第12話 帰ってきた答え
ルナたち調査隊が戻る予定の日。アレンとエルシーは、日が傾く前から王都の西門で待っていた。門を通る馬車の数は次第に減り、外から来た商人たちも宿を探し始めている。
それでも、調査隊の馬車は現れなかった。アレンは何度も門の外へ続く街道を見ている。
「少し遅れてるだけだよ」
隣に立つエルシーが言った。
「廃坑まで馬車で半日以上かかるんだから。道がぬかるんでいたら、それだけでも遅れるでしょ」
「ああ」
そう答えながら、アレンはまた街道へ目を向けた。肩の上では、ミルも同じ方向を見つめている。
「アレンがそんな顔をしてたら、ミルまで落ち着かなくなるよ」
「どんな顔だ?」
「今すぐ一人で迎えに行きそうな顔」
「行かないぞ」
「本当に?」
「でも、もし」
「ルナは帰ってくるって言ったのよ。今は信じてあげなきゃ」
王都の鐘が夕刻を告げた。門番たちが、間もなく門を閉めるための準備を始める。アレンが街道へ踏み出しかけた、そのときだった。
遠くから車輪の音が聞こえた。一台の馬車が、夕暮れの街道を王都へ向かってくる。車体には泥が跳ね、片側の車輪がわずかに傾いていた。
御者台に座る聖堂騎士が、門番へ向けて手を上げる。
「調査隊だ!」
アレンが駆け出す。馬車が門の前で止まり、後部の扉が開いた。最初に降りてきたのは、白い外套を泥で汚した聖堂騎士だった。
続いて魔導院の研究員たちが降りてくる。最後に、見覚えのある大きな鞄が扉から現れた。ルナは鞄に引かれるように、慎重に馬車から足を下ろす。
青い髪には土埃がつき、外套の裾も汚れている。それでも、大きな怪我は見当たらなかった。
「ルナ!」
アレンに呼ばれ、ルナが顔を上げる。
「アレンさん。エルシーさん」
緊張していた表情が、ようやく緩んだ。
「ただいま戻りました」
「おかえり」
エルシーが笑う。アレンはルナの前へ立ち、怪我がないか確かめるように上から下まで見る。
「大丈夫なのか?」
「はい。帰り道で馬車の車輪が壊れて、少し遅くなってしまいましたが」
「それだけか?」
「それだけです」
「本当に?」
「昨日から数えると、これで八回目です」
ルナは背負っていた鞄を下ろし、アレンへ差し出した。
「お願いします」
アレンは一瞬だけ目を丸くした。
「今日は自分で持つって言わないんだな」
「言っても持っていくでしょう?」
「ああ」
「ですから、最初からお願いすることにしました」
アレンが鞄を受け取る。その重さで、腕がわずかに下がった。
「行く前より重くなってないか?」
「調査記録と、採取した術式の破片が入っています」
「これを背負ってきたのか?」
「だから、お願いしますと言ったんです」
ルナの口元が小さく緩んだ。
「報告は終わったの?」
エルシーが尋ねる。
「これからです。先に大聖堂へ向かわなければなりません」
調査隊の責任者が、騎士たちへ荷物を運ぶよう指示している。アレンはルナの鞄を背負った。
「俺たちも行く」
「ですが、報告の間は中へ入れないと思います」
「外で待ってる」
「終わるまで時間がかかるかもしれませんよ」
「待ってるよ」
エルシーも頷いた。
「帰ってきたら、みんなで食べる約束だったでしょ」
ルナは自分の鞄へ目を向ける。奥には、出発前に買った砂糖菓子が入っている。
「……はい」
三人は調査隊とともに大聖堂へ向かった。大聖堂へ到着すると、ルナは調査隊の責任者たちと奥の部屋へ入っていった。アレンとエルシーは、中庭の長椅子で待つことになった。
空が暗くなり、回廊の燭台へ一つずつ火が灯されていく。アレンの隣では、ルナの鞄が大きな場所を取っていた。
「遅いな」
「まだ入ってから、それほど経ってないよ」
「そうか?」
「アレンは少し落ち着いた方がいいね」
エルシーは鞄の横から伸びた紙の端を中へ押し戻した。
「調査記録って言ってたけど、何が見つかったんだろう」
「牢獄が本当に天使のものだったのか、分かったのかな」
「どうだろう。古い場所だったから、作った人が名札を残してくれているとは限らないし」
エルシーは腰の手帳へ手を置いた。
「でも、何もなかったことにはできないよ」
「ああ」
二人の足元では、ミルが閉ざされた扉を見つめている。やがて、奥の部屋の扉が開いた。最初に調査隊の責任者が出てくる。
その後ろから現れたルナは、何枚もの書類を胸元へ抱えていた。
「終わったのか?」
アレンが立ち上がる。
「はい。ひとまず、今日の報告は」
ルナの声には疲れがにじんでいた。エルシーはその顔を見て、書類の半分を受け取る。
「続きは宿で聞こう。まずは何か食べないと」
「ですが、まだ整理しておきたいことが……」
「食べながらでもできるでしょ」
エルシーはルナの背中を押した。
「今日はもう、私たちの言うことを聞いてもらうからね」
ルナは助けを求めるようにアレンを見る。
「俺も腹が減った」
「味方がいません……」
「ミルさんなら」
三人が足元を見る。ミルはすでに、宿へ続く回廊の方へ歩き出していた。
「ミルも腹が減ってるみたいだな」
「全員、エルシーさんの味方でした」
宿へ戻ると、三人は一階の食堂の隅にある席へ座った。温かいスープと焼いた肉が運ばれてくる。ルナは最初こそ書類を開こうとしていたが、エルシーに取り上げられ、先に食事をすることになった。
半分ほど食べ終えたところで、アレンが待ちきれずに尋ねる。
「それで、廃坑はどうだった?」
ルナは匙を置いた。
「私たちが見た牢と装置は、すべて残っていました。首輪を保管していた台も、魔力を集めるための術式も確認されています」
「調査隊の人たちも見たんだね」
「はい。少なくとも、あの場所で何者かが生き物から魔力を奪っていたことは、正式な記録に残されます」
エルシーの手が、腰の手帳へ伸びる。今度は迷わずページを開いた。
「天使が魔族を閉じ込めていたという話は?」
「それについては、まだ断定できないそうです」
ルナは胸元に下げた女神の聖印へ触れた。
「施設は、王国ができるよりも前に造られた可能性が高いそうです。壁に刻まれていた文字も、現在の教会で使われている祈祷文字の原型に近いものでした」
「それなら、天使が造ったんじゃないのか?」
アレンが尋ねる。
「同じ文字は、神話の時代に建てられた遺跡でも使われています。文字が同じというだけでは、造った者までは決められないと」
「慎重なんだね」
エルシーがつぶやく。
「はい。でも、引き続きこちらで調査を進めるとのことです」
「ほかに、何か見つかったのか?」
アレンが尋ねる。ルナは持ち帰った書類の中から、一枚の紙を取り出す。そこには、複雑な円と線が描かれていた。
廃坑の部屋で見た術式を、書き写したものだった。
「首輪で奪った魔力は、あの場所に蓄えるためのものではありませんでした」
アレンは紙を覗き込み、術式の外へ長く伸びた線を指さす。
「この線は何だ?」
「集めた魔力を運ぶためのものです」
「運ぶ?」
「はい。廃坑の装置は、首輪から集めた魔力を一時的にまとめ、別の場所へ送り出すために造られていました」
ルナは線の先に残された文字を指でなぞる。
「送り先を示す記号は大部分が削られていました。ただ、調査隊の方が壁の一部を外したところ、その奥にも同じ記号が残っていたんです」
「それは読めたの?」
エルシーが尋ねる。
「完全には。ですが、古い地図と照らし合わせて、場所を一つまで絞ることができました」
ルナが地図を取り出し、机の上へ広げる。王都から東へ伸びる街道。その先には、山間の城塞都市が記されている。
ルナの指は、その手前にある森で止まった。
「王都の東にある、古い観測塔です」
「今も使われているのか?」
「公式には、百年以上前に放棄されたことになっています」
「だったら、もう誰もいないんじゃないか?」
「そのはずなのですが……」
ルナは持ち帰った小さな魔力石を、布の上へ置いた。
「廃坑の装置から外したものです。石そのものは新しく、使われ始めてから数年も経っていません」
エルシーが魔力石と地図を見比べる。
「放棄された廃坑の装置を、最近になって誰かが動かしたってこと?」
「はい。それだけは間違いありません」
「カイさん以外の魔族は?」
エルシーが尋ねる。ルナは小さく首を横へ振った。
「廃坑にはいませんでした。ただ、牢の奥から複数の搬送記録が見つかりました。ヴァイスさんの集落から消えた方々が含まれているかは、まだ分かりません」
「記録には何て?」
「個体番号と、回収した魔力の量。それから、別の施設へ移したという記述がありました」
アレンは地図の観測塔を見る。
「そこへ運ばれたかどうかは、まだ分からないんだな」
「はい。観測塔は魔力の送り先として残されていただけです。搬送された方々の行き先と同じだとは限りません」
「それでも、調べる必要はありそうだね」
エルシーの言葉に、ルナが頷く。
「大聖堂も、観測塔へ人を送ることを決めました。アレンさんとエルシーさんには、明日、正式な話があるそうです」
「ルナには?」
エルシーが尋ねた。ルナは膝の上で指を重ねた。
「私は、行かなくてもよいと言われました」
「どうしてだ?」
「廃坑の調査は終わりましたし、観測塔には別の研究員が同行するそうです。私はまだ正式な研究員ではありませんから」
声に落胆が混じった。だが、ルナは顔を上げる。
「それでも、私は行きたいと思っています」
「怖くないの?」
エルシーが静かに尋ねる。
「怖いです」
ルナは迷わず答えた。
「廃坑でも、何度も怖いと思いました。術式を読み間違えたらどうしよう。私のせいで、誰かが傷ついたらどうしよう、と」
傍らに置いた魔導書へ、そっと手を重ねる。
「調査の途中で、床の下に術式が隠されていたんです。以前見たものと線の組み方が似ていたので、皆さんに止まっていただきました」
「罠だったのか?」
「踏んだ者から魔力を吸い取る仕掛けでした。あのまま進んでいたら、動けなくなる方が出ていたと思います」
「お手柄じゃない!」
「はい。調査隊の方からも、私が気づかなければ危なかったと言っていただきました」
ルナは魔導書の表紙をゆっくりとなぞった。
「自分が学んできたことにも、誰かを助けられるだけの意味があったのだと思えたんです」
一度だけ深く息を吸い、二人の顔を見る。
「ですから、命令されたからではなく、私自身の意思で行きたいです」
ルナは背筋を伸ばした。
「私も、お二人について行ってよろしいでしょうか」
「もちろん大歓迎よ」
エルシーが真っ先に答えた。アレンも当然のように頷く。
「もう一緒に行くものだと思ってた」
「本当ですか?」
「ああ。一緒に廃坑へ入って、助け合って、飯も食べただろ」
「それは、そうですが……」
「なら、もう仲間だ」
ルナは目を瞬いた。エルシーが隣からアレンの腕を軽く叩く。
「そういう大切なことは、もう少しちゃんと言いなさい」
「ちゃんと言ったつもりだけど」
「今のはアレンにしか分からない言い方なの」
エルシーはルナへ向き直り、片手を差し出した。
「これからもよろしくね、ルナ」
ルナはその手をしばらく見つめた。やがて、両手で大切そうに握る。
「はい。よろしくお願いします」
その足元へ、ミルが歩いてきた。
「ミルさんも、よろしくお願いします」
ルナが手を伸ばす。ミルはその指先へ額を預け、金色の目を細めた。
「これで三人と一匹だな」
アレンが言う。
「今までも、ほとんどそうだったでしょう?」
エルシーが笑う。
「でも、今日からは正式に」
ルナも小さく笑った。
「あっ」
何かを思い出したように、鞄の中を探る。取り出したのは、色とりどりの砂糖菓子が入った硝子瓶だった。割れることなく、出発前と同じ姿で残っている。
「約束していましたから」
ルナが瓶を机の中央へ置く。エルシーが蓋を開けると、アレンの手が真っ先に伸びた。その手を、エルシーが軽く叩く。
「一人一つ」
「たくさん入ってるぞ」
「ルナが持って帰ってきたものなの」
「それでは、アレンさんは二つでも」
「甘やかさなくていいから」
エルシーは三色の砂糖菓子を取り出し、アレンとルナへ一つずつ渡した。最後に小さな欠片を選び、ミルの前へ置く。ミルは匂いを嗅いだが、口にはしなかった。
「やっぱり食べないんだな」
「でも、数には入ってるからね」
三人は砂糖菓子を口へ運ぶ。甘い味が、食事を終えたあとの舌にゆっくりと広がった。翌朝、大聖堂から正式な命令が届いた。
目的地は、王都の東に残された古い観測塔。失踪した魔族と、首輪を作った者の手がかりを追うための旅だった。命令書には、アレンとエルシーの名前が並んでいる。
その隣へ、ルナが自分の名を書き加えた。三人が王都の門をくぐる。アレンの肩には、いつものようにミルが乗っていた。




