第24話:深化する連携
カナンの深部は、湿った泥と絡み合う巨木の根が、侵入者の足を取る底なしの迷宮へと変貌していた。
頭上を覆う深緑の天蓋は、光さえも遮り、湿り気を帯びた空気が肺に重くのしかかる。
サナの顔から余裕が消え、頬を伝い落ちる。ステラ地下での激闘、慣れない泥濘の移動は、彼女の負傷した足首に容赦ない負荷を強いていた。
「サナ、無理をするな。肩を貸せ」
ニールが荒々しくサナの脇を支え、沈み込む泥から強引に彼女を引き上げる。ニールの瞳には、故郷への複雑な想いと、一刻も早く故郷の無事を確認したい焦燥が混じり合っていた。
だが、その焦燥を嘲笑うかのように、上空の「闇」が不吉な高周波音を響かせた。
キィィィィン――。
鼓膜を刺すような駆動音。アイゼン連邦が誇る熱源探査型ドローン、攻撃特化型「ハンター」だ。森の隙間から、赤いセンサー眼を明滅させた殺戮機械が、一度に五体。蜘蛛のような節足のローターを高速回転させ、三人を包囲するように降下してきた。
「五体……!? 冗談じゃないわ。この視界の悪い森で、どうやってあんな機動兵器を相手にしろって言うのよ!」
サナが絶望を滲ませた声を上げる。ハンターの腹部に懸架された魔導榴弾が、発射の予兆である青白い光を帯び始めた。
ドォォォォン!!
一体目の放った魔導弾が、三人のすぐ傍の巨木を直撃した。爆散した樹皮が礫となって降り注ぎ、周囲を焼き払う。爆風が泥を高く撥ね飛ばし、視界を茶褐色の飛沫が埋め尽くした。
「アッシュ! 隠れる場所がない! このままじゃ全員、あの鉄の塊に焼き殺されるぞ!」
ニールが泥まみれになりながら叫ぶ。上空のドローン群は、森の温度と三人の体温の差を冷酷に弾き出し、次弾の充填を開始していた。
アッシュは泥を拭うこともせず、じっと空を見上げた。
(じーちゃんは言ってた。『敵が数で来るなら、お前がその中心になれ。囲まれているということは、敵の射線が重なるということだ。自分たちで自分たちを撃たせろ』)
アッシュはじーちゃんの教えを、戦慄する脳細胞の隅々にまで浸透させる。ドローンの熱源探査の周期、ローターが空気を切り裂くリズム、そして五体の連携パターン。
アッシュは腰の黒鋼の長剣の柄を握りしめ、地を蹴った。
「ニール、サナを連れてあっちの倒木の影へ! 俺が全部引きつける。……お前の目なら、あの羽を落とせるだろ?」
アッシュは努めて冷静に、相棒を信頼する言葉を投げかけた。その声には、一切の迷いがない。
「……! ああ、馬鹿にするな。お前が道を作るなら、俺が外すわけないだろ!」
ニールが安堵の表情を浮かべ、腰のポーチからスリングショットを抜き放った。ステラ要塞で盗み出した、精密な歯車を噛み合わせた魔導式のスリングへと改造した。
アッシュは遮蔽物のない開けた場所へ、囮として躍り出た。
ドローン群の赤外線センサーが一斉に反応し、唯一の移動熱源であるアッシュをターゲットに固定する。
――ガシュッ、という魔導の排気音。
五体同時の斉射。
【空蝉(虚像移動)】
刹那、アッシュの姿が「ブレた」。
着弾の瞬間、彼は慣性を無視した異常な踏み込みで、攻撃の十字砲火のど真ん中をすり抜ける。センサーが捉えたのは、アッシュが「かつていた場所」に残した熱の残滓――すなわち虚像。
五体のドローンが放った魔導弾は、アッシュを捕らえることなく、対角線上に位置していた互いの至近距離で爆ぜた。
「一機!」
自らの爆風で姿勢を崩した一機に対し、ニールの放った鉄球が吸い込まれるように着弾した。ローターがひしゃげ、ドローンが泥沼へと墜ちていく。
アッシュは休むことなく地を駆けた。
二体目のドローンが機銃を掃射し、アッシュの背後を土砂と共に抉る。アッシュは予測不能なジグザグの軌道で泥を蹴り、敵の照準を狂わせ続けた。
(じーちゃん……まだ景色が止まって見える。もっと速く、もっと景色を置き去りにしろ……!)
アッシュの意識が加速する。
二体目のドローンが高度を下げ、低空から機銃を叩き込もうとした瞬間。アッシュはその機体に背を向けるのではなく、逆に正面から突き進んだ。
【無歩】
極限の踏み込み。弾丸が頬を掠める熱さえ置き去りにし、アッシュはドローンの懐へ潜り込んだ。
そのまま、重心を沈めてから一気に跳ね上がる。
黒鋼の長剣が、円を描くように振り抜かれた。
「――【透過撃】」
鈍い衝撃音が響き、ドローンの装甲を無視して内部の基盤が粉砕される。火花を散らす鉄の塊を、アッシュは空中でさらに蹴り飛ばした。
「三機目!」
ニールのスリングが唸りを上げる。アッシュが蹴り飛ばし、制御を失ったドローンが三体目の進路を塞ぐ。その一瞬の停滞をニールは見逃さなかった。放たれた鉄球が三体目の心臓部を粉砕。二機まとめて火柱を上げた。
「信じられない……! あんな人外の動きに、寸分違わず合わせてくるなんて……!」
倒木の影でサナが絶句していた。
アッシュが死線の上で舞い、ニールがその舞いに合わせて死を届ける。当初、アッシュの動きは理解不能な「化け物」のそれだった。だが、西の果てを目指すこの旅路の中で、彼は必死にアッシュの背中を追い、そのリズムを、その思考の端々を理解しようと努めてきた。
その積み重ねが今、この土壇場で完璧な連携として結実している。
残るは二体。
ドローンはアッシュの異常性を感知したのか、距離を取り、広範囲掃射の体勢に入る。森全体を焼き払うつもりだ。
「逃がさないぞ!」
ニールが叫び、同時に二発の鉄球を放つ。だが、距離を取ったドローンは巧みに回避し、反撃の魔導弾をニールの方角へ向けた。
射線上にいるのは、動けないサナと、彼女を庇うニール。
「……させない!」
アッシュが吠えた。
彼はあえて、ドローンの射線と自分を重ねるように最短距離で突っ込む。
放たれた魔導弾。
アッシュは回避ではなく、剣を垂直に立てて爆風を真っ向から切り裂くように【空蝉】でその側面に回り込んだ。
爆炎が視界を覆う。
だが、その炎のカーテンを突き破り、アッシュが最後の一体の至近距離へ肉薄した。
「終わりだ」
アッシュは【構造把握】でドローンの「芯」を見定め、螺旋の衝撃を叩き込んだ。
【穿孔撃】
――ギィィィィン!
凄まじい破壊音が森に響き渡り、ドローンの機体が内側からねじ切れるように爆散した。
最後の一機も、その余波とニールの追撃によって鉄屑へと変わり、泥濘の中に沈んだ。
静寂が、再びカナンの森を支配した。
アッシュは全身に泥と焦げた匂いを纏いながら、荒い呼吸を整える。
「……全部、墜ちたな」
ニールがスリングを収め、震える腕を隠すように立ち上がった。
「ああ。……お前が派手に動き回るから、狙うのが大変だったんだぞ、相棒」
軽口を叩きながらも、ニールの目には、かつてないほどの信頼が宿っていた。
「じーちゃんが言ってた。信じてくれる奴がいるなら、そいつの目が届く範囲で踊れって。……お前に背中を任せる方が、一人で戦うよりずっとマシだったよ」
アッシュは泥を拭うこともせず、静かに笑った。
「あんたたち、本当に……」
サナは戦慄しながらも、泥だらけの二人の背中に、かつての英雄が持っていたかもしれない「何か」を見出し、小さくため息をついた。
機械の目は墜ちた。だが、カナンの森はまだ彼らを歓迎してはいない。
森の奥から、鉄を踏みしめる重厚な足音が、途切れることなく近づいていた。本隊――アイゼン軍の「奴隷狩り部隊」が、すぐそこまで迫っていた。




