第30話:相棒の素顔
鼻腔をくすぐる、濃厚な樹液と土の匂い。
アッシュが意識の底から這い上がった時、最初に感じたのは全身を襲う凄まじい「強張り」だった。
(……生きてる、のか)
爆心地で感じた、何もかもを塗り潰すような閃光。自身の肉体を一つの強固な壁として固定し、エネルギーの指向性を無理やり引き裂いたあの瞬間の感触だけが、熱い名残として脳裏に焼き付いている。
「気がついたか、恩人どの。……いや、我らの英雄と言うべきかな」
低く、しかし力強い声に顔を向けると、そこにはカナン族の族長が静かに座っていた。アッシュが横たわっていたのは、集落「風の枝」の奥深く、霊樹の根に守られた聖域の寝所だった。
「……英雄なんて大層なもんじゃない。俺は、ニールの想いを守りたかっただけだ」
アッシュが、隣で戦い続けた相棒を思い浮かべて応じると、族長は深く、重みのある笑みを浮かべた。
「鉄の獣をその身一つで押し留める者が、ただの『恩人』でおるものか。お主の放った一撃、しかとこの目に焼き付けさせてもらったよ」
そこへ、戸口の幕を跳ね上げて一人の人物が入ってきた。アッシュは思わず、その姿を凝視した。
そこにいたのは、今まで共に旅をしてきた「少年」ではなかった。
男装の化粧を落とし、カナン族の伝統的な意匠が施された女性用の軽装甲に身を包んでいる。
「アッシュ。……起きたんだ。丸三日寝てたのよ」
「……ニール、か?」
アッシュの問いに、彼女は少しだけ照れくさそうに、だが強く首を振った。
「いいや。もう『ニール』は死んだよ。……あたしの名前はニーナ。カナン族のニーナよ」
ニーナはアッシュの枕元に歩み寄ると、傍らに用意されていた新しい装備一式を広げた。
「これ……族長たちが用意してくれたの。あんたのボロボロになった剣も打ち直してあるわ。……さあ、いつまでも寝てないで。起きられる?」
アッシュがふらつく体で上体を起こすと、ニーナは自然な動作で彼の肩を支えた。
「ほら、じっとしてて。まずはこの鎧下からよ。……それと、このズボンも新調したんだから。霊樹の繊維を編み込んでるから、あんたの無茶な動きにも耐えられるはずよ」
ニーナは甲斐甲斐しくアッシュの腕を通し、新しいズボンの紐を締め直していく。近すぎる距離に、アッシュはどこに目を向ければいいか分からず、硬直したままされるがままになっていた。
彼女の指先が素肌に触れるたび、そこから伝わる温度が、彼女が「少女」であることを改めて突きつけてくる。
「……大丈夫。これ、自分でできる」
「いいから任せなさい。あんた、まだ指先に力が入ってないでしょ? ……よし、最後はこの上着ね」
ニーナは丁寧に服の皺を伸ばし、仕上げにアッシュの胸元の留め具をカチリと嵌めた。一歩下がって、新調された黒い旅装に身を包んだアッシュを、ニーナは満足そうに、そして少しだけ頬を染めて見上げた。
「……うん。よく似合ってるわよ、アッシュ」
その真っ直ぐな言葉に、アッシュの胸の奥が温かくなる。ニーナが手渡してきた「重炭素鋼の黒剣」を受け取ると、以前よりも一回り重く、しかし驚くほど手に馴染んだ。
「ありがとう、ニーナ。……助かった」
アッシュがその名を呼ぶと、ニーナは一瞬だけ驚いたように目を見開き、それから柔らかく微笑んだ。
(……ああ。ニーナが笑うと、世界が少しだけ明るく見える気がするな)
アッシュは微笑むニーナを見て、自分が守ったものは、無駄ではなかったと思った。
「……さあ行こう、あたしはアッシュの相棒だから」
窓の外では、再建へと向かう村人たちの活気ある声が響いている。
新たな装備を身に纏い、二人は「風の枝」の里に差し込む、眩いばかりの朝光の中へと踏み出した。




