって手元へと伝わっていく。
「……おい賢吾、見ろよ。遊技のやつ、めちゃくちゃ気合い入ったラフ描いてるぞ」
「ああ……凄い密度だな。恋人を探す切なさが、絵から溢れ出ているようだ」
呆れ顔から一転、感嘆の声を漏らす友人二人の呟きを遠くに聞きながら――
俺は初夏の静寂の中、静かにイメージを深めていくのだった。




