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リミットオリジン ―凡人と言われた俺が最強にたどり着くまで―  作者: みみたん
第3章:自由の港・潜蝕編

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第41話:選択の秤

 「金貨一万枚……」


 ニーナが、祈るように握りしめた財布を机に置いた。中から滑り出た十一枚の金貨が、湿った空気の中で鈍く光る。一万という途方もない数字の前では、その輝きはあまりにも頼りない。


 ニーナはその金貨を指先で数え直し、やがて力なく肩を落とした。彼女にとって、この十一枚はこれまでの旅で死線を潜り抜け、必死にやりくりして守り抜いてきた「成果」そのものだった。それがこの街では、パンの一切れを買うのと同じような端金に見えてしまう。


 「サナ。他に、西大陸へ渡る手段はないのか。……危険な航路でもいい」


 アッシュが、海図を見つめたまま問いかけた。

 サナは椅子の背もたれに深く体重を預け、形の良い唇を弧に描く。その瞳は笑っているようでいて、獲物の出方を伺う観察者の色を帯びていた。


 「危険な航路? アッシュ、あそこは連邦が『神域』として封鎖してるのよ。軍の紋章が入った許可証か、あるいは連邦の要人でもない限り、全ての船にとって危険な航路だわ」


 サナは組んだ脚を組み替え、アッシュの顔を覗き込むように身を乗り出した。テーブルに身を乗り出した拍子に、彼女が纏う甘い香りが、海図の埃っぽい匂いを塗り替えていく。


 「どうしても陽動に参加したくないって言うなら、今すぐここに金貨一万枚を積み上げなさいな。そうすれば、命を懸けなくても裏ルートの船を手配してあげられるわよ。……いい? リヴォルノではね、正義も理想も『お金の重さ』で測られるの。金貨一万枚分の重さがない言葉は、ここでは波間に消える飛沫と同じよ」


 サナの視線がアッシュの反応を試すように、じりじりと彼の瞳の奥へ潜り込む。


 「もっとも、そんな大金、この街の成金共だって簡単には出せない額だけどね。あなたたちに、その『重さ』が用意できるかしら?」


 アッシュは黙って自分の拳を見つめた。

 力でこじ開けられる門ではない。ここは「金」という別のルールが支配する迷宮なのだ。剣の鋭さでも、身体の密度でも、この絶望的な数字を埋めることはできない。


 「まあ、まだ時間は一ヶ月あるわ。のんびり考えなさいな」


 サナが立ち上がり、アッシュの肩にポンと手を置いた。


 「ここのセーフハウス、拠点として使っていいわよ。一階の部屋が空いてるから、好きに使いなさい。……ふふ、ここなら明日からも毎日、あんたの顔が見られるわね」


 サナが耳元で囁きかけると、その吐息がアッシュの感覚を微かに揺さぶる。


 「ちょっと! これ以上アッシュをたぶらかさないでよ!」


 ニーナが鋭い声を上げ、サナとアッシュの間に割って入った。サナは「あら、怖い」とわざとらしく肩をすくめ、クスクスと喉を鳴らす。


 アッシュはサナから視線を外し、部屋の隅で黙々と帳簿を整理している青年に目を向けた。その、一切の無駄を削ぎ落とした身体の予備動作のなさに、アッシュは深い敬意を抱いていた。


 「……ルカ。あんたから見て、金貨一万枚を稼ぐ現実的な方法はないのか」


 アッシュの真剣な問いかけに、ルカは羽根ペンを走らせる手を止め、視線を向けた。だが、彼が答えるより早く、ニーナが横から口を出す。


 「そうよ! ねえ、メガネ君。あんた、数字に強そうじゃない。何か良い裏技とかないわけ?」


 ルカの眉が、ピクリと不快そうに跳ね上がった。


 「……ルカです。それに、メガネは視力補正の道具であって、私の名前ではありません」


 「あはははは! メガネ君、いいわねそれ! 最高だわ、ニーナ!」


 サナが腹を抱えて笑い出した。


 「メガネ君、今そんなに忙しくないでしょう? 何かアドバイスはないかしら? 未来のある若者が困ってるのよ」


 サナが面白がってルカに声をかけると、ルカは溜息を隠そうともせず、冷淡な口調で応じた。


 「……今は鉄ランクでしたね。実力はカナンの話を聞いてそれ以上だと知っていますが、鉄ランクにまず『美味しい仕事』はないと思ってください。……あとは、自分たちの足で情報を稼いで来てください。君たちが現実を知ってから、またアドバイスしますよ」


 現実とは何のことか。今の二人には正確な予感さえ持てない。だが、アッシュはこの街の壁を正面から教えてくれた青年に、短く礼を言った。


 「ルカの言うことは確かだと思った。ありがとう。礼を言う」


 「……とにかく、私はレジスタンスの書類仕事が山積みだから、ここで仕事に戻るわ。勝手にくつろいでなさいな。あ、そうそう……。リヴォルノの冒険者ギルドは、他よりずっと『不親切』よ。精々、カモにされないように気をつけることね」


 サナがひらひらと手を振ると、ルカは黙って立ち上がり、二人に部屋の鍵を渡して廊下へと促した。


---


 二人は、案内された一階の空き部屋へと移動した。

 木製のベッドが二つと、小さな机があるだけの殺風景な部屋だ。ニーナは扉を閉めるなり、崩れ落ちるようにベッドに腰を下ろした。


 「一万枚なんて……。ねえ、アッシュ。本気で稼ぐつもり? それとも、やっぱりサナの言う通り陽動に参加するしか……」


 ニーナの声は震えていた。彼女にとって、サナが提示した陽動作戦は、アッシュを再び命の保証がない火中に投じることを意味している。かといって、テーブルに並んだ十一枚の金貨を見れば、現実がどれほど残酷かも理解できてしまう。


 「サナの条件に乗るにしても、まずは自力で動いてみたい」


 アッシュは窓の外、リヴォルノの喧騒を見下ろした。


 「一ヶ月で一万枚。……まずは冒険者ギルドへ行こう。鉄ランクのままでは届かない額でも、ランクを上げれば高額な依頼も受けられるはずだ。金が理だと言うなら、そのルールの上で戦うまでだ」


 ニーナは少しだけ驚いたように目を見開いたが、アッシュの瞳に宿る静かな闘志を見て、すぐに柔らかく微笑んだ。


 「……そうね。絶望してる暇があるなら、一分でも早く稼ぎに行かなきゃ。あんたがそう言うなら、最後まで付き合うわよ。リヴォルノの汚い大人たちに、あんたが騙されないように私がしっかり見ててあげなきゃいけないしね」


 ニーナはパンパンと自分の頬を叩いて気合を入れると、立ち上がってアッシュの隣に並んだ。

 二人の旅は、この欲望の渦巻く港町で、新たな局面を迎えようとしていた。


過去にボツにした43話の抜粋です。まだ残っていたので載せてみます。

まったく違う話になっています。↓の話は全く気に入ってません。


-----

 そこには、地味な旅装に身を包んだレジスタンスの連絡員が座っていた。アッシュが対面に座ると、男は無言で一枚の紙片を差し出す。


「『西への風は、大商会の天秤の上にある』?」


 アッシュが読み上げた言葉に、男は短く応えた。


「リヴォルノを統べる『五大商会』のことだ。西の大大陸へ至る航路、船、反映される貨物。すべてが彼らの私物だ。……連邦の通行証があろうが、彼らの『許可証』がなければ、水平線の先へは一歩も進めねえ」


「……力で奪えば、船は出せるか?」


「やめなさいってば!」

 ニーナがアッシュの脇腹を小突く。


「あんたが船を奪った瞬間に、この港中の大砲がこっちを向くわよ。……サナ、どこにいるの? あたしたちが『西』に行きたがってることを見抜いてて、わざわざこんな紙片を寄越したんでしょ」


 連絡員は、酒を煽りながら静かに告げた。


「……明晩、上層の高級酒場『アズールの溜息』に来い。彼女がそこで、お前さんたちの『値打ち』を査定する。西へ行きたいなら、相応の毒を食らう覚悟をしておくんだな」

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