第33話:分かたれる運命
カナン族の里に、ようやく静寂が戻った。
レオン達を撃退してから、数時間が経過している。
アッシュは、用意された一室で一人、剣を拭っていた。
【金剛身】の反動で節々が悲鳴を上げている。だが、手を止めれば、あの日の光景が蘇る。アイゼン連邦の強襲。自分を突き放したじーちゃんの冷たい声。
「……アッシュ。入ってもいいかしら。父も一緒なの」
控えめなノックと共に、ニーナと、その父である族長が姿を現した。
ニーナはカナン族の伝統的な旅装に身を包んでいる。どこか落ち着かない様子でアッシュの対面に腰を下ろした。
「……ねえ、アッシュ。改めて聞きたいんだけど。あんた、里を救ってくれた今なら、ここに残ることだってできる。……それでも、やっぱりおじいちゃんの言う通り、西へ行くの?」
アッシュの指が、ピクリと止まる。
「……あの日、じーちゃんは俺を足手まといだと言った。弱すぎて、一緒には戦えないと。……理由はわからない。ただ、これを押し付けられて、西へ行けとだけ言われたんだ」
アッシュは、懐から「謎の装置」をゆっくりと取り出した。別れ際、じーちゃんから説明もなく無理やり持たされた、黒ずんだ金属の塊。使い道も価値も分からない。けれど、あの炎の中で最後に託されたそれを、アッシュは大切に握りしめた。
その時、じっと装置を見つめていた族長が、声を震わせた。
「……アッシュ君。失礼だが、その装置……少し見せてもらっても構わんか?」
アッシュが躊躇いがちに手渡すと、族長はそれを拝むように受け取り、表面の刻印をなぞった。
「……信じられん。これは『西の鍵』……。西の最果てにある門を開くための、伝説の遺物じゃ。まさか、実在していたとは……」
族長の顔が、恐怖に近い驚愕に染まる。
「こんな物を少年に託すなど……。アッシュ君、お主を育てたというその者の名は、一体何というのだ?」
アッシュは、族長から装置を取り返すと、大切に懐へ仕舞い込んだ。
「じーちゃんは、自分のことをゼノスって名乗ってたけど」
その名を聞いた瞬間、族長の手から茶器が滑り落ち、床で乾いた音を立てた。
「……ゼノス……だと? まさか、『剣聖ゼノス』か……!? アイゼン連邦の艦隊を単騎で半壊させ、歴史から消されたはずの……最悪の『大逆人』にして、世界最強の怪物……!」
アッシュの中で、『剣聖ゼノス』という言葉が重く響いた。サナから聞いていたし最強であることは知っていた。だが、誰もが驚愕するほどの評価に、アッシュは問いを重ねる。
「……族長。じーちゃんについて、知っていることを教えてくれ」
族長は困惑したように視線を泳がせながら、震える声で語り始めた。
「……本当のところはわからんが、アイゼン連邦が発表していることと噂だけなんじゃがな……。12年前、連邦の版図拡大を一振りで止めた伝説。ある時期を境に連邦の重要施設を襲撃し、多くの犠牲を出した『大逆の徒』とされている。連邦は、その血筋が持つ異能を、秩序を乱す禁忌として根絶の対象に定めている。しかし、ある時から忽然と姿を見せなくなったから死んだのではないかと噂されておる。今でも連邦に指名手配されておるS級犯罪者じゃよ。……しかし、連邦こそ悪魔の手先じゃからな。ゼノスは連邦国民以外には熱烈な支持を受けている英雄でもある」
族長が語る「ゼノス」の話は、サナから聞いたことと一致している。じーちゃんならやりそうだ、とアッシュは思った。世間がどう言おうと、あの圧倒的な強さは本物だ。だが、胸の奥に澱のように溜まった寂しさは消えない。
「……俺はじーちゃんと二人でアビスゲートに住んでいた。そしたら連邦が攻めてきて、一緒に戦うって言ったけど、足手まといだと言われたんだ。……それで西に行けって……」
「……あ、アビスゲート……だと……?」
族長が、文字通り息を呑んだ。
アイゼン連邦が血眼で探索方法を模索続け、ついには人類に「生存不可能」として諦めた、世界の果ての死地。人間が足を踏み入れることすら許されない、魔獣と瘴気の吹き溜まり。
「あそこに……十二年も住んでいたというのか? あの剣聖と共に……」
族長は、目の前の少年の存在そのものを疑うような眼差しを向けた。アッシュはこの数ヶ月、アビス以外の土地を歩き、自分がどれほど異常な環境にいたかを知識としては理解していた。だからこそ、族長が絶句する理由も分かっている。だが、理解したところで事実は変わらない。
「信じられん。お主がこうして人の形を保って立っていること自体……。……いや、そうか。剣聖ゼノスが守り、鍛え上げたというのなら、あるいは……」
族長の眼差しは、驚愕を超えて、正体の知れない神性を直視したかのような畏怖に変わっていた。
「俺はじーちゃんから拾われたし、本当の家族じゃないけど……。でも、俺にとってはただ一人のじーちゃんなんだ」
アッシュは寂しそうに、自分に言い聞かせるように独り言つ。血が繋がっていなくとも、あのアビスという極限の地で、自分を育ててくれた唯一の絆。それを「足手まとい」という言葉で断ち切られた痛みを、この装置の重みだけで繋ぎ止めているようだった。
部屋を支配する重苦しい沈黙。
族長は、アッシュの出自と、その背負わされた運命のあまりの重さに、愛娘であるニーナの顔を思わず見やった。
この少年に関わり続けることが、どれほどの危険を伴うか。親としての本能が警鐘を鳴らしていた。
「……アッシュ君。少し、この大陸の現状と、お主が向かおうとしている『西』について、話をさせてもらえんか。……覚悟を決めるには、あまりに敵が大きすぎる」
卓上に広げられた古びた羊皮紙の地図。その中央には、黒々と塗り潰された「未踏領域」が鎮座している。
族長は震える指先で、北の果て……鉄鋼連邦アイゼンが支配する極寒の地を指し示した。
「アッシュ君。これはアルヒレムの世界地図だ。お主がこれまで見てきた連邦の兵など、氷山の一角に過ぎん。彼らは魔導科学という、神をも冒涜する力を手にしている。北ゲートの先、北次元大陸から掠奪したエルフやドワーフの技術……。それらを軍事転用し、中央大陸の全域を『資源の貯蔵庫』としか見ておらんのだ」
族長の声は、深い絶望を含んでいた。
「東の旧トウランは、既に彼らの軍事拠点と化し、南のカナンは資源と奴隷の供給源。我らカナン族がこれほどまでに追い詰められているのは、連邦が四方のゲートすべてを掌握し、別次元の資源をも独占しようと目論んでいるからじゃ。大陸を横断できぬため、この『縁』の道を、彼らは鉄の足で踏みにじっておる」
アッシュはじっと地図を見つめた。アビスゲートという、人間が住めるはずのない死地。そこで12年を過ごした自分にとって、連邦の強大さはまだ数字や伝聞でしかない。しかし、じーちゃんが独りで抗い続けていた相手が、この巨大な「世界そのもの」であったことは、今の話で嫌というほど理解できた。
「お主が行こうとしている西……自由貿易同盟。そこはアイゼンに莫大な通行税を払うことで、かろうじて偽りの『中立』を買っている場所に過ぎぬ。そして、その海を隔てた先にある『西の大大陸』こそが、アイゼン連邦が唯一、力で屈服させられぬ最後の聖域……。ヘヴンズ・ドアを守る『西の番人』がいる場所じゃ」
族長は一度言葉を切り、隣で拳を握りしめている娘、ニーナへ視線を向けた。その瞳には、族長としてではなく、一人の父親としての苦渋が滲んでいた。
「……ニーナ。お前は、これ以上アッシュ君に関わってはならん。今すぐ、この旅から降りなさい」
「なっ……! お父さん、何を急に!」
ニーナが椅子を蹴るようにして立ち上がる。だが、族長は静かに、しかし断固とした口調で続けた。
「相手は『剣聖ゼノス』の弟子、そしてアビスからの生還者じゃ。アイゼン連邦がこの事実を知れば、軍の一個師団を動かしてでもアッシュ君を捕らえに来る。……お前が横に居れば、お前まで連邦を敵に回すということだ。……お前を、死なせたくはない」
族長はアッシュに向き直り、深く頭を下げた。
「アッシュ殿。お主が里を救ってくれた恩は、一生忘れぬ。だが、親として……娘をこれ以上、世界の破滅に片足を突っ込んでいるような旅に同行させるわけにはいかんのじゃ。……許してくれ」
ニーナは言葉を失い、震える肩をアッシュに向けた。
アッシュは、族長の言葉を静かに受け止めていた。自分が「歩く火種」であることは、アビスを出た瞬間から薄々勘づいていたことだ。
「……わかった。族長の言う通りだ」
アッシュは短く答えると、拭き終えた剣を鞘に納めた。
じーちゃんが自分を「足手まとい」と突き放した理由。その断片が、族長の目にある「守りたいものへの恐怖」の中に透けて見えた気がした。
(……結局、俺は誰かと一緒にいちゃいけないのかもな)
胸の奥がちくりと痛んだが、アッシュはそれを表に出さないよう、努めて無表情を装って立ち上がった。
「ニーナ。お前はここにいろ。俺は……一人で行く。族長。……色々教えてくれて助かった。感謝する。」
「アッシュ、あんたまで……!」
ニーナの叫びを背に、アッシュは立ち上がり、部屋の出口へと歩き出した。
カナンから西へ……。アンノウン・コアを右手に、大陸の南縁をなぞるようにして、未だ見ぬ自由貿易同盟を目指す長い旅路。
本当の孤独と、本当の闘争が、すぐ目の前まで迫っていた。
拙作を読んでくださる皆様。
昨日はアップしたと思ったらできてなくて本当にすみません。
こちらの操作ミスでした。
旅行中に慌てて無理してやるものじゃなかったですね。
すごく反省です。




