第11話:英雄の残影
ギルドの資料室を出たアッシュの胸には、世界地図で確認した「西」への果てしない距離が重く沈んでいた。
受付で鉄級のプレートを受け取り、ニールと共にギルドの重い扉を押し開ける。夕闇が迫るリカームの街並みは、相変わらずアイゼン兵の甲冑が放つ鈍い銀光に支配されていた。
「おい、アッシュ。真っ直ぐ宿に戻るなよ。後ろ、ついてきてる」
隣を歩くニールが、表情を変えずに囁いた。アッシュも気付いていた。殺気ではないが、値踏みするような視線が数人分、自分たちの背を追っている。
ニールは手慣れた様子で、人通りの少ない裏路地の廃屋へとアッシュを誘導した。入り組んだ路地をいくつか曲がり、埃っぽい部屋の扉を開ける。
「――ここでいいだろ。用があるなら姿を見せな」
ニールの声に応じるように、影から数人の男たちが現れた。中心に立つのは、昼間ギルドで見かけた顔だ。
「警戒させてすまない。俺はカイルという」
カイルは懐から、ギルド員を示すありふれたメダルを取り出した。だが、彼が特定の箇所を親指で押し込むと、隠されていた細かな細工が浮き上がる。
「知っての通り、冒険者ギルドは連邦の圧政に対する『安全弁』だ。だが、その中には連邦を叩き出すために動く裏の顔がある。俺たちは『中央大陸解放戦線』――ギルドの自治を隠れ蓑にしたレジスタンスだ」
カイルはアッシュの翡翠色の真っ直ぐな瞳を見つめ、声を落とした。
「アッシュ、君の試験を見せてもらった。俺たちの創設者は、かつてアイゼン連邦の魔導艦隊を単身で半壊させ、民のために散った伝説の男、ゼノスだ。俺たちはその志を継いで戦っている。明らかに子供なのに君の瞳と身のこなしには、彼を彷彿とさせる、人外じみた間合いの消し方がある。 我々には、君のような力が必要なんだ」
(……じーちゃんが、死んだ?)
アッシュの思考が一瞬、白く染まった。つい数日前まで、アビスの底で自分を「凡人」と罵り、元気に拳を振るっていたあの頑固者が、死んだ?
アッシュは動揺を押し殺し、低く、掠れた声で問いかけた。
「……その男は、いつ死んだんだ」
「十二年前だ。アイゼンが本格的な侵攻を開始する少し前、彼は単身でアイゼン連邦の研究施設を破壊し、魔導艦隊を相手に半壊まで追い込んだが、その後、炎の中に消えた。死体すら見つからなかったが、生存は絶望的だ……。トウランの民なら、誰もが知っている悲劇さ」
十二年前。
アッシュがアビスの底でじーちゃんに拾われた、その時期と重なる。
(世間では……じーちゃんは十二年前に死んだことになっているのか)
じーちゃんが「伝説」と呼ばれるほどの何かを仕出かしたのは、本当らしい。 そして、それを隠して自分を育てたのだ。なぜ、あんな場所にいたのか。なぜ、死んだことになっているのか。
沈黙を「悲しみ」と見たカイルがさらに一歩踏み出そうとした時、ニールが二人の間に割って入った。
「おっと、そこまでだカイルさん。こいつは見ての通り偏屈でね。特定の組織に縛られるのは、一番向いてないんだよ」
ニールはアッシュの強張った横顔を一瞬だけ盗み見ると、カイルへ向けてニヤリと笑った。
「でも、あんたらの活動が俺たちの『西への旅』を助けてくれるなら、話は別だ。こいつを兵隊にするのは諦めて、こういうのはどうだ? 旅の途中でレジスタンスの困り事を解決する代わりに、次の街への紹介状や物資を融通してもらう……いわば『協力者』だ」
アッシュは驚いてニールを見た。ニールは視線を合わせない。だが、その提案はアッシュにとって、自分の目的を邪魔されず、かつ「じーちゃんの真実」を追うための手助けになる、最良の妥協点だった。
「……わかった。まずは協力者として関係を築こう」
カイルは苦笑しながら、身分証代わりの『刻印入りのコイン』をアッシュに手渡した。
「これを持っていけ。各地のギルドに潜む俺たちの仲間に見せれば、最低限の便宜は図ってやる。 その代わり、手が足りない時は力を貸してくれ」
アッシュは黙ってコインを受け取った。
ニールが自分の目的を優先して立ち回ってくれたことに、不器用な感謝を抱きながら、アッシュは夕闇の路地を後にした。
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カイルたちと別れ、夜の静寂が降り始めたリカームの街を抜けて、二人は宿へと戻った。
部屋の明かりを灯すと、アッシュは新調したばかりの大剣を壁に立てかけ、ベッドの端に腰を下ろした。鉄の冷たさに触れ、じーちゃんが死んだことになっているという不可解な現実を、一つずつ咀嚼していく。
「――なあアッシュ。さっきは勝手に話を進めて悪かったな」
ニールが装備を解きながら、不意に口を開いた。
「いや。助かった。……俺一人では、あそこで何を言うべきか分からなかった」
「だろ? あんた、嘘が下手そうだしな」
ニールはカバンからギルドで入手した広域地図を取り出し、テーブルの上に広げた。ランプの光に照らされたその地図の、左端を指差す。
「さっき資料室でも見てただろ。西の果て……この大陸の終着点と言えば『自由貿易同盟』だ。その中心にあるリヴォルノって都市は、世界で一番の都会だって話だぞ。金も物も、あらゆる情報が集まる場所だ」
ニールは地図を覗き込むアッシュの横顔をじっと見つめ、核心を突くように問いかけた。
「……なんで、そんなとこに行きたいんだ? 山奥から出てきたばかりのあんたが、キラキラした都会に憧れてるようには見えねえんだけどよ」
アッシュは視線を地図から外さず、静かに答えた。
「じーちゃんが言ったんだ。西の果てに行け、と。それ以外は何もわからないんだ」
「そりゃまた、漠然とした遺言だな……。いや、まだ生きてるんだっけか」
ニールは呆れたように肩をすくめたが、すぐに真剣な表情に戻った。
「いいか、リヴォルノまでは気の遠くなるような距離だ。アイゼンの検問だっていくつあるかもわかんねえ。俺がビジネスパートナーとして付いていくからには、無茶な特攻はナシだ。……分かってるな?」
アッシュはじーちゃんの言葉を思い返していた。
西に行けば、何があるのか。なぜ、あの日じーちゃんは自分だけを逃がしたのか。渡された謎の装置はなんなのか。
「ああ。……無駄な動きはしない」
アッシュがそう答えると、ニールは「本当に分かってんのかよ」と毒突きながらも、安心したように自分のベッドへ潜り込んだ。
アッシュは、カイルから受け取った刻印入りのコインを指先で弄ぶ。
じーちゃんは、本当に死んだことになっているのか。
なぜ、あんな場所で自分を育てていたのか。
分からないことばかりだった。
それでも、西へ行けば何かがある。
アッシュは眠るニールを横目に見ながら、静かに目を閉じた。




