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リミットオリジン ―凡人と言われた俺が最強にたどり着くまで―  作者: みみたん
第3章:自由の港・潜蝕編

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第61話:紅蓮に染まる海

 肺を焼くような熱い呼気と共に、アッシュはリヴォルノの複雑な路地を駆け抜けていた。

 背中には、ぐったりと力なく重みを預けるルナがいる。彼女を固定するベルトが、走るたびにアッシュの胸を強く圧迫した。


 「……アッシュ、左! 二階の窓に伏兵!」


 並走するニーナが叫ぶ。アッシュは視線を向けることすらなく、直感に従って重心を沈めた。

 直後、ルナの頭上をかすめるように、アイゼン兵が放った捕獲用の魔導網が壁に激突する。青白い放電を撒き散らす網は、生身の人間を即座に拘束し、その魔力を吸い上げるための非殺傷兵器だ。


 (ルナを殺さないように……連中、射撃を完全に止めたな)


 ルナを「重要検体」あるいは「高価値な商品」と見なしているアイゼン兵たちは、彼女の安全を優先して魔導銃の引き金を引けずにいる。それが、アッシュたちにとって唯一の猶予だった。

 だが、その背後に漂う濃密な死の気配までは防げない。


 「逃がさんぞ、鼠共が……」


 地を這うような低い声。それは路地裏の建物の隙間から、増幅された魔力と共に響いてきた。


 直後、背後の石壁が轟音と共に内側へ爆ぜた。将軍が振るった黒剣の余波だけで、路地裏の建物が半ばから斬り裂かれている。

 砕けた石材が豪雨のように降り注ぎ、アッシュは咄嗟に身を捻ってルナを庇った。

 瓦礫が背中を強打し、肺が潰れそうな衝撃。それでも足だけは止めなかった。



 「……っ、ハァッ、ハァッ……!」


 ルナを包んでいた碧い魔力の障壁は、既に霧散していた。

 過剰な魔力放射の反動。彼女の肌は青白く、呼吸は浅い。背中越しに伝わる体温も異様に低い。時折、ルナの細い指先が痙攣するように震え、そのたびにアッシュの胸の奥を嫌な不安が掻き毟った。

 このまま長引けば、本当に危ない。急激な魔力枯渇による衰弱が始まっている。


 障壁という盾を失った今、アイゼン兵たちが捕獲網や刺突武器を手に、四方の路地から蟻の這い出る隙間もないほどに距離を詰めてくる。


 「邪魔だ!」


 前方、路地を塞ぐように盾を構えた重装歩兵の集団。

 アッシュは止まらない。ルナを背負ったまま、加速の衝撃を殺すことなく肉薄する。


――【金剛身ダイヤモンド・ボディ】。


 踏み込みと同時に、アッシュは全身の力を一点へ圧縮した。衝突の瞬間だけ、肉体密度を極限まで引き上げる。

 重装盾と肩が激突した瞬間、鈍い破砕音が路地へ炸裂した。鋼鉄製の盾が内側へ湾曲し、そのまま重装歩兵ごと後方へ吹き飛ぶ。

 ルナを庇うために前方へ突き出した左肩に、敵が槍を突き刺そうとするが、密度を高めた皮膚は刃を食い止め、火花を散らすだけであった。


「そこを動くな、アイゼンの犬ども!」


 不意に、左右の建物の屋上から怒号が響いた。

 サナが配置していたレジスタンスの別働隊だ。彼らはアッシュたちを追尾していたアイゼン兵の頭上から、一斉に魔導猟銃と手製の手榴弾を投下する。

 激しい爆鳴と銃撃が狭い路地裏に反響し、アッシュたちを挟み込もうとしていた連邦兵の分隊が次々と血を流して倒れ伏していく。


 「アッシュ、こっちよ! 仲間が道を拓いてくれたわ!」


 ニーナが投げた煙幕弾がさらに炸裂し、路地が白い煙に包まれる。レジスタンスたちの命がけの残敵掃討と援護射撃に背を押され、二人は追っ手を振り切りながら曲がり角を抜け、あえて人通りの絶えた旧港湾区の倉庫街へと突き進んだ。



---



 リヴォルノ港を一望できる高台の観測ポイント。

 そこで、サナは片目に魔導双眼鏡を押し当て、努めて冷静にアイゼン連邦艦隊を追っていた。


 視界の先には、アイゼン連邦が誇る鋼鉄の艦隊。

 制圧のため奥深くまで侵入した艦艇群は、既にレジスタンスが数カ月かけて仕掛けた「死の罠」の真上に、整然と並んでいる。


 「……獲物たちが、一列に並んだわね」


 サナは手にした通信機へ向かって、静かに、しかし力強く息を吸い込む。

 今この瞬間、港の各所に潜伏し、配置についたレジスタンスの仲間たちが、彼女の号令を待っていた。


 「中央大陸を汚した代償……高くついたわね。――今よ! ファイアー!!」


 サナの絶叫が通信機を通じて全拠点へ響き渡った。


 刹那、港湾全体が揺れた。


 最初に爆ぜたのは、艦隊中央に停泊していた大型魔導巡洋艦だった。船腹が内側から膨れ上がり、次の瞬間、炉心ごと爆散する。

 吹き飛んだ鋼鉄片が隣接艦へ突き刺さり、連鎖するように第二、第三の誘爆が発生した。港そのものが巨大な火薬庫へ変わっていく。

 無数の魔導ランチャーが一斉に火を噴いた。尾を引く魔力の光弾が空を埋め尽くし、アイゼン艦隊の甲板へ降り注ぐ。それと同時に、海中の魔導爆雷が、潜伏していた工作員たちの手によって直接起動された。


 「ドォォォォォォォン!!」という、鼓膜を直接叩き割るような衝撃波。

 単なる爆発ではない。それは工業災害と魔導文明の崩壊を凝縮したような地獄絵図だった。

 巨大な質量を持つ鋼鉄の船体は、内部からの魔導炉誘爆によって紙細工のようにひしゃげ、歪み、断裂する。

 港を支えていた重厚な埠頭クレーンは鉄骨を悲鳴のように軋ませて崩落し、軍の誇りであった飛空艦は制御を失い、燃え盛る魔力火炎を撒き散らしながら海面へと墜落していった。

 吹き上がる数千トンの水柱と、激しく噴き出す高圧蒸気。リヴォルノ港は、蒸気と魔力炎が渦巻く、文字通りの地獄へと変貌していた。


---


 爆発の衝撃波は、アッシュたちのいる市街地まで届いた。

 大気を震わせる轟音と、巻き上がる煤煙。追撃してきていたアイゼン兵たちは、母艦の壊滅という信じがたい事態に戦意を喪失し、通信途絶の中で狼狽える。


 「今よ、アッシュ! 煙に紛れて!」


 アッシュは混乱する兵たちの隙間を縫い、事前に指定されていた合流地点へ向かう。

 そこは市街の外縁にある、半ば崩落した魔導工場の跡地だった。


 「こっちだ!」


 工場の巨大な扉が開く。そこにはラグナが大剣を構え、ロザリアがレイピアを持って待機していた。奥には指揮を執るルカの姿もある。


 「無事か、アッシュ! ニーナ!」


 ラグナの声に答えようとした、その時だった。


 爆煙の中、将軍の周囲だけが不自然に晴れている。

 一歩、また一歩。

 その足音一つごとに、周囲の空気が凍りついていくような錯覚を覚える。


 煙の中から現れたのは、あの将軍だった。

 将軍の象徴であった白銀の仮面は左半分が粉砕され、そこから剥き出しになった顔が露わになっている。凄惨な火傷跡と、憎悪に燃える黄金の瞳。


 そしてその左右には、母艦の爆発から命からがら将軍を死守し、執念で付き従ってきた四人の直属護衛が、ギラギラとした殺気を放って剣を抜いていた。大軍勢は失ったものの、将軍の威厳と、その狂信的な精鋭たちの戦闘力は未だ健在だった。


「……よくも……よくもやってくれたな、反逆者共」


 将軍の周囲には、未だに放電のような魔力の残滓が揺らめいている。

 彼は既に、ルナの暴走に引きずられるように極致術式を解放していた。その代償として、魔力はとうに限界を迎えているはずだった。

 だが、その立ち姿は依然として圧倒的な「絶望」そのものだ。


「総員、構え!!」


 ルカの鋭い号令が飛ぶ。

 待ち構えていたレジスタンス兵たちが、工場の上層階から一斉に魔導弾を撃ち込む。


 だが、将軍の前に立ち塞がった四人の直属護衛が、一糸乱れぬ見事な盾の連携と魔導障壁でそれを弾き、将軍自身も魔力が底を突きかけているとは思えない鋭い剣捌きで、迫る弾丸を全て切り捨てた。


「アッシュ、来るわよ……!」


 ニーナが短剣を引き抜き、腰を落とす。

 ルカは自身の得物を持ち直し、ラグナが吠え、ロザリアがレイピアを構えた。


 アッシュは衰弱したルナをレジスタンス兵に預け、自身の黒剣を握り直し、集中力を高めた。

 魔力は底を尽きかけている。だが、その瞳だけは死んでいなかった。


 将軍が黒剣を僅かに傾けた瞬間、周囲に散乱していた瓦礫がミシリと軋んだ。

 工場跡を満たす熱気の中で、その黄金の瞳だけが、凍えるほど冷たく光っていた。


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