第59話:執念の連鎖
レオンの放った衝撃波を切り抜け、アッシュとルカは粉砕された手すりを越えて階下の広間へと躍り出た。
絨毯が敷き詰められた大広間の中央、アイゼン兵たちの骸が転がる惨状の中で、レオンは銀の剣を杖のように突き立てて待ち構えていた。
アッシュは低く構えた。ルカは左手に細身の剣、右手に魔導銃を構える。
二人は左右に分かれ、レオンを包囲する。
「……身軽な鼠どもだ。下へ降りてくるとは、自ら墓穴を掘りに来たか!」
レオンが吼える。
彼が剣を振るうたび、周囲の空気が歪み、打ち捨てられた椅子やテーブルが木端微塵に粉砕されていく。その重圧に対し、ルカは舞うような足捌きで間合いを詰め、剣で鋭い突きを繰り出した。レオンの銀剣と接触する火花が、広間の空間に散る。
ルカは魔導銃の銃口から牽制の弾丸を放った。
レオンの不可視の障壁を、ルカは剣の刺突と銃弾の連射という、波状攻撃で削り取っていく。アッシュよりも遥かに洗練された、一分の隙もない軌道。アッシュはその背中を追いながら、自らの役割を研ぎ澄ませた。
激しい金属音を響かせ、数合の打ち合いの末、ルカとアッシュは一度大きく後ろへ跳んで距離を取る。
「アッシュ、警戒を。奴の魔力は完全に暴走しています。制御ではなく、本能だけで振るわれている。……だからこそ、次に何をしてくるか読めない」
息を整えながら、ルカが冷静に、かつ鋭く告げる。
「奴が魔法を撃ってくる直前、右側の魔導障壁に一瞬だけ隙が生じます。私がそこを撃ち抜く。君は……分かっていますね?」
「……ああ。一瞬でいい。道を作ってくれ」
アッシュは剣を正眼に構え、重心を極限まで低くした。
「何をよそ見している、鼠がァ!!」
二人の会話を遮るように、レオンが暴走する魔力を纏いながら突っ込んできた。
アッシュとルカは左右に分かれ、その猛攻を紙一重で躱す。
アッシュは、自らの内に流れるゼノスの教えを反芻する。どれほど強大な力であっても、それを支える構造には必ず「脆い点」が存在するはずだ。アッシュの視界の中で、暴走するレオンの魔力が、おぼろげな光として浮かび上がる。
「消えろォッ!!」
レオンが剣を振り下ろした瞬間、漆黒の球体が爆発的に膨れ上がろうとした。
「そこです!」
ルカの指が引き金を引く。
放たれた魔導弾は、レオンが魔法を展開するために障壁を切り替えた「万分の一秒」の隙間を正確に貫いた。
レオンの右肩に衝撃が走り、漆黒の球体の輪郭がわずかに歪む。
――【無歩】。
絨毯が爆ぜた。踏み込みの予兆すら存在しない。
静止していたはずのアッシュの姿が、空間そのものを裂くように掻き消えた。
レオンの瞳が、遅れて揺れた。
視界の端で捉えた頃には、既にアッシュは懐へ潜り込んでいる。
黒剣の切っ先が、暴走する魔力に灼かれた喉元へと突き込まれた。
「――【透過撃】」
瞬間、アッシュの意識が極限まで研ぎ澄まされる。
見えていた。肉ではない。骨でもない。
レオンの全身を暴れ狂う膨大な魔力。その奔流の中に存在する、たった一つの「綻び」。
アッシュはそこへ、寸分違わず剣撃を叩き込んだ。
轟音は響かない。だが次の瞬間、レオンの身体の内側で何かが爆ぜた。
黒剣から放たれた衝撃は、肉も骨も素通りするようにレオンの内側へ潜り込み――次の瞬間、その身体の深部を内側から叩き砕いた。
――ドォォン!!
鈍い衝撃音がレオンの体内で反響し、彼の口から鮮血が噴き出した。
同時に、制御を失った圧縮魔法が霧散し、会場に激しい爆風が吹き荒れる。
「が、はっ……あ、あ、あああああ!!」
レオンは目を見開き、信じられないものを見るかのようにアッシュを凝視した。
かつての敗北から、自分は誰よりも強くなったはずだった。禁忌を犯してまで手に入れた力が、なぜ、この「鼠」に届かないのか。その絶望が、レオンの理性をさらに崩壊させていく。だが、レオンは吐血しながらも執念深く剣を握り直し、ふらつきながらも立ち上がろうとしていた。
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その頃、眼下の壇上では――。
「……ほほう、また貴様か! あの時、無様に命乞いをした泥棒猫め! 殺さないでいた恩を忘れたか!」
バルトロは、かつてニーナを逃げ場のない状況へ追い込み、その生殺与奪を握っていた時の感覚を思い出したのか、醜く口角を吊り上げた。
彼はルナの拘束具を乱暴に掴み寄せ、盾にするように背後に隠れる。周囲の私設兵たちは、アッシュとレオンの死闘の余波に浮き足立っている。その影を、一筋の銀光が縫った。
「あんたの汚い手で、その子に触れてんじゃないわよ!」
ニーナが、逆手に持った解錠用の短剣をバルトロの腕目掛けて投げつけた。
その指先は、かつての屈辱を思い出したのか、怒りで震えている。
「ぎゃああかっ!!」
腕を掠めた痛みでバルトロが手を離し、たじろぐ。
その隙に、ニーナはルナのもとへと駆け寄り、彼女の首にかかっている魔力抑制の鎖に手をかけた。
「しっかりしなさい! 今、外してあげるから!」
「……だ、れ……?」
うなだれていたルナが、虚ろな瞳をわずかに動かし、見知らぬ少女であるニーナの顔を見上げた。
その必死な形相に、ルナは困惑の色を隠せない。
「……とにかく、助けに来たの! あそこで戦ってる仲間たちが、あんたを助ける道を作ってくれたんだから!」
ニーナが必死に解錠道具を拘束鎖の錠部へと差し込む。
だが、私設兵たちが正気を取り戻し、一斉にニーナへと武器を向けた。
「させるか、小娘!」
「……動かないでください」
レオンを警戒しながらも、ルカは眼下の異変を逃さなかった。
ルカはレオンの間合いを外すと同時に、広間に響くほどの鋭い射撃音と共に精密な連射を放った。
一切の慈悲を排した弾丸は、ニーナに襲いかかろうとした私設兵たちの手首のみを次々と正確に撃ち抜いた。得物を奪われた兵たちが絶叫を上げて転げ回る中、ルカは一瞥もくれず、再びレオンへと銃口を戻した。
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港湾部、軍施設。
そこには、人知を超えた「蹂躙」の光景が広がっていた。
陽動部隊の襲撃に応じ、軍艦から悠然と姿を現した魔導将軍の前で、ラグナは血塗れの大剣を杖代わりにして、辛うじて膝を突かずに立っていた。
「……ハァ、ハァ……っ! クソ……っ、化け物め……!!」
ラグナの周囲には、粉々に粉砕されたコンテナと、巨大なクレーターのような穴が幾つも穿たれている。ロザリアもまた、肩から血を流しながら、死に物狂いで闇に紛れ、将軍の側近たちを牽制し続けていた。
だが、魔導将軍は、未だに「歩いている」だけだった。
剣を抜くことさえせず、ただ一歩、また一歩とラグナへと歩み寄る。
その仮面の奥で、将軍は静かに嗤っていた。
「素晴らしい。我が余興に応え、未だ命の灯火を消さぬその執念。……褒めてやろう。久しぶりだ、一撃で砕けぬ『素材』に出会うのは」
将軍がゆっくりと手を上げる。
ただそれだけの動作で、周囲の空間から音が消えた。
ラグナは悟った。次の攻撃が来れば、この場を凌ぐことは不可能だと。だが、彼はニヤリと不敵に笑い、血を吐き捨てた。
「……ヘッ。逃げるわけねえだろ。ここまで来たら、最後まで付き合ってもらうぜ。おめえみてえな化け物と殺り合える機会なんざ、二度とねえだろうからな……!」
ラグナの瞳に宿っていたのは、恐怖ではない。
獣のような闘争本能と、相手が規格外であるほど燃え上がる破滅的な執念だった。
――その狂気こそが、作戦の要だった。
将軍という「最強戦力」をこの場へ縫い付け、潜入組に目的達成の時間を与えるための、命を賭した囮。
ラグナの魔力が、その肉体の限界を超えて燃え上がる。
「絶望すら糧にするか。……よかろう、貴様の魂ごと塵に帰してやろう」
将軍の指先から、絶対的な破壊の光が放たれようとした、その時――。
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オークション会場内に、金属が砕け散る高い音が響き渡った。
「――外れた!!」
ニーナの叫びと共に、ルナを縛っていた魔力抑制の鎖が、火花を散らして床に落ちる。
瞬間、ルナの瞳に鮮やかな碧の輝きが戻り、彼女を中心に清冽な魔力の風が吹き抜けた。
「……あなたたちが……私を……?」
ルナが立ち上がり、空に向かって手をかざす。
彼女の奪われていたハイエルフとしての魔力が、この『方舟』という檻を内側から食い破るように溢れ出した。
その碧光は『方舟』の天井すら突き抜け、港全域を照らし出していた。
奪還、それから脱出に向けた戦いは、ここからが本当の正念場となる。
不気味な回復を見せるレオン、静寂を突き破るアッシュ、そして港で死線を彷徨いながら時間を稼ぐラグナたち。
サナの非情な作戦――ルナを再び敵に晒し、囮にするという計画。
アッシュはその理不尽を叩き潰すため、自分の中の決意をさらに強固なものとした。
ルナから溢れ出した膨大な魔力が、『方舟』全域へと浸食していく。
魔導灯が明滅し、壁面を走る魔力回路が悲鳴のような火花を散らした。
制御を失ったマナが、港そのものを軋ませ始める。
その異常な波動は、当然――港で戦う『化け物』にも届いていた。




