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リミットオリジン ―凡人と言われた俺が最強にたどり着くまで―  作者: みみたん
第3章:自由の港・潜蝕編

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第54話:歯車の再動

 西区南部のセーフハウス。その地下室には、重苦しい空気が立ち込めていた。

 アッシュはベッドで力なく横たわり、ニーナは硬い表情でルカとサナの前に立っていた。


 「……ごめんなさい。あたしのせいで、この拠点はもう使えなくなったわ」


 ニーナは絞り出すような声で切り出した。バルトロに捕らえられ、アッシュを救うために「奴隷にでも何でもなる」と誓って解放されたこと。そして、バルトロの私設兵に今もつけ回されている可能性が高いこと、今まさに拠点を特定されている可能性が極めて高いことを包み隠さず話した。


 「デックの裏切りも含めて、あたしの見通しが甘かった。……本当に、ごめんなさい」


 深々と頭を下げるニーナに対し、ルカは眼鏡を押し上げ、淡々とした口調で応じた。


 「顔を上げてください、ニーナ。我々の拠点はどちらにしろ、定期的に変えているのです。ここはただの事務所ですしね。気に病む必要はありません。デックの裏切りについても、本格的な作戦が始まる前に本性が知れたのは、むしろ幸運だったと言えるでしょう」


 ルカの冷静な言葉に、ニーナはわずかに肩の力を抜いた。しかし、ルカの表情はすぐに引き締まる。


 「ですが、猶予はありません。バルトロの私兵がここを包囲する前に移動します。アッシュ、酷なようですが応急処置が済み次第、すぐに発ちますよ。中央区の北西に予備の拠点があります。あそこなら商会に見つからない」


 「……ああ、わかった。動ける」


 アッシュは痛みに顔を歪めながらも、ニーナに支えられて立ち上がった。一行は夜闇に紛れ、拠点を後にした。


---


 リヴォルノの複雑な路地裏。湿った石畳を叩く足音が、闇の中に溶けていく。

 先頭を行くルカが、ふと足を止めた。眼鏡の奥の瞳が、背後の闇を鋭く射抜く。


 「……後をつけられていますね。バルトロが飼い慣らしている、対人特化の『掃除屋クリーナー』。手際からして二名。……少し遠回りをして、静かに消しましょうか」


 ルカは抑揚のない声で告げると、アッシュたちを物陰に待機させ、一人で逆方向の路地へと踏み出す。


 間もなくして闇の中から、音もなく二つの影が躍り出た。

 彼らは無駄な言葉を一切発しない。一人が低姿勢でルカの足元を刈り取るような双剣の連撃を放ち、もう一人が頭上から死角を突く刺突を繰り出す。完全な静寂の中での、寸分の隙もない連携。


 だが、ルカはその両方の攻撃が交差する「空隙」へ、吸い込まれるように身を滑り込ませた。

 ルカの左手から放たれた細身の剣が、月光さえも反射せずに闇を裂く。


 「――――」


 最小限の動き。すれ違いざまの一閃が、地を這うように迫る暗殺者の喉笛を正確に断ち切った。

 噴き出す血を避ける必要さえないほどに洗練された軌道。ルカはそのまま着地することなく、空中で右手の魔導銃を反転させ、頭上から襲いかかっていたもう一人の胸元へ銃口を密着させた。


 ――バシュッ。


 消音魔法が付与された銃声が、夜の静寂を乱すことなく響いた。

 至近距離で放たれた魔力弾が心臓を粉砕し、暗殺者は言葉を失ったまま糸の切れた人形のように石畳へ沈む。


 「……事務仕事の邪魔をする不純物は、早めに片付けるに限ります」


 返り血の一滴さえも浴びることなく、ルカは静かに剣を納め、銃をホルダーに戻した。

 物言わぬ骸となったプロの狩人たちを一瞥もせず、彼は何事もなかったかのようにアッシュたちの元へと戻り、眼鏡を指先で直した。


 「お待たせしました。掃除は完了です。行きましょう」


 その徹底して効率的で、感情の起伏を一切感じさせない手際に、ニーナは息を呑み、アッシュはルカという男の底知れぬ実力を改めて肌で感じていた。


---


 中央区、北西の隠れ家。

 新たなセーフハウスのベッドで、アッシュの蒼白な顔がランプの微かな灯りに照らされていた。


 「……全く、この短期間で何度も無茶をするのね。最高級ポーションで繋いだとはいえ、このボロボロの体でデック達と戦うなんて」


 サナは毒づきながらも、手慣れた手つきでアッシュの包帯を巻き直した。その指先は、いつもの軽薄な誘惑とは異なり、どこか硬い。


 「それにしてもアッシュ、海竜ネームドを単独で撃退するとは。……正直、私でもやりませんよ。君のポテンシャルは、こちらの予想を遥かに上回っているようだ」


 壁際で腕を組むルカの言葉に、アッシュは短く「……運が良かっただけだ」と返した。ニーナはルカの方を向き、真剣な面持ちで頭を下げた。


 「ルカ、本当にありがとう。あの時、あたしにポーションを持たせてくれなかったら……。あの、お金、いくら払えばいい?」


 ニーナの問いに、ルカは小さく首を振った。


 「代金なら心配いりません。サナも今回、自身の紹介で不手際があったと反省しています。ですので、サナへの個人依頼料として計上していた金貨五十枚から差し引いておきました。……ねえ、サナ?」


 「……ええ、そうね。異論はないわ」


 サナは一度だけ深くため息をつくと、包帯を巻き終えて椅子から立ち上がり、ニーナの正面に立った。


 「……悪かったわね。私の紹介したデックがあんなクズだったなんて。あんたの覚悟を私個人の欲で受け取って、結果的に二人を死地に追いやった。……レジスタンスとしてではなく、サナという一人の女として、あんたたちに詫びるわ」


 サナは静かに、深く頭を下げた。ニーナは言葉を失い、皮肉屋の彼女がこれほど明確に頭を下げる事態の重さを噛み締めた。


 「……あたしも悪かったわ。サナは事前に、デックの誘いがキナ臭いって注意してくれてたのに」


 「それはもういいわ。それよりデックという道は消えた。……でも、西へのルートが完全に閉ざされたわけじゃないわよ」


 サナが顔を上げ、机の上に広げられたリヴォルノの市街図を指差した。


 「一ヶ月後の『万貨の方舟』。そこでの陽動を引き受けて。それができれば、私たちが責任を持ってあんたたちを西の大陸まで運んであげる。これはレジスタンスの総意よ」


 「陽動、か……」


 アッシュが、震える手で黒剣の柄を握りしめた。

 バルトロに利用され、デックに嘲笑われたのは、自分たちが弱かったからだ。じーちゃんは言っていた。『一度泥を舐めたなら、次は泥を踏ませる側に立て』と。


 「やるよ、サナ。……西に行く。そのためなら、どんなことでもやってみせる」


 「いい返事ね。……でも、今のままじゃ足りないわ。これから一ヶ月、地獄を見てもらうことになるわよ?」


 サナの唇に、いつもの不敵な笑みが戻った。ニーナはアッシュの手を強く握り、その熱を分かち合うように頷いた。


 「はぁ……結局危険なことは続くのね……。アッシュ。次は、あたしが完璧に道を作ってみせる。これからは別行動なしよ?」


 セーフハウスの壁越しに、時計塔が時を刻む音が響く。

 西へのカウントダウンは、今この瞬間から、本当の意味で始まったのだ。

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