第10話:鉄級の試練
本日3話目。時間があるって素晴らしいことですね。
ギルドに到着するなりカウンターに呼び出されたアッシュとニールを待っていたのは、涙目で頭を抱える受付嬢だった。
「アッシュさん、ニールさん! 困ります、困るんですよ! 地下水路の魔獣を、あんな短時間で根こそぎ掃除しちゃうなんて! あと登録したての新人がネームドを倒すなんて前代未聞でしょ!」
彼女は今にも泣き出しそうな顔で、ギルドマスターに突き返されたという報告書を机に叩きつけた。
「上からは『新人を手柄にするための虚偽報告だ』って私が疑われてるんです! このままだと私のクビが飛びます! だから、お願いですから実力を証明してきてください! 特例で鉄級への昇格試験を組みましたから、さっさと受けてきてください!」
アッシュは困り顔で頷いたが、隣でニールが顔をしかめた。
「待て待て、俺はいい。昇格なんて大層なもんはいらねえ。アッシュ一人で十分だろ?」
「何を言っているんですか! ニールさん、あなたは獣人なんですよ? 鉄級のプレートは一人前の冒険者という公的な身分証にもなるんです。街道の検問で、プレートのない獣人がどれだけ執拗な尋問を受けるか、知らないわけじゃないですよね!」
受付嬢の必死の剣幕に、ニールは苦渋の決断を下す。
(チッ、痛いところを突きやがる。確かに、ただの野良獣人として検問に引っかかれば、俺がカナン族だとバレちまう。ギルドの保証がある鉄級って肩書きを盾にする方が、結果的に目立たずに済むか)
「分かったよ。俺も受ける。ただし、俺はこいつのサポート役だ。あんまり派手な評価は勘弁してくれよ」
訓練場へ向かう道すがら、アッシュは真剣な面持ちで口を開いた。
「ニール。試験官というのは、ギルドが認めた強者なんだな?」
「え? ああ、今回の試験官は青銅級のベテランだ。俺みたいな新人からすれば、本当の意味で壁になるような人だよ」
「……そうか。失礼のないように、俺も精一杯戦わないと」
「……あんたは本気出すなよ」
砂が敷き詰められた訓練場には、革鎧を纏い、木剣と木盾を構えた青銅級の試験官が待ち構えていた。周囲には、騒ぎを聞きつけた他の冒険者やギルド職員が、品定めをするような視線で見物している。アッシュも同じく、ギルドから貸し出された木剣を受け取る。
「いいか。俺の打ち込みを三分間凌げれば合格だ。見たところまだ子供のようだが、俺は年齢で手加減などしない。死にたくなければ本気で来い!」
「はい。全力で行きます!」
アッシュは真っ直ぐに試験官を見据えた。
彼にとって、全力で挑むことは相手への敬意だった。
同時にそれは、『足手まとい』と言われた自分を変え、いつかじーちゃんに胸を張るための道でもあった。
「いつでもいいぜ。かかってこいよ」
アッシュの姿が消えた。
予備動作を削り、静止状態から一足飛びに肉薄する――【無歩】。
ドォン、と足元の砂が爆ぜたときには、アッシュの姿は試験官の懐へと吸い込まれていた。防御が完成するより早く、最短の軌道が急所を射抜く。
「ガ、ハッ……!?」
試験官の体が「く」の字に折れ、凄まじい衝撃音とともに砂の上に崩れ落ちた。
アッシュが放った一撃は、木剣でありながら鋼の杭を打ち込んだかのような重圧を持って、革鎧の隙間を的確に捉えていた。
訓練場に、氷を投げ込んだような静寂が訪れる。
見守っていた冒険者たちが、呼吸を忘れたように固まっていた。誰も、アッシュがどう動いたのか視認できなかったのだ。
「……は?」
「今、何が起きた……?」
誰かの呟きを皮切りに、ざわり、と観衆の間に戦慄が広がる。青銅級、つまり並の魔獣相手なら一人で渡り合える手練れが、たった一撃で、しかも防御の姿勢を取る暇もなく沈んだ。
アッシュは立ち止まったまま、自分の木剣と倒れた試験官を交互に見た。
(どうして。この人は、じーちゃんの言う『強者』ではないんだ? ……それとも俺は、じーちゃんの言っていた『凡人』以下の相手を、全力で叩いてしまったのか?)
「おい、アッシュ! 何やってんだお前えええ!」
ニールの絶叫が響く。試験官が即退場したことで、急遽、視察に来ていた格上の銅級冒険者が、顔を引き攣らせながら立ち上がった。
「おい、次はそっちの獣人だ。青銅級を一撃で倒す規格外と組んでいる以上、相応の実力はあるんだろうな?」
「嘘だろ!? ちょ、タンマ! ギルドの規約にそんなの――」
「問答無用だ! 来い!」
それから三分間。ニールは地獄を見た。
格上の銅級冒険者の木剣が、容赦なく襲い掛かる。ニールは即座にダガーを抜き、相手の木剣をパリィすると同時に、腰のポーチから煙幕玉を足元へ投げつけた。
「卑怯な!」
「生き残るためだっつの!」
ニールは煙幕に紛れ、スリングショットから放たれた石礫で試験官の顔面を掠め、必死に距離を取る。泥をすすり、鼻血を撒き散らしながらも、ニールは持てる全ての技術を駆使して三分間を生き延びた。
「ハァ、ハァ、ハァ……。ふん、逃げ足だけは超一流だな。二人とも合格だ」
試験官が吐き捨てたことで、二人のプレートは鉄級になることが確定した。
アッシュが歩き出すと、周囲の冒険者たちは目を逸らし、波が引くように道を開けた。その視線には、明らかな敬遠と、正体の知れないものへの恐怖が混じっていた。
訓練場を出た瞬間、ニールはアッシュの胸ぐらを掴んで揺さぶった。
「ゼェ、ゼェ……テメェ! 目立つなっつったろ! 本気を出すなと言ったそばからこれかよ! 良いか、目立って変な連中に目を付けられたらどうすんだ! 俺の静かな生活が台無しだろ!」
アッシュは申し訳なさそうに肩をすぼめた。
「ごめん、ニール。でも、強者だって聞いていたから、手を抜くなんて失礼なことはできなかったんだ」
「必死なのは分かるがよ!」
「なあ、ニール。あの試験官の人は、本当に青銅級なんだよな? あの人はたまたま運が良かっただけじゃないのか? あんなに隙だらけだったのに、周りの人は俺のことを化け物みたいに見ていた。……怖いんだ。じーちゃんの言う『当たり前』が、この世界では通じない気がして」
アッシュの瞳には、困惑と純粋な焦燥が滲んでいた。
ニールはアッシュのあまりに歪んだ自己評価に鼻で笑った。
「ハッ、安心しな。あんたは確かに強えが、王都に行けば、もっとヤベェ銀級や金級の化け物がゴロゴロしてらあ。あんたを未熟だって笑い飛ばすような、運じゃねえ本物がいくらでもいるぜ」
「本当か? それなら、良かった。少し安心した」
ニールは乱れた髪を掻き回し、ようやく呼吸を整えた。
「……ったく、これで俺らも晴れて『鉄級』だ。身分証も手に入ったことだし、そろそろ本格的にここを出る準備をするか。アッシュ、あんた西に行きたいんだろ? 行くならちゃんと作戦を立てねえとな。まずは正確な地図でも拝みに行くか」
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二人はギルドの資料室へと向かい、壁に掲げられた巨大な世界地図の前に立ち、アッシュは言葉を失った。
彼がこれまでいたアビスゲートは、大陸の東の端に位置する、ほんの小さな点でしかなかった。
西の彼方には、地図の端まで届くような、果てしない世界が広がっていた。
(アビスの外はこんなに広い。……じーちゃん、待っていて。俺、もっと頑張るから)
「えーと……。今ここが旧トウラン国で……」
アッシュは自分を律するように深く息を吐き、ニールがつぶやきながら指でなぞる移動ルートを、一つも漏らさぬ勢いで見つめていた。




