第13話 使われていない観測塔
王都の門を出てから、アレンは何度か後ろを振り返った。
「忘れ物?」
エルシーが尋ねる。
「いや。今度は本当に三人で来たんだなと思って」
「廃坑にも三人で行ったじゃないですか」
ルナが言うと、アレンは頷いた。
「そのときは司祭に頼まれて来た。でも今回は、ルナが自分で行くって決めたからさ」
「……はい」
ルナは背負った鞄の紐を握り直した。魔導書と術具が詰まった鞄は重い。それでも、まだアレンに渡すつもりはないらしい。
「無理はしないでね」
エルシーが言う。
「はい。重くなったらお願いします」
「俺が持つぞ」
「まだ大丈夫です」
「まだ、か」
アレンが笑うと、ルナも少しだけ笑った。アレンの肩では、ミルが二人を見比べている。やがて興味を失ったように向きを変え、街道の先へ顔を向けた。
観測塔は王都の東、山間の城塞都市へ続く街道から外れた森にある。古い地図には塔まで道が描かれていた。百年以上使われていないという話が本当なら、今も通れるかどうかは分からない。
昼過ぎ、三人は街道沿いの小さな宿場へ着いた。エルシーが保存食を買い足す間、ルナは店先の長椅子に座り、魔導書を開いていた。
ミルがアレンの肩から降り、長椅子の端へ飛び乗る。ルナは本が踏まれないよう、少しだけ自分の方へ引き寄せた。
「何見てるんだ?」
アレンが隣へ腰を下ろす。
「観測塔に残っていそうな、古い術式です。行ってから読めなかったら困りますから」
ルナは頁をめくった。
「ルナでも読めないものがあるのか?」
「ありますよ。私、昔は魔法もろくに使えませんでしたし」
指で文字を追いながら、ルナは続けた。
「生まれた村では落ちこぼれで、周りから浮いちゃってて。だから、せめて本に書いてあることくらいは覚えようと思ったんです」
「今は違うだろ?」
「それは、どうでしょうか……」
ルナは変わらず、次の頁をめくろうとした。
「ルナ」
アレンは、その腕をそっとつかんだ。ルナが顔を上げると、アレンは真剣な目で彼女を見ていた。
「は、はい。何でしょうか」
名前を呼ばれただけなのに、胸がどきりと鳴った。頁にかけた指が止まる。
「俺はいいと思うぞ」
「……何がですか?」
「無理に変わろうとしなくていいってこと。分からなかったら、みんなで考えればいい」
「でも、私が役に立てなかったら……」
「一人で全部やらなくていい。俺たちもいるだろ」
ルナはすぐには答えられなかった。二人の間から、ミルがルナの膝へ移る。開いた本の上へ乗ろうとするので、ルナは空いている手でその身体を受け止めた。
「ミルさん、本が読めません」
ミルは膝の上で丸くなった。そこへ、紙袋を抱えたエルシーが戻ってきた。
「二人とも、何の話?」
「みんなで助け合えばいいって話さ」
エルシーの視線が、ルナの腕をつかんだままのアレンの手に止まる。アレンも気づき、慌てて手を離した。
「これは、本に集中してたから、ちゃんと聞いてほしくてだな」
「私、何も言ってないけど?」
「そういう顔をしてた」
ルナは、ふぅ、と息を吐いた。
「もう、アレンさん。びっくりさせないでください」
「悪い。痛かったか?」
「いえ。そうではなくて……」
ルナはミルを抱き上げ、魔導書を閉じた。
「ちゃんと聞いていました。ありがとうございます」
「ならよかった」
アレンが立ち上がると、エルシーは買ってきた紙袋を差し出した。
「保存食を選んできたよ。アレンがお菓子ばかり入れないように」
「俺だって、それくらい分かってる」
「昨日も砂糖菓子を一番に取ろうとしてたでしょう」
「食事のあとだっただろ」
ミルはルナの腕の中からアレンへ前脚を伸ばした。受け取ったアレンが肩へ乗せると、すぐにいつもの場所で落ち着いた。
宿場を出る前に、三人は主人へ観測塔までの道を尋ねた。
「東の橋を渡って、二つ目の分かれ道を北だ」
主人は森の方を指さす。
「昨日も同じことを聞かれたよ。塔に何かあるのかい?」
「昨日、誰が来たんですか?」
エルシーが尋ねる。
「王国の監察官だと名乗っていた。護衛の騎士も連れていたよ」
「監察官が、どうして塔へ?」
「森で塔の辺りが光るのを見たって話があって、調べに行くらしい」
「あなたも光を見たんですか?」
「いや。私は聞いただけだよ」
エルシーは手帳に書き留めた。三人は主人へ礼を言い、東の橋を渡る。
二つ目の分かれ道には、朽ちかけた道標が立っていた。北へ続く道は草に覆われ、地図がなければ見落としていたかもしれない。
「昨日の人たちは、馬車で入れたのかな」
エルシーが道の先を見た。
「進んでみれば分かるだろ」
アレンが草をかき分ける。ミルが肩から飛び降り、道の端の草を嗅ぎ始めた。
「ミル、置いていくぞ」
呼ぶと、ミルは顔を上げてアレンの後を追った。しばらくは足元を歩いていたが、草が深くなると外套をよじ登り、また肩へ戻る。
「歩きにくくなったのね」
エルシーが笑う。
「ちゃんと自分で戻ってくるから助かるよ」
しばらく進むと、枝が折られた場所があった。その先では、背の高い草が左右に倒れている。エルシーがしゃがみ、草の下を覗いた。
「車輪の跡がある」
「じゃあ、馬車も通れそうだな」
「途中までかもしれないけどね」
三人は森へ入った。道は狭く、進むにつれて地図を見ても現在地が分かりづらくなった。アレンが先に行きかけるたび、エルシーが足を止めて方角を確かめる。
「こっちじゃないのか?」
「待って。今、見てるから」
「道は続いてるぞ」
「続いていれば正しいとは限らないでしょう」
やがて木々の向こうに、黒ずんだ石の塔が見えた。上部の壁は一部が崩れ、空を観測するために設けられたという大きな窓も板で塞がれている。
塔の前には、二台の馬車が止まっていた。一台には測量に使うらしい棒や縄が積まれ、もう一台のそばには騎士が立っている。
「そこで止まれ」
アレンは命令書を取り出した。
「王都の大聖堂から来た。観測塔を調べるよう命じられている」
騎士が教会の印を確かめる。
「監察官も中を調べている。呼んでくるから、ここで待っていろ」
騎士が塔へ向かったあと、ルナは鞄から小さな魔力石を取り出した。廃坑の装置から採取したものだ。塔へ向けると、石の内側に淡い赤色が灯る。
「反応しました」
アレンとエルシーが覗き込む。
「廃坑から魔力が送られてるってことか?」
「まだ分かりません。同じような術式が近くにあるだけかもしれません」
ルナは石の向きを変えた。光が弱くなる。もう一度塔へ向けると、赤い光が戻った。
「塔の方に、何かはあります」
そのとき、ミルがアレンの肩で身を起こした。額の紋様がかすかに明滅する。
続いて、足元が揺れた。
三人が顔を上げる。馬車につながれた馬が耳を立て、落ち着かない様子で前脚を動かした。
塔の扉が開き、年配の男が護衛とともに出てきた。濃い紺色の外套の胸元には、王国の監察官を示す銀の徽章がある。
「王都から来たというのは君たちか」
「はい。騎士見習いのアレンです」
男は挨拶を返す前に、塔の足元を見た。
「話はあとで聞こう。まず馬車を離してくれ。中で妙な振動が続いている」
護衛たちが手綱を取り、馬車を動かし始める。
「さっきから揺れていたんですか?」
エルシーが尋ねた。
「今朝、塔の中へ入ってからだ。原因を調べていたが、揺れが強くなってきた」
ルナは魔力石を握ったまま、塔の壁へ目を向けた。石の継ぎ目に、細い赤い光が見える。
「さっきは、あんな光……」
「なかったわね」
エルシーが言った。
赤い光は壁を下り、地面の下へ消えていく。




