Karte.22-3「ならば彼女の魂はどこへ行ってしまったのか」
【ハルト】……ベルアーデ帝国騎士団第七隊所属、双剣銃を手にイエへ寄り添う青年騎士。18歳。
【イエ】……極東ニフ国の乙女で、大体いつもレベル1なのにチートのような守護精霊の力を使える白魔法師。16歳。
【マリー】……ドワーフのミニマムレディ、妖精機シュネーヴィを操る魔導技師にして第七隊のメイドさん。19歳。
【シェリス】……第七隊隊長、魔法剣ならぬ魔法シャベルを振り回すハーフエルフの残念系王女。20歳。
【アリステラ】……イエを守護する旧き『星』の意志であり、自称『勇者』。自称17歳。
□
ーー SMS ーー
ーー ハルト『シェリスからFメールが届いた。そっちも読んだよな?』 ーー
ーー ハルト『目の前で消えた、らしい』 ーー
ーー ハルト『くそ』 ーー
ーー ハルト『待ってくれ、アリステラが何か言いたいみたいだ』 ーー
ーー ハルト『目覚めた』 ーー
ーー ハルト『代筆するぞ』 ーー
ーー ハルト『ああ、いや、いらないらしい……』 ーー
ーー アリステラ『……法則がありそうで無いの』 ーー
ーー アリステラ『宿したチートの系統、異世界人の行動、世界が彼らを認識した程度の差……』 ーー
ーー アリステラ『どれも当てはまるようでいて、どれも当てはまらずに消失してしまったこともある』 ーー
ーー アリステラ 『その不甲斐なさを、光景を、私は記憶している』 ーー
ーー アリステラ『……彼らを消し去った『敵』の記憶が封印されてさえいなければ、こんなことは繰り返さないで済んだはずなのに』 ーー
ーー アリステラ『ごめんなさい』 ーー
ーー アリステラ『マリー。もしも再会できたなら、彼を救ってあげて』 ーー
「……うん。任しとき」
腰かけていた噴水の縁から、小さなマリーはひょいと跳び下りた。
「わぷじゃ」
傍らに駆けてきた子供たちが水飛沫を掛け合い、モロにとばっちりを受けた。
サボテンピクルスの屋台の主人が「こら!」と拳を振り上げた。
「水で遊んじゃいかんっ、若旦那のバチが当たるぞ! すまなかったなあメイドさん!」
「へーきへーき! こんラバーメイドは耐火耐水仕様じゃけん!」
水の滴るスマイルを拭って。砂が薄く積もった石畳の道を、マリーは歩きだした。
マリーがやって来たのは南エウルとアイザ大陸の境目、俗に中東と呼ばれる地域のアルウル王国。砂漠のオアシスの町であった。
ーー BST:15時07分
ーー ULST:18時07分
ーー 『第七隊』フェアリーアライアンス タイムライン 同期中 ーー
か細いが尽きぬ水源は、西の隣国ジュデアと共有する湖『生海』から分化した地下水脈。かの湖は世界最大の天然コーラの採取地であるが、他へと分かれればただの水として湧き出るのである。
特にこのオアシスでは、水処理に係る設備が町の基盤として張り巡らされていて。あの噴水にしても浄水機構の中継点としてそこに在るらしい。
市民のために開かれた水の町。その流れと似て、市民による自治がよくよく循環している町に見えた……。
ーー ナビィゲート 起動中 ーー
ーー 目標まで あと 436メートル ーー
ーー ヘイ! ↑←↑← ーー
中央の高い庁舎に目が行きがちだが、フェアリーが指し示したのは町外れに見える幅広の屋敷だった。
……そしてたどり着いたマリーはきょとんとした。
そこはいかにも豪商でも住んでいそうな邸宅だったのだが、
「今日の上がり何時よ」「7時ってとこかな」「じゃあその後、いつもの遺跡前に集合な」「今晩こそお宝見つけるぞ~!」「昼間っからうるさいなあ苦学生もいるんだぞ!」「昼間まで寝てるのが問題だろ苦学生」
実質、そこはアパートメント。金は無いが夢と時間はある多くの若者と少しの中年たちが、一部屋単位で生活感を溢れさせていた。
「もし。そちらのご婦人」
「はあい?」
ふと。肩の向こうから、嗄れてはいるが柔和な男声に呼ばれて。
ひょっとして、と振り向いたマリーの前には、
「赤髪のラバーメイドドワーフ……ひょっとして貴女が、旦那様方の仰っていた待ち人ですかな?」
老齢の執事。……らしきコート姿に漁夫のシャツ『ジャージ』を羽織り、掃除用具を引っ提げた管理人がいた。
「あらごめんなさいっ、お邪魔してます! わし、ベルアーデ帝国騎士団第七隊のマリーっていいます……えっとう……わりゃーさんは?」
「失礼いたしました。わたくし、旦那様の執事を……およびお屋敷の管理人を務めております、バッチャンと申します」
「セバスチャンじゃなくて?」
「よく言われます」
「ジッチャンなんにバッチャン?」
「それもよく言われます」
仕えるお仕事の者同士、瀟洒な一礼を交わし合った。
「結論から申しますと、お捜しの旦那様方はもういらっしゃいません」
マリーが通されたのは、庭師の道具小屋が改造されたらしい管理人室だった。
一人身の老人が住むには可もなく不可もないだろう粗末な設えの中。二人がピーナッツ入り紅茶を飲み合うテーブルセットと食器類だけは華美であり、細かな傷だらけだったが大事にされている様子が窺えた。
「旧来の住人はもはやわたくしだけでございます。ご覧のとおり安アパートとなってしまったお屋敷でして、往時には旦那様ご夫婦と10人からの使用人が暮らしていたのですが」
「ごめんなさいわたし、ここにどんな方がお住まいになられてたのか存じ上げなくて。詳しい事情は話せんのじゃがのう、こう……闇色のクリスタルでできたブローチを持っちょらんかったじゃろか?」
「……! ええ、ええ、まさにこれでございましょう」
バッチャンはテーブルの天板裏をスライドさせ、隠し収納からそれを取り出した。
他でもない、ビーコンとして役目を果たしたクリスタルのブローチだ。
「そうです! 探しとったんはこんブローチっ……、ちゅうか……」
だが問題は、そう、肝心の尋ね人がもういないのだということ。
「……これの持ち主に何があったんです? なるべく詳しー話してほしいんじゃ、ちぃとでもみょうちくりんなことがあったんならあ遠慮せんで全部」
期待と不安の半々なんてものではなく、飲み込んだ感情の八割方は焦燥感だっただろうか。
「そうでございますな……」
長い息を吐きながら考え込んだバッチャンは。悩んでいるというよりかは、既に用意していた答えへ今一度の整理をつけようとしているかのようで。
「語りはじめるならやはりここがふさわしいでしょう。約三十年前、旦那様が奥様を娶られた頃が分岐点だったのだと思われます」
マリーのティーカップにおかわりを注いだ……。
≠
「今でも市民の方々から若旦那と呼ばれていらっしゃる、ロドトス男爵様は間違いなく町一番の名士でございました。
なにしろこのオアシスを見出だし、町として整備なされたのは旦那様なのでございますから。
地質調査とは名ばかりの放浪生活の中、まだ水溜まりほどしか無かった水源を探し当て、開拓していったのだと聞き及んでおります。
オアシスの水はそのままでも飲料利用できるものでしたが、ギリギリ許容される程度の衛生面でしかなく、体の弱い者などにはいささか不安な飲み水であることには違いありませんでした。
それは他のオアシスでも同じでしたが、個々人が煮沸消毒などを行うことが習慣づいていたので、さして問題にはなっておりませんでした。
ただ。旦那様はその『意識の盲点』に踏み込み……通例ならまず住宅建設などへ回される開拓資金を、浄水機構の整備へほぼ全て投入なされたのです。
不肖わたくしも含め、それで綺麗な水が得られるとて長いテント暮らしを余儀無くされた住民たちは辛かったものですが……。
旦那様は上質な水そのものを砂漠の隅々へ広く商われ、少しずつ、日に日に勢いを増されて町を豊かにされていったのです。
その分、住民たちが生活で用いる水についても非常に厳格で、一滴たりとも無駄遣いを許さない管理体制は畏れられたものでしたな。
そんな旦那様は、取引先のご令嬢を妻としてご縁を結ばれました。
娶られた奥様の名はプリッシュ。
奥様はたいそうご病弱な、いわゆる深窓のご令嬢で……、
いいえ、
この際ですから敬意を込めて忌憚なく申し上げましょう。
プリッシュ奥様は、ご病弱を理由に大抵のことを面倒臭がられる甘えん坊様でございました。
健康志向のお気持ちはお強くございまして。レッドスネークの花紋肉、マッハババロア、僧帽菌糸など中東屈指の滋養食品を毎日召し上がっていらっしゃいました。
一方、妻として旦那様の仕事上の会合へ積極的にお付き添い……していただければ無論喜ばしかったのですが、お部屋で経営マネージメントのご本を読み耽ったままほとんどお出でになられませんでした。
旦那様も、そんな奥様とは積極的に触れ合おうとはなされませんでした。
『押し付けられた奥方』という評判どおりお手に余ったのだとか、お世継ぎをご意識なされるにあたって不和があったのだとか、いろいろと耳に入ったものです。
ですがある時、少なくともわたくしども使用人たちの間でそれらの風説は吹き飛びました。
旦那様は秘密裏の依頼を方々(ほうぼう)へ出したのです。
それらは名うての治療師や退魔師を呼び寄せるもので……。
というのも。何の前触れも無く、奥様のご様子がおかしくなってしまわれたのです。
いえ、病ではありません……おそらくですが。
人格が変わった……といいますか。人が変わったのです。
良く申し上げればエネルギッシュに、憚りながら悪く申し上げれば粗暴に。
前にも増してたくさんのお食事をお召し上がりになられるように、なにより積極的にお部屋からお出でになり、旦那様のお仕事へご参加するようになられたのです。
旦那様は奥様の変貌を尋常ならざる怪異と捉え、その道の専門家たちを呼び寄せたのでした。
しかし、少なくとも人格を変えるような奇病や悪霊の類いは見つけられませんでした。
奥様ご自身へ旦那様の意図を伝えてはおりませんでしたが、かえってそれが不安を助長したのでしょう、来る者たちの悉くをたいそう嫌がられておりました。
しまいには奥様御みずから殴るわ蹴るわとヒーラーたちを追い出すようになってしまわれたので、家の品位の為にも解明は見送ることとなりました。
一方、奥様の積極的な介入により、旦那様の事業もまた変わっていきました。
激動の黎明期の中で確立されてきた種々の事々、奥様のお言葉を借りれば『保守的な体制』へ異を唱えられていかれたのです。
長いお付き合いから格別の便宜を図ることもあった大手取引先……すなわち奥様のご実家などとの『馴れ合い』を断ち切り、時には激しい舌戦を交わしたり。
水資源の厳格な管理を大幅緩和し、半数以上の関連設備を民の自治に委ねたり。
その結果、このオアシスの住民たちに愛される、地元密着型の事業主となったのです。
その結果、
取引先の間で評判が乱高下を繰り返し、
住民たちが際限なく採取と汚染を行った水源を再生させる度に資産は目減りしていき、
一事業家としてそれ以上の成長は見込めなくなりました。
現実的にいって、変革を好む資産家は内よりも外から嫌われるものです。
我々の小さなオアシスの輪の中だけなら幸せな施策ともとれたでしょう、しかして我々はそれより大きな無数の輪の中に……『社会』にいるのですから。
人が変わった奥様の手腕は、子供のソレでございました。
良くも悪くも勢いに満ち、良くも悪くもしがらみを持たない子供が、いきなり、権力や資金を持ったかのように。
築いてきた道のりを鑑みて旦那様も思うところがあったのか、ついにはご夫婦の間で喧嘩となってしまいました。
長年お仕えさせていただいてきたわたくしでもとても踏み込めない、取っ組み合いの大喧嘩です。
あまりの剣幕に使用人一同、せめて救急箱を用意してご夫婦の寝室の外で待つことにしたのですが……。
ふと、ピタリと、何も音がしなくなりました。
しかしその直後、
お二方の驚いた叫び声が、ドアのこちら側まで大きく響きました。
何か様子がおかしいと感じたわたくしは、無礼を承知でドアを開けました。
……お召し物が気崩れたまま床にへたり込んだお二方の、呆然と向き合われたご様子は今でも忘れられません。
旦那様と奥様のご表情は、同じようでいて対照的でございました。
旦那様はなにか諦めたような失意のご表情を、
奥様はなにか受け入れたような失意のご表情を。
「そうだったんだね」、と。お二方はどちらからともなく頷き合いました。
わたくしは、続く言葉の一言一句をいまだ覚えております。
ですがわたくしは、その意味の一つ一つをまだ理解しかねております。
奥様は仰いました、
「私……じゃなくて僕は、ニキラレルって世界からやって来たんだよ」。
旦那様は仰いました、
「俺は36PTという世界からやって来たんだ」。
その瞬間、
お二方は、消えてしまわれました。
言葉どおりの意味です。
わたくしが見ている目の前で、瞬く間すら無く、消え失せてしまわれたのです。
自分がおかしくなったのかと血の気が失せました。
目を何度擦っても。名残のような光がチカチカと、お二方がいらっしゃった場所にちらつくだけでした。
わたくしの見たものが、他の使用人たちに信じてもらえなかったのは言うまでもありません。
とにかく行方不明には違いありませんでしたから、それからは方々を探し回りましたが……手がかり一つさえ見つけられませんでした。
やがて旦那様の資産は事業の権利を含め分配され、使用人たちもいなくなり、この曰く付きのお屋敷のみが残りました。
維持費の為、誠に出過ぎた真似ながらアパートとして運営させていただいておりますが……、
わたくしはこの身が動かなくなるまで、ここを守っていく所存でございます。
旦那様と奥様がお帰りになられた時、何もかも残っていないのではあまりに寂しいですから……」
□
「……消え、た」
薄々わかってはいた。
屋敷の様子から見てもその消失は何年も前のこと、救いようが無かったことだ。
それでもマリーは、ついぞ再会できなかったあの『服』を偲ばずにはいられなかった。
「……ところでミセス・マリー。おかわりまで召し上がっていただいて嬉しい限りですが、お腹の調子にお変わりはありませんかな?」
「ほえ? え、ええ大丈夫ですよ、牛乳ガブ飲みしてもお腹緩くならない体質なんです、わし。むしろお子ちゃまみたいにえっとー(たくさん)飲み過ぎて悪いですのう」
「ああ、いえいえ……失礼いたしました、そういう意味ではないのです」
マリーが笑顔を取り繕うと、語り終えたバッチャンも穏やかな笑みとともに喉を潤した。
「水が民へと開かれた町の様子をご覧になったでしょう。……このオアシスの水は、ご夫妻の管理下にあった頃とは異なり安全基準ギリギリの水質でして」
「えっ……?」
そう告げられるまでマリーは気づかなかった。気づくはずがない。
なにせ町の中では。浄水設備の間を循環する水を、誰もがそのまま、豊かに利用していたからだ。
「もっとも、今や誰も気にしてはいません。水質の低下は民の自治に任されるようになってから毎年わずかずつのことでしたし、言うなれば町ができた最初の頃と同じ、他のオアシスと変わりない水質なのですから」
「町は大きくなったのに……振り出しに戻ってもうたんじゃね」
「そうですな。むしろこの先こそどうなることやら。旦那様の徹底管理体制かプリッシュ奥様の民営改革か、どちらも違った意味で民を幸せにはしましたが……ご夫妻という唯一無二のカリスマを失っては澱みゆくばかりです」
いくら豊かに大きくなろうとも、ここは良くも悪くも『子供』のように痛快な手腕が最初から最後まで引っ張ってきた町。
その『子供』は、もう、いない。
「思うに、ご夫婦のようなカリスマは一つの社会が育つために必要ですが……。お二方ともに、ご自身がいなくなられても続く社会にまでお考えがまだ及ばなかったのでしょうな」
町ではこれから先も、かつて屋敷に在った主を『若旦那』と呼び続けるのだろう……。
「……あの。一つ訊いてええかのう?」
「どうぞ」
「わからないんです。みんなからの畏敬を受けて厳格にこんオアシスを興してきよった旦那様なんに、自分とは真逆の舵を切りはじめた奥様を止められんかったんじゃあ?」
バッチャンは、ゆっくりと、大きく頷いた。
どこか嬉しそうに。
「……それはですな。積極的にお触れ合いになることこそありませんでしたが、旦那様は儚く甘えん坊な奥様を愛していらっしゃったからです」
それこそがまるで、訊ねられるまでは自分から話すべくもない秘密であるように。
「人がお変わりになったような奥様をご覧になって、旦那様は仰っていました。『まるで魂そのものがすり変わったかのようだ』、『ならば彼女の魂はどこへ行ってしまったのか』。その混乱と憔悴の中で事業にも消極的になり、奥様の発言力が勝ったのが一つ……」
それは悲しい思い出のようだったが、それでも、執事は静かな目の奥に温かな何かを抱いていて。
「あるいは後になってこうも仰られていました。『人が変わったとて彼女を信じたい』、『活力に満ち溢れた彼女の幸せを是としたい』……と……」
老人は深い皺が刻まれたその目元をごまかすように揉み、闇色クリスタルのブローチを改めてマリーへ差し出した。
「……持っていってくだされ。奥様がお変わりになられた頃でしたが、あのお方はしきりに誰かをお待ちになっていたようで……やがて諦めたように、わたくしへこちらをお預けになったのです。もはやわたくしが持つべきものではございません」
「バッチャンさん……」
「ささ、不躾ではございますがそろそろ爺やは仮眠の時間ですので。まったく管理人業務というものは昼夜の境がうやむやになっていけませんな」
「うん……ごちそうさまでした。また、わしらの地元のお茶でも持ってお邪魔するけえの」
一足先に席を立ったバッチャンの背中は、もう十二分に整っている寝床をベッドメイキングしはじめて。
椅子を引いたマリーもまた、ブローチを手に取るとともに立ち上がった……、
そして、
ーー返シテ
そして、
テーブルの下に、うずくまった女の亡霊を見た。
「…………っ!?」
ーー返シテ……私ノ体……
病弱そうで、どこか人に甘えた顔つきをした……エーテル(魂)の残り滓を。
ーー許サナイ。アノ男
ーー返 シ テ ェ ェ ェ ェ ェ ェ ェ ェ ェ ェ ェ ェ ェ ェ ェ ェ ェ ェ ェ ! !
……バッチャンが振り向いた。
マリーが、何もいないテーブルの下を凝視しながら尻餅を付いていたからだ。
「……ミ、ミセス・マリー……?」
「っっ……!!」
マリーは……メイドの礼節も息詰まって、ただただ外へ飛び出していくしかなかった……。
?
それは記憶である。
ただでさえ霧がかった彼方の記憶を、イバラがごとく鋭い光が端々で封じていた。
「ーーーーーーーー! ーーーー! ーーーーーーーーー!?」
機工でも魔導でもないシャープな機械に満ちた玉座の間の中。王と呼ぶには若すぎる……幼すぎる……拙すぎる人間が、床に這いつくばって錯乱していた。
助けてくれ。みんな消えた。
そのようなことを叫んでいただろうか。
「ーーーーーーーーー!」
死んだほうがマシだ。
……その言葉に応えて、『勇者』は彼の者の首元へ得物を添えた。
長すぎる旗地に6色のクリスタルが填め込まれた、『御旗の槍』、その切っ先を。
「ーーーー! ーーーー!?」
だが、王は喚いた。
もう1度死ねば、今度こそ自分は自分のためだけの異世界に行けるのか?
……恐れよりも期待と恍惚が溢れ出たその表情を、『勇者』は嫌というほど覚えている。
だから、槍を握る手がひととき揺らいだ。
「ーーーー《ーーーー》!!」
だからその時、王は『救えざるもの』を唱えた。
頭上に、厚紙でできた箱を抱えたプロペラ式の機械が現れた……、
直後、王は、消失した。
「……✕✕✕✕。✕✕✕✕✕✕✕✕✕✕✕✕✕✕✕✕✕✕✕✕✕✕✕✕✕、✕✕✕」
そして『勇者』は、消えた王の向こうに立つ✕✕を見た。
「……っ! 貴様……✕✕✕✕✕✕……!!」
光のイバラに遮られ、封じられ、その貌は見えなかった……。
◯
「……やはり、『転生者』だったのね」
荒れた潮風の奥へ歩いていけば、イエのフードが、そしてその中で目覚めたアリステラの長すぎる闇色髪がたなびいた。
ーー 不明な管理者権限 ーー
ーー SMS ーー
ーー ゲストマスター追加:『アリステラ』
「人の島でチートが発現しなかった異世界人には大別して2つのパターンがある」
言葉を発していけば。彼女が権限を拝借したハルトのフェアリーが、同じ文言のSMSを送信していった。
「何らかの条件を満たしていないゆえにまだチートが使えない者か、……他者への憑依・乗っ取り・融合を以て生まれ変わる転生者」
……『傍迷惑な亡霊』。以前、転生者のことを話だけ聞いていた青年騎士はそう一蹴したものだ。
ーー マリー『……出発前に聞いてはいたけど。実際、そんで壊れてもたもんを目の当たりにしてまうといたしいのう』 ーー
ーー 再生終了 ーー
ーー 音声記録:『バッチャンの証言』 ーー
実際にその功罪を目の当たりにしたマリーの思いはいかばかりか。
「マリー……とにかくおつかれさま、気に病まないで。また後で会いましょう」
ーー マリー『うん。ハルト、イエちゃん、アリステラちゃん、そっちも無理しないでつかあさい』
……ハルトは頷き、フェアリーをホルスターへ戻らせた。
「……俺たちに救えるのか? 半年とか何十年も過去に現れてしまうんじゃ、あいつらの『意志』を考えると十中八九……再会した時には……」
「ハルトさん、それでも私たちは『できる』ことをしなくては。そうでしょう?」
鈍くなりかけた足取りは、ピンとまっすぐ張られた真白の背中に鼓舞される。
ハルトは「ああ」、歩みを緩めることのないイエの傍らへ改めて寄り添った。
「……ハルト、イエ、ありがとう。気休めにもならないかもしれないけれど、私の『勇者』の記憶が囁いているわ……全てが全て、救いの無かったものではないと」
ハルト、イエ、そしてアリステラは、海辺の崖へと続く緩やかな坂を上っていた。
「最後まで諦めてはいけない。この先にいるはずの彼女を探し……て……」
苦しげに、悔しげに、魔力の尽きた守護精霊は眠ってしまったものの。青年騎士と白魔法師乙女は、彼女の意志を確かに背負ってゆくのだ。
ーー ナビィゲート 起動中 ーー
ーー 目標まで あと 105メートル ーー
ーー ヘイ! ↑↑↑↑ ーー
三人がやって来たのは北エウル大陸のブライティナ連合国。その連合を構成する4つの国の内、イーレェと呼ばれる地域だった。
北エウル大陸は東西の島が噛み合った形をしており、東側のやや細長い島をブライテン島といい、西側のやや丸い島をイーレェ島という。
ブライティナ連合国は世界随一の魔法大国ではあるが、各地の都市部から離れれば、冷たい潮風に満ちた原風景ばかりが広がっている。
イーレェもまた。標高の高い海岸に囲まれ、険しい断崖や丘陵ばかりが街より目立つ大地だった。
ーー BST:16時22分
ーー BMT(ブリニッジ標準時):15時22分
ーー 『第七隊』フェアリーアライアンス タイムライン 同期中 ーー
そしてハルトたちが目指した場所は。都市はおろか街道の宿場町さえ近場に無い、小高い岬にすぎなくて……。
潮風に乗って、かすかに、異臭がした。
「っ。この臭いは、なんだ?」
「獣の匂いと……糞尿、でしょうか……?」
水っぽくすえた臭いが、岬の先端にあった建造物から手を伸ばしてきていた。
「牧場、いや、飼育場か?」
牧場にしては柵の囲いが小規模すぎる、二階建ての一軒家が建っていたのだ。
異臭の次は、可愛らしいのに耳障りなほど大量の鳴き声が届いてきた。
「あれって……。おい、なんだよ……」
そう、柵の内側で……、
いやにくすんだ毛色の獣たちが、幼い体躯を張って走り回っていた。
「……オオカミの子供じゃないか。あんなにたくさん」
痩せぎすで糞尿にまみれ、それでも無邪気に遊んでいるオオカミの子供たちが。
「ーーあっ……やっと、やっと来てくれたんだあ~……」
そして。子狼たちを眺められる軒先のポーチで、彼女は安楽椅子に座っていた。
……ハルトも、イエも、アリステラも、しばらく言葉が発せられなかった。
「2年と8ヶ月と16日ぶりだね~。えへへ~、数えてたんだあスゴいでしょエラいでしょ~」
あのクリスタルのブローチをブレスレットとして身につけた、妙齢の女性が笑いながら手を振った。
皮脂でぬらぬらと凝り固まった髪を揺らしながら、垢で黒ずんだ相貌の中で虚ろな目を細めながら。
腐ったエサが残った空き箱や糞尿入りの袋を、荒れきった家の隅へ押し入りながら。
多頭飼育崩壊を起こした飼育場に、ここに、『✕』の姿だった彼女はいたのだ。
あの大狼フェンリルの姿も見えず、一人で……。
「……ひどい……ひどいです、こんな……何があったのですか……」
「はじめまして~、わたしの名前はクルスっていいま~す。なんちゃって~」
「ふざけるなよ……! どうしたんだよおまえっ、この有り様は!」
クルスと名乗った彼女が、張りついた笑顔のまま「ひっ」と息を呑んだ。……首を絞められたかのように、あまりにか細い声だ。
目前まで踏み込もうとしていたハルトもハッとして。内から寒々しく震える身を、一歩下げるしかなかった。
(1話につき4部分構成の短編~中編連作です)
(毎週月曜日、18時頃に更新中です)
(1話完結の翌週……つまり5週間に1回、次話の準備期間として更新にお休みを頂きます。よろしくお願いいたします)




