第10話 帰ってくる約束
翌朝、アレンたちは王都の中央広場で待ち合わせた。先に来ていたルナは、噴水の縁に腰かけ、膝の上に広げた紙を何度も確かめていた。紙には、廃坑の調査に必要な品が細かな字で書き並べられている。
予備の魔力石。
術式を書き写すための紙とインク。
解毒薬。
保存食。
防寒具。
その下にも、まだ小さな文字が続いていた。
「ずいぶん多いな」
背後から紙を覗き込んだアレンに、ルナの肩が跳ねた。
「アレンさん。いつからそこに?」
「今来たところだ」
「なら、声をかけてください」
「かけたぞ」
「紙を覗き込む前にです」
ルナは慌てて一覧を折りたたんだ。アレンの肩では、ミルが眠そうに目を細めている。少し遅れて、広場の向こうからエルシーが駆けてきた。
「ごめん、待たせた?」
「俺たちも今来たところだ」
「よかった。じゃあ、まずは何を買うの?」
ルナが折りたたんだ紙を開く。
「調査隊から基本的な道具は支給されます。ただ、自分で扱う術具や資料は用意するように言われています」
「それなら、魔導具店から回ろう」
「待って。その前に食料品店」
エルシーが人差し指を立てた。
「保存食は後でも買えるだろ?」
「後回しにすると、アレンは干し肉と硬いパンだけで済ませようとするでしょ」
「持ち運びやすいぞ」
「食事としては味気ないの」
「廃坑を調べに行くんだから、味は関係ないんじゃないか?」
「アレンにだけは言われたくないわね」
二人のやり取りを聞きながら、ルナが小さく笑った。三人は市場へ向かった。朝の通りには露店が並び、焼きたてのパンと香辛料の匂いが漂っている。
エルシーは干した果物やチーズを選び、店主と値段を相談していた。その隣では、アレンが大きな保存食の袋を次々とルナの鞄へ入れている。
「アレンさん、私そんなに食べられませんよ?」
「任せとけって」
「で、でも私」
「ここをこうすれば」
「ア、レ、ン?」
いきなりエルシーに顔を覗き込まれたアレンは、思わずしりもちをついた。
「ご、ごめんなさい。調子に乗りましたエルシーさん」
ルナは笑顔を見せる。
「お気持ちはうれしいんですけど、さすがにこんなには食べられません」
ルナが持ち上げようとした鞄は、地面からほとんど動かなかった。アレンも取っ手を握り、その重さを確かめる。
「重いな」
「誰のせいでしょうか?」
どこか嬉しそうなルナを遮るようにして、アレンは鞄を持ち上げた。
「持つよ」
「……よろしくお願いします」
ルナは再び笑った。
次に三人が向かったのは、魔導院に近い術具店だった。狭い店内には、色の異なる魔力石や細い金属棒、用途の分からない硝子瓶が所狭しと並んでいる。
ルナは店主に紙を見せ、必要な品を一つずつ選んでいった。
「この魔力石は、少し純度が低いですね」
「違いが分かるのか?」
アレンが赤い石を光へ透かす。
「色の濁り方で、ある程度は分かります。純度が低いと術式へ流す魔力が安定しません」
「俺には全部同じに見える」
「それを勝手に触ると、指先がしびれますよ」
アレンがすぐに石を戻した。エルシーが呆れたように笑う。
「注意される前に触るのをやめなさい」
「触ったあとに言われたんだから仕方ないだろ」
「そういうところを無茶って言うの」
必要な術具を揃えたあと、ルナは店の奥に置かれた小さな杖へ目を留めた。先端に透明な石が取りつけられた、魔力を感知するための術具だった。エルシーがそれを手に取り、ミルへ向ける。
「これで調べたら、ミルが何なのか分かるかも」
ミルは杖の先をじっと見つめた。透明だった石の中に、一瞬だけ淡い光が浮かぶ。しかし、色が定まる前に消えてしまった。
「壊れてるのかな?」
「勝手に試さないでください」
ルナが慌てて杖を取り上げ、元の場所へ戻した。
「対象の魔力が強すぎても、弱すぎても、正しく反応しないことがあります。それに、ミルさんの力が魔力とは限りません」
「やっぱり、ただの猫じゃないんだね」
「猫だぞ」
「どう見ても違うでしょう」
アレンはミルを見た。ミルもアレンを見返した。
「かわいいから、どっちでもいいか」
「よくないと思います」
ルナの返事は、いつもより少しだけ早かった。術具店を出た三人は、古書を扱う店へ向かった。廃坑の奥で見つかった装置について調べるためだった。
店内には天井まで本棚が並び、古びた紙の匂いが満ちている。ルナは魔力の保存や抽出に関する本を探し、棚の間を行き来した。やがて、一冊の厚い本を引き抜く。
表紙には、『魔力の抽出と保存に関する旧術式』と記されていた。ルナはその場で本を開き、素早くページをめくる。
「これです」
その声が、わずかに弾んだ。アレンとエルシーが両側から本を覗き込む。紙面には、いくつもの円を重ねた複雑な術式が描かれている。
「廃坑の装置と同じものなのか?」
「全く同じではありませんが、仕組みは近いと思います。中央へ集めた魔力を、別の場所へ送るための術式です」
ルナは指先で文字を追っていく。先ほどまでの控えめな様子とは違い、ページをめくる手に迷いがない。
「ルナは、本当に魔法が好きなんだな」
「そ、そんなに分かりますか?」
「ああ。今までで一番楽しそうな顔をしてる」
ルナは恥ずかしそうに本へ視線を落とした。
「……はい。魔法は好きです」
「昔から?」
「幼いころ、父が教えてくれたんです。初めて成功したのは、指先に小さな灯りをともす魔法でした」
「お父さんも魔法を使うの?」
エルシーが尋ねる。
「はい。父は、魔法の話を始めると時間を忘れてしまうような人でした」
ルナは古びたページを傷つけないよう、指先でそっと押さえた。
「本を開けば、昨日まで知らなかったことが分かります。できなかったことも、少しずつできるようになる。それが、ずっと楽しくて……」
「持っていくのか?」
アレンが尋ねる。
「はい。調査隊の方へ説明するときにも使えると思います」
ルナは本を閉じ、大切そうに胸元へ抱いた。昼を過ぎるころには、必要なものが一通り揃った。三人は市場の外れにある店へ入り、遅い昼食を取ることにした。
窓際の席に座ると、アレンはようやく鞄を床へ下ろした。ミルもその上からテーブルへ飛び移る。運ばれてきたのは、野菜を煮込んだスープと薄く切った黒パンだった。
ルナは匙を持ったまま、窓の外を通る人々を見ている。
「食べないの?」
エルシーに声をかけられ、ルナは慌ててスープへ視線を戻した。
「すみません。少し考え事をしていました」
「明日の調査のことか?」
アレンが尋ねる。ルナは小さく頷いた。
「廃坑の術式を読めるのは、調査隊の中では恐らく私だけです。もし、読み間違えてしまったらと思うと……」
「廃坑でも、ルナがいなければ扉を開けられなかった」
「ですが、罠に気づくのが遅れました」
「それでも、全員を守っただろ」
「次も同じようにできるとは限りません」
ルナの指が、匙の柄を強く握る。アレンは少し考えてから口を開いた。
「俺は魔法のことは分からない。でも、ルナが分からないって言うなら、ほかの人にも分からないと思う」
「それでは、何の励ましにも……」
「だから、全部一人で決めなくていい」
ルナが顔を上げる。
「分からないものを、分かったふりをする方が危ない。迷ったら止まって、調査隊のみんなと考えればいい。ルナは一人で廃坑へ行くわけじゃないんだから」
ルナはしばらくアレンを見つめた。やがて、握っていた匙から少しだけ力を抜く。
「アレンは、たまにいいことを言うね」
エルシーが感心したように頷く。
「たまに?」
「そこで引っかからなくていいの」
ミルがテーブルの中央へ移動し、ルナの方へ顔を向けた。金色の目が、まっすぐに彼女を見ている。ルナはミルの頭へ手を伸ばした。
「ミルさんも、ありがとうございます」
指先が頭へ触れると、ミルは目を細めた。昼食を終えたあと、エルシーは菓子を売る露店の前で足を止めた。小さな硝子瓶に、色とりどりの砂糖菓子が詰められている。
「これも買っていこう」
「調査には必要ないと思います」
ルナが言う。
「調査中に食べるんじゃないよ」
エルシーは瓶を一つ持ち上げた。
「帰ってきたら、みんなで食べるの」
「帰る前に食べたら駄目なのか?」
「アレンは預からないでね」
「まだ何もしてないぞ」
「顔に書いてあるから」
エルシーは代金を払い、砂糖菓子の瓶をルナへ差し出した。
「預かっておいて」
「私が、ですか?」
「それがあれば、忘れずに帰ってこられるでしょ」
ルナは戸惑いながら瓶を受け取った。淡い青色の砂糖菓子が、日の光を受けて透き通っている。
「……分かりました」
ルナは瓶を鞄の奥へ大切にしまった。
「戻ったら、三人で食べましょう」
ミルの額の紋様が、淡く光った。
「四人だな」
アレンが言う。
「ミルさんも食べるのでしょうか」
「食べられなくても、数には入れてあげようよ」
「そうですね。では、三人と一匹で」
その日の夜、三人は大聖堂近くの宿に集まった。寝台の上には、昼間に買った道具が並べられている。ルナは一覧と見比べながら、鞄へ一つずつ収めていった。
アレンは予備のランタンを点検し、エルシーは紙とインクを布で包んでいる。ミルは枕の上に座り、三人の手元を順番に目で追っていた。
「これで全部です」
最後の魔力石を収め、ルナが鞄を閉じる。アレンが鞄を持ち上げた。
「朝、集合場所まで持っていくよ」
「明日は自分で持ちます」
「重いぞ」
「調査中は自分で運ぶことになるんです。今から慣れておきます」
「でも――」
「アレン」
エルシーが呼ぶと、アレンは渋々鞄を戻した。
「分かった。ただし、無理だと思ったら誰かに頼めよ」
「はい」
ルナは素直に頷いた。窓の外では、大聖堂の鐘が夜を告げている。ルナは閉じた鞄の上へ手を置いた。
「私が調査隊へ同行することになったのは、首輪の術式を読めたからです。でも、それだけではない気がするんです」
「どういうこと?」
エルシーが尋ねる。
「廃坑で見たものを、なかったことにしたくありません」
ルナは胸元に下げた女神の聖印へ触れた。
「天使が魔族を閉じ込めていたというヴァイスさんの話が、本当なのかはまだ分かりません。けれど、あの場所に牢と鎖があったことは事実です。誰が何のために作ったのか、自分の目で確かめたいんです」
声は小さかった。それでも、その言葉に迷いはなかった。エルシーは微笑み、頷いた。
「帰ってきたら、教えてね」
「はい。見たものは、すべてお話しします」
翌朝。東の空が白み始めたころ、大聖堂の前には調査隊の馬車が並んでいた。同行するのは、聖堂騎士が四人と魔導院の研究員が二人。それから、案内役を務めるリュネ村の猟師だった。
ルナは鞄を背負い、馬車の前に立っている。昨日までより大きく見える鞄に身体を引かれながらも、自分の足でしっかりと立っていた。
「本当に大丈夫か?」
アレンが尋ねる。
「昨日から、何度目でしょうか」
「五回くらいだと思う」
「七回だよ」
エルシーが訂正する。
「大丈夫です」
ルナはいつになくはっきりと答えた。
「必ず戻ります」
「何かあったら、すぐ逃げろよ」
「調査隊の方の指示に従います」
「危ないと思ったら、指示を待たなくても逃げていい」
「アレン。心配なのは分かるけど、そろそろ送り出してあげよう」
出発を知らせる笛が鳴った。ルナは馬車へ乗り込む前に、アレンの肩にいるミルへ顔を向ける。
「ミルさんも、行ってきます」
差し出された指先へ、ミルがそっと額を押しつけた。円環の紋様が、一度だけ淡く明滅する。ルナは名残惜しそうに指を離し、馬車へ乗り込んだ。
車輪がゆっくりと動き始める。開いた窓から、ルナがこちらへ手を振った。エルシーも大きく手を振り返す。
アレンは馬車が通りの角を曲がり、見えなくなるまでその場を動かなかった。
「大丈夫だよ」
隣でエルシーが言った。
「ルナを信じて待とう」
「ああ」
アレンは短く答えた。その肩で、ミルは馬車が消えた道を見つめ続けている。ルナたち調査隊は、翌日の夕方までに王都へ戻る予定だった。




