完結編
私がルセと結婚してから数年が過ぎた。
召喚少女を花嫁として遇するのは恒例だったし、今回その相手が世話役だったルセで、しかも人間になったということはそれなりの衝撃を与えたみたいだけど、長年どんな手で世界をたらしこんだのか、この結婚は概ね受け入れられていた。
ただ、当の私達はというと。
「蓮華、立ちっぱなしで大丈夫か? 飲み物を貰ってくるか?」
「……いい」
花嫁になった少女は世界で一番偉い立場になる。だから必然的に政治やらなんやらに関わって、お飾りでも色々なことをしなくちゃいけない。今日は慰問で、とある地域に二人揃って来ている。こういうのは花嫁になった時からやってきたし、もう慣れたことなんだけど、ルセはいつまでも私に気を遣っている。
「次はここらの名のある人間達に挨拶回りだ。疲れたらいつでも言ってくれよ? 俺から言っておくから」
「……うん」
子供扱いしてるのかなあ。彼のこういうところは分からないな。
殺した相手に下手に出るっていう感覚が。
そんなふうに心の中でぼやいていると、突然村の若い少年少女が駆け寄ってきた。二人が手に持つ薔薇の花束を見るに、サプライズに見せかけた演出かな。確か品種改良に成功したって連絡入ってるし。
「蓮華さま、このお花、私たちが今朝摘んだ花です!」
「ボクたち、お二人に受け取ってほしくて。蓮華さま、ルセさま、ぜひ!」
こういうのは前もって連絡がほしいものだけど、仕方ない。緊張でいっぱいで棒読みの子供達を無碍にもできない。……子供を使うのは姑息だなあ。記者もいる手前だから受け取るけど、この地方はあとの対応に期待はしないでほしい。そんな内心を隠してにこやかに少女からの花束を受け取ろうとする。
と、少年からの分を受け取ったルセが、少女の分も掠め取った。そして私の分まで笑顔で応対していた。
「どうもありがとう。さっそく部屋に飾らせてもらうよ」
「はい!」
「……はい」
受け取ってもらえて笑顔の少年をよそに、ちょっと怯えた少女の顔。ルセの真意を探ろうとして少女の手元を見ると、答えが書いてあった。
◇
その夜、自宅(と言っても、お城の中だけど)に帰った私は、周りに誰もいないのを確認してルセに一言ぶつける。
「ルセ、手を見せて」
「え?」
「いいから見せて!」
引き寄せるように引っ張ると、やはり痛いのか彼は顔を顰めた。その原因である手の平の引っかき傷を見て言う。
「棘処理が充分じゃなかったのね。ルセ、どうしてこんな無茶を……」
「子供達を不安にさせるわけにもいかない。あの地方の面目をつぶすわけにもいかない。蓮華に怪我をさせるのはもっといけない。なら、これが最善だろう?」
しれっと言うルセに、いらいらする。こいつがこんな気遣い出来る生き物なものか。
「棘くらいなんなの。そんなやわじゃないから。そんな傷くらい私別に……」
「駄目だ。俺は、蓮華にもう傷ついてほしくない。全ての不幸から遠ざけたい」
献身的で、博愛精神に溢れてるかのような台詞。でも、それをルセが言うの? ルセ、あなたが私に!
「不幸ね。その原因がルセ、あなただったらどうするの?」
「原因が俺だと言うなら、死ぬことも厭わない」
真剣な、表情だった。私のほうが悪いことしてる気分になりそうなくらい。これ以上その瞳を見つめるのが怖くて、強制的に会話を打ち切る。
「あ、そう。分かった。この花束は棘処理されてるの持ってくから。じゃあお休み」
「ああ……お休み」
夫婦だけど、寝室は別だ。結婚当日に「私が別に好きな人がいるし、あなたと結婚したのは他に都合の良い相手もいなかったし、何より慣例上仕方なくだ。これが不服なら離婚でもなんでもして」 と言って以来、これが当たり前になった。
だって、私が本当に好きなのはルドルフ、だし、ルセは前世の自分を殺した相手だ。これ以外にどうすればいいの?
自室の扉をやや乱暴に閉める。そこで一つ溜息をついて、手に持った花束を適当な花瓶に生けて、机の上に置く。
白い、バラのような花。貰った経緯は少し気に入らないけど、強硬手段に出るだけあって、いつまでも眺めていたくなるような美しさだった。
◇
ルセは自室で仕事をしていた。召喚少女の夫は事実上飾りみたいな存在でも、やることは多い。明かりを点けて書類にサインをしていく。筆の調子もいい。この分なら日付を跨ぐまでに終わるだろうか。ちらりとすぐ近くの窓から外を見る。
ぞっとするような月が輝いていた。何故か不安を覚えるが、そんなことより仕事を終わらせるとしよう。俺が頑張れば、蓮華に負担がいかないのだから――――。
そこまで考えて、何の前触れもなく感じた魔力に、思わず筆を床に落とした。
「なんで」
元妖精の第六感が言っている。『彼』 が近くにいる。
◇
「蓮華」
自室で日記を書いていた蓮華は、不意に後ろから声をかけられた。侵入者かと勢いよく振り返って、絶句した。しばらく口をぱくぱくさせて、ようやく口にできた言葉。
「ルドルフ?」
彼だ。しかも、ここでしばらく少女達の世話をしていた時の中性的な姿じゃない。前世の姿で、そこに立っていた。横の白い花も相まって幻想的だ。これは夢なのだろうか? それとも現実なのか? まさか不届き者が騙ろうとしているのでは? 意を決して目の前の青年に尋ねる。
「ルドルフなの? 死んだんじゃないの? 館で眠るように亡くなって、埋葬もしたのに」
彼は面白そうに笑いながら、その問いに答えた。
「贖いの時は終わったんだ、蓮華。それに彼女達も予想以上にやってくれた。だからこうして蘇れた。さあ行こう」
「贖い? 彼女達? 本当に貴方ルドルフなの?」
「……前世のこと、覚えてるか? 蓮華が西の地方で投げるように俺にくれた首飾り、その時についた痕がこの身体には残っいてる」
そう言って腕まくりした青年の腕には、あの時の特徴的な首飾りの痕が確かにあった。
これは、ルドルフだ。
「信じてもらえたか? それじゃあ、今度こそ行こう」
そう言って差し出された手。前世でずっと私を見守ってきてくれた手。私はこの手を――――
取らないといけないの?
その時、勢いよく扉が開かれた。開けた人物は焦ったような顔をしていたが、部屋の中に人が二人いて、男の方が見知った顔であったことに驚愕した。見る見るうちに絶望に染まっていく。
「私が分かるんだな? ルセ。今までご苦労だった。蓮華は私が幸せにするから、お前はただちに失せろ」
蓮華はここに来るまで、二人の間に何があったのか知らない。ただ、やけに高圧的なルドルフと、怯えたようなルセを、私はどこか遠くの国の出来事みたいに感じていた。
「やめてくれ、奪わないでくれ」
そう言ったルセは言葉と裏腹に床にへたり込んだ。まるで逆らえない相手に会ったかのようだ。蓮華が混乱していると、ルセの目から涙が溢れて、床に滴り落ちてるのが見えた。
「どの面下げて言うのか……殺した女に対して」
ルセの状況が見えないとでも言うように、憎々しげにルドルフは言った。その意図を正確に察したルセだが、引く事はしなかった。
「愛してるんだ、他のことならどんなことだってする、だから蓮華だけはやめてくれ。お前は蓮華の心を持って、かつての俺を殺して蓮華の復讐を遂げたじゃないか。それ以上何が必要なんだ。今の俺には蓮華が全てなんだ、頼むから……」
そう言ってルセは地面に額を擦り付けた。驚く蓮華とは逆に、ルドルフは津波が来る前の海のように不気味に、けれど優しく言った。
「あのなあ、ルセ」
ルドルフはゆっくりルセに近づいた。目の前まで来たその瞬間、勢いよく足を振り下ろしてルセの頭を踏みつけた。
「その台詞を、かつて殺した少女達の前で言ってみろよ! 大体、俺は本来自分が持っていた権利を取り戻すだけだ! お前に何の権利があるんだ!」
地面と肉がこすれる音を、蓮華は半ば放心状態で聞いていた。
あれは、誰なのだろう?
「……っ、それで蘇るならやってもいい、いや、やらせてもらう。だから、頼むから……」
その台詞に忌々しげに眉を顰め、ルドルフはルセの頭から足を離した。そして別の方向からルセの自尊心を踏みにじることにした。
「そうかそうか。……わりない仲になった少女でもいたか?」
それを聞いて、さっと蓮華の心に影がさした。ルセと、異性?
「何を……」
身に覚えがないといわんばかりのルセを前に、ルドルフはあるものを翳した。
男らしいルドルフには随分不釣合いな、ピンクのリボンだった。意味が分からないでいる蓮華にルドルフは囁いた。
「ヒメとかいったか? 知ってたか? 蓮華。ルセはな、ある女の持ち物を後生大事に持ってるんだよ。これはその時のもう片方のだ。」
「え……」
動揺する蓮華にルセは地面に伏せたまま、端が切れた唇で噛みしめるように言った。
「ヒメの形見だ! 一人で死んだ、死体も見つからない思い出すやつもいないヒメの……」
そして殺したかもしれない人間が目の前にいる。そう思ったがルセはそれを糾弾はしなかった。
ルドルフを想う蓮華がそれを聞いたなら、きっと悲しむだろうと思ったら言えなかった。自分に不利になると分かっていても。
何もかもルドルフの描いたシナリオのままに事は進む。ルドルフはもう一人、ルセが優しくした少女を引き合いに出す。
「それと歩とかいう女も死ぬまで何くれと世話してやったって? 気の多い奴。前世で苦労を思えば、蓮華には俺のように他の女は人間扱いしないくらい一途なのが相応しい。お前は八方美人で、不誠実だ。」
そう言って、手に持っていたリボンをビリビリと引き裂くルドルフ。
ルドルフの言葉に、『あれだけ私が大事とか言っておいて』 と見事ルセに反発心の芽生えた蓮華だったが、その行為と言葉には少しだけ疑問を持った。
反論ができず打ちのめされているルセを尻目に、くるりとルドルフが蓮華のほうを向いた。何故か怖く思えた。そして彼は蓮華に優しく微笑み、やはり手を伸ばす。
「遅くなってすまなかった。しかしこれで整理もついただろう? さあ」
流れで手を伸ばそうとする蓮華。その手をとろうとして、ハッとする。ルドルフのごついけれど、傷一つない綺麗な手。今日のルセには……。
「どうした?」
蓮華は思う。この人についていってもいいのか? 確かに前世では唯一優しかった。今世だってずっと私を待っていてくれていたらしい。でも、何か違う。
「蓮華? 怒っているのか? やはり遅かったのか? ああ、もっと早く君を召喚できていたなら……」
「!」
蓮華は、元の世界で聞いた話を思い出した。もし、もしあれが本当なら、意図次第では……。
「ルドルフ、私もね、会えて嬉しいよ。前世で誰が一番誠実だったか、それが今の生で分かってから、ずっと後悔していたもの」
ルドルフが横の白い花も恥らいそうな顔で微笑み、近くの床ではルセが絶望の表情を浮かべている。
「でも行く前に教えてほしいことがあるの」
「何だ?」
「私、自分の元いた世界――日本で、親戚のうちにいたの。親戚のおじさんはお金持ちで、亡くなった姉に似ているといって私を可愛がってくれた。それこそ実の子供に私が恨まれるくらい。でもね、そうしていた理由がね」
『昔、姉の墓の前で不気味なことを言う男に出会った。犯罪のプロで、殺した女の終の棲家を見に来たと言っていた。姉がどこかで生きているかもしれないという希望はあれで絶たれた。同時に姉が不憫で……せめて似た君だけは幸せにしたかった』
親戚のおじさんは、悲しそうな顔でよくそう言っていた。もしあれがルドルフなら……。
「確かにそれは俺だ。なにせあの時身体を蝕んでいた呪いは、不幸な境遇の少女しか呼ぶことを許さなかったからな。前世の悪縁を思えば、放っておいても蓮華は呼ばれるだろうが、それでも念には念をいれたほうがいいだろう?」
それだけ会いたかったのだし、そうルドルフは笑った。
それが蓮華の気持ちの決定打になった。
「よく……分かった。人の人生をなんだと思っているのよ! 金持ちの、それも実子のいる家なんかに引き取られたばかりに、私はしなくてもいい苦労までしたのよ! 想い人を不幸にさせても自分が満足ならそれでいいっていうのルドルフは!」
過去の召喚少女達がこの場に居たなら、何人かはよくぞ言ってくれたと手を叩くだろう。それがルドルフの欺瞞であり、エゴだった。ルドルフは最愛の人間からまさかの返しを貰った。
「そんなの……ルセよりは」
震える声で他よりマシだというルドルフ。それが尚更、蓮華の感情を逆撫でしているのは気づいていない。
「そうね、かつては最低だったよね。でも今は違う。守ろうとずっとしてくれる。今最低なのはルドルフ、貴方のほうだよ。……私はもう間違えない」
前世では、ずっと優しくしてくれた人に気づかなかった。それを後悔しているからこそ、今世でも同じ過ちをする訳にはいかない。
「蓮華……」
擦り傷だらけの顔でルセが戸惑っている。夢ではないのかと。
「昔のことは消えないし、忘れられない。でも、今一緒に生きたいって思うのはルセなの。ルセだったの」
泣きそうな顔で、ルセが笑った。
反対にルドルフの目から光が消えていく。
「そんなの……あんまりだろ」
驚くほど、弱々しい声でルドルフは言った。
「前世から想っていたのに。一人だけを、お前だけを。なのに、それなのに拒絶されるなら、俺はどこへ行けばいい? お前のために、俺がこの世界で今までやってきたことは?」
「言わないで。……全部、昔の話なんだよ」
「その昔が全てだったんだ! その昔に縋って生きてたんだ! 思い出の中の、火の海に飛び込んだ少女がずっと忘れられなくて、後悔してた。それで呪いでも力を得られて、会えるかもしれないって思って、それだけが希望で、それからずっと、何百年も!」
その一途さは確かに素晴らしいのかもしれない。ただ、新しい生の中で育った蓮華には……。
「やめて。……重いよルドルフ」
自分には受け止めきれない、そう判断された。動揺するルドルフはそっぽを向く蓮華につぶやく。
「こっちを見ても……くれないのか」
蓮華はルドルフを目を合わせようとしない。ルセと生きていくと決めた以上、縋る男に希望を与えたくなかった。
「蘇ったところで、蓮華と離れて今さらどうやって生きて行けというんだ? 俺に死ねというのか?」
「……分かってよ。昔には戻れない」
「そう……か」
不意にルドルフは、真横にあった花瓶を傾けて倒した。白い花と水が床に散らばり、瓶の欠片があちこちに飛んだ。その一つを取ってルドルフは蓮華に言う。
「何百年の果てに、よりにもよって最も憎い相手にお前を奪われるのは我慢ならない!」
殺されるのかな、と蓮華は無感情に思った。それも悪くなかった。見る人が見れば仇と生きようなんて馬鹿げてるだろうし、恩人を裏切るのもまた狂っている。ルドルフにはその権利がある。
蓮華に振り下ろされようとしたその手は、寸前で止められた。ルセだ。
「……!? 何をする、どけ!」
「断る! いくらお前でも、蓮華を傷つけるなら俺は止める!」
同じくらいの体格の二人が争っている。思わず蓮華は叫んだ。
「危ないルセ!」
その言葉に一瞬ルドルフの抵抗が止まった。それを見逃すルセではない。ルドルフを地面に叩き付け、欠片を奪い、ルドルフの喉に突きつける。無抵抗に明後日の方向を見続けるルドルフに、ルセは言った。
「お前には……感謝しきれないくらい感謝している。俺がまともになれたのは、確かにお前のお陰だった。でも蓮華はやれない」
聞いているのかいないのか、ルドルフはただ蓮華という言葉に反応し、威厳も何もなく口を動かしていった。
「蓮華……蓮華…………」
どうして自分を裏切る? お前だけを思ってきた自分を。お前のために、呪われても世界を変えた自分を……。
どうして俺よりも短い間しか思っていないルセなんかを選ぶ?
俺の全てを、お前が否定するのか。
ルセの優位を確認した蓮華は、静かに目を逸らした。危機的状況で真っ先にルセを心配し、さらに自分のこの有様を見ても心配する様子は無い。
これの流れを見れば、馬鹿でも蓮華の気持ちがルドルフに無いことは分かる。ルドルフはようやく現実を認め、そして考えた。
蓮華……。お前のための世界を何百年かけて創ったのに。お前が幸せに暮らせる世界をこの手で。この手を汚してまで。その俺を棄てるなんて。
呪ってやる。
「い……痛い……」
突然小さな子供のように呻くルドルフに、ルセの気は緩み、蓮華も視線をそちらに戻した。その瞬間、ルドルフの手がルセの破片を持った手を掴む。二人の脳に最悪の事態が浮かんだ。単純な力勝負では見た目優男のルセに勝ち目は無い。
蓮華の口から悲鳴が漏れる寸前、それは実行された。
ルドルフはルセのしっかり破片を持った手、その破片を自分の喉に食い込ませ、そして勢いよくそれを裂いた。
まるでルセが悪意を持ってしたかのような光景だった。
散らばった白い花が、赤く染まっていく。
ルドルフの目に、放心状態な人間のルセと、泣きながらこちらを見る少女の蓮華が映る。
ぼうっとしていると、やがて視界が蓮華でいっぱいになった。
ああ、悪くない。
だってもう、蓮華が誰かと結ばれる姿は見なくていいし、彼女が死ぬ姿を見ることも無い。網膜に焼きついたその光景は、これで永遠に忘れられるのだ。
そうだ、やり直したかった。蓮華が死ななくていい未来が見たかった。幸せな姿が見たかった。欲を言えば、それが自分の役目であって、心を入れ替えたルセがそれを祝うような、そんな未来を……数百年、夢見ていた。なのに、どうしてこうなったのだろう。
「やめて、死なないで、なんでこんな……」
蓮華はしゃっくりしながら先ほどから意味の無いことを繰り返して言っている。冷たい態度ばかりだった蓮華は、死の間際にようやく近づいてくれた。
嬉しい。もっと見ようと眼球だけ動かす。
しかし、視界の端に殺しても飽き足りない男が映った。自分が吐いたのは、結局は呪いめいた言葉になった。
「はは……今度は……俺が殺された……な。これで、どこか、別の世界で、蓮華と俺が……」
ルセのように結ばれたらいいと思う。そこまでは言えず、ルドルフは絶命した。
◇
二人だけになり、静かになった部屋でルセは泣いていた。
「ごめん……ごめん蓮華……」
「どうして謝るの? 前世のことならもう……」
「蓮華の大事な人を、殺した、俺が、殺してしまった! に、二度と悲しませないって、傷つけないって誓ったのに、俺は!」
ルドルフの呪縛は強い。ルセの罪悪感もまた強い。ルセはいつまでも子供のように泣いた。
そんな人間のルセを、しっかりと抱きしめて蓮華は側を離れなかった。生涯離れなかった。
◇
ルドルフは目の前の光景をぼんやりと見ていた。
この世で一番愛しい女が、この世で一番憎い男を抱きしめている。すぐ近くに自分の死体が転がっているなかで。――自分の死体が見られるなんて変な話だが、今の自分は幽霊みたいなものだからこんなことも出来るのだろう。
子供のように泣き叫び続けるルセを鬱陶しいと思いながら、慈愛の眼差しで母のように奴の背を撫で続ける蓮華。やはり、死体のほうには目もくれない。
ついに、振り向いてくれなかった。彼女は俺を見放した。
ぼろぼろの少女を一目惚れして、しかし尋常ではない事態に巻き込まれていることを察し、気持ちを伝えるのを憚られ、みすみす死なせた『前世』
腹立ち紛れに、残酷な方法で世界を延命させていた神を殺したことで、数多の人間の怨念が呪力となってこの身を蝕んだ。
それでも、よかった。力を得られれば、やり直せる。彼女を、蓮華を幸せに……。
しかしどうあっても異界の少女は必要だった。だから殺すのではなく、生かして利用することにした。その発想だけでも評価されていいだろうに。
そしてルセをいつか来る蓮華を呼ぶ触媒、そして少女達の世話係とした。むかつくが、奴と蓮華の縁は深い。いずれ導かれるだろう。それに、あいつにまともな感性が育ったころに、蓮華に断罪させてやりたい。そんなルセの無様な姿を見て笑ってやりたかった。
そうして召喚した少女達には、正直幻滅した。全員とは言わないが、どいつもこいつも蓮華に比べれば幸福な生活を送っているし送らせてやってるのに、文句を言ったり抵抗したり。
蓮華と同じ世界の出身だということでフィルターがかかっていたのだろうな。本当に可哀相で救われるべきなのは、やはり蓮華だと、少女を呼ぶ度に確信した。
だが、選ばれなかった。
何百年と想ってきて、尽くしてきて、最高の舞台を用意して、それでも蓮華は俺を見捨てた。
目の前では声が嗄れたルセが虚ろな目で自分の死体に視線をやっていた。……お前にだけは同情されたくないんだが。
「もういいから、ルセ。私は大丈夫だから」
蓮華は視線を剥がすように、ルセを引っ張って自分のほうに向かせた。
「……違う。俺は俺が呪わしい。何人も殺して、たった一人愛した人間を不幸にして、これ以上生きるのが……」
「じゃあ、幸せにして」
「蓮華……?」
「過去はいい。これからを見る。私が好きなら、一緒に生きて」
ああ、強くなった、そうルドルフは感じた。前世ではただただ鬱々としていた少女が、仇と生きることを選択している。
ルドルフは笑った。
神よ、この運命に感謝しよう。俺は運命に勝った。惨めに死んだ少女を、この世界で生きたいと思わせた! 俺が死に掛けのところを一から創ったこの世界で! この世界も、召喚少女のシステムも、元は彼女を称えるためのもの。世界は永遠に、彼女を謳うだろう。俺も地獄の底で蓮華を賛美するだろう。
神に見捨てられた彼女を、俺だけが押し上げたんだ! 今までも、これからも!
ルドルフはそこまで考えて、現世への未練が薄まったのか、彼の意識は急に薄くなっていく。
天に召されるのか、地の底に叩き落されるのか……。そんなものは自分が一番よく解っている。だが神にも悪魔にも、一歩も引くつもりはない。俺は自分の所業を胸を張って言える。ただ、一人の人を幸せにしたかったのだと。
意識が消える寸前、遠くに数人の人影が見えた。それを誰かと問う余裕は無い。ただ、その人間達の誰かが歩み寄って、自分にこう言った気がした。
――よく頑張ったね――
聞き覚えのある声だった。
まさか、あの時の少女達なのだろうか? 疑問はもはや思考にならず、その声の主は俺の魂を優しく抱擁した。
それは、母の懐を思い出すような、暖かな抱擁だった。




