第14話 塔からの光
再び揺れが来た。今度は馬車の車輪が跳ね、積まれていた測量棒が音を立てて落ちる。騎士の一人が馬をなだめた。
森の外からも、車輪の音が聞こえた。街道を一台の荷馬車が走ってくる。
「アレン、あそこ」
エルシーが指さした。塔から離れた街道の端で、土の隙間が赤く光っている。御者はまだ気づいていない。
アレンが駆け出した。
「馬車を止めてくる!」
ミルはその肩へ爪を立て、身体を低くする。
「待って、私も行く!」
エルシーがあとを追う。ルナは塔と街道を見比べ、魔導書を開いた。赤い光が何を意味するのか、まだ分からない。
ただ、荷馬車の車輪がその場所へ近づいていた。
「止まれ!」
アレンは街道へ飛び出し、荷馬車に向かって両手を広げた。御者が手綱を引く。
「何だ、お前!」
「そこを通るな! 道が――」
足元で、赤い光が走った。地面が大きく揺れる。驚いた馬が前脚を上げ、荷馬車が横へ傾いた。
「飛び降りて!」
エルシーが叫ぶ。御者は手綱を離せずにいた。荷台の布の下から、小さな手が覗いている。
「中に人がいる!」
アレンは馬車へ駆け寄った。道の中央に亀裂が入る。車輪の片方が沈み、荷台がさらに傾いた。
アレンは布をめくる。中には、野菜の籠にしがみついた少年がいた。
「こっちへ」
手を伸ばすと、少年は首を横に振った。
「父ちゃんが――」
「お父さんも助ける。先に降りよう」
少年がアレンの手を取った。抱き上げた瞬間、沈んでいた車輪が大きく傾く。アレンは荷台を蹴り、道の脇へ飛び退いた。
エルシーが少年を受け取る。
「森の方へ走って。振り返らないで」
少年は何度も御者を見ながら、エルシーに連れられて道を離れた。
アレンは馬車へ戻る。馬は暴れ、御者は手綱と荷台の間に足を挟まれていた。引き抜こうとしても、車輪が道へ沈むたび荷台が揺れる。
「馬を頼む!」
後ろから駆けてきた騎士へ声をかける。騎士が馬の頭を押さえた。アレンは御者の足を挟んでいる木枠へ剣を入れる。
一度では割れない。地面の亀裂が、馬車の下まで伸びた。
「もう一回だ!」
アレンは剣を振り下ろした。木枠が裂ける。御者の腕を引いて馬車から離れた直後、車輪のあった場所が崩れた。荷台が道へ沈み、積んでいた籠が転がり落ちる。
少年が御者へ駆け寄った。
「父ちゃん!」
「大丈夫だ」
御者は足を引きずりながらも、息子を抱き寄せた。
アレンは崩れた道を見た。割れ目の底では、まだ赤い光が明滅している。
「ここだけじゃないわ」
エルシーが街道の先を指さす。土の下を、細い光が走っていた。道に沿って続き、木々の間へ消えている。
「人が来たら危ない」
「俺が道を塞ぐ」
騎士が言った。エルシーは首を振る。
「ここだけ通れなくしても、向こうで崩れるかもしれない。橋の方にも人がいたでしょう?」
「では、どうする」
「宿場まで知らせて。人を街道へ入れないでほしいの」
騎士は頷き、連れてきた馬へ走った。アレンが塔へ目を向ける。あちらでも赤い光が強くなっていた。
「エル、二人を頼む」
「分かってる。アレンはルナのところへ行って」
アレンが走り出すと、肩にいたミルが爪を立てた。
「落ちるなよ」
ミルは身体を低くし、塔を見つめたままだった。
塔の前では、ルナが魔導書を広げ、監察官と外壁を調べていた。
「街道が崩れた!」
アレンの声に、監察官が顔を上げる。
「怪我人は?」
「御者が足を痛めた。でも、歩ける。子供も無事だ」
「そうか」
監察官は短く息を吐いた。ルナは塔から地面へ続く赤い光を指さす。
「ここにも同じ線があります。塔の下を通って、街道の方へ伸びています」
「止められるのか?」
「まだ……」
ルナは口を閉じ、魔導書と壁を見比べた。
「塔の中も見せてください」
監察官が扉を開ける。塔の一階には、古い机と、壁に取りつけられた大きな円盤があった。円盤の表面に刻まれた線は、赤い光を帯びている。
「私たちが入ったときには、もう動いていた」
監察官が言う。
「触れば止まるかと思ったが、仕組みが分からない。調べている間に揺れが強くなった」
ルナは円盤へ近づき、線を目で追った。
「廃坑の装置と似ています。でも、同じではありません」
光は床から円盤へ入り、そこから二つに分かれている。一方は地面の下へ戻り、もう一方は壁の中を上へ伸びていた。
「この上は?」
ルナが尋ねる。
「観測室だ。階段がある」
三人は塔を上った。古い石段には埃が積もっていたが、ところどころに新しい靴跡が残っている。
アレンは足を止めた。
「監察官たちの跡ですか?」
「我々は上まで行っていない」
監察官は靴跡を見下ろした。
「ほかに、誰かがここへ入ったのか」
ルナは答えず、先へ進んだ。
最上階には、空へ向けた大きな硝子の筒があった。半分以上は板で覆われ、その根元には歯車と金属製の取っ手が並んでいる。赤い光は筒の下まで届き、行き場を失ったように周囲の溝を巡っていた。
「ここが止まってるから、下へ戻ってる……?」
ルナは小さくつぶやいた。
「どういう意味だ?」
アレンが尋ねる。
「魔力が上へ送られているのに、硝子の筒が塞がれています。戻った分が、地面の下へ流れているのかもしれません」
「かもしれない、か」
監察官の問いに、ルナは頷いた。
「間違えていたら危険です。少し時間をください」
監察官は階下から響く振動を聞いた。
「街道に人を入れないよう伝令を出した。確かめられることは確かめてくれ」
ルナは魔導書を開き、筒の根元に刻まれた文字を一つずつ読んでいった。アレンは横に立って待つ。何かできることを探して金属の取っ手に目を向けたが、触れなかった。
「アレンさん」
「何だ?」
「そちらの板を見てください。内側に何か書かれていませんか」
アレンは硝子の筒を塞ぐ板へ回り込んだ。埃を手で払うと、短い文字が現れる。
「読めない」
「形だけでも教えてください」
アレンは指で文字をなぞり、ルナへ見せた。
「これに似てるか?」
「もう少し右です。……あ、それです」
ルナが魔導書の頁をめくる。
「外へ流すときの操作が書かれています。ただ、この板を開けるには、下の円盤も合わせて動かさないといけません」
「一人じゃできないのか」
「はい。別の階ですから」
監察官が立ち上がった。
「私が下へ行こう」
「待ってください。手順を先に確認します」
ルナは二人へ説明した。一階の円盤を決められた位置で止め、その間に最上階の板を開く。どちらか一方だけを先に動かすと、集まった魔力が別の道へ流れる可能性がある。
説明を聞き終え、監察官は一階へ下りていった。アレンは板の取っ手を握る。
「合図はどうする?」
「階段なら、声が届くと思います」
「分かった」
下から監察官の声が響いた。
「円盤に手をかけた!」
ルナは板の横へ手をかざす。淡い青い光が、赤く光る溝の周囲に広がった。
「今です!」
「動かすぞ!」
階下で金属が軋む。同時に、アレンが取っ手を引いた。
動かない。
「固いな……!」
両足を踏ん張り、もう一度引く。板がわずかに持ち上がった。隙間から夕暮れの光が差し込む。だが、赤い光が筒の根元へ集まり始めた。
ルナの青い光が、その流れを押しとどめる。
「アレンさん、もう少し!」
「分かってる!」
アレンは取っ手を引き上げた。板が開き、硝子の筒の先に空が現れた。赤い光が筒の中を駆け上がる。強い光が空へ伸び、塔の上で大きく広がった。
アレンは思わず目を閉じた。風が室内を吹き抜ける。
やがて光は細くなり、消えた。塔を揺らしていた振動も止まっている。
「……止まった?」
ルナは魔導書を抱えたまま、足元を確かめた。
「たぶんな」
アレンが答える。
「まだ、たぶんです」
ルナは窓から街道を見下ろした。地面の赤い光は見えない。森の入口にはエルシーが立ち、近づいてきた人々を引き返させていた。アレンの姿に気づくと、大きく手を振る。
アレンも振り返した。
階段を上ってきた監察官が、開いた硝子の筒を見上げる。
「君たちがいなければ、街道の崩落を止められなかった」
「まだ装置の調査は終わっていません」
ルナが言う。
「ええ。誰が動かしたのかも、分かっていない」
監察官は床の新しい靴跡へ目を向けた。アレンもそれを見る。
塔には誰かが入った。だが、連れ去られた魔族がここにいたと分かるものは、まだ何一つ見つかっていなかった。
「いや、何はともあれ、よくやった。君はアレンだったね。そっちのお嬢ちゃん、名前は?」
「ルナといいます」
「アレンにルナ。今日は助かったよ」
監察官は窓の外へ目を向けた。森の入口では、エルシーが近づいてきた人々を引き返させている。
「あの赤い髪の子は?」
「エルシーです。俺たちの仲間です」
「そうか。彼女にも礼を伝えないとな」
アレンの肩では、ミルが開いた窓の外を見つめていた。空の赤は、少しずつ夜に溶けていく。
光の名残だけが、薄い雲のように西の空に残っていた。




