第25話 ハーレム結成から一ヶ月と、地獄の招集令状
鷹司さん、熊川さん、栃谷さんの三人との間で「ハーレム」という奇妙な関係が成立してから、あっという間に一ヶ月が過ぎていた。
七月の初めには、総合美術大学に通う学生にとって、大きな山場である前期課題の提出があった。
俺が夜遅くまでキャンパスの描画室に籠もって描き上げた油彩の風景画は、担当の教授から上々の評価をもらうことができた。
一方で、詩織さんは「プライベートな室内で最も心地よい肌触り」をテーマにしたテキスタイル課題で、試作を重ねていたシルク混の生地を見事に縫い上げ、ルームウェアのプロトタイプを完成させていた。
提出前夜、俺の部屋に集まった彼女たちの光景が、今でも鮮明に脳裏に焼き付いている。
* *
「富岡さん、見てください……っ! ついに、生地のドレープ感がイメージ通りになりました……!」
完成したばかりのルームウェアを身に纏い、頬を上気させて瞳を輝かせる詩織さん。
薄手で滑らかな生地は、彼女の華奢な肩から腰にかけての可憐なラインを完璧に際立たせており、胸元が上下するたびに上質なシルク特有のしなやかな光沢を放っていた。
「うわぁ、凄いよ詩織! 触らせて……うわっ、なにこれ超気持ちいい! すべすべじゃん!」
「ちょっと、熊川さんっ、変なところを引っ張らないでください……っ!」
無邪気に抱きついて生地の感触を確かめる梨々花さんと、照れまくって身体をよじる詩織さん。
「空間デザインの視点から言っても、その部屋着があるだけで空間全体の質感がワンランク上がるな。素晴らしい出来だ」
瑠以さんもサバサバとした笑みを浮かべつつ、惜しみない称賛を送っていた。
若者四人が同じ部屋に集まれば、当然ながら性的な欲求や甘えたい感情が湧かないはずがない。
だが俺たちは、ただ性欲に流されるだけの爛れた関係にはならなかった。
お互いの部屋を行き来し、冷えたジュースやアイスを口にしながら、それぞれの専攻課題について本気で議論し、アドバイスを送り合う。
俺にとってこのハーレムは、単なるエロい関係を超えて、互いの夢や情熱を尊重し高め合える「向上心を持った仲間」という、かけがえのないプラスの影響をもたらしていた。
(この四人の空気を、キャンバスに残したい——)
そんな想いから、俺は課題が終わった後も、彼女たち三人をモデルにした新たな油絵の連作に着手し始めていた。
* * *
そして七月中旬。
季節は本格的な夏を迎えていた。
梅雨が明けて連日真夏日が続くなか、前期課題の提出ラッシュを終えた総合美術大学のキャンパスは、独特の開放感と熱気に包まれている。
「よしっ、課題も無事に終わったことだし、アニ研の作業をガツガツ進めるぞー!」
アニメ研究会の部室に、陣内弥太郎の威勢のいい声が響き渡る。
古いエアコンが弱々しく唸りを上げる部室には、型落ちの液タブやトレース台、最新アニメの原画集や設定資料がぎっしりと並んでいた。
雑多でどこか絵の具と紙の匂いが入り混じったこの空間は、俺たちクリエイター予備軍にとっての溜まり場であり、戦場でもある。
俺たちが現在進行形で制作しているのは、十一月の学園祭での上映を目指す、約一分半の自主制作ショートアニメーションだ。
ストーリーの主人公は、ペットショップで将来を誓い合ったものの、客に買い取られて離れ離れになってしまったゴールデンハムスターのカップル。
残された男の子のハムスターが、彼女を追いかけるためにケージを脱出し、人間界という障害物だらけの未知なる外の世界へ大冒険に繰り出す——というものだ。
突然自分の目の前から姿を消してしまった、一目惚れの相手「シオンさん」の面影を追い求める俺自身の境遇が、無意識に投影された企画でもあった。
* *
「コンテの確認だけどさ、クライマックスのこのカット……やっぱりここが一番の魅せ場だな!」
キャラクターデザインと作画監督を担当する佐々木賢吾が、眼鏡の奥の目を輝かせながら、自分の描いた絵コンテを指差した。
そこは、脱走した主人公(男ハムスター)が街中で『恋人ハムスターの飼い主の女の子』と偶然出会い、彼女の肩に乗せてもらって家へと向かうシーンだ。
「そうだな。ただ外を走り回るだけじゃなくて、ここで一度『人間の優しさ』に触れさせる。女の子の服の生地感や、肩に揺られる独特の浮遊感をどう画面に出すかが勝負だ」
俺は自分の担当である背景美術(BG)のラフ画と、キャラクターのレイアウト用紙を机の上に広げた。
「女の子が部屋のドアを開けた瞬間、逆光の中に探していた恋人ハムスターのケージがぼんやりと浮かび上がる……。ここで背景の被写界深度を浅くしておいて、主人公の男ハムスターの目がパッと見開くのと同時にケージへフォーカスを合わせる演出はどうだ?」
「おおっ! それめちゃくちゃエモいじゃん遊技! フォーカスが切り替わった瞬間に、光の粒がふわっと広がる感じだな!」
企画・演出・原画を担当する陣内弥太郎が、液タブのペンを握りしめて身を乗り出した。
「作画的にも工夫したいぜ。肩に乗ってる時のハムスターは、落ちないように女の子の服を小さな爪で必死に掴んでるんだ。その生地の引っ張り感と、女の子がくすぐったそうに首をすくめる仕草……そこを丁寧に描けば、二頭身キャラでも一気にリアリティと温かみが出る!」
「いいね。女の子の表情もあえて顔全体は見せず、口元の優しい微笑みだけで表現しよう。人間という巨大な存在が『恐怖』から『温かい味方』に変わるカットだからこそ、色彩も夕暮れの橙色から部屋の温かい電球色へグラデーションで変化させる」
俺の専門である油画風の重厚な厚塗り技術を生かした、光と影が紡ぎ出すドラマチックな背景画。
それらが賢吾と弥太郎の緻密で愛らしいキャラクター表現と合わさることで、ただの可愛いアニマルアニメを超えた、胸を打つショートフィルムへと昇華していく手応えがあった。
* * *
作業がノリに乗ってきて、部室の中に心地よい集中力が満ちていた、その時だった。
ピコン、と静寂を破って弥太郎のスマホが電子音を鳴らした。
「ん? なんだこんな時に……」
作業の手を止め、ポケットからスマホを取り出した弥太郎。
画面を覗き込んだ瞬間、彼の表情から一気に血の気が引いていくのが分かった。
「……嘘だろ……くそっ、来やがった……」
「どうした、弥太郎? そんな酷い顔をして」
賢吾が不思議そうに首を傾げると、弥太郎は絶望に満ちた目で画面をこちらに向けた。
「……ヨッシーからだ」
ヨッシー。
女子チームと外部協力者の連絡係を担当している、アニ研の二年生女子だ。
どうやら学園祭に向けた女子チーム側の制作スケジュールが押しているらしく、以前「手伝うよ」と安易に連絡先を交換してしまった弥太郎と賢吾に、地獄の緊急招集通知が届いたのだった。
「あー、……うん。連絡先を教えてしまったお前たちの自業自得だな。せいぜい女子チームの奴隷として働いてきてくれ」
俺が他人事のように腕を組んで頷くと、弥太郎が血走った目で画面をスクロールさせた。
「おい遊技……他人事じゃねえぞ。追伸欄を見てみろ……」
「ん?」
画面の最下部には、容赦のない文面が躍っていた。
『追記:あの富岡とかいう糞男子も背景描くのだけは上手いらしいから、絶対に連れてきてね。逃がしたら二人とも許さないから』
「……なんで俺まで巻き込まれてるんだよ」
俺は盛大に顔を顰めた。
「当然断るぞ、そんなもの。俺は趣味で描いてる人物画の製作で忙しいんだ。お前たちだけで行ってこい」
バッサリと言い放つ俺に、弥太郎はへにゃりと肩を落としてスマホをポケットに舞い戻した。
「まあ、そう言うだろうな……」
「俺たちはもう逃げられないが……遊技まで巻き込むのは悪いな……」
賢吾もメガネの位置を直しながら、暗い表情で死んだような溜息をついた。
連絡先を教えてしまった二人は、もはや年貢の納め時だと諦めているようだ。
死に体で荷物をまとめ始める二人の背中は、あまりにも哀愁に満ちていた。
* * *
自業自得というしかない。
だが、ここでこの二人が抜け出せなくなれば、俺たちのアニメの原画作業が完全にストップしてしまうのも事実だった。
それに——
何より、一緒に熱く作品を作ってきた男友達が死にそうな顔をしているのに、それを放っておくのは、俺の性分に合わない。
俺は作業の手を止め、ふっと息を吐き出した。
「……はぁ。仕方ないな」
「ん……? 遊技……?」
振り返る二人に、俺は椅子に深く腰掛け直しながら言葉を続けた。
「その代わり、こっちの作業は俺が二人の分も穴埋めしておくよ」
「え……!?」
驚きに目を丸くする弥太郎と賢吾に向かって、俺は平然と言ってのけた。
「原画の動画割りとか、キャラを動かす作業ってのも少しやってみたかったんだよ。背景美術だけじゃなく、アニメーターとしての作画も経験しておけば俺の引き出しも増える。……解らないところもあるだろうから、後で教えてくれ」
「遊技……お前……っ!」
「すまん、遊技……! 本当に面倒をかける……っ!」
それまで死んだ魚のようだった二人の目が、パッと歓喜に輝いた。
弥太郎と賢吾はガタッと椅子を立ち上がらせると、半泣きの顔で俺の肩を両手で掴んできた。
「お前、マジでいい奴だな……! 背景画だけでも大変なのに、俺たちの穴埋めまでやってくれるなんて……っ!」
「作画のコツなら何でも教える! 動画の割引き方から中割りのシートの書き方まで、俺の知ってる知識は全部伝授するからな……!」
「はいはい、分かったから暑苦しい身体で抱きつくな。さっさと地獄に行って苦行に励んでこい。遅れると余計に怒られるぞ」
「おう! 死ぬ気で女子チームの手伝いを終わらせて、爆速で戻ってくるからな!」
「本当に助かる、遊技! 後でジュース奢るから!」
嵐のように感謝の言葉を捲し立てると、二人は悲壮感を漂わせながらも、幾分救われた表情で部室を飛び出していった。
* *
バタン、と部室のドアが閉まり、再び静寂が部屋を包み込む。
「……さて」
俺は一人になった静かな部室で、ポキポキと指を鳴らした。
自分の背景美術の仕上げに加えて、二人分のキャラクター作画の穴埋め。
かなりのハードスケジュールになることは目に見えている。
だが、不思議と嫌な気はしなかった。
自分たちの情熱を込めた作品を形にするため、俺はシャツの袖を捲り上げ、液タブのペンを握り直した。




