Karte.18-1「……貴賊(バンブル)だ」
【ハルト】……ベルアーデ帝国騎士団第七隊所属、双剣銃を手にイエへ寄り添う青年騎士。18歳。
【イエ】……極東ニフ国の乙女で、大体いつもレベル1なのにチートのような守護精霊の力を使える白魔法師。16歳。
【マリー】……ドワーフのミニマムレディ、妖精機シュネーヴィを操る魔導技師にして第七隊のメイドさん。19歳。
【シェリス】……第七隊隊長、魔法剣ならぬ魔法シャベルを振り回すハーフエルフの残念系王女。20歳。
【アリステラ】……イエを守護する旧き『星』の意志であり、自称『勇者』。自称17歳。
「うちもアーちゃんみたいに必殺技とか伝授したりたい!」
「いきなり何だルルさん」
ベルアーデ帝国王妃、ルーデリカ・ルル・ベルアーデが拳をシェイクさせれば。エルフな彼女の旦那である帝王スツルク・アハトズィーベン・ベルアーデは、その大きな手には不釣り合いなほど小さく見えるティーカップをテーブルへ置いた。
南エウル大陸、その中西部を席巻せしめるベルアーデ帝国……、
帝都ベルロンドのグレートベルアーデ城(正式名)の屋上には、黒鉄の機工城郭と調和した一大庭園がある。
その名も『サイレントルーデルズ』(正式名)。
『ルーデリカの森閑』ぐらいのニュアンスだろうか。国立薬院の薬師でもある王妃様が趣味と実益を兼ねて色とりどりの花実をコレクションし、水道まで引いて育んでいる様は確かに安らぎが満ちていた。
「なんでってほら、うちらかてその昔はブイブイ言わせたレジェンドなわけやん? やっぱ先ゆくこの子らニュージェネレーションズに先輩風吹かしたいやん~」
「いやナンデもなにも聞いてないって女将さん。自分でレジェンドとかいうなよ」
年に一度くらいしか一般へ開放されない庭園ではあった、が、帝王夫妻のファミリーならその限りではない。青年騎士ハルトたち……帝国騎士団第七隊はランチに招かれていた。
「なにをぉ~ハルちゃん、うちの地元でも本になっとるぐらいなんやでぇ? 跳ねっ返りの上京田舎エルフが暴れ王子を射止めたっちゅうてな、ブイブイ!」
「そういうレジェンドの話かよ……てかそれだけ聞いたら伝説っていうかただの大衆小説だな」
「言うとき言うとき男の子。いつかわかる時が来るほふふふ」
ハルトは「何がだよ」とは口に出さずに苦笑した。エルフ弁というものは放っておいたらあちらこちらへと話題に忙しなく、はてさて何の話をしていたのだったか。
「必殺技……。あの、私は遠慮させていただきます。殺めるための技は極力持ちたくないのです」
「マジメかいな! ちゃうちゃうイーちゃん、体内魔力を全ブッパして逆転狙うアーツ全般を『必殺技』ゆうんやで。攻撃でも回復でも補助でも可ぁや」
「なるほどです。むむむ、お姉さんもムウ修道会もそれは教えてくださりませんでした」
「おまえの場合知らないことが多すぎるから、要所要所で教えたほうが効率的なんだよ……」
「すや……ぅん……すてぁ……」
「ほらアリステラもそう言ってる。寝言で」
そうだ『必殺技』の話だった。ドールサイズの生き人形少女アリステラを膝に乗せた彼女……極東ニフ国よりの白魔法師イエはどうせうまく発音できないだろうから、『フェイタルアーツ』の別名は教えないでおこう。
「アーちゃんがイーちゃんに教えたったんは、よそからぶんどった『チート』の力を使うスキルやろ? カッコええけど持ち玉無い時が心配やわ、旅する女の子は必殺技の一つも持っとかんとなぁ」
そも、『スキル』とは聖女フロレンシアが指標化した概念であり、正確には『スキルツリー』システムという。
誰もが持っているいくつもの『タレントスキル』を起点として『アーツスキル』へと連なっていく、文字通り樹状の概念である。
0~3のスキルレベルで表される才能の内で様々な技を覚えていき、時には『必殺技』に代表されるような己だけのユニークスキルを編み出していくのだ。
なお『タレントスキル』も『アーツスキル』も、日常的にはどちらも単に『スキル』と呼ばれがちだ。フェアリーが観測する《ステータス》が『スキルレベル』を発するかどうかが一つの見分け方だろうか。
「そうでぃお袋、どうせなら合体技とかアツいのだわ」
「おっ、わかっとるなぁシェリちゃん!」
「何も固まってないうちからネタだけ追加するなって……!」
「動かないのシェリスさん! 整え整え……あ、枝毛じゃ」
「処すのだわ。ふぁ~あ……」
と、欠伸を噛み殺した王女シェリスはハーフエルフの美貌も台無しに寝起きバリバリ。彼女の侍女であるドワーフレディのマリーが、絡まった縦ロールへ櫛を通しながらプレッツェルを咥えていた。
ちなみに。マリーはいつものラバーメイドだが、シェリスは一張羅の黄金バトルドレスではなくベビードール姿である。
「……あとな、だからおまえな、毎度毎度そのカッコで出てくるなよ……ああよせよ寝間着だから気にするなって言い訳はするなよ、それはぶっちゃけ下着だ」
「ほはははは文句は面と向かって言うもんだぜぃ兄弟ぃ。このファミリーデイの時ゃあシェリスさんもクエストは休んでやってるのだわ、まだまだ寝ててぃのに必ずこの時間に起こされっから仕方なく緊急参加してやってんのだわ~」
「おまえ、家族のことだとバカになるのが下手だよな」
「てやんでぃ何が下手だってんでぃ、てか誰がバカだってってってんでぃ」
ハルトは絶対にそちらへ向かなかったが、テーブルにおみ足を乗せた姫君はバカみたいに笑っているに違いなかった。
「そやなぁ。イーちゃんはせっかく『光』と『闇』の魔法適性があるさかい、うちのエルフとしての知恵が役立つ気がするでぇ。知らんけど」
「そんなぁ」
一方、イエとルーデリカは本当に必殺技考案を茶飲み話にしていて。薬を扱う者同士として年の離れた先輩後輩のような二人を、スツルクが温和に眺めていた。
「エルフ弁の言葉遊びだよイエくん。大丈夫、たとえ口から出るに任せた思いつきでもルルさんは有言実行初志貫徹の女だからな」
「ってこらこら、マカロンは朱肉やないでスーちゃん。今日は月イチの家族交流日なんやから仕事んこと忘れる!」
「おっと。いやあ、すまないすまない」
大臣の一人も置かず、実質ワンマンで帝国の全てを決裁している帝王は捺印ムーブに手が動いてしまっていた。
「そういうたらイーちゃん、『必中』効果付きの技も持っとらんかったっけ?」
「あ、はい、《必中/すーぱーすとらいく》なのです。実家の家訓で『杖で殴るのは罰当たり』と教わったので、オドエーテルで杖を作って殴ります。必ず当てられますけど青さめにもダメージ0です」
「ツッコミどころの塊やないかいっ。……せやけどまあオドエーテルで具現化ができるっちゅうならふむふむふむ……」
「月イチ家族交流日の会話か……? これが」
「帝位を取っ払えば俺たちもまだ現役の冒険野郎なのさ。シェリスを授かる前は家族の日というより二人してズル休みでクエストに出かける日でなあ、その名も『チートデイ』……っとすまんなハルトくん、きみには禁句だったかなふはははは」
「そこまであっけらかんとからかってくれるならべつにいいよ親父さん……」
ーー シークレットモード ーー
ーー レベル■■■ ■■■■■■■■ ハルト ーー
普段はこんな感じにグダついているが。ハルトたちは自称『勇者』アリステラに導かれ、記憶を封じられてしまった彼女を救うべく活動している。
目下、神代の世を乱した背徳者一派と同じ名を称する『白式』たちとの再戦に備えていて……。
ーー 新着Fメール 1件! ーー
ーー 新着Fメール 1件! ーー
ーー 新着Fメール 1件! ーー
「「「ん?」」」
ふいに、ハルト、シェリス、スツルクのフェアリーがまったく同じタイミングで通知を歌った。
「こら娘よ、父のフェアリースティグマを懸賞応募に使うんじゃあないと言っただろ」
「べらんめぃ、最近はやってねぃっての。てか呪いメール踏んだのは親父の不注意なのだわ」
「って、なんだこれ?」
ジト目を向けあった父娘より先にFメールを開いたハルトは、それこそ呪いのメール(カースメール)でも開いたかと一瞬ギョッとした。
というのも青年の前に現れたウィンドウには……、
『7/16 X:32.76424 Y:-17.01008』
今日の日付と、座標らしい数列だけが記載されていたからだ。
「なんやそら。今日の日付と座標……新手の果たし状かなんかかいな?」
「……わからないか? ルルさん」
肩をすくめたルーデリカに対して、のんびりと微笑んでいたはずのスツルクが険しい顔をしていた。
「アホぬかし、こんなもんポンと見せられてパッとわかるヤツがどんだけおんねん」
「それは、そうだが」
みるみるうちに声の調子まで硬くなっていく彼に対して、嫁はあくまでもいつもの調子で腕組み足組みしてみせて。
「……ほいでも、あんたがそんな顔すんなら見当はつくで。……貴族関係やろ」
「……ああ」
「っ? おば様、おじ様、それって」
「な、なんだよマリーまで……なんの話だ?」
打って変わってしまった重い雰囲気に、ハルトは不安を感じずにはいられなかった。
「……しゅん。私だけフェアリーを持っていないので参加できないです」
「そういう問題じゃねぃのだわイエ子」
それに。フェアリーと未契約のイエはともかく、この場の面々でマリーとルーデリカにはFメールが来なかったのも何か理由があるのだろうか。
「ああ。この座標は南エウルと聖霊大陸の狭間にある、マッドエイラという島を指してるんだ」
ファミリーたちを見回して言ったスツルクは、次いでルーデリカを見つめるのだった。
「……貴賊だ。たしかに、亡霊からの果たし状だよ」
Fメールの送信者欄には、文字化けした羅列だけがあって……。
◯
北フロレンシス海の東端、マッドエイラ諸島。
諸島といっても実質的に島は一つだけ。あとは船が辛うじて停泊できるだけの陸地が、本島への唯一の玄関口として細長くくっついている。
この島の地理のほとんどは鬱蒼とした山岳である。木々が比較的少ない外周部ですら傾斜の厳しい荒野ばかりが広がっていて、定住には向いていない。
《ファストトラベル》できる地脈のエーテル結節点すら無い。
なにより忌み地である聖霊大陸に近いため、人が住んでいた形跡はもう数十年も無いようだった。
「ベルアーデ帝国は、もともと南エウル大陸を牛耳っとった貴族連中を引きずり下ろす過程で興った国や。せやけど20年くらい前、貴族の子孫や門弟が反ベルアーデ同盟を掲げて武装蜂起……当時の王城の大臣どもと結託して、革命、ううんこの場合はクーデターを起こしたんよ」
人力ならぬ機工でオールをぶん回す帆船『ディスレイブ』の小型モデルを爆走させながら、ルーデリカは語ったものである……。
「その同盟の名前が『貴賊(Banble)』ゆうてな。『Bandit』と『Nobleを合わせた造語で、まー自分らこそ『Bumble』ご先祖の復讐者なんやって自嘲と戒めやね。
言い得て妙なもんで、あいつらは没落貴族になってもうた過去の失敗をまるごと受け入れとった。『勝てば官軍負ければ賊軍』……今の自分らは負けた賊軍に過ぎひんけど、せやからこそどんな手段を使うてでも官軍になるゆうてな。
良くも悪くもそれが、没落どころかそんまま絶えてった他の貴族たちとの違いや。
あいつらはなりふりかまわんかったし、しがみつくもんも持たんかったんや。
失うもんなんてなんも無い、持たざるモンの逆襲……帝国の元んなった『ベールウルフ傭兵団』が貴族に噛みついたんとおんなじ流れや。
ほんで、結果的にベルアーデはたった一度の電撃戦で『バンブル』に支配されてもた。
国家権力の中枢はあいつらやのうて、あいつらを出し抜いた大臣たちに占有されたんやけどな。
もともと『バンブル』の目的は自分らの家の復興と復権やったさかい、コネさえできれば中央の支配そのもんは重要やなかったんやね。
実際、帝都ベルロンドから根こそぎ奪った金銀財宝を元手に、『バンブル』たちは中央以外の各地を支配したんや。
ガワだけ残ったベルアーデ帝国は、暗殺された帝王の代わりに王子を次期帝王に立てとったけどな……そんなもん建前にもならへん。森のエルフから見ても国は崩壊しとったわ。
そもそもその王子かて、大臣連中が摂政の座を奪い合いはじめた時にはもう、幽閉を脱出して復讐の旅に出とったし。
それが、のちに『ノーブレス』なんて呼ばれるよぉなるこの人……スツルク・アハトズィーベン・ベルアーデなんや」
「その忌み名のことだけは余計だぞ、ルルさん」
彼女がそう締めくくって舵を回せば。マリーを肩に乗せて機関室から跳び上がってきたスツルクは、オイルの付いた鼻先を黒々と拭った。
「これから行くマッドエイラの奥には、俺やルルさんが倒したとある貴賊の本拠地があるんだ」
スツルクはフルアーマーと見紛うほど重厚なプロテクターを装備していた。
ルーデリカはエルフの機動衣装としては一般的なビスチェとスカートの装いに、やはり薬師風のガーデニングエプロンとドレスグローブをつけていた。
二人とも見るからに戦闘態勢である。
(とんだファミリーデイになりそうだな……)
そんな軽口も言葉に出せなかったハルトも含め、第七隊はもちろん帝王夫妻に同行していた。
船首の先を見ればすぐ向こうに、マッドエイラ諸島が、そして朽ちかけた停泊所が見えて……。
……、
…………、
……………………、
数十分後、
「あっっっっぶなぁぁぁぁ!? スーちゃんのアホンダラぁいま掠ったて丸太ぁっ、うちの鼻があと2ミリ高かったら死んどったでぇぇ!?」
「慎ましい奥さんを持てて俺も鼻が高いよ、っ、と、いだだだだ向こう脛はやめてくれ今はやめてくれ大人しく伏せててくれっ、ふんぬぁぁぁぁ……!」
ーー ベールウルフ レベルEX(特殊) ーー
ーー 《ドゥームシュタイン》 ーー
ーー レベル58 ハックスラッシャー スツルク・アハトズィーベン・ベルアーデ ーー
掴んだ物を己の肉体もろとも超強化するユニークスキルによって、スツルクは、引っこ抜いたままの巨木をオール代わりにイカダを漕いでいた。
「ハルトさん、お船であんなに吐いたのでもう吐けません。……ぅ、えぅっぷ……」
「いや絶賛吐きそうになってるやめろやめろ回るな回るな怖い怖い怖いそのルーレットぉ!」
「へいマリー、シュネーヴィに全員乗れねぃってんならやっぱ親父とお袋置いてこうぜぃ。あんなイチャイチャ見てらんねぃやぃ」
「イチャついとんならあアレ!? じゃなくてダメッッ、わしの『ベル』の名にかけてそんなことできません!」
第七隊プラス帝王夫妻は、深すぎる谷間の激流を下っていたのだ。
「親父さん! 女将さん! シェリスじゃないがやっぱ俺たちが調べてくるってっ、二人とも船で待っててくれって!」
「ほーっはっはっはっはそのとおりだぜぃ! あんなメールなんざ見るからに罠なのだわ、鈍った中年二人は大人しくしてやがれぃ!」
御身に何かあったら取り返しがつかない。もともとワンマン経営な帝王夫妻だが配下の誰にも告げずコソコソと抜け出してきたぐらいだ、この出撃が望ましくないものであるのは重々承知しているはずだ。
だからこそ道中で何度もハルトたちが諌めてきたのだが、けっきょくここまで先陣に立たれっぱなしだった。
「わるいがこちらも引くわけにはいかないな! 罠にしろイタズラにしろ俺たちのけじめの問題なんだ、子供たちに投げるわけにはいかない!」
「そそ! どっちも引かれへんなら、せめてみんな揃って突撃するのんがいちばん安全や! せいぜい守ってや~っ、あんたら!」
「はい、お任せください……! 罠解除ですね、どこですか、ぐるぐるぐるあういうえう、う、おえぇぇ……」
「わかってるようでわかってない……! ああくそわかったよっ、頼むからこんなところで落ちたりしないでくれよな……!」
「えいえいお~! や!」
ルーデリカが拳を掲げた時。イカダは崖に掛かっていた鉄板の前を……強烈に洗い流されたように文字が読めなくなっている看板の前を、通過。
ゴトンッッッッ。
「「「へ?」」」
すると。持ち主を失った大木オールがイカダを打ち、イエ、マリー、ルーデリカは跳び上がった。
ハルト、シェリス、スツルクが、いなくなっていた。
「ほええええええええ!? シェリちゃんハルちゃんスーちゃん!? なんで!? なんでなんでぇ!? 落ちたぁ!?」
「あわわわわわわわわ、わ、私っ、ちょっとそこまで潜って様子を見てきます……!」
「落ち着いてイエちゃんそれ帰ってこないヤツうううう! ハ、ハイホォォォォッッ、シュネーヴィ!」
ーー 《イークイップ》 ーー
ーー レベル26 妖精機シュネーヴィ ーー
『ーープ、プシュルルルゥ!』
マリーのコールとともに上空に次元の狭間が出現。全長約2.5メートル、赤銅色の鉄巨人が飛び出してきた。
魔導技師マリーの写し身たる鋼のメイドメカ。内部に搭乗した七体のフェアリーが駆る、妖精機シュネーヴィだ。
人には教えられない体重のカノジョがイカダに着地すれば、それだけでまた三人はバウンドして。
「シュネーヴィ漕いで! 漕いでえ! おば様とイエちゃんもバランスとってとってつかあさいいいい!」
『ガ、ガ、ガ、ガ、ガッ!』
「アホぉぉっ、シュネちゃんがそもそも重いんやて! あんたのオカンもそやけどもっとシュッとしたメカ造りぃぃやぁぁ!」
「ハルトさん……!」
イカダの端にしがみつき、荒れ立つ水飛沫に目を細めながら。イエは、何も……誰も浮かんではいない激流を見回していた……。
◯
「「「……………………」」」
ハルトたちは。ピクピクと震えながらぶっ倒れていた。
三人揃って、並ぶ木の幹に腹や背から激突していたのだ。
「ハッ」
とハルトが起き上がれば、とっさに息を止めようとしたが溺れてはいなかった。
「は、はあ? ……林?」
そこは松の木ばかりがなぜか等間隔に立ち並ぶ、谷底の林だったのだ。
ただし、激流に満ちていたあの谷と同じ場所のようだ。
というのも見上げた崖に、ハルトたちが激突する前に見えた鉄板の看板が掛かっていたからだ。
『ようこそエデン・グラーフへ →→ 』と気取った筆記体で描かれた案内板が。
「これは……いやはや、どうしたものだろうな」
「ぺっぺっ。あぁん……? なんでぃこの林、水に浸かっちまってんじゃねぃかぃ。水没林ってヤツなのだわ?」
そう、林は足首ほどの高さの水に浸かっていた。それも急な冠水による泥水ではなく、かすかな陽光を照り返して幻想的にさえ映る清水に。
「ったくよぃ、いったいぜんたいどうなってんでぃ? 気づいたらこのクソ松にドーンッだったのだわ」
「っ、そうだイエたちはっ? いないぞ……!?」
急に水没林へ変わったことも奇妙だったが、イカダの影も形も無ければ、イエ、マリー、ルーデリカの姿も無かった。
「落ち着けハルトくん、この林なら俺が知ってる……たぶん俺たちだけ異空間にでも飛ばされたんだろう」
「はあ? ど、どういうことだよ親父さん、わかるように言ってくれ」
「……説明が難しいんだよなあ。こんなふうに水没してること自体が意図的というか、悪趣味が透けて見えるというか……まあとにかくついてきてくれ二人とも。たぶんそれしかルルさんたちと再会できる道は無い」
「意図的……? 悪趣味?」
「おーぅ乗ってやらぁ口下手親父。ただし先頭はシェリスさんなっ、ほはははははっでゃゅるっっ」
「待った」
歩きだしたスツルクを追い抜いて爆走しようとしたシェリスが、父に襟首を掴まれて逆上がりしかけた。
「『ついてきてくれ』と言っただろう。先に行くと危ないぞ」
「なに言ってやんでぃ!?」
持ち上げたまま、父は娘の縦ロールに絡まっていた小枝を抜き取ると松の木たちの合間へ投げた。
バヂッ……ジュルリュ、リュ、
「「うへ」」
と。水泡じみた水属性のバリアに当たった小枝は、水ぶくれを起こすようにふやけ、原型を留めないまでに崩れてしまったのだった。
「やっぱりあるよなあ。この林は正しい松のあいだを進まないとこうなるんだ、癒し手のルルさんもイエくんもいないんだから慎重に頼むぞおまえたち」
サッッと、ハルトとシェリスはスツルクの背へ一列に並んだ。
「……えーとどっちだったか、たしか最初は三本松のこっち松……ああくそ、うろ覚えだな」
「頼むよ親父さん……!」
「なぁにが『ようこそ』でぃあの看板! てんでウェルカムじゃねぃのだわ!」
枝を拾い集めてはスツルクが示したルートへ投げていって……半分くらいはバリアにやられるのを見ながら……三人は歩いていったのだ……。
……、
…………、
………………、
そうして、半刻近くは進んでいった先で。
「穴だ……」
ハルトはまた唖然としていた。
林を突破すると、そこは直径数キロはあるだろう大穴の底だった。
切り立った崖は登っていくには絶望さえ覚える高さだが、その威圧感を和らげるように要所要所へ看板やモニュメントが飾られ、全体的に舗装されていた。
それに、魔力蒸気を噴きながら膨大な数の照明や降雨装置が設置されていた。
「……街だ」
大穴の底には、街があったのだ。
無数の魔導機構に満ち、ただし一般的な金属製ではなく木材や粘土でハードウェアを拵えた……ハイテクなのにどこか牧歌的な街だった。
「植林地に製材所、大井戸に浄水場、牧場に畑に果樹園、活動写幻館にスタジアムにカジノに大浴場……ほぇ~い一通り揃ってんじゃねぃの」
巨大タウンマップを見上げてシェリスが感心していたとおり、外部に依らずともここだけで何不自由無いような。
徹底的に役割を分けた区画ごとに理路整然とした街造りの意志が覗く、なるほど『エデン(楽園)』の名に遠くはない箱庭だった。
「……改めて見てみれば、あの魔導のスァーヤ皇国よりよっぽど完成した街だな。無駄が無いというか、単にスァーヤの娘どもがバカだからなんだろうが……」
「おいクソ親父、スァーヤのアレやコレやの話はすんじゃねぃのだわ」
「ま、まった親父さん、『改めて見てみれば』ってここを知ってるのか? でも、聞いてた話じゃここにあるのは街なんかじゃなくて……」
「ーーおお、あんたたち! ようこそエデン・グラーフへ!」
ふと、街を往く人々の中で……新しいタウンマップらしき巻き紙を担いだ労働者がやって来て、三人の存在に気づいた。
「グラバロン様のお客さんだね! 今朝の朝礼放送で聞いてる聞いてる、そこの大通りをまっすぐ行けば館に着くよ!」
糊の入ったバケツと一緒に巻き紙を下ろして一息つきながら、街の中心部のほうを指差して。
……やはり足首まで水没したこの街で、巻き紙はふやけてバケツは転んで。
「っ……? いや、あんた、何してるんだ……?」
「うん? 何って? さあほらあの御方を待たせちゃいけないよ、おれも仕事仕事!」
水筒を大きな一口で呷ると、労働者は何にも気になっていない様子で巻き紙とバケツを担ぎ直した。
……明らかにインクが滲んでしまった巻き紙と、ほとんどの中身が流れ出たバケツとともに、脚立を登っていった。
「ハルトくん、ヤツらとあんま言葉を交わすもんじゃないぞ。俺はそろそろ年だからいいがおまえたちはまだ若いんだから、わかるだろ?」
「いやわかんないって。なんなんだよこの街は……あいつらは」
また先頭を歩きだしたスツルクへシェリスとともについていきながら、ハルトは街の日常を覗かずにはいられなかった。
たとえば畑で夏野菜の収穫準備を詰めつつあるご婦人たち……、
「ほらお義母さん、無理なさらないで」「いやあ今年は良い出来ね、ほらこんなにズッシリと」「ふふ、子供と野菜の重さならこんなの苦にならないわよね」
……水没したレタスやカボチャを手入れした先から崩してしまっている姿。
たとえば道端でカラフルなチョークを手に、ホップスコッチや落書きに遊ぶ子供たち……、
「けん、けん、ぱっ」「なんだよその掛け声、変なの~!」「ほらほら! 見て見てレッドウォッシュボウルだぞっ、怖いぞ~!」「あたちの赤さめちゃんのほうがつおいもん!」
……水に溶けて何も無いように見えるチョークのコートを踏んだり踏み外したりで一喜一憂したり、何にも描けていないように見える落書きを見せあう姿。
「だからな、よく言うだろ。……亡霊と言葉を交わせば引き込まれるだけだ」
帝王は、街の中心部で螺旋状の坂道とともに盛られた高台を見据えていた。
その頂上に在った、領主の館を。
とめどなく、あらゆる箇所から滴るような水流が涌き出ている怪異の根源を……。
「なぁにキメてやがんでぃ。へい兄弟、ここで起きるこった何も気にしねぃほうが吉みてぃだぜぃ。てか気にすんだけ脳ミソの無駄なのだわ」
「そう言われてもな……」
スツルクもシェリスもそれは能天気なのではない、この異質な場所で己を乱されないための心構えに他ならなかった。
対してハルトといえば、そもそもこの『穴』の『底』にいることからして落ち着かない……生きた心地がしないのだ。
なぜって……、
「ここは……湖の底のはず、だろ……?」
(1話につき4部分構成の短編連作です)
(毎週月曜日、18時頃に更新中です)
(1話完結の翌週……つまり5週間に1回、次話の準備期間として更新にお休みを頂きます。よろしくお願いいたします)




