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Karte.23-3「きみたちは日常系物語の高校生ではなく」

【ハルト】……ベルアーデ帝国騎士団第七隊所属、双剣銃を手にイエへ寄り添う青年騎士。18歳。

【イエ】……極東ニフ国の乙女で、大体いつもレベル1なのにチートのような守護精霊の力を使える白魔法師。16歳。

【マリー】……ドワーフのミニマムレディ、妖精機シュネーヴィを操る魔導技師にして第七隊のメイドさん。19歳。

【シェリス】……第七隊隊長、魔法剣ならぬ魔法シャベルを振り回すハーフエルフの残念系王女。20歳。

【アリステラ】……イエを守護する旧き『星』の意志であり、自称『勇者』。自称17歳。


 ◯


 ……。

 …………。

 ………………。

 クリア条件『ナード・スパゲッティとギーク・スパゲッティの討伐』。

 ………………。

 …………。

 ……。


 ≒


 クリア条件『ナード・スパゲッティとギーク・スパゲッティの討伐』。

(……なんだこれ?)

 そう書かれた手元のメモ用紙を、悠斗ハルトは授業中の席で眺めた。

(やべ……俺、寝てたか今? こんなの回ってきた記憶が無いぞ……誰かソシャゲの攻略でもしてるのか?)

 眼差しだけでさりげなく教室内を見渡す……。

 午後の2限目、通算4限目。

「えーこれらの和歌は『一字決まり』として百人一首でも有名ですね、大学受験でも地味に役立ちますよ。覚え方は『む・す・め・ふ・さ・ほ・せ』で……」

 さながら呪文の詠唱のような古文の授業へ、悠斗も含めて20人程度が相対している馴染みの光景。

 満腹感と疲労感と集中力の限界が溜まり、ため息でも飽和したように弛緩しきった空気が流れている。

 地味に肩の凝るブレザーに袖を通すのも2年目だが、もうまもなくの衣替えにて早く夏服になりたいものだ。

 板書もおざなりにそんなくだらないことばかり考えてしまうような時間であり、クラスメイトたちもちらほらと、居眠りやスマホ遊びに励んでいたが……。

 少なくとも手紙を回しているような雰囲気も、悠斗へ催促のサインを送っているような者も見えなかった。

(てかクラスのグループリィンがあったよなたしか……今どき手紙でもないか。誰かのメモが紛れ込んだんだろっと)

 この最後列の席でなくともゴミ箱は遠く、適当に折り畳むと上着のポケットへ突っ込んだ。

「……う」

 と。伸びをしようとした体に……具体的には下腹に、予感じみた鈍痛。

 腹痛である。

 この微妙な静けさの中で先生に挙手をして『トイレ』と申告しなければいけない類いの、お腹イタである。

(腹が……。いやそれは自殺行為だ、あと15分……20分でチャイムだから耐えろ。……小学生か俺は。黙って席立ってもスルーしてくれる可能性に賭けるか? いやいや古文の平田は変なトコ厳しいからな……)

 と、痛みの波が上がってくるにつれ加速する思考。

 そうとも、腹痛というものには痛みの波がある。寄せては返すその焦燥が冷静さを失わせるもの。それを理解してしまえば、あとは数度乗り切るだけでチャイムが……、

「先生。ハルトさんがお腹痛いみたいです」

 ……チャイムの前に、鈴のように振り向かせる挙手が響いた。

 悠斗の隣の席で、桜髪の乙女が……、

「あっ」

「あっ?」

 桜髪の乙女が。……挙手だけでも十分なのに、勢いよく立ち上がったものだから机で膝を強打した。

「ああああああ」

「あーーーーっ!?」

 体勢を崩し、机と椅子ごと盛大にぶっ倒れた。

癒子イエコぉぉぉぉ!?」

「はい」

 ビクンビクンと無表情に悶絶した彼女……癒子イエコの姿に。青ざめたクラスメイトたちや教師は、もはや悠斗の腹痛なんて誰も気にしてはいない様子だった。

「先生。……保健委員として、私がハルトさんをトイレに連れていきます」

「おまえを保健室連れてくほうが先だよ!」

「み、看谷みるたにくん、己己己己いえしきさんに付き添ってあげて……。それが終わったらお手洗い行ってきていいから」

(空気読めよ!)

 けっきょく。最弱保健委員を引きずりながら、学友たちにドッと笑われてしまったのだ……。


 ≒


「まったく……」

 ハンカチで手を拭き終えると、悠斗は保健室のドアを引き開けた。

「おかえりなさいハルトさん。どうぞお座りください」

「勝手知ったる感すごいな」

 他に誰もいない室内で、養護教諭の椅子に腰かけた癒子は肘と膝小僧へ冷湿布を貼っていた。

 ……上着を脱いで腕捲りした肘はともかく、スカートを太ももまでたくし上げた姿に数瞬遅れて気づいて、悠斗はサッと顔を背けた。

「あいつ……じゃなくて先生は?」

「やっぱりいないみたいです。ところで排便後に手は洗いましたか?」

「洗ったわ! 排便とか言うな!」

 衣擦れの音が連続して……最後に、上履きの軽い音。

 慎重に振り向けば、ニーハイソックスまできちんと着直した癒子が立っていた。

「あのなあ癒子、保健委員だからってそんな周りの健康ばっか気にしてるもんじゃないって。それよか自分の周りをよく見ろ」

「はい。クラス中の健康管理はまだできないので、隣のハルトさんから重点的に気にすることにしています」

「人の話を聞け」

「だってハルトさん、いつも危なっかしくて……」

「おま言う」

 ズイ、と……彼女にとっては無意識なのだろうけども、距離感が、近い。あんまり間近から覗き込まれそうになったので悠斗のほうから一歩引いた。

「まあいいや。どうせもうすぐ休み時間になるし、次の授業ギリギリまで休憩してようぜ」

「休憩了解です」

「なななななななんで脱ぐんだよまたああ!?」

 ハラリ。癒子は上着とスカートをあっという間に脱ぎ捨て、ワイシャツの裾に手をかけた。

「……? 次は体育なので、休み時間の間に着替えておかないとです」

「俺が悪かった! そうだなサボりは良くないな教室に戻ろう!」

「あ、いいえ、こんなこともあろうかと保健室にも予備の体操服を仕舞ってあるので大丈夫です」

「勝手知ったる感すごいしそういう問題じゃないな!?」

 混乱した悠斗は、とりあえず、カーテンを閉めた。

 ーーヒメメメメ!

 ーーヲッタヲッタヲッタヲッタ

 閉め切る直前、校庭越しの住宅街に空飛ぶスパゲッティモンスターの一団が見えた。

 ……それらを屋根伝いに追走している小さな人影も見えた気がしたが、見なかったことにした。


 ≒


「ーーハルト! イエ!」

 放課後。近隣住民だけが知っているだろう田んぼ沿いの畦道にて、悠斗と癒子の前に小さな人影が躍り出た。

「びっ……くりした。やめろよアリステラ、茉里まりもそうだが子供みたいなのは見た目だけにしてくれ」

「はあ、はあ、っ……今の、きみたちも、私と同じただの子供だろう……」

「お姉……お姉さん先生、おかえりなさい。お水をどうぞ」

 小学校高学年か、贔屓目に見ても中学生ぐらいの年頃に見える女性。ゲームに出てきそうな旅人の服に白衣をひっかけた養護教諭だ。

「ありがとう……ごく、ごくごく……んんっ。……ふぅ……やはり私だけでは無理があるのだ……この肉体的にも戦力的にも……」

 黄昏あるい暁の色をした長すぎる髪が、息切れにうなだれた体躯から地面まで付いてしまいそう。中性的な言動だが、風貌はわりとすぐに少女とわかる可憐なものだ。

 名札に書かれた名は御寺ミテラ 亜理子アリス

 通称アリステラである。

「頼む、そろそろ目を覚ましてくれ二人とも……」

 まだ息も絶え絶えに、背伸びで肩を揺さぶられた悠斗と癒子だったが……。

 二人は、捨て犬にでも懐かれてしまったような微妙な面持ちを見合わせあった。

「何言ってるのかわからないが、おまえこそまだそんなコスプレしてるのかよ……。保健室にもろくにいないし、そのうち職質されるぞ」

「されていたからこんな時間になったのだ」

 ーーヒンフフフ♡ ヒフフ~ン♡

 ーーブモヲタタタタタタ!

 と。カラスの呼び声に混じってけったいな嘲笑が聞こえれば、

 三人の直上で、空飛ぶスパゲッティモンスターの一団が旋回していた。

 巨漢の人型を編んだナポリタンスパゲッティが、むやみにキレキレなダンスを踊りながら10数体。

 そして彼らに囲まれた……というか彼らを侍らせながら、巨大ミートボールで乳房を象ったアラビアータスパゲッティが1体。

「では、あれはなんだ」

「空飛ぶスパゲッティモンスターだな」

「ナード・スパゲッティとギーク・スパゲッティです」

 直上を指差したアリステラと、なんら驚くことなく頷いた二人と。

「そうだがそうではない。どうしてこんな世界に空飛ぶスパゲッティモンスターがいるのかと訊いている」

「どうしてって俺たちが知るかよ。カラスがなんで鳴くのか知ってるのかおまえは」

 ーーヒメメ! ホシイ!

 ーーミツギュルル!

 アホアホと鳴いていたカラスが、通りすぎざまにスパゲッティたちに捕食された。

「……訊きかたが悪かったな。あんな怪生物が制空権を得ているのに、警察はおろかマスコミや学者まで無視しているのはおかしいと思わないのか」

「そりゃおかしいといわれればおかしいけどさ……俺たちの知らないところでなんかやってるんじゃないか? 人には危害を加えないしべつにどうでもいいと思うぞ」

「いいくはない……! あのナード・スパゲッティとギーク・スパゲッティを討伐しないと、私たちはこの夢をクリアできないのだぞ!」

「討伐? クリア……」

 悠斗は思うところがあり、ポケットからあのメモを取り出した。

「……このメモ。『ナード・スパゲッティとギーク・スパゲッティの討伐』がクリア条件とかなんとか……心当たりあるか?」

「……! そうとも、それを手に入れることが最初のきっかけなのだ……! きみにはメモの形で現れたのだな、イエも持っているのではないか」

「えっと、ごめんなさい。私は持っていないです」

「そうか……あの二人もまだみたいだから仕方あるまないな」

 アリステラは、期待半分、不安半分といった様子で息を吸い込んだ。

「いいか二人とも。変人扱いされるのを承知でこの際ハッキリ言うが……ここは聖塔ダンジョンという夢の中の世界なのだ。きみたちは日常系物語の高校生ではなく、ベルアーデ帝国騎士団第七隊のハルトとイエなのだよ」

「はあ」

「……変だなおまえ」

「だから目を覚ましてくれ……!」

 また肩を揺さぶられた。

「わかった。信じるよ」

「え、嘘だろう……本当か? 変質者をとりあえず納得させる方便とかではなく」

「変人から自主的にランクアップするなよ。映画とかでさ、とりあえず信じてやればいいのにハナから信じないせいでモンスターにやられるヤツっているだろ。ああはなりたくないからな」

「海洋ドキュメンタリーだと思ったのに、さめパニック映画をレンタルしてきてごめんなさいです」

「……いまいち本気にしていない気がするが、しかし嬉しいよ」

 悠斗も癒子もアリステラをけっして突き放してはいなかったし、年齢不詳なセンセイの眼にも二人を心から大切にしている意志の強さが覗けた。

「みんなで助け合って逃げ出す道を探すのだ。まず……」

 ーーキャトルルルルヒメメメメ!

 ーーギョイギョイジョイ!

「きゃああああああ!?」

 アリステラは、スパゲッティたちにさらわれた。

「あ、あ、お姉さん……!」

「人には危害を加えないのに、なんであいつにだけはちょっかいかけるんだろうな……。や、そもそもあいつがスパゲッティどもにちょっかいかけてるんだが」

 遠ざかっていく笑い声たちと怒鳴り声。取って食われるわけでもなく、ただひたすら小馬鹿にされる調子で振り回されながら、アリステラは町外れのほうまで飛んでいってしまった……。

「やっぱり追いかけましょうハルトさん。私たちはベルアーデ帝国騎士団第七隊なのですから」

「気に入ったのかよ。大丈夫だって、取って食われたことは無いしパスタソースまみれでいつも帰ってくるだろ。それでもまだダンジョンだの騎士だの言ってくるなら、その時また考えるさ……」

「ハルトさんがそう言うなら……」

 癒子は通学鞄の中から医療鞄を引き出しながら、癒子は後ろ髪引かれている様子だったが……。

「てかおまえさ、通学鞄にそんなの入れてたら他に入らないだろって」

「教科書よりも大事なものですから」

「おまえの置き勉で俺のロッカーまでいっぱいなんだが?」

 二人は家路へと戻るのだった。


 ≒


 二人の通う鐘堂しょうどう高校もわりと郊外にあるが、そこからさらに田園地帯寄りに離れたニュータウンにて。

 画一的な新興住宅が、色とりどりの石塀やタイルとともに並んでいる。

 ……それらをご近所に見やり、昔ながらの古ぼけた集合住宅が立っていた。

 格安ハイム『七番館』である。

 木造と鉄筋造りが組み合わさった二階建ての佇まいに、ひっそりと『鈴艶組すずあでぐみ』の電話番号が掲げられていた。

「ーーへい兄弟ぃ! パス!」

「んうぬあぁ、っ!?」

 開けっ放しの門構えをくぐろうとしたその時。道の向こうから大きめの段ボール箱がぶん投げられてきて、悠斗はなんとかキャッチした。

 悠斗と癒子が来たのとは反対方向の道から、二人の女子が帰ってきていたのだ。

「ふぃ~楽になったぃ。大した性能でもねぃのにオシャレ家電ってのは重いし高いのだわ、ほはははは」

 一人は、縦ロールな金髪に見合う美貌なのに八重歯を剥き出して高笑う残念美人。ゴールデンなポンチョという高難易度すぎるファッションを見事に着こなし、しかしジャージズボンを履いたハニワルックで台無しになっている。

「ふふん、このパラディンIH調理器は一味違うわよ詩英莉シエリさん! 0.02秒で発熱する遠赤クリファイト特許技術の応用でのう、どがーなお料理でも火の通りがダンチじゃ!」

 一人は、いわゆるトランジスタグラマーなミニマム淑女。タートルネックセーターに赤銅色のサロペットスカートを合わせた装いは動きやすさを重視しているのだろうか、貴婦人風にブレイドを編み込んだ赤髪にも身軽な印象がある。

「買ってきたばっかりの家電を投げるな!」

「ガス調理器じゃねぃんだからべつに危なかねぃのだわ。茉里マリの話聞いてたのだわ?」

「悠斗お、こん買い物袋も持ってくれん? 余裕あんなら」

「そう見えるか!?」

「シェリスさん、マリーさん。おかえりなさい、ただいまです」

「おーっす癒子ぉ!」

「おかえりただいま! さっそくお鍋パーティじゃあっ!」

 鈴金すずかね 詩英莉と城中じょちゅう 茉里。二人は隣駅の鐘堂大学に通う幼馴染み同士だ。

 そして詩英莉はこの七番館のオーナーの娘……もとい地域の不動産と警備業を牛耳る『鈴艶組』の組長令嬢……もとい社長令嬢で。

 茉里も職工を生業とする一族ぐるみで『鈴艶組』と親交深い、詩英莉のお目付け役かつ七番館の管理人だったりする。

 四人は連れ立って我が家の正面口をくぐった……。

「で、どうしていつも俺の部屋に集まるんだよ!?」

「ド真ん中の部屋だから集まりやすいのよね~。あ、癒子ちゃんはポン酢苦手じゃけえごまダレっと」

「ありがとうございます。次は白菜をティラミスみたいに重ねて入れて……」

「んなもん食いはじめたら一緒でぃ。揚げタコ焼きは1人2コなぃ!」

 六畳一間、トイレはあるが風呂は無し。申し訳程度のリノベーションが成された洋室は一人暮らしの家具の量でも絶妙に詰まり気味で、そこに四人も集まればもう賑やかすぎた……。


 ≒


 夜。

「~~~~♪」

 無難なプレイリストをイヤホン越しに聴きながら、悠斗は試験勉強に励んでいた。

 窓際のテーブルが、悠斗にとって自分の時間を過ごすメインスペースだ。

 一階とはいえ、石塀が高くて窓の向こうには夜空の端きれぐらいしか見えないが……それくらいのほうがかえって落ち着く。

「ハルトさん」

「うひぁっっっっ!?」

 耳元へ囁きかけられた。変な声が出た。

 うなじをついばむような吐息に、椅子ごとスライドしていきながら振り向けば……。

「なんで囁きかけるんだ、なんで!? 癒子!」

「肩を叩いたりしたらビックリされると思ったので……そーっと」

「そーっと不意打ちするなって言ってるんだよ!」

 癒子が侵入してきていた。

 真白の生地に桜色のラインが彩られた、セーラーワンピースを纏った乙女が。

「ノックはしたのですけど、返事が無かったので……」

「……ほんとに?」

「はい。壁の穴に掛かっているカーテンをコンコン、と」

「その気持ちだけは買うよ……」

 そう。悠斗の部屋の壁には、人が通り抜けられるサイズの穴が開いていた。

 鋭利なような重厚なような得物で……具体的にはシャベルのようなもので突貫された勝手口だ。

 間仕切り代わりのカーテンの向こうに、趣味の小物のような自然さでメーカー違いの救急箱や救護訓練用マネキンが置かれているのが見えた。……癒子の部屋である。

「お鍋の具材の余りでお味噌汁でも作ろうかと。ご一緒にいかがですか? 調剤学の本を読んでいたらお腹が空いてしまって」

「おまえの腹の虫はどういう神経してるんだ……。まあ、頂こうかな」

「はい。少々お待ちください」

 癒子はもしょもしょと壁の穴越しに部屋へ戻っていった……。

「……さてと」

 ハルトはイヤホンへ再び手を掛け、

「今日はもう終わりだな……」

 スマホや筆記用具もろとも隅へ除けると、鍋パーティから仕舞ったばかりのローテーブルを引っ張り出した。

 



 部屋の真ん中に置いたローテーブルが、悠斗にとって誰かと過ごすメインスペースだ。

「俺たちも来年はいよいよ受験か。おまえはやっぱ医療関係?」

「そうですね」

 誰かと過ごす……その相手の八割方は隣室の癒子である。

「ただ、どの分野に進むべきかまだ決まらなくて。医師、薬剤師、看護師……いっそ全て担えるお仕事があればいいのですけど」

「ワンマンアーミーみたいなこと言い出したな」

 味噌汁を啜る。鍋の余りの白菜と、こちらは冷凍室の備蓄だろう薄揚げが入っていて、しつこすぎない滋味が夜食として優しい。

「ハルトさんは?」

「いや……俺なんかどの大学のどの学部に行こうかも決まってなくて」

「では、私と一緒に行きましょう。一緒にシェリスさんとマリーさんの後輩になりましょう」

「部活じゃあるまいし、大学ってそんなもんで決めていいのか?」

「ならご両親に相談するのは? 私は家出した身ですから何もかも自分で決めるべきですけど、ハルトさんはそうではないでしょう?」

 ……悠斗は後ろ髪を掻いた。

「俺は……うーん、父親ってものはまったくわからないし。母親もなあ……」

「えっ……? ごめんなさい、何か事情が?」

「ああ、話してなかったっけか?」

 癒子は話しているうちにボロが出るというか実家のことをポロリしがちだが、そういえば、相槌に回ることが多い悠斗はほとんど自分のことを話していない気がする。

「俺は母さんに……っていうか、母さんは……俺を……」

 こんな緩い流れで話していいものかと脳裏に過りはしたが、どうせなら押しきってしまえと喉元の詰まりに力を込めた。

 他でもない癒子に話すのなら、無様にさらけ出してもきっと悪いことにはならないだろうと思えたから……。

(……俺は……)

 ただ、

 そうして己の深いところへ思いを馳せた刹那、

「……え?」

 ハルトの手に、何かが握られていた。

 それは、ある一つの文言だけが印刷された処方箋だった。

 クリア条件『ナード・スパゲッティとギーク・スパゲッティの討伐』……と。

「……ッッ!?」

「ハ、ハルトさんっ?」

 青年の奥底から、莫大な『違和感』が溢れんばかりに渦巻いた。

 白と黒だけの、しかしそれはそれで完全なまでに調和したスケッチが……突如として色づいたような。

 彩られているからこその違和感、汚さ、不完全性が露わになるような。

 そんな『()』が、『()』に満ちたこの()()に重ねられていくかのようで。

 ……だが、なぜだろう、

 青年はその痛みを、辛さを、苦しさを、きっと欠いてはいけないものだと感じずにはいられなかったのだ。

 ポンッ、と、何か聞き覚えのあるような間の抜けた音がどこからともなく鳴った。

「……お? おお?」

「……ハルトさん」

 青年は、

 ()()()は、

 白金色のプロテクターが備わった、ベルアーデ帝国騎士団の標準制服を身に纏っていた。

 ーー 再起動中…… ーー

 ーー FIG オールグリーン ーー

 ーー フロレンシックレコード 接続成功 ー

 ーー マスターネーム 『リヒャルト』 ーー

 ホルスターに納まったフェアリーも一緒だ。

「……ああくそ。()()()()()()()って、あいつもこんなやるせない感じなんだろうな」

 第七隊青年騎士ハルトは、きょとんとしているばかりの乙女へ向き直るのだ。

「イエ……もとい癒子。ちょっと今から出かけてくるけどさ、何も聞かずに待っててくれるか?」

「……? …………? えっと……はい、です?」

「それと、味噌汁ごちそうさん」

 お椀の中を飲み干してみせると、フェアリーへ……ではなくテーブル上のスマホへ手を伸ばした。

「さて。あいつのデンワ……番号はっと」

 スマートフォン。ちょうどフェアリーと同程度の大きさで、機能はハイフェアリー並み。……ハルトの妖精さんがどことなく睨んでいるように見えるのは気のせいだろうか。

 電話をかけたプロフィールには、『御寺 亜理子』の名と、苦い顔の少女教諭の写真があった。


 ≒


 そこは、再開発から取り残されたままの工業団地帯だった。

 少し遠くの製鉄プラントがまだ稼働しているだけに、ほとんど届かない光を見やりながら一層深い暗闇に眠っているようだった。

 それでも、闇を廻る月が儚いながらも灯りとなる。

「連絡を待っていたぞ、ハルト。……その様子からすると目を覚ましたようだな」

「おかげさまで」

 団地の前、申し訳程度に据えられた公園のブランコにアリステラは腰かけていた。

「……なあ。ちなみに俺たちはいつからこの夢にいるんだ?」

「去年の4月6日から」

「一年もっっ? うわマジか……しかもそれ以前の記憶もあるぞ俺、自分で言うのもなんだがやさぐれてた中学時代とかいろいろ……」

「ガイドブックに書いてあったとおりだな。私も知識だけは有していたが、この夢のシミュレート能力は文字通り世界レベルだ」

 そう、ハルトたちはこうなることを事前にガイドブックから事前に知っていた。

 すなわち聖塔ダンジョンは、探索者たちを()()()()()()()()()()のだと。

 しかしそうとわかっていても、記憶を()()され、夢が演算した『ふさわしい配役』に人生丸ごと置かれてしまうのだと。

(記憶の漂泊、か。こうなるとますます胡散臭いものだけどな、この夢の主様は)

「なあハルト。ちなみに私も訊いておきたいのだが」

「うん?」

 彼の者の招待に対して、ハルトたちも、『できる』ことの一つとしてこの闇色少女を()()してはきたのだが……。

「……連れてきてくれたから期待したのだが、皆はまだ目覚めていないのか」

「事情はわかりませんが心配なので来てしまいました」

「こんな夜中に悠斗と癒子ちゃんたらあ。肝試しデートとか見過ごせんのう!」

「草むらとかは虫刺されそうだからやめとけよなぃ~。何とは言わねぃけど」

 目覚めてみるとこうもスチャラカに映るものか、癒子も茉里も詩英莉も同行していた。

「連れてきたんじゃなくて、ついてきたんだよ……」

「なーなー兄弟ぃ、だからなんなんでぃネエちゃんともどもそのカッコは? ラノベ? 非日常系異能バトルラノベだと、第1巻の戦闘パートでこういう廃墟来がちだよなぃ~」

「だから以前より言っているだろうシェリス、マリー、あなたたちも私たちの仲間なのだ。ハルトの制服の『鐘と盾』の印を見て、何か思い出さないだろうか」

「……うーん……コスプレサークルのアイコンとか? 肝試しじゃのうてファンタジー系ロールプレイング大会じゃったん?」

「本当にすまないアリステラ。人の振り見てなんとやらだな」

「人の振り見てふんどし直せ」

「おまえに振ってないぞ癒子」

「致し方無い。夢の中で『これは夢だ』と認識を得ることのどれだけ難しいことか」

 いわゆる明晰夢。しかしここは個々人の夢とは異なり、訓練も才能も意味を為さない。

「ハルト、きみは何から目覚めのきっかけを得られたのだろう。違和感と言い換えてもいい」

 強いて言うならば。あくまでも同じ条件で夢に囚われた中、違和感という()()()()を得る運が必要といえるだろうか。

 ……ハルトは一つ、咳払いをこぼした。

「……俺がここにいる理由を辿った、ってところかな。それよりあのスパゲッティたちを倒すんだろ、やってみようぜアリステラ」

 ーーヒ~メヒメヒメヒメブリリリ~ン♡

 ーーモエ~ヴォエ~キュンキュン~!

 そう高くはないはずの団地の屋上、渦巻くような闇の中から宴の鳴き声が聞こえた。

「む……そうだな。一人でなくなっただけで勝率は格段に上がるだろう」

 つまりこの場合、戦力として数えられるのはもちろんハルトとアリステラの二人で。

「よっし三人とも。俺とアリステラは上のヤツらと対決しないといけないんだ、安全な場所で待っててくれ」

「ついていきます」

 イエが一歩踏み出すのは早かった。

「ダメだ、イエ。夢の中とはいえ万が一があれば現実への帰還は叶わな……と、言ったところで意味はわからないか。とにかくまともな装備も無しで連れていくわけにはいかない」

「こういうのとかな」

 ーー 《イークイップ》 ーー

 ーー レベル6 双剣銃パラレラム ーー

 ハルトが次元の狭間から二丁剣銃を装備すれば。詩英莉と茉里は目を丸くし、癒子は首を傾げた。

「おおう……少なくとも合法のエアガンじゃなさそうなのだわ? んじゃついでに、ネットで買ったこの改造大出力工業規格違反懐中電灯も持ってくかぃ?」

「中学生かおまえは。いらないいらない」

「ね、ね、悠斗ったらなぁにその妖精さんみたいなの……? ちょ、ちぃと触らして触らしてなんならあそれ未知のガジェットの匂いがすんよぉハァハァ……」

「ああもう記憶だけすっぽ抜けてるってもどかしいな!? 頼むから無茶するなよなイエ……癒子!? いやフリじゃないぞ!?」

「……わかりました。無茶振りダメ絶対、です」

 わかっていなさそうな三人を最後にビシッと指差して、釘刺して。

 ハルトはアリステラとともに、団地内へ突入していくのだった。

「ハルト。あの三人の内で誰がやらかすと思う」

「全員」

 何かやらかされる前に、この夢をクリアするべきだろう……。

(1話につき4部分構成の短編~中編連作です)

(毎週月曜日、18時頃に更新中です)

(1話完結の翌週……つまり5週間に1回、次話の準備期間として更新にお休みを頂きます。よろしくお願いいたします)


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