第25話:絶望の序曲
頭上を覆う巨木の隙間から、無慈悲な白光が断続的に突き刺さる。アイゼン連邦の指揮官、レオンによる魔導爆撃の余波だ。上空から降り注ぐ火弾が森を焼き、湿った土と焦げた木の葉の匂いが混じり合い、カナンの回廊は呼吸すら拒むような熱気に包まれていた。
「……っ、この熱量。間違いない、レオンが来てる」
負傷し、ニールの肩に預けていたサナの体が緊張で強張る。
「ちょっと、聞いてないわよ! なんであの男がこんな場所にまで顔を出してるの!? レジスタンスの増援は何をやってるのよ……これじゃ作戦どころじゃないわ!」
いつもは余裕な態度を崩さないサナが、声を荒らげて周囲を睨む。その明らかな焦燥は、上空から迫る爆撃の威力を無言で物語っていた。
前方から、金属鎧の擦れる音と、荒い息遣いが近づいてくる。シダの葉を掻き分けて現れたのは、泥に塗れ、ボロボロの毛皮を纏った獣人たちの集団だった。カナン族の生き残り――レジスタンスだ。
「おい、待て! 動くな!」
先頭に立つ筋骨逞しい男――ジャゴが、錆びついた槍を突きつける。その視線が、アッシュの隣に立つ少年の姿を捉えた瞬間、驚愕と、それに勝る憎悪の色に染まった。
「……お前、その面。まさか、ニーナか!?」
ニールは言葉を失い、立ち竦む。男装し、名前すら偽って生きてきた彼女にとって、かつての幼馴染に本名を呼ばれることは、隠していた自分を無理やり引きずり出されるに等しかった。ジャゴの背後にいる村人たちからも、容赦のない罵声が飛ぶ。
「生きていたのか、裏切り者が!」
「俺たちが地獄を見ていた間、一人で外の世界をのうのうと歩き回っていたのか!」
「部族長の娘のくせに、真っ先に逃げ出した臆病者が何の用だ!」
ニールの肩が小さく震える。反論の言葉は出てこない。11歳のあの日、閉塞した部族を飛び出したのは自分の意志だ。だが、残された者たちが受けた惨状を前にして、彼女の心は沈黙せざるを得なかった。
「……部族の事情は知らないけど」
重苦しい沈黙を破ったのは、アッシュの声だった。彼は一歩前へ出ると、ジャゴの槍の穂先に、あえて自分の胸を預けるようにして立った。じーちゃんのように堂々と振る舞う。
「今は敵が来る。森ごとお前たちを焼き払うつもりだ」
その言葉を裏付けるように、上空の雲が異常な渦を巻き始めた。レオンによる広域殲滅魔法――その第二波だ。
「理屈はどうでもいい。死にたくなければ、あっちの岩陰に隠れろ。じーちゃんが言ってた。『無駄死にする奴に、明日の説教を聴く資格はない』って」
アッシュは一点のブレもなく上空を捉えた。降り注ぐ魔導火弾の奔流。アッシュは自分たちの周囲に墜ちる数発だけは、確実に逸らさなければならない。
黒鋼の長剣が抜き放たれた。特殊炭素鋼の刀身が、鈍く光る。
墜ちてくる火弾が視界を埋め尽くす中、アッシュは【点視】を極限まで引き上げた。爆ぜる直前の魔力の芯を捉え、最小限の動きでそれを叩く。
「――【透過撃】!」
鋭い踏み込みと共に放たれた一撃が、直撃コースにあった火弾を強引に逸らす。爆発の衝撃がアッシュの腕を痺れさせ、熱風が肌を焼くが、彼は止まらない。続けざまに襲いかかる火弾を撥ね退け、アッシュは自分たちの周囲にだけは致命的な爆風を通させなかった。
「化け物か、あいつは……!」
ジャゴは槍を握りしめたまま、呆然と空を見上げる。自分たちが裏切り者と蔑んだ少女の連れが、必死の剣技で死の雨を凌いでいるのだ。アッシュの気迫に圧され、ジャゴは舌打ちをして槍を引いた。
「……チッ、余所者の連れか。勝手にしろ! だが、ニーナ。お前の席はこの村にはもうねえぞ!」
背後でレジスタンスたちが逃げ惑う中、アッシュが静かに着地した。その肩からは熱気が立ち上り、剣を握る手は微かに震えている。彼は俯いたまま動けないニールの細い手首を、無造作に、しかし力強く掴んだ。
「行くぞ、ニール。お前の足は、まだ動くだろ」
アッシュの掌から伝わる確かな熱が、凍りついたニールの心を微かに溶かす。ニールは震える脚を、意志の力で地面に叩きつけた。彼女はアッシュの手を握り返す。その瞳には相棒を一人で行かせないという意地が灯っていた。
――その時だった。
アッシュとニールの「感覚」が、同時に跳ね上がった。
風の鳴動とは異なる、真空を削るような不気味な高周波音。
「……ッ、みんな離れろ!!」
アッシュの絶叫と同時に、頭上の空気が凍りついた。
上空で待機していた巨大な魔導火弾が、ジャゴたちレジスタンスの方角へと一斉に収束する。
「しまっ……!」
アッシュは咄嗟にニールを背後に突き飛ばすと、自身の全身の筋肉に力を込めた。
「――【高密度化】!」
肉体密度を極限まで高め、内臓と骨を鋼の硬度で守る。
その直後、サナが懐から結晶石が埋め込まれた腕輪型の魔導具を起動させた。
「……『魔導壁』ッ!!」
展開された光の障壁が火力を一瞬だけ削るが、レオンの魔力はその防壁を食い破った。
ドォォォォォォン!!
凄まじい爆風が森を薙ぎ払い、周囲を木の葉のように弾き飛ばした。
アッシュもまた、鉄塊となった肉体ごと後方へ吹き飛ばされる。地面を何度も転がり、巨木に背中を叩きつけられたが、深化させた防御スキルが彼の意識を繋ぎ止めていた。
「が、はっ……!」
砂塵が舞う中、アッシュはよろめきながらも立ち上がった。だが、視界の先でニールもサナも、ジャゴたちも、ピクリとも動かずに泥濘の中に横たわっている。
絶望的な静寂を切り裂き、樹上の陰に白銀の法衣を纏った男――レオンが悠然と姿を現した。
「ほう。一匹、目障りなのが耐えたか」
アッシュは、動かない相棒たちの背中を背負うようにして、ただ一人、黒剣を構え直した。




