第23話 ノリと勢い――なし崩しのハーレム結成
「詩織〜? 来たよ〜!」
玄関のドアの向こうから、元気で快活な熊川さんの声が廊下に響き渡った。
その直後、詩織さんが困惑に満ちた表情で俺を見上げた。
自作のシルク混ルームウェアに包まれた華奢な体が、ガクガクと小さく震えていた。薄手の生地越しでもわかる身体のラインと、赤く熟したトマトのように染まった顔。
つい数秒前まで詩織さんに誘惑された俺は――
彼女のお尻に手を伸ばしかけていたのだ。
「と、とと、富岡さん……っ! ど、どうしましょう……っ!?」
あわあわと両手を振り、パニックを起こす詩織さん。
「隠れてください……っ! 押し入れ! 押し入れに入ってくださいっ!」
「待て、落ち着くんだ。――鷹司さん」
俺は素早く思考を巡らせた。
一人暮らしの女子の部屋に、男が上がり込んでいる。
しかも彼女は素肌感たっぷりの部屋着姿だ。見つかれば誤解は免れない。
(……いや、待てよ?)
俺はふと冷静になった。
見つかったらヤバい、と一瞬焦ったが……俺たちは別にやましい犯罪をしているわけではない。
いや、確かに詩織さんは俺を甘く誘惑していたし、俺も彼女の可憐さに魅了されて触れようとしていた。
だが、隣人同士であり、同じ美大に通う友人同士だ。
仲が良いことを知られたところで、一体何がまずいというのだ?
唯一懸念されるのは、詩織さんには家が定めた『婚約者』がいるということくらいだが……それも大学卒業後の話で、顔も名前も知らない相手だという。
そこまで義理立てして、コソコソと俺が押し入れに隠れる必要などどこにもない。
* *
俺の口からは迷いのない言葉が滑り出していた。
「鷹司さん、堂々と出よう。隠し立てすることなど、何もない」
力強く、そう告げた。
「えっ……? ど、堂々と……?」
詩織さんは目を丸くし、ポカンと口を開けた。
「そうだ。俺たちがやましいことをしていない以上、コソコソ隠れる方が逆に怪しまれる。胸を張って二人を迎え入れればいいんだ」
俺の自信に満ちあふれた言葉に、詩織さんは毒気を抜かれたように瞬きをした。
やがて、彼女は深呼吸を一つすると、胸元のシルク生地をギュッと握りしめて頷いた。
「そ、そうですね……。やましいことなど、していませんからね……!」
自らに言い聞かせるように呟くと、詩織さんは意を決して玄関へと向かい、ドアの鍵を解錠した。
ガチャリとドアが開く。
* * *
「遅いよ〜、詩織! 留守かと思っちゃっ——えっ」
外に立っていた熊川梨々花さんが、玄関に立つ俺の姿を見るや否や、目を丸くして固まった。
その隣にいた栃谷瑠以さんも、大きめのダボッとした私服姿で眉をひそめる。
「富岡君もいるなんて、驚いたよ」
熊川さんが目をパチパチさせながら、室内へと踏み込んでくる。
「遊技を部屋に入れて二人きりか。……どういう状況だ、詩織?」
栃谷さんがニヤリと意地悪な笑みを浮かべ、詩織さんと俺を交互に見つめた。
詩織さんの顔が、一瞬で耳まで真っ赤に染まり直す。
「ち、違います……っ! これはその、事故というか……っ!」
「事故?」
「じ、実は……富岡さんが『ハーレムを作る』とか言い出して……! それを止めるために、説得していたところなんです……!」
詩織さんは必死の形相で事実を語った。
客観的に聞けば突拍子もない言い訳に聞こえるだろう。
だが、それを聞いた二人の反応は、予想外のものだった。
「あはははっ! やるねぇー、富岡君! 応援するよ!」
熊川さんが腹を抱えて大爆笑した。
「ふっ……男はそうでなくてはな、遊技。スケールが大きくて結構だ」
栃谷さんも腕を組んで、愉快そうに頷いている。
二人は呆れるどころか、完全に面白がっていた。
「ちょっと、二人とも! お隣さんに迷惑ですから、もっと声を静かに……っ!」
詩織さんが慌てて口元に指を当て、二人を制する。
「そうだね、ごめんごめん。……じゃあさ、話の続きは富岡君の部屋に移動してからにしようか!」
熊川さんが提案した。
「ああ、今日来た目的は遊技に絵を見せてもらうことだったし。ちょうどいい」
栃谷さんも同意する。
「え、ええっ!? 移動するんですか!?」
詩織さんの驚愕の声を余所に、俺たちは隣の201号室——
つまり俺の部屋へと移動することになった。
* * *
ガチャリ、と201号室のドアを開ける。
質素で必要最低限の家具しか置かれていない俺の部屋に、女子三人が雪崩れ込んできた。
部屋の隅に立てかけられたキャンバス。
油絵で描いた人物画を、熊川さんと栃谷さんが興味津々に覗き込む。
「へーっ! すごいじゃん富岡君、上手い!」
熊川さんが身を乗り出し、キャンバスをじっくりと見つめる。
彼女が動くたび、爽やかな柑橘系の香水の匂いがふわりと漂い、柔らかい髪の毛が俺の腕に触れそうになった。
「ふふっ、なんだか私への愛が伝わってくるよ〜」
栃谷さんがふっと口角を上げ、ニヤリと俺を見つめてくる。
「これはどう見ても、私に求婚しているだろう。なあ、遊技?」
「もーっ! 二人とも、富岡さんの節操無しに拍車をかけないでください……っ!」
少し離れた場所で、詩織さんが唇を尖らせて小さく嫉妬の声を上げた。
「詩織の絵もあるじゃん。そう拗ねないの」
熊川さんがくすくす笑いながら、詩織さんの肩をぽんぽんと叩きなだめる。
一通り絵の鑑賞を終えると、話題は自然と本来の議題——
俺のハーレム計画へと戻っていった。
* * *
ローテーブルを囲んで座る俺たち。
「で? 遊技がハーレムを志しているんだっけ」
栃谷さんが長い脚を組み、面白そうに顎に手を当てた。
「ということは……私もその一員なのかな?」
「あー、わたしも、わたしも!」
熊川さんが元気よく手を挙げる。
「富岡君ってば、大学で会うたびに、ちょいちょい私のことエッチな目で見てたしね〜! メンバー確定だね!」
「なっ……!?」
二人のノリノリな反応に、俺は思わず息を飲んだ。
身を乗り出してくる二人の距離が近い。
薄手の服越しに見える健康的な肌の色気や、女子特有の甘い匂いに、男としての胸が高鳴る。
(そういうもんなのか……? この二人の場合は、遊びの延長のような――そんなノリで受け入れているみたいだが……)
どこまで本気なのか判別がつかないが、嫌がられていないことだけは確かだった。
しかし、そこで待ったをかけたのが詩織さんだった。
* *
「ダメです……っ! 絶対にダメです!」
詩織さんは立ち上がり、必死の面持ちで二人を止める。
「富岡さんには、心に決めた人がいるんですよ! 『シオンさん』という、大切な女性が……!」
「あっ、そっか。メンエスのシオンさんだっけ?」
熊川さんが首を傾げる。
「でもさ〜、そのシオンさんって人、まだ見つかってないんでしょ?」
「それは……そうですけど……!」
「じゃあ、別にいいじゃん! 減るもんじゃないし!」
快活に言い放つ熊川さん。
詩織さんは「でも、ですね……っ!」と食い下がるが、言葉に詰まってしまう。
そこへ、栃谷さんが思い出したようにぽつりと呟いた。
「そっか。そういえば……詩織には心に決めた相手がいたんだったか」
「……えっ?」
詩織さんが目を丸くする。
彼女は気まずそうに視線を泳がせ、胸元で手をギュッと握りしめた。
「私のことはいいんです……。その相手は、家が勝手に決めた婚約者で、顔も名前も知りません。それに、結婚は大学を卒業してからのことですし……」
詩織さんが伏し目になりながら、小さく吐露する。
* *
その言葉を聞いた熊川さんが、パッと表情を明るくして詩織さんの両手を握りしめた。
「じゃあさ! それまでは自由を楽しもうっ――これから二年以上も男と付き合わずに過ごすことないよ。詩織!」
「へっ……!?」
「だってさ、詩織も富岡君のこと、好きなんでしょ?」
「〜〜〜〜っ!?」
熊川さんのストレートすぎる突っ込みに、詩織さんの顔が爆発したかのように赤くなった。
伊達メガネの奥の瞳が激しく揺れ、言葉にならない悲鳴を喉の奥で詰まらせている。
外堀を完全に埋められ、退路を断たれた詩織さん。
彼女は肩を大きく上下させ、深く、深呼吸を繰り返した。
シルク混のルームウェアに包まれた控えめな胸が、小さな弧を描いて揺れる。
やがて、詩織さんは意を決したように、まっすぐに俺を見つめてきた。
「……わかりました」
絞り出すような、だが覚悟の決まった声。
「どうやら……この流れを止めることはできないみたいですね」
「詩織……?」
「こうなったら、大学卒業まで……私も、富岡さんのハーレムに入ります」
「やったー!」
と熊川さんが歓声を上げかけた、その時だった。
「ただしっ!!」
詩織さんがビシッと人差し指を立て、凛とした強い声でそれを制した。
部屋の中に、緊張感が走る。
「私たちは、まだ学生です! 勉強も、課題も、将来の夢もあります!」
詩織さんは顔を真っ赤に染めながらも、真顔で、至極真面目な顔つきで言い放った。
「ですから……子供ができるような軽挙妄動は、絶対に慎まなければなりません!!」
「「……っ」」
具体的すぎる過激で真面目な『制約』の提示に、熊川さんも栃谷さんも一瞬呆気に取られた。
「妊娠の回避、および限度を超えた行為の禁止! これが、私たちがハーレムを受け入れるための『絶対のルール』です! 良いですね、富岡さん!?」
真っ直ぐに俺を指さし、真剣な瞳で迫ってくる詩織さん。
真面目だからこそ、こうした生々しい線の引き方を真顔で口にしてしまう彼女の姿が、たまらなく可憐で、愛おしく思えた。
反対する理由など、どこにもなかった。
「わかった、鷹司さん。そのルールで行こう」
俺が力強く頷くと、詩織さんはほっと安堵の息を漏らし、その場にへたり込んだ。
「はぁ……言っちゃった……」
「よーし! ルール決定〜! よろしくね、富岡君!」
「フッ……面白くなってきたな」
こうして、なし崩し的に——
俺の周りに「鷹司さん・熊川さん・栃谷さん」による、過激で真面目なルール付きのハーレムが成立してしまったのだった。




