第22話 シルクの肌触りと、譲れない野望
「うわっ……!?」
ガシッと強い力で手首を掴まれ、俺はそのまま隣の202号室(詩織さんの部屋)へと引きずり込まれた。
バタン、とドアが閉まり、カチャリと鍵の回る重い音が室内に響き渡る。
夕闇が落ち始めた部屋の中、静まり返った空気の中で、詩織さんは掴んだ手首を離そうとはしなかった。
大きな伊達メガネの奥にある透き通った瞳が、見たこともないほど強い光を宿して俺を射抜いている。
「それで……ハーレムって何ですか!?」
開口一番、詩織さんから矢継ぎ早の詰問が飛んできた。
「白崎先輩とお付き合いする気なんですか!? シオンさんのことは諦めたのですか!?」
普段のおとなしく清楚な詩織さんからは想像もつかない、素の混乱と焦りが混ざった問い詰め。
詩織さんは、シオンさん(メンエスで出会った運命の女性)を探すのを手伝ってくれている。
彼女には、追及する権利がある。
だが、一体なんと説明すればいいのだ?
神様の呪いとその場のノリで、作ろうとも思っていないハーレムを作ると言ってしまった、とか? 真剣な顔の詩織さんに、こんなこと言えるわけない。
(落ち着け……『白崎先輩と冗談を言い合っていただけだ』と説明すれば——)
必死に脳内で言い訳を組み立てようとした、まさにその瞬間だった。
胸の奥で息を潜めていた『ククリヒメ』の神の力(と思わしき何か)が、待ってましたと言わんばかりに発動した。
* *
「……ハーレムというのは、俺の夢だ」
俺の口が、勝手に滑らかに、そして堂々と動き出す。
「なっ……!?」
「俺の周りには魅力的な女性がたくさんいて、心が迷っている。それならいっそ、全員と付き合ってしまえばいいと思うようになったんだ」
自分でも呆れ果てるような身勝手すぎる宣言。
だが、言葉は止まらない。
いろいろな女性と関わり、大学の女子生徒の間で勝手に噂を立てられるうちに、いつの間にかそれが俺自身の本当の野望へとすり替わっていたのだ。
さらに、俺の口は止まることなく追い打ちをかけた。
「そして、シオンさんのことは諦めていない。彼女は俺にとっての絶対的なメインヒロインだ。再会してから、ハーレムの了承を得るつもりだ」
言い切った。
完璧なまでにゲスな内容だ。
だが、どこまでも真面目なトーンでの宣言だった。
* * *
詩織さんは口をぽかんと開け、信じられないものを見るような目で俺を見つめていた。
伊達メガネが少しズレていることすら気づいていないらしい。
やがて、詩織さんはハッと我に返ると、眉をひそめて苦言を呈してきた。
「あ、あの……富岡さん。ハーレムというのは、やっぱり良くないと思いますよ」
語気こそ柔らかいが、その瞳には強い拒絶の色が浮かんでいた。
「シオンさんがそれを聞いても、絶対に反対すると思います……! そんなの、許してくれるはずがありません!」
本気で心配していることが痛いほど伝わってくる。
まともすぎる反応だ。
だが、俺の決意は揺らがなかった。
「大丈夫です。シオンさんならわかってくれますよ。俺の野望を……」
真面目な顔で頷く俺。
「わかってくれるわけありません……!」
詩織さんはがっくりと肩を落とし、頭を抱えて大きな溜め息をついた。
会話が完全に平行線をたどっていることを悟ったのだろう。
彼女は困り果てた表情で、俺をどう説得すればいいのか思案していたが、やがて何かを決心したように顔を上げた。
「……はあ。この話は、一旦おいておきましょう」
「いいのか?」
「良くないですが……今言っても無駄そうですから。……それより富岡さん、私の前期課題を手伝ってもらえませんか?」
「……課題?」
詩織さんの専門はプロダクト・テキスタイルデザイン学科だ。
そういえば以前、『パーソナル・リラクゼーション空間のためのテキスタイル提案』という課題に取り組んでいると言っていた。
「ああ、もちろん。鷹司さんの手伝いなら、喜んで請け負うよ」
俺が即答すると、詩織さんはほっと胸を撫で下ろした。
「ありがとうございます。それでは……着替えてきますので、少し待っていてください」
詩織さんはそう言うと、脱衣所へと向かっていった。
一人残された俺は、ローテーブルの前に腰を下ろした。
詩織さんの部屋は、いつ来ても綺麗に整理整頓されている。
棚には布地のサンプル帳やデザインのスケッチブックが並び、部屋全体に柔らかい石鹸と柔軟剤の甘い匂いが漂っていた。
* * *
数分後。
「……あの、お待たせしました」
脱衣所のドアが静かに開き、詩織さんが出てきた。
その姿を見た瞬間、俺は息を飲んだ。
着替えてきたのは、彼女が課題のために試作したというオリジナルのプロトタイプ・ルームウェアだった。
普段のダボッとした大きめのパーカーとはまるで違う。
薄手でしなやかなシルク混の生地が、彼女の魅力的な体のラインを余すところなく拾い上げていた。
鎖骨周りがすっきりと開いており、華奢な首筋とうなじが露わになっている。
生地越しでもはっきりとわかる、柔らかく美しい女性特有の曲線美。
地味な伊達メガネをかけたその姿には、普段隠されている清楚な色気が爆発的に漂っていた。
「……すごく似合っているよ、鷹司さん」
思わず素直な感嘆が口から漏れる。
「あ、ありがとうございます……っ」
詩織さんは顔を真っ赤にし、照れくさそうに部屋着の裾を指先でキュッと握りしめた。
「そ、その……課題用に『素肌に触れて最も心地よい生地』を目指して作ったんです。……手触りを確かめて、感想を言っていただけますか?」
「ああ、分かった」
俺は立ち上がり、詩織さんの目の前へと歩み寄った。
間近で見ると、生地の質感の滑らかさがよく分かる。
俺はそっと手を伸ばし、彼女の腕や肩のあたりの生地に触れた。
「……っ」
触れた瞬間、手のひらに吸い付くようなしっとりとした感触が広がった。
シルク混ならではの上質な柔らかさと、そのすぐ下にある詩織さんの体温が手に伝わってくる。
「……すごく柔らかくて、滑らかだ。肌に触れる感じが、信じられないくらい気持ちいいな」
「……よかったです」
感想を伝えていると、俺の頭の中にふと小さな疑問が浮かんだ。
(……待てよ? 生地の手触りを確かめるだけなら、ハンガーにかかった布地サンプルを触るだけでも十分なはずだ。なぜわざわざ自分が着用して出てきたんだ……?)
疑問の答えは、すぐに示された。
* * *
詩織さんは恥ずかしそうに視線を泳がせた後、潤んだ瞳で上目遣いに俺を見つめてきた。
「あ、あの……抱きしめてみてください」
「……え?」
耳を疑うような言葉に、俺は固まった。
「生地が全身を包み込んだときの感触を……確かめてほしいんです。だから……抱きしめてください」
顔から火が出そうなほど真っ赤になりながら、小さく両手を広げる詩織さん。
そのあまりにも可憐なおねだりに、俺の理性が抗えるはずもなかった。
俺は言われるがまま、彼女の華奢な体をそっと抱きしめた。
ギューッと密着するお互いの身体。
シルク混のしっとりとした生地越しに、詩織さんの温かい体温と、控えめながらも柔らかい胸の弾力が直に伝わってくる。
抱擁の強さに応じて、トクントクンと速い鼓動を打つ彼女の胸の鼓動までが、俺の胸板にダイレクトに響いていた。
ふわりと舞い散る、彼女の髪の毛の清潔な匂い。
「……どう、ですか?」
俺の胸に顔をうずめたまま、詩織さんが甘い吐息混じりに囁く。
「……すごく、幸せな気持ちになれたよ。君とこうしていると、離したくないと思えてくる」
「気に入って貰えて……よかったです」
安堵の息を漏らす詩織さん。
だが、彼女の体は緊張で小さく震えていた。
* *
抱き合ったまま、詩織さんがそっと顔を上げ、俺の耳元に唇を近づけてきた。
「……あの、富岡さん」
「ん?」
「……富岡さんは以前、私のお尻が……シオンさんとそっくりだと言ってましたよね?」
「……っ!?」
俺の身体が瞬時に硬直した。
大学からの帰り道で、詩織さんの後姿を見た時の――俺が感じたあの衝撃。
メンエスで出会った憧れの女性『シオンさん』のお尻の形が、目の前にいる詩織さんと完全に一致していたあの出来事だ。
詩織さんは耳まで真っ赤に染め上げ、モジモジと身体を小さく揺らしながら、悪魔的な魅惑の提案を小声で口にした。
「……ハーレムを諦めてくれるなら……お尻、触っても……良いですよ?」
(な……っ!!??)
俺の脳内で、巨大な雷が落ちたような衝撃が走った。
(白崎先輩と同じ手口だ……! というか、詩織さんまでハーレム阻止のために『お触り許可』を出してくるなんて……!)
しかも、白崎先輩のときと決定的に違う点があった。
それは、相手が『シオンさんと同じ形・そして、おそらくは同じ触感のお尻』を持っているということだ。
俺にとって、シオンさんのお尻は至高の聖域。
見ただけで分かる――
あの吸い付くような柔らかさ、あの極上の弾力、あの国宝級のライン。
それが今、目の前で「触っていい」と許可されているのだ。
「……ほんとうに、触ってもいいのか?」
俺の声が思わず震える。
「……はい。ハーレムを諦めると、約束してくれるなら……」
詩織さんは目をギュッと閉じ、恥ずかしさに耐えるように頬を染めながら、自分のお尻をほんの少し後ろへと突き出すようにしてアピールする。
* * *
薄手のシルク混ルームウェアに包まれた、豊満で綺麗な丸みを描くお尻。
布地越しでもわかるはずだ。
その圧倒的な柔らかさと弾力の質感は――。
俺の理性のタガが、音を立てて外れた。
吸い寄せられるように、俺の手が彼女の極上のお尻へと伸ばされる。
あと数センチで、あの国宝級の感触が手に伝わる——。
まさに、その時だった。
こん、こん!
静かな部屋の中に、ノックの音が鳴り響いた。
「っ……!?」
ビクッと肩を跳ねさせ、俺の手がピタリと止まる。
抱き合っていた詩織さんもハッと目を見開き、金縛りに遭ったように固まった。
こん、こん!
鳴りやまないノック音。
詩織さんの顔から一瞬で赤みが引き、みるみるうちに蒼白になっていく。
「あ……っ!!」
詩織さんは声を上げ、慌てて俺の身体から離れた。
「ど、どうしたんだ鷹司さん!?」
「あ、あの……! そういえば今日、熊川さんと栃谷さんが部屋に来る予定でした……っ!!」
頭を抱えて、あわあわと部屋の中を走り回る詩織さん。
「す、すっかり忘れてました……っ! どうしよう、こんな所を見られたら……っ! 男の人と部屋で二人きりなんて……っ!」
普段は冷静で真面目な彼女が、完全にパニックに陥っている。
(なるほど……俺を誘惑するのに夢中になりすぎて、友達が来る約束をすっかり忘れていたのか)
焦りまくる彼女のドタバタした姿を見ながら、(そういううっかりしたところも、すごく可愛らしいな……)と、どこか人ごとのように思っていた。
玄関のドアの向こうからは、聞き覚えのある元気な熊川さんの声が聞こえてくる。
栃谷さんもいることだろう。
「詩織〜? 来たよ〜!」
甘い誘惑の時間から一転、一気に訪れた修羅場の予感に、詩織さんは冷や汗を流すのだった。




