第17話 心の力
「次は、村の警備を任せる」
司祭の言葉に、アレンは背筋を伸ばした。騎士に認められてから初めての任務だ。
「王都の北に、灯谷村という村がある。駐在していた騎士が怪我をしてな。治療のために村を離れている」
「魔物にやられたんですか?」
「倒れた柵の修理中に、脚を挟まれたそうだ」
「……それは、気をつけます」
隣でエルシーが頷いた。
「アレンもやりそうね」
「まだ何もしてないだろ」
司祭が咳払いをすると、二人とも前を向いた。
「交代の騎士が着くまで、二週間。村の周辺を見回り、畑へ寄ってくる魔物を追い払ってほしい。宿と食事は村で用意する」
「私たちも、一緒に滞在してよろしいのでしょうか」
ルナが尋ねた。
「ああ。魔導院からも許可は出ている。村の治療所へ届ける薬があるので、使い方を説明してやってくれ。エルシーには、駐在騎士へ引き継ぐ記録を頼みたい」
「分かりました」
エルシーが手帳を開く。二週間、同じ村で暮らすことになる。必要なものを考えていると、アレンが口を開いた。
「村を守るのは、俺一人ですか?」
「見張りをする村人はいる。だが、危険があればお前が判断しなければならん。手に負えない相手なら、村人を逃がして応援を呼べ」
「はい」
「それから、村にガロという老人がいる。私から来たと言えば分かる」
「その人も騎士なんですか」
「昔、騎士団で稽古をつけていた。今は引退しているが、助言はもらえるだろう」
アレンの顔が明るくなった。
「俺も教えてもらえますか?」
「本人に頼みなさい。あの人が素直に引き受けるかは知らん」
「司祭様でもですか?」
「私も、ずいぶん叱られたからな」
司祭はそれ以上は言わず、薬の受取書を差し出した。
アレンが手を伸ばすより早く、ミルが机に飛び乗る。紙を踏みそうになったので、ルナが抱き止めた。
「ミルさんも、二週間は村暮らしですね」
「昼寝ばかりになりそうね」
エルシーが言うと、ミルはルナの腕に収まったまま目を閉じた。
◇◇◇
村へ向かう荷馬車に乗り、王都を出て三日目。山道を登り始めると、御者のケルが三人へ仕事を説明してくれた。
「朝と夕方に畑を回ってくれりゃ助かる。夜は俺たちも交代で見張るよ。毎晩一人で起きてなくていいからな」
「魔物はよく出るんですか?」
「畑に小さいのが来るくらいだ。追えば逃げる。たまに逃げねえのがいるから、そいつを頼みたい」
エルシーが書き留める横で、アレンは道を見ていた。
山側は木が茂り、反対側には畑が広がっている。村までは、もうそれほど遠くないらしい。
「ガロさんって、どんな人なんですか」
「会えば分かる」
「厳しい人?」
「口うるさい人だな。うちの納屋を直してくれたときも、釘の打ち方で半日叱られた」
「半日も?」
「でも次の日、道具を一式持ってきてな。次は自分でやれって置いてった」
「面倒見のいい人なんですね」
エルシーが言うと、ケルは肩をすくめた。
「そんなこと本人に言うなよ。次からやってくれなくなる」
荷馬車が曲がり角へ差しかかったところで、馬が止まった。
ケルが手綱を引く。道を塞ぐように、黒い獣が立っていた。
猪だ。だが、アレンが知っているものより二回りは大きい。口の両側から牙が伸び、片方には折れた柵が引っかかっている。
「あいつか」
ケルが舌打ちした。
「最近、畑を荒らしてる奴だ。町へ出る前にも見た。追っ払っても、また戻ってくる」
アレンは荷台から降りた。ミルをルナへ預け、剣を抜く。
「馬車を下げてください。俺が森の方へ追います」
「アレン、突っ込まないでよ」
「分かってる」
剣の腹で柵を叩いた。猪が顔を向ける。
アレンは山側へ回った。こちらを追ってくれば、馬車から離せる。だが、猪は一度アレンを見ただけで、鼻先をまた荷馬車へ向けた。
「こっちだって!」
石を投げる。背に当たった。
猪が唸り、地面を蹴った。
馬車へ。
「ルナ!」
青い障壁が馬の前へ立つ。猪の牙がぶつかり、光に亀裂が走った。
アレンは横から剣を振り下ろした。牙に刃を当て、頭を外へ向けようとする。
押し切れない。
剣を握る腕が跳ね上がり、猪の肩に胸を打たれた。息が詰まる。後ろへ倒れそうになりながら、アレンは脚を踏ん張った。
「ケルさん、馬をこっちへ!」
エルシーが道の脇へ走る。ケルが手綱を引き、馬車がわずかに向きを変えた。
その前で、ルナの障壁が割れる。
猪が踏み込んだ。
「下がれ、若いの」
知らない声がした。
山側の斜面から老人が下りてくる。持っていた杖を猪の牙へ差し込み、短く踏み込んだ。
猪の頭が跳ね上がった。重い身体が道から逸れ、畑の土へ転がる。
アレンは剣を構えたまま、動けなかった。
猪が起き上がる。老人は追わず、杖で地面を一度叩いた。獣は彼を睨んでいたが、やがて身をひるがえし、森へ逃げていった。
「追うなよ」
「……はい」
老人が振り返った。
「目の前で腹をすかせた獣に石を投げる奴があるか」
「俺の方へ来ると思って」
「来なかったらどうする」
アレンは黙った。老人は荷台を指す。
「あいつが嗅いでいたのは、その飼料だ。お前じゃない」
ケルが御者台から顔を出した。
「助かったよ、ガロ爺さん」
三人が老人を見る。
「あなたが、ガロさん?」
「司祭のところから来たのか」
「はい。騎士のアレンです」
「その徽章で分かる。どこか打ったか」
ガロはアレンの返事を待たず、胸と肩を確かめた。ルナにも怪我がないか尋ね、それからケルへ荷馬車を進めるよう言った。
「杖一本で、あれを……」
ルナがつぶやく。ガロは聞こえていたらしく、彼女を振り返った。
「杖が珍しいのか」
「いえ。魔法を使ったようには見えなかったので」
「使っとらん」
「だったら、どうやって?」
アレンが尋ねると、ガロは面倒そうに眉を寄せた。
「村まで歩きながら話せ。道を塞ぐな」
◇◇◇
灯谷村は、谷の斜面に沿って家と畑が並ぶ小さな村だった。
ガロは薬を治療所へ運ばせ、三人を集会所へ案内した。ここで寝泊まりして、食事は隣の家で分けてもらうことになるという。
「村の入口と奥の畑。それから水場までが見回りの範囲だ。あとで案内する」
「ガロさんも、見回りを?」
「騎士が来るまでの間だけだ。いつまでも爺さんに働かせるな」
「明日から俺たちがやります」
「頼んだぞ」
荷を下ろすと、アレンは改めて頭を下げた。
「稽古をつけてください」
「荷もほどかんうちから、それか」
「さっきの猪を止められなかった。ああいうのが村へ来たら、今の俺じゃ……」
ガロはアレンを見た。それから、ルナへ目を向ける。
「お前もか」
「はい。私の魔法では、止めておけませんでした」
「私は、どうすればいいのか分からなかったわ」
エルシーも口を開いた。
「助けを呼ぶにも、村まで走っていたら間に合わないでしょう。二人に任せて見ているだけになるのは、嫌だから」
ガロはしばらく黙っていたが、やがて指を一本立てた。
「見回りを済ませてからだ。飯も食え。疲れた頭に教えても入らん」
「教えてくれるんですか?」
「同じことを二度言わせるな」
アレンは勢いよく頭を下げた。ルナとエルシーも、それに続いた。
その足元をミルが歩いていく。ガロの杖に鼻を寄せると、老人は杖を引いた。
「これは玩具じゃないぞ」
ミルは前脚を伸ばし、杖の先を押さえた。ガロはしばらくミルを見下ろしていたが、やがて杖を引くのをやめた。
夕方、村を一周したあと、ガロは三人を家へ招いた。翌朝の稽古について話すためだった。
ルナが茶を運ぶのを手伝い、戸棚から湯飲みを出そうとした。
「こちらも使ってよろしいですか?」
「そっちは置いておけ。上の棚にある」
「すみません」
「謝ることじゃない。女房のだ」
ルナは湯飲みを戻した。
「奥様は、今どちらに?」
「四十年も前に死んだ」
ルナの手が止まる。ガロは何でもないことのように、茶を注いだ。
「二十五だった。わしだけ、こんな爺さんになったわ」
ルナは返す言葉を見つけられなかった。ガロは盆を持って、アレンたちのいる部屋へ戻っていく。
「ほら、冷めるぞ」
戸棚を閉める前に、ルナはもう一度だけ湯飲みを見た。
四十年。自分が生きてきた時間より、ずっと長かった。
◇◇◇
「さっきの力は、魔法じゃないんですか」
アレンが尋ねると、ガロは頷いた。
「心の力だ。剣を使う者にも、魔法を使う者にも扱える」
「私にも?」
エルシーが自分を指した。
「やってみんことには分からん」
「強く思えば、力が出るってことですか?」
「それだけで出るなら、わしの畑は毎年豊作だ」
ガロは湯飲みを置いた。
「何をしたいか分からんまま、ただ力を出そうとしても続かん。明日はまず、自分が何をしたいのか考えてこい」
「強くなりたいです」
「だから、強くなって何をする」
アレンは考えた。ルナとエルシーも黙っている。
「今すぐ答えんでもいい。二週間は、ここにいるんだろう」
ガロが茶を注ぎ足した。
「明日は朝飯を食ってから来い。空腹で転ばれても困る」
「転ばされるのは決まってるんですか?」
「立っていられたら、褒めてやる」
アレンはそれ以上言わず、湯飲みに目を落とした。強くなって、何をするのか。猪の牙を受けた腕が、まだ少し痺れていた。
開けていた窓から風が入り、アレンの足元でミルが耳を動かした。




