Karte.22-4「優しくしてあげるのは得意だろう?」
【ハルト】……ベルアーデ帝国騎士団第七隊所属、双剣銃を手にイエへ寄り添う青年騎士。18歳。
【イエ】……極東ニフ国の乙女で、大体いつもレベル1なのにチートのような守護精霊の力を使える白魔法師。16歳。
【マリー】……ドワーフのミニマムレディ、妖精機シュネーヴィを操る魔導技師にして第七隊のメイドさん。19歳。
【シェリス】……第七隊隊長、魔法剣ならぬ魔法シャベルを振り回すハーフエルフの残念系王女。20歳。
【アリステラ】……イエを守護する旧き『星』の意志であり、自称『勇者』。自称17歳。
「……クルスさん、聞いてください。長い間お待たせしてしまいましたが、私たちはあなたを救いに来ました」
ハルトの代わりに、目配せしてみせたイエがクルスの前へ歩み寄った。
「あなたもここも、こんなに不衛生では病気になってしまいます。ひとまず、お水を汲める場所はありますか……?」
「うん、あるよ~。お家の中に水甕があるから使って~」
「わかりました。ごめんなさいハルトさん、手伝っていただけますか」
「……任せろ。……悪かったな、えっと、クルス……怖がらせて」
「ううん~平気平気~ふふふ~」
フードから抱き上げたアリステラをハルトへ預け、イエは真白を被った。裏地に備わったマスクも付ければ、それは彼女が診療へ向き合う時の装いに他ならなかった。
まるで幼児のように微笑み続けるクルスのために、ハルトとイエは『できる』ことをしていった……。
「……無理はしなくて大丈夫です。もしもかまわないなら、ここまでに何があったのか話していただけませんか?」
「ここまで~……? 何って~……?」
数十分後、すっかり清潔になったクルスが安楽椅子へ再び座る。
ポーチ周辺も、とりあえずは生ゴミなどを除けて掃除した。
「あのフェンリルとかいう狼と一緒に、この世界で生きてたんだろ……? ……あの子狼たちは?」
「フェンリル……フェンリル~……」
……だが、艶やかな髪を波打たせながら、クルスの目に輝きは戻っていなかった。
石鹸の香りは、いまだ遊んでほしそうにこちらを見ている子狼たちの悪臭に早くも塗り潰されつつある。
「わたしのワンちゃん~……うん~、どこ行っちゃったんだろ~?」
「えっ……?」
クルスがどこでもない遠くを眺めた、が。見渡す限りどこにも、あの神々しい大狼はいなくて。
「でもね~、わたしにはこの子たちがいるから! 平気だよ! ね、みんな!」
手を叩けば、柵を引っ掻き倒す勢いで子狼たちがはしゃいだ。纏わりつく羽虫たちもまたいっそう飛び交った。
彼らのくすんだ毛色は汚れによるものだけではないようで、よくよく見れば泥のようなぶち模様だ。
「う~ん~…………どうしても~、ワンちゃんがどこ行っちゃったのか聞きたい?」
と。クルスが目を閉じ、鼻歌混じりにゆらゆら揺れた。
「なに……? いや、そりゃ聞きたいが……おまえ、さっき『どこ行っちゃったんだろう』って……」
「しょうがないな~」
彼女は、息苦しいばかりのここで深呼吸をするのだ。
「……きみは、2年と8ヶ月16日前にこのイーレェ島に着いたの。そうだよね~?」
「クルスさん……?」
目を閉じたまま、彼女は語りはじめるのだ。
『きみ』の物語を。遠く、遠く……。
≠
ーーリルルルゥゥン~!
きみは、最初からフェンリルと一緒。
ーー「すごいすごい! 今のってガーゴイルってやつだよね~っ、一撃で噛み砕いちゃった!」
いきなり地下ダンジョンの中に出ちゃったけど、目の前にいたモンスターはカノジョが倒してくれたんだよね。
ーー「ねえねえ! あっちが出口みたいだけど、せっかくだからこのダンジョンの一番奥まで行ってみようよ~! あなたがいれば大丈夫だよね~っ、わたし精一杯応援するから~!」
ーーフェン? フェオーーン!
手ぶらでダンジョンの一番奥まで行って……、
出てくるモンスターたちを全部追いかけて倒して、
ボスモンスターの大きなウシさんも倒してもらって。
ーー「やった~! お腹空いちゃった、行こ行こ~」
ーーフェルゥ……フェウ!
よくわからない宝物がたくさんあったけど。手に持てるだけのお肉と宝物だけ持って、今度こそ広い世界に出発したんだよね。
……そうだね。フェンリルはとっても強かったけど……きみの思いどおりに戦ってくれるわけじゃなかったから、冒険しながらカノジョを成長させることにしたんだね。
ーー「ほら見て~、あなた専用の剣だよ! わたし使い方わからないから~、あなたに任せるね!」
ーーリルリル!
宝物を売ったお金で街に下宿を借りられたし、余った分でフェンリル用の装備も作ってもらえたし。
ーー「じゃあ最初は、合図したらわたしを乗せて逃げてくれる訓練だよ~!」
ーーフェン!
冒険者になったきみのポリシーは、『無理なチャレンジはしないこと』。
一攫千金や大大大冒険なんて欲しがったらダメ。
ちょっとドキドキハラハラするくらいのお仕事を、繰り返して、繰り返して……。
それだけでも十分楽しかったんだもんね?
きみとカノジョで暮らせるだけのお金は貯まっていったんだもん。
ーー「ガーゴイルの喉仏30個と~、ギュウサラ草40個、それと激レアのアカベエ石5個! お願いね~、気をつけて~!」
ーーフェン、フェン、フェンスッ!
ある時はフェンリルに道を覚えさせて、ダンジョンの中へ素材採取に行ってもらったり……。
……。
……なんで一緒に行ってあげなかったの?
だってきみはキャンプなんてできないし、大荷物も持てないから。
ーー「あ~ほら~また歯の間にスケルトンの軟骨が挟まっちゃってる~。おいでおいで、次は1時間後ぐらいに襲ってくるみたいだからわたしの特製スープで元気出しちゃお~!」
ーーフェリィィ……フェルフェル!
ある時は波みたいに襲ってくるスケルトンの大群から村を守るために、フェンリルに毎日2、3回は戦ってもらって、きみは戦いが終わるたびに美味しいご飯を作ってあげたり子守唄を歌ってあげたり……。
……。
……なんで一緒に戦ってあげなかったの?
だってきみは剣も魔法もへっぽこで、一人前になるには何年もかかるって言われたし……。それなら自分を鍛えるより、フェンリルをめいっぱい愛してあげようと思ったから。
ーー「ううう怖いよ怖いよ助けて……わたしはここだよ、頑張ってお祈りするから早く助けに来てワンちゃん……!」
ある時はフェンリルの力を狙ってきみが秘密結社にさらわれた時、フェンリルが一秒でも早く見つけてくれるように鳥籠の中で祈り続けたり……。
ーー「わああんワンちゃん~! ありがとうありがとうっ、帰ったらすぐ治療師さんに看てもらおうねありがと~! わたしのワンちゃん~~……!」
ーーハッ、ハゥ、ゥゥッ……フェウルルル……!
……あの時は、悪い人たちを全員倒してから助けに来てくれたフェンリルは、もう少しで目に矢が刺さっちゃってたところだったっけ。
……。
……どうしてカノジョが少しでも傷つかないように、お祈り以外に何かしてあげなかったの?
だってきみは弱いから。余計なことをしてもっと怖い思いをしたくなかったし、大人しくしてればひどいことはしないって悪い人たちも言ってたから。
それで。
ちょっとぐらいは冒険者として有名になった頃……きみとフェンリルのところに、凄腕の魔物使いさんが尋ねてきたんだよね。
ーー「やあはじめまして、私は魔物使いの●●●●●●。きみたちの評判は聞いてるよ」
……あのおじさんの名前、きみは覚えてる?
わたしは思い出せないの。
きみより二回りぐらい年上で、ずんぐりむっくりした優しい笑顔のおじさんだったのは覚えてるんだけど。
ーー「私もオオカミを相棒にしてるんだ。彼は●●●●、まあ種族としてはあまり強いとはいえないハイエナウルフだがコンビネーションなら誰にも負けないぞ」
ーーグルル……ガゥガゥ!
あのぶちワンちゃんの名前も思い出せないけど、きみは『弱そう』なんて思わなかったよね。
元の世界にいた時に聞いたことあったもん、ハイエナは腐ったお肉でも強い消化液でモリモリ食べちゃうたくましい動物なんだって。
ーーグュウウウウグググググゥ!
ーー「《ウィッシュ・スターライト》! どうだいクルスくん!」
ーー「わ~~強い強いっ、速い速いっ、カカシがお星様になっちゃった~!」
おじさんとぶちワンちゃんはとっても強くて、きみとフェンリルと同じぐらい強い絆で結ばれてるみたいに見えたんだよね。
ーー「きみとフェンリルさえよければ、こんな技が使えるように鍛えてあげよう。どうかな?」
ーー「えっ……? むむ~その手には乗らないよ~、どうせお高いんでしょ~」
ーー「いやいや、金なんか取らない。音に聞いた神級オオカミをはたしてもっと強くしてあげられるのか、魔物使いとしてどうにも腕が鳴ってしまったんだよ。もちろんきみもカノジョの相棒として強くなれるぞ!」
ーー「そうなんだ~! うんわかったっ、じゃあお試しでお願いしちゃおっかな~! いいよねワンちゃん!」
ーーリルン……?
ーーガフガフフ……
ぶちワンちゃんもフェンリルが気に入ったみたいだったし、お友達になれそうだったんだ。
ーー「ではまず、フェンリルくんを集中的に特訓しよう。カノジョにコンビネーションを教え込んで、それからクルスくんと合わせられるようにしたほうがいいだろう。ここからちょっと離れた岬に私の訓練場があるんだ」
ーー「わかった~! じゃあわたしはいつもどおりお家で待ってるねっ、信じてるからねわたしのワンちゃん~!」
ーーフェルリル!
そうしてきみは、おじさんの飼育場へフェンリルを送り出したんだ。
その間。きみは。
疲れたフェンリルが帰ってきたらどこか遊びに連れていってあげようって、ガイドブックを読んだり旅行計画を考えてたんだよね。
何日も。何日も。
……だけど。
おじさんから聞いてた特訓終了の日になっても、フェンリルは帰ってこなかったんだよね。
何かあったのかな、なんて、そんなこともあるかな、なんて、きみはまた何日も待ってたんだよね。
それでも、帰ってこなかったから。
喚んでも、帰ってこなかったから。
きみははじめて一人で、自分の足でおじさんの飼育場へ向かったんだ。
ーー「ワン……ちゃん……?」
ーーフェ……ァ……
フェンリルは、飼育場のお家の地下室にいたよね。
怪我も病気もしてなくて、あったかそうな毛布をかけてもらって、体に良さそうなご飯が置いてあって。
赤ちゃんで膨れたお腹を守りながら、魔方陣の上にいたんだ。
きみはきっと忘れないよね。あの時、フェンリルがきみに向けた表情を。
きみへの『愛』と……、『愛』に似てるんだけど後ろめたい何かの……、ちょうど真ん中ぐらいの表情を。
ーー「カノジョはきみのために決意したんだよ」
ーーグルフゥ……
ぶちワンちゃんと一緒に階段の前に立ったおじさんが、優しい笑顔でそう言ったんだね。
ーー「魔物の調教っていうのは幼いうちに、それか馴らしはじめてすぐに行うのがセオリーだよ。だけど特訓しはじめてわかったんだが、フェンリルくんにはもうクルスくんを守るためだけのクセが付いてしまってる」
おじさんの見立ては合ってた。
そのクセは、なんにも戦えないきみが訓練したからなんだから。
なんにも戦わないきみが、愛情や絆さえあれば全部守ってくれるって思ったからなんだから。
ーー「だからカノジョは……神級の力を持つオオカミの胎として、本当の意味でクルスくんの力になる子を産んでくれるんだよ」
フェンリルがそんなこと言うわけないくせに。おじさんが、言葉じゃない言葉でカノジョを絡め取ったくせに。
ーー「きっとたくさんの子が産まれるだろう。その中からいちばん相性の良い子を、クルスくんのために鍛えよう」
きみは怒ってた、きみは悲しんでた。
でも。おじさんの指が、鞭を装備した腰に当てられてるだけで……きみは何も叫べなかった。
おじさんに歯向かってひどいことされたらどうしよう。フェンリルが傷つけられたらどうしよう。きみではフェンリルも自分も守れない……、すっかり怖気づいちゃったんだね。
ーーグウルル……グフッ、グフゥ
ーーフェァ……ァン、リルゥ……
それに、錯覚かもしれなかったけど……。フェンリルはぶちワンちゃんに愛されてるみたいだったし、フェンリルもぶちワンちゃんから離れたくなさそうなオンナノコの顔をしてたし……。
ーー「じゃあ、せっかくきみも来てくれたんだ。カノジョが元気な子を無事産めるように、そばにいてやってくれないかな?」
おじさんが、きみの肩に手を回した。
ーー「優しくしてあげるのは得意だろう? ん?」
きみとフェンリルは……、
ううん、
きみは。おじさんとぶちワンちゃんと、それにフェンリルと暮らしはじめたんだ。
それから……、
それから…………、
………………………………。
◯
「それから……えっと……なんだっけ? ……そうそう、おじさんはきみのために将来のことを話してくれて、この飼育場を任せてくれたんだよね」
……彼女の中で、『きみ』は今どこにいるのだろう。
クルスはようやっとかすかに目を開け、間近を見下ろした。
遊び疲れた子オオカミたちが……泥ぶち模様の交雑種たちが、寄り添い合って無垢に眠っていた。
「こんなにこんなに……たくさんの子供たちをくれたんだよ。ね~」
クルスは、
自分の下腹部をさすった。
「ッッ……!? まさか、おまえ……」
「……ハルトさんっ」
ハルトの肩へ手を添え、イエが首を振った。
……そうだ、クルスを介抱したのは他でもない彼女なのだから。気づかないはずがないのだ。
だが話さなかった。話せなかった。当然だ。
事実は変わらなくとも。ソレを今、言葉にしてハルトたちが問い詰めるのは誰にとっても望ましくないだろう。
「……その『おじさん』は今どこに? フェンリルも一緒か?」
だからせめて。ハルトは腰の二丁剣銃パラレラムへ指を添え、喉元まで込み上げる義憤とともに訊ねていた。
まだ彼女は救える。救えるはずなのだ。まだ。
「……いないよ~? 一緒だよ~? おじさん、『鍛えてくる』ってちびワンちゃんを1匹だけ連れてってね~……まだ帰ってこないんだあ」
彼女はまだ、ここにいるのだから……。
「……クルスさん」
「え……?」
イエは。まっすぐに、クルスを抱きしめた。
「もういいんです。もう待たなくても。……私たちと一緒に行きましょう」
「……っ……」
そうだ。こんなところに一人でいたらいけない。
彼女に限らず、異世界人たちに必要なものは。その身の『救えざるもの』にこそ惹かれた『敵ではない誰か』ではなく、共に痛みを抱き合える『仲間』だ。
「……聖女教会ってところがチート使いを保護してるんだ。おまえと同じような境遇のやつらが共同生活してて、副作用はあるがチートを使えなくする魔術なんていうのもある。異世界人ってことさえ話さなければうまくやっていけるはずだ」
「……騎士さん、魔法使いさん……うん……」
クルスはどこでもない遠くをまた見上げていたが、開かれたその目には笑みがあった。
「ねえねえ。わたし~、ワンちゃんとずっと一緒だったけど~……消えなかったよ~?」
ハルトとイエは何も応えられなかった。
二人を見回すクルスの笑顔にあった感情が、喜びなのか、誇りなのか、……悲しみなのかわからなかったからだ。
「……本当に本当に、二人に会えてよかったあ。約束だったもんね~、ずっとずっと気になってたの~」
クルスは、自分をまだ抱きしめてくれているイエの背へ腕を回した。
その手を、自分の口元まで持ってくると、
鳴りもしない指笛を吹いた。
ーーフッッッッ……!!
何も無い虚空から、二人めがけてフェンリルが飛び出した。
鋭利に開かれたその口は、赤黒く血に染まっていた。
「っっ! イエッッ……!!」
「あッ……!?」
ハルトがクルスからイエを引き剥がそうと飛び込んだ……、
だが、その時にはもう、乙女はすでに後ろへ倒れ込んでいた。
「…………ありがとう~」
イエを突き飛ばした両腕を投げ打って、クルスもまた柵のほうへ倒れていって。
フェンリルが、喉笛に噛みつきながら彼女をひったくった。
「……!? よせ……ッ……ッッ!」
飛び散った柵の破片のさなかで、イエを抱き止めたハルトはパラレラムをフェンリルへ向けた……、
が、剣銃を握る手が揺らいだ。
「ーーーー」
ーーフェン……
だって。クルスもフェンリルも、笑っていたからだ。
互いを愛するように、見つめ合っているように見えてしまったからだ。
「だめっっ……!!」
伸ばしたイエの手は、とうに届くはずもなく。
高々と跳躍したフェンリルとクルスは、
崖の向こうへ、落ちていったのだ。
……ハルトもイエも、呼吸すら忘れかけながら崖の淵へ駆け寄った。
「……くそっっ!!」
「どう、して……どうしてなのですか、こんな……」
だが。覗き込んでも、もう、求めるものは何も見えなかった。
ただただ、波打つ海だけがそこにあった。
二人の目に照りつけた痛いほどの光は、海面からの照り返しか、それとも……。
ふと、拙い遠吠えの群れが背の向こうで連なった。
あの子狼たちが壊れた柵を抜け出ていたのだ。
そして好き勝手に野生へ駆け出していく姿が見えたのだ……。
「……なあアリステラ……あいつらは異世界なんて来るべき人間じゃないよ。生きていける人間じゃない」
「くぅ……くぅ……ぅ……」
『意志』持つ生き人形はうなされていた。夢の狭間から嫌というほど現実を視ている彼女へ、わざわざ目覚めさせて話すまでもない。
「それとも……来るべき人間じゃないから、生きていけない人間だから、この世界に落ちてくるのか? もしもそれが神様か何かの仕業だっていうなら、俺はその『意志』が心底わからない」
どんな奇跡や魔法にも種がある。その『意志』を持つ何者か、あるいは何かがいる。
こんな悪夢を降らせる者は誰だ。そしてそれを跡形も無く呑み込む者は何だ。
「アリステラ……本当に、あいつら自身の意志がないと帰してやれないのか?」
アリステラを『女神』と評したのは異世界人の誰だっただろうか。
だが、そんなものではないのだと彼女自身が振り払っていたし、今ならハルトもいくばくかながら彼女の怒りがわかる。
「……あんな思いをするくらいなら。いっそ人の島に来た時点で……」
「……ハルトさん」
今度ばかりはイエも、ハルトの言葉を諌めることはしなかった。できなかった。
……その時、崖の向こうから莫大なエーテルが立ち上った。
チートが破壊された時に解放される、あの『光』と『闇』の奔流だ。
「っ!? これって、チートが壊れた時のエーテルです……!?」
ただしそれは、少しだけ様子が異なっていた。
ほんの数瞬、ごくおぼろげながらフェンリルの姿を象ったように見えたのだ。
「フェンリル!? ……そうか、あいつがチートアイテム扱いなら……」
「っ……ん……!」
ソレが天地へと分かれていく前に、イエのフードの中からアリステラの手が伸ばされた。
すると。『光』は天へと還ってしまったが、『闇』はアリステラへと吸い込まれたのだった。
「……あんな思いをするくらいならいっそ、か」
そうして彼女は眼を覚ました。彼女が司る『闇』を、一時、夢の狭間から出でるための力として。
「……くっ!?」
すると急に、アリステラは目元を押さえた。
「お姉さん……!?」
「アリステラ! どうした!?」
「っ……大丈夫……大丈夫よ」
頭痛にでも苛まれているかのような彼女の頭上に『闇』のエーテルが現れた。
形を成したそれは、薄い笑み……、
いや、無数に喰い散らされた『薄眼』で。
ただ、アリステラがチートからの莫大な『闇』を取り込んだことで、傷を癒したのだ。
今まではごくごくわずかだった癒しが、今回は、目に見えて確かに。
『薄眼』が、『半眼』へと開かれたのだ。
「…………思い出した。取り戻した」
「なに……?」
いまだ片眼を押さえながらも、アリステラは前を見据えていた。
「ハルト、イエ。今回の旅のきっかけになったきみたちの仮説は、無為な光明ではなさそうだわ」
まるでそこに、眼には見えない何かを回顧するように……。
◯
夢の狭間。
『闇』のエーテルが生んだ次元の狭間ならぬ、眠れるアリステラが現界との縁を繋ぐために用いる異空間だ。
黄昏あるいは暁のような闇がどこまでも広がるなかに、舞台セットのように壁の無い小屋が漂泊している。
ふと、ノックが響いた。
「繋ぐわ」
簡素に過ぎる廃材製のテーブルセットへ座した、生き人形ではなく等身大のアリステラが頷けば。闇に大きな『眼』の形が開き、そこに景色が映った。
『え、えっと……お邪魔しますです……それに、おつかれさまでしたのです……』
『フウウ……』『ドドドゥ……』
あの霧深い『人の島』に、エルケとフィード&ミーデが立っていた。
そこは静謐なる岸辺であり、どうやらあの灯台のクリスタルを『眼』とした光景のようだった。
「あいよぃエール。それにフウスケとドドコも」
「相変わらずの霧ねえ。……じゃがあ、なんじゃあ明るうない?」
『こ、こっちは朝なので……ほら、あっちの海の底にお日様が沈んでますから朝なのです』
「……そうなのです。人の島は朝と夜も不思議なのです」
「おまえが得意顔するようなことじゃないが、さすがいちばん長く遭難してただけあるな……」
もちろん、ハルトたち第七隊の四人もテーブルへ列席していた。ただ誰もが、いつもの調子よりもどこか覇気が無かった。
「エルケ。マリーから貰った夢日記は読んだか?」
咳払いとともにアリステラと視線を交わし、ハルトは切り出した。
エルケは、夢日記という名の議事録を大事そうに掲げてみせた。
『は、はいです。ここに書いてあることを調べてたから、ハルトお兄ちゃんたち、すぐにエルケの応援に来てくれたなのですね……』
「まあちょうどよかったのはそうだが、それだけじゃないさ。『異世界人が4人も来た』なんて泣きべそかかれたら友達として助けに行くだろ、普通」
『う、うう、墓守代行さんとして恥ずかしいです……』
「かまわないわ。すぐに自分を見失うのはあなたの悪い癖だけれど、実際、私の代わりによくやってくれているもの」
『て、照れるのです……!』
『フウァ!?』『ドッドゥ!?』
エルケが両腕を照拳鬼シャイニングガイの灼熱腕へ変えて顔を覆ったから、フィードとミーデが飛び退いた。
そんな彼女のスチャラカ加減で、ハルトたちもようやく少しだけ笑えただろうか。
そう。今と同じように窓を通してエルケに呼ばれ、第七隊は人の島へ降り立ったのである。
「……本題に入るぞ。せっかくだからエルケも聞いてくれ」
『は、はいですよろしくお願いします!』
そもそも、その時……皆はある仮説を論じるためにこの夢の狭間へ集っていたのだ……。
「あの『白式』連中や、今回みたいな異世界人の消失と向き合ってきて……俺たちはある仮説を立てた」
アリステラの記憶を解放するために『できる』ことをしはじめて早2ヶ月。……そろそろ前へ進める時かもしれなかった。
「『白式』の背後にいるアリステラの『敵』こそ、チートを世界にバラまいてる元凶。……理由は考えたくもないが、そのために異世界人を狙ってるんじゃないかってな」
アリステラの『敵』は、チートで人を汚染し、世界を壊す敵である。
ーー『でもオレたちにとって人狼様は✕✕みたいな人だよっ、だってオレにチートをくれたんだもんね!』
ーー「まだ……まだ何もはじまってない、のに……あたしの、冒険……異世界……」
あの回避男へチートを授けてしまったように。……あの転移者が肉塊の異形へ変わってしまったように。
「だから俺たちは今回、異世界人たちを救うことで何か確証が得られるんじゃないかって思ったんだ」
『闇』のかたえに立つ者と嘯いておきながら、星を乱し、『闇』そのものに阻まれるばかりの『敵』に近づくために。
「……けっきょくあいつらは救えなかった。それでも、手がかりは見つけることができた」
ハルトはアリステラへ目配せした。
「コピーしておいたわ」
視線を回した彼女の周囲に、闇色のウィンドウたちが現れた。
「シェリスが直接見たものや、マリーが執事のご老人から聞いた話によると。異世界人が消失した際には『光』が残っているの」
それらは再生された記録。
ーー無人となった椅子の周りに、ガス灯の明かりとは違う残光がかすかに立ち上っていた……。
一つは、あの休憩室を映した活動写幻。
ーー「目を何度擦っても。名残のような光がチカチカと、お二方がいらっしゃった場所にちらつくだけでした」
一つは、あの執事が語った追想の録音。
『え、えっと、異世界人さんたちの体内魔力の跡みたいな……ですです?』
「いいえ。その可能性も無くは無いでしょうけれど、シェリスの活動写幻をよく調べてみたらこんな音があったわ」
アリステラは休憩室の活動写幻を操作した。
無数の波形……録れていた音をサンプリングしたウィンドウたちが浮かび上がる。
ハイフェアリーで撮影したものではないので映像の動きはひどくカクついているが、録音に関しては通常種のフェアリーでも十全だ。
『それってつまり……』
ヲタクWikiを開いた青年カーヴァーが消失した瞬間……、
その時に何が起こったのかは、コマ送りしたとて何も録れていなかった……文字通り一瞬で消失していたものの、
極限まで増幅して、やっと、ある音を捉えていた。
『 B A N 』
……まるで首筋を啄むように、愛に満ちた女声を。
『ひ、ひうっっ、オバ、オバババオバケッ!? この声……なんだかとっても怖いです……!』
『フウ……!』『ドドド……!』
「大げさだなぃおまえたちぃ。ま、こんなのが録れてたなんてシェリスさんもビックリだけどなぃ」
「……そうだな。本当に」
その声はなにか、複数の人間が同じ言葉を重ね合わせたように違和感に満ちていて……。
若々しくて、楽しげで、
大人びていて、静かで。
「『光』はおそらく、声の主が異世界人を消失させた名残。……私たちの心を否応なしにかき乱すこの声の主こそ、私の『敵』に迫るものだと思うわ」
同じように記憶の奥底を封じられている眷属たち……エルケもフィード&ミーデも、まだ不安そうにしている。そんな様子を見て、アリステラは確信したように頷くのだ。
「それでアリステラちゃん……こっから先はわしらもまだ聞いてないんだけど。なんじゃあ、ぶち重要な記憶が解放されたんじゃあて?」
「……ええ。『敵』の正体とまではいかなくとも、次に進むべき一歩の目印にはなるモノよ」
アリステラが全てのウィンドウを集約させれば、それは大きな『眼』を形作った。
?
それは記憶である。
ただでさえ霧がかった彼方の記憶を、イバラがごとく鋭い光が端々で封じていた。
今までは。
「助けてくれ勇者! みんなだ! みんな消えたんだよ!?」
機工でも魔導でもないシャープな機械に満ちた玉座の間の中。王と呼ぶには若すぎる……幼すぎる……拙すぎる人間が、床に這いつくばって錯乱していた。
助けてくれ。みんな消えた。
そのようなことを叫んでいただろうか。
「死んだほうがマシだ!」
……その言葉に応えて、『勇者』は彼の者の首元へ得物を添えた。
長すぎる旗地に6色のクリスタルが填め込まれた、『御旗の槍』、その切っ先を。
「いいいい! ああああ!?」
だが、王は喚いた。
挙げ句、狂乱の果てにこう言った。
「も……もう1度! もう1度死ねば、今度こそ僕ちんは、僕ちんのためだけの異世界に行けるの? ねえっ、ねえっ!?」
……恐れよりも期待と恍惚が溢れ出たその表情を、『勇者』は嫌というほど覚えている。
だから、槍を握る手がひととき揺らいだ。
「ああああ《アマガヤ・スルゾン》!!」
だからその時、王は『救えざるもの』を唱えた。
頭上に、厚紙でできた箱を抱えたプロペラ式の機械が現れた……、
直後、王は、消失した。
「……あらあら。また懲りずに転者の方なんてお救いになっていますのね、勇者様」
そして『勇者』は、消えた王の向こうに立つ女を見た。
「……っ! 貴様……フロレンシア……!!」
光のイバラに遮られていた、封じられていた、その貌は……、
薄い笑みに、満ちていた。
◯
「言葉だけで言えば、取り戻した記憶の内容は単純明快よ」
自称『勇者』……、
「……『チートと異世界人の消失には、聖女フロレンシアが関わっている』」
旧き『星』の意志……、
「いつも遅れて現れる、あの機械仕掛けの救世主がね」
そして今や旅人少女、アリステラは身を乗り出した。
「行きましょう、みなさん」
そして呼応したのは、イエだった。
「もう一度。聖女教会へ」
『具現』と『時間』を司る『光』の御許へ、もう一度……。
続
(1話につき4部分構成の短編~中編連作です)
(毎週月曜日、18時頃に更新中です)
(1話完結の翌週……つまり5週間に1回、次話の準備期間として更新にお休みを頂きます。よろしくお願いいたします)
※(次回更新は5月15日(月)の18時頃です)




