第14話 女子部屋の洗礼と、オタクの地雷
アニ研のもう一つのたまり場――
通称「女子部屋」の前に立った瞬間、空気の密度が一気に変わった。
甘い女の子の匂い……なんて幻想はどこにもない。
そこに満ちていたのは、無味無臭、いや『訳あり女子』が集った得体の知れない熱気と、近づく男を退けるオーラだった。
「みんなー、見学人を連れてきたよー」
『オタサーの姫』こと鳴海結衣さんが引き戸をカラカラと開け、明るい声を張る。
この段になって、ようやく二人も気が付いたようだ。
俺と弥太郎、賢吾の三人は、まるで敵国の陣地に丸腰で足を踏み入れさせられた兵士のように、恐る恐る足を踏み入れた。
部屋の中には、およそ十六名ほどの女子部員がたむろしている。
液晶タブレットに向かってペンを走らせる者、前期課題に取り組んでいる者、小声でおしゃべりに興じている者。
「ふーん……いらっしゃい」
「……」
結衣先輩の呼びかけに対して返ってきたのは、たった一人の薄い生返事と、あとは完全な無言だった。
誰一人としてこちらを振り向きもしない。
嫌悪や拒絶というよりも、男なんかに興味ありませんと言わんばかりの存在を無視するような、冷ややかなスルーだ。
(いや、何人かは、熱烈な視線を向けてきている……なんだこの重圧は)
無関心か、過度な興味かの二択――
俺が内心で息をのんでいると、部屋の最奥、壁際に積み上げられた段ボールの陰で小さくなっている影が目に入った。
パイプ椅子の上で体育座りをし、膝を抱えて気配を完全に消している男。
アニ研の音響担当、三年の『ハカセ』先輩だった。
音響の打ち合わせで呼ばれたらしいが、女子たちの放つ見えない圧力に完全に呑まれ、もはや敵国に捕らえられた「捕虜」のように縮こまっている。
目が合った瞬間、ハカセ先輩は助けを求めるような泣きそうな目で見つめてきたが、俺は静かに目を逸らした。
関わらないでおこう。
* * *
「あー、みんな作業中だから、ごめんね。こっちの机で資料見てよ」
オタサーの姫、鳴海さんが中央の長机を指差し、ドサリと厚みのあるファイルとキャラデザのラフ画を広げた。
気を取り直した弥太郎と賢吾が、おそるおそる資料を覗き込む。
「へえ……すごく上手ですね」
俺も素直に感心した。
卓上に広げられたキャラクターデザインのラフ画は、線の拾い方といい服のシワの表現といい、プロ顔負けの画力だった。
「でしょ? うちの作画陣は優秀だからね。――で、これが今年のアニメ制作のシナリオ概要」
鳴海さんが少し誇らしげに開いたページを読み進める。
ストーリーは実にシンプルだった。
【異世界に聖女として召喚された主人公(女の子)だったが、見た目が聖女っぽくないと王子から偽物扱いされ、王城で冷遇される。しかし、彼女は本当に聖女であり、回復魔法は規格外だった。その価値を見抜いた無口な騎士団長や騎士たちから溺愛されていく――】
いわゆる、Web小説やライトノベルで定番中の定番と言える王道テンプレ展開だ。
「これ、私が書いたシナリオなんだ。みんなでコンペして採用してもらったの」
「おおっ! めちゃくちゃ面白いじゃないか、鳴海さん!」
弥太郎がここぞとばかりに声を張って持ち上げる。
「そうだね! テンポも良いし、話も分かりやすい、何より騎士団長が格好いい! これなら絶対ウケるって!」
賢吾も大きく頷き、オタサーの姫へのおもねりを隠そうともしない。
鳴海さんは「えへへ、ありがとう」と嬉しそうに頬を緩ませた。
だが、その和やかな空気を切り裂くように、背後から底冷えするような低い声が響いた。
* * *
「――本当に、そう思っているんですか?」
ビクッと肩を揺らして振り向くと、そこには一人の女子部員が立っていた。
小柄な体にダボついたパーカー、短髪に丸メガネ。
そして、その奥にある目の下には、濃いクマが刻まれている。
二年のアニ研部員で、通称は確か――
苗字をそのまま愛称にした「オザキちゃん」だ。
オザキちゃんはボソボソとした、しかし怒りを孕んだ早口で捲し立て始めた。
「こんなテンプレ、誰でも書けますよ。手っ取り早く評価を得るために、他人の作ったフォーマットをなぞってるだけじゃないですか」
「えっ……オザキちゃん?」
オタサーの姫が戸惑いの声をあげるが、オザキちゃんの怨念めいたマシンガントークは止まらない。
「Webのランキングを独占してるのは実力のない連中ばかりだし、それを見過ごして似たような本ばかり出す出版社の糞編集も同罪です。……私は、私なりにキャラクターの心理描写を突き詰めたオリジナル作品を書いて、交流も頑張ってWebコンテストで中間選考まで残ったのに……、これでようやく正当な評価を受けられると思って編集部からの電話をドキドキして待っていたのに、いつまでたっても何の音沙汰もない……。結局、評価されるのはこういうスカスカなテンプレばかり……っ!」
彼女のメガネの奥の目が、怒りと屈折した情熱で血走っている。
「お前らみたいな、テンプレをお気楽に『面白い』とか評価する無責任なユーザーがいるから、業界全体が腐っていくんですよ! お前らはこの業界の癌だ! 創作を舐めるな!」
男三人に向けられた激しい罵倒。
自分が選ばれなかった悔しさと、流行への嫉妬が混ざり合った、オタクの最も痛々しくも生々しい地雷の爆発だった。
鳴海さんのシナリオが部内のコンペで選ばれたのは多数決の結果であり、不正行為はしていないだろう。
俺たちを利用した完全な八つ当たりだ。
しかし鳴海さんは攻撃されたからといって、誰かを傷つけるような人柄ではない。
優しすぎる鳴海さんは「ご、ごめんねオザキちゃん……私のシナリオじゃ不満だったよね……」と申し訳なさそうに俯いてしまった。
弥太郎と賢吾は完全に気圧され、青ざめて口を固く閉ざしている。
* * *
静まり返る女子部屋。
いつもなら、俺も面倒事を避けるために沈黙を守るところだった。
だがこの時は、胸の奥でカチリと何かが噛み合う音がした。
これはいつもの『ククリちゃんの呪い』ではない。
俺は寡黙な方だが、たまに――
はっきりと自己主張するときがあるのだ。
年に一度あるかないかだが、それがたまたま今、出てしまった。
「……君の主張が正しいかどうかはともかく」
俺の声が、静寂に包まれた部屋に響いた。
オザキちゃんがギロリと殺気立った視線を俺に向ける。
俺は淡々と、頭の中で『そう思った』事実だけを言葉にした。
「今回、君たちが制作するのは、たった五分の短編アニメだ。世界観の説明や複雑なキャラの人間ドラマを描く尺なんて最初からない。ダイジェストで進行しても、キャラクターの立ち位置とストーリーが伝わるテンプレシナリオを『多数決』で採用したのは、『正解』だと思うけど」
「な……っ!?」
オザキちゃんが絶句する。
「オリジナリティを追求するのは君の勝手だし、Webコンテストの結果に納得がいかないのも君個人の問題だ。それは尊重しよう。でも――それをアニ研の活動に持ち込むのは筋違いじゃないか?」
「っ――――――!!」
感情論ではなく、制作上の純粋なロジックと正論。
言い返そうと口を大きく開けたオザキちゃんだったが、言葉が喉に詰まったように声が出ないようだ。
彼女自身、頭のどこかでは理解していたはずの現実を、普段から見下している底辺男子に、一番突かれたくない角度から正確に刺されたからだ。
オザキちゃんの顔がみるみるうちに真っ赤になり、やがて悔しさと恥ずかしさで固まった。
「あ……うっ……」
ポロポロと目に涙をためながら、彼女は歯を食いしばり、必死に明後日の方向を睨みつけて押し黙ってしまった。
* *
(あ、やってしまったか……?)
余計なことを言った自覚はあるが、言った内容は一ミリも間違っていないはずだ。
だが、部屋の空気はオザキちゃんが捲し立てていた時以上に、致命的なまでに冷え切ってしまった。
女子部員たちの刺さるような視線が俺に集まる。
気まずい。
あまりにも気まずすぎる。
この極限の空気に耐えかねた弥太郎が、どうにか場の雰囲気を和ませようと、あからさまに声を張り上げた。
「お、おう、まあそう怒るなって、遊技! それにしてもさ! このメインヒロインのキャラデザ、めちゃくちゃ可愛いよね! すっごくスタイルも良いし……これ絶対、モデルは鳴海さんでしょ!?」
弥太郎なりに鳴海さんを褒めて場を収めようとした、渾身の助け舟だった。
――しかし。
それが、この女子部屋において「最大の地雷」を踏み抜く行為だということに、哀れな弥太郎は気づいていなかった。
ズシン、と床が重く響いた。
部屋の奥から、圧倒的な存在感を放つ影がゆっくりと立ち上がる。
ダボダボのグレーのジャージを身に纏い、丸々と太った巨体。
三年生でキャラデザの総作画監督を務める、『鬼塚』先輩だった。
鬼塚先輩は不機嫌そのものの濁った瞳で弥太郎を睨みつけながら、ドシ、ドシ、と床を揺らして歩み寄ってくる。
その全身から撒き散らされる圧迫感に、弥太郎の顔から血の気が引き、声が引きつった。
「え……あ、あの……鬼塚先輩……?」
鬼塚先輩は弥太郎の目と鼻の先で足を止めると、舌打ち混じりに吐き捨てた。
「――モデルは私だ。見りゃ解かるだろ」
「ひえっ……!?」
弥太郎の悲鳴が部屋に響き渡る。
あまりにも無理のある主張と、それを一切否定させない絶対的な圧力。
怒りと不満を全身からオーラのように噴き出す鬼塚先輩が、圧迫感満載で俺たち男三人を追い詰めていく――。




