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リミットオリジン ―凡人と言われた俺が最強にたどり着くまで―  作者: みみたん
第3章:自由の港・潜蝕編

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第39話:白銀の街

これより3章開幕です。

少しでも多くの方に読んでもらえますように……。

 背後で重厚な鉄の門が閉ざされた瞬間、ニーナが肺の空気をすべて吐き出した。


 「……滑り込みセーフ。閉まる前に入れて、本当によかったわ。ねえ、アッシュ?」


 「ああ。本当にギリギリだったな」


 アッシュは門の閉まる重苦しい余韻を背に、眼前に広がるリヴォルノの街並みを見据えた。磨き抜かれた白大理石の舗道が、魔導灯の飛沫を浴びて、夜とは思えないほど白く輝いている。


 空を見上げれば、星の光すら霞むほどに街は輝き、巨大な時計塔が威圧的な存在感で時を刻んでいた。ステラやリカームとは比較にならない、鉄と石と光の暴力。それが「自由の港」リヴォルノの第一印象だった。


 運河沿いには、幾重にも連なる街灯が水面に反射し、まるで光る蛇が街を飲み込んでいるかのような錯覚を覚える。遠くの港には巨大な商船のシルエットが浮かび、魔導式のクレーンが唸りを上げていた。


 「すごいわね……夜なのに、まるで街全体が魔法にかかってるみたい」


 ニーナが感嘆の声を漏らすが、アッシュの視線はより現実的な、柔軟な一点に固定されていた。


 「……夜なのに、こんなに明るいのは初めてだ。太陽の光とは違う、不自然な輝きだな。それに……あそこに立っているのは、アイゼンの兵士か?」


 アッシュが視線を向けた先には、白銀の甲冑を纏った連邦の正規兵が、鋭い眼光で街を巡回していた。カナンで見かけた徴用兵とは明らかに違う、洗練された「無」の気配。じーちゃんが言っていた「戦うために呼吸を捨てた連中」のそれだ。


 アッシュは無意識に黒剣の柄に手をかけたが、すぐにニーナに制止された。


 「ちょっと、アッシュ! いきなり剣に手をかけないでよ。ここはもう連邦の息はかかってない建前の大都市なんだから、無駄に怪しまれる行動は取らないでよね。まずは観光客のふりをするの!」


 「……わかった。だが、人混みが多すぎる。じーちゃんが言っていたんだ。『人混みは壁の移動だと思え。壁に押し潰されたくなければ、自分も壁の一部になるか、あるいは壁そのものを切り裂く覚悟を持て』って。これだけ人が多いと、はぐれたら最後だ。ニーナ、俺の服の端を掴んでおけ。じーちゃん曰く、迷子は魂の欠損と同じだそうだ」


 アッシュがそう言い終わるかどうかのタイミングで、不意に数人の男たちが二人を囲むように立ち塞がった。


 派手な刺繍の入った上着を着た若い男たちが、値踏みするような視線でニーナを見ている。


 「よう、お姉ちゃん。獣人は珍しいな、旅の人? リヴォルノの夜は迷いやすいんだ。よかったら、俺たちが最高の店を案内してあげようか」


 ニーナに話しかけた男が、軽薄な笑みを浮かべてニーナの肩に手を回そうとした。最初はアッシュも「誰かに話しかけられている」程度に思っていたが、男の指先がニーナの服に触れ、強引にその腕を掴んで引き寄せようとした瞬間、アッシュの脳内で何かが冷たく弾けた。


 「……ちょっと、離してよ!」


 ニーナが拒絶するよりも早く、男の視界から世界が消えた。


 気づいた時には、男の右腕はアッシュの無機質な鉄の手甲によって、不自然な角度で固定されていた。


 「……あ、あがっ!? なんだ、こいつ……!?」


 「俺の相棒に、軽々しく触れるな」


 アッシュの声は、白大理石の床よりも冷たかった。じーちゃんから教わったのは、敵の芯を捉える技術だ。力を入れているようには見えないが、男は脂汗を流し、その場に膝をついた。アッシュの瞳には感情が一切なく、ただ対象の「関節」を淡々と見つめている。


 「ひ、ひいっ! 悪かった、冗談だって!」


 男たちが逃げ去っていくのを、アッシュは追おうともせず見送った。


 「……ニーナ、やはりこの街は危険だ。人が襲いかかってくる。もっと俺の近くにいろ。影が混ざるくらいの距離なら、何があっても対処できる。じーちゃんが言っていた、『隙間のある陣形は死を招く』って。俺たちの間に隙間を作るな」


 アッシュが至極真面目な顔で、彼女の腕を引いて自分の方へ引き寄せる。あまりに過剰で、けれど純粋すぎる保護欲に、ニーナは頬を赤らめつつも「……そんなにあたしが心配?」と、どこか嬉しそうに彼の斜め後ろへ収まった。


 二人は空腹を満たすため、港の近くにある賑やかなレストランへ足を運んだ。


 店内に運ばれてきた料理を前に、アッシュはしばし呆然とした。


 大皿に盛られていたのは、リヴォルノ近海で獲れたばかりの、見たこともないほど巨大な海老と魚のブイヤベースだった。サフランの鮮やかな色彩と、濃厚な魚介の出汁、それに効かされたスパイスの香りが鼻腔をくすぐる。


 「……美味い。じーちゃんが出してくれた素朴な料理とはまた違う。じーちゃんが西は料理が100倍美味いって言ってたのはこれのことか」


 「大袈裟ね。でも……やっぱり、ちゃんとしたところで食べる食事も良いわね」


 ニーナもまた、バターがたっぷり塗り込まれた黄金色のパンをスープに浸して頬張り、これまでの旅の緊張が解けていくのを感じていた。さらに運ばれたのは、薄くスライスされた香草風味のローストビーフだ。口の中でとろけるような脂の甘みに、アッシュもニーナも「戦わなくていい食事」の豊かさを久しぶりに噛み締めていた。


 食後の茶を飲みながら、ニーナが卓の上に簡素な地図を広げた。


 「さて。リヴォルノに着いたんだから、これからのことを話しておきましょう。直近のやりたいこととしては……旅装の洗濯もしなきゃだし、あたし、ゆっくりお風呂に入りたいわ。2~3日はゆっくり疲れを取りましょう」


 ニーナの提案に、アッシュも異論はなかった。


 「……そうだな。洗濯と風呂は必要だ。じーちゃんも『汚れた身なりは心の隙を生む』と言っていた」



---



 食事を終え、二人は港を望む宿へと移動した。


 「……一番安い部屋でも銀貨5枚!? ふざけないでよ、足元見るにも程があるわ」


 「……ニーナがそういうなら高いんだろうな」


 ニーナは額を押さえて深いため息をついたが、背に腹は代えられない。案内された部屋は、その値段に見合うだけの豪華な設備を備えていた。


 「見て、アッシュ! この部屋、専用のお風呂がついてるわよ!」


 ニーナが歓声を上げた先には、磨き抜かれたタイル張りの浴室があった。魔導具の栓を捻れば、勢いよく透明なお湯が溢れ出し、白い湯気が瞬く間に部屋を満たしていく。


 「……こんなに簡単に、しかも大量に……。都会というのは底が知れないな」


 アッシュは湯気が立ち上る浴槽を、まるで見知らぬ魔獣を見るような目で見つめた。


 「先にアッシュが入ってきなさいよ。あたしは洗濯の準備をしておくから」


 「……わかった。遠慮なく使わせてもらう」


 浴室へ向かったアッシュは、これまでの旅で染まった野営の匂いを丁寧に洗い流した。熱い湯に肩まで浸かると、肉体の芯まで凝り固まっていた緊張が、溶け出すように抜けていく。


 (……ふぅ。川の冷たい水より、こういう温もりは……本当にいいな)


 アッシュと入れ替わりで浴室に入ったニーナもまた、念願のバスタイムを堪能した。上質な石鹸の泡で肌を磨き、旅の汚れをすべて落とす。湯船の中で手足を伸ばし、白く細い指を眺めながら、彼女は小さく吐息を漏らした。


 「あぁ……生き返るわ……。やっぱりお風呂は心の洗濯ね」


 湯上がり、薄手の寝巻きに着替えた二人は、驚くほど身軽になった自分たちを感じていた。石鹸の清潔な香りが部屋に漂い、窓から入る夜風が火照った肌に心地よい。


 ふと、ニーナが窓際に歩み寄った。


 重厚なカーテンを開けると、そこには言葉を失うほどに美しい、夜の海が広がっていた。


 「ねえ、見てアッシュ。あんなに遠くまで光が続いてる」


 アッシュも隣に立ち、窓枠に手を置いて外を眺めた。漆黒の海面に、リヴォルノの街の灯りが金色の糸のように伸びている。遠くの水平線近くでは、巨大な灯台が規則正しく光の帯を放ち、夜の闇を切り裂いていた。


 「……じーちゃんから聞いた海は、ただ広くて恐ろしい場所だったが。こうして見ると、まるで宝箱をひっくり返したような場所だな」


 「ふふ、例えが可愛いわね。でも、そうね。あたしたち、本当に遠くまで来たのね」


 「ああ。だが、これからもっと遠くへ行く。西の大陸へ。じーちゃんが何故西へ行けと言ったのか、西に行けばじーちゃんを助ける手がかりがあるのか」


 アッシュの静かな宣言に、ニーナは彼の肩に頭を預け、穏やかな波の音に耳を傾けた。この街の喧騒も、金貨の心配も、一瞬だけこの光の海が遠ざけてくれるような気がした。


 「……予定変更よ、アッシュ。のんびりしてる場合じゃないわ。明日の朝、一番にサナに会いに行きましょう。宿代だけであたしたち破産しちゃう」


 「……それに異論はない。俺はこの街が、そんなに好きじゃない」


 「えっ? あんなに美味しそうにご飯食べてたのに?」


 ニーナの問いに、アッシュは顔を伏せ、答えた。


 「料理は美味かった。だが……街を歩いている間、ニーナをジロジロ見る奴が多すぎた。あれはよくない視線だ。あんな視線に晒され続けるのは、俺が我慢ならない」


 それは、じーちゃんの格言でも何でもない、アッシュ本人の、純粋で純朴な気持ちから出た言葉だった。


 不意を突かれたニーナは、驚いたように目を見開いたが、やがてその口元に隠しきれない笑みが浮かんだ。


 「……アッシュはあたしのことをちゃんと見てくれてたんだ?」


 「……俺の相棒だからな」


 ぶっきらぼうに言い放ち、荷物を持ってベッドへ向かうアッシュの背中を見て、ニーナは弾むような足取りでその後を追った。


 窓の外、リヴォルノの灯火はどこまでも明るく、二人の未来を祝福しているかのように輝いていた。

 しかし。

 この先に待ち受ける過酷な「経済の壁」と、自由の港の裏側に潜む波乱に、まだ二人が気づく余地はない。


 リヴォルノでの最初の夜。


 旅の汚れを落とし、自分の足で新しい夜を歩み始めたアッシュの隣で、ニーナはかつてないほどの安心感と高揚感に包まれながら、深い眠りへと落ちていった。

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