月明かりの夜に◇ユギハとユウガ
この言葉でこれほどの緊張と不安と苦しみを感じるとは…、ジークは後悔に似た気持ちに駆られた。
だって…、目の前の顔を見るどころか、その服の裾を見ることさえ怖い…。
ところが。当のユギハはきょとんとしたような間を空け、なんと声を出して笑ったのだ。
「さて、一体誰がばらしやがった?」
「…」
「シュウは…、言わないな。クルテンもそれほど馬鹿じゃないしな。
残るは、ユタバか。初対面に等しい甥によくも言いやがったな」
「…あ、アンタ、本当に死ぬのか?」
「これで瀕死に見えるなら、私も年をとったということか」
「答えになってねぇよ」
「心配でもしてくれているのか?」
「…そんなんじゃねーよ」
「ふぅん?」
「ただ、その――…、いなくなったら面倒だな、って思っただけ」
…この人を許したわけではない。どのような背景や理由があろうが、この人がかつて自分にした仕打ちを許すなどできない。
でも――…。
気まずさに視線を泳がすと、ユギハがフッ…と小さく息を吐いてソファに寄りかかった。
「お前に面倒など起こらんようにするさ」
「…」
「知ったついでだ、教えてやる。最近ディンに言われてな。
あと1年でいいところだろう、と」
「………え」
――自身の口から余命など聞きたくなかった。
しかも――…1年…?
「あ…あのおっさんは…、そんなことは……」
「ああ、まだ誰にも言っていないからな」
「……アニキにも、まだ…?」
震えた声に対し、ユギハは「まぁな」と自嘲する。
「そろそろ言わないと、と思ってはいるが。シュウに振りかかる火の粉はなるべく小さくしておかないとな」
「………」
「なぁユウガ――、帰って来ないか?」
「…えっ?」
予想はしていた言葉だが、とても意外な言葉に聞こえてしまった。
ついギョッとして見ると、ユギハは視線を手元のグラスに落とす。
「蒼に――〔組織〕に帰れと言っているんじゃない。
…ここはお前の生まれ故郷だ」
「………また…俺を隔離する気かよ?」
「そうじゃない」
「いきなり父親面するつもりか?」
「…お前には帰れる場所がある、そう言っておきたかっただけだ」
そう呟くその瞳に宿る、とてつもない罪悪感と孤独。それを見たジークは複雑な思いになる。
さらにジークは気がつく。その瞳には死を恐れ怯える影などない。
むしろ、それを望んでさえいるような――…。
「わかった。勝手にしろ」
「…アンタに言われなくても、そうするさ」
「そうか」
ならいい――、と。ユギハが小さく呟く。どこか哀しげで弱々しさすら感じる気配。
…ジークは自分が間違っているような気がした。
自分は本当にこのまま去っていいのだろうか。このまま残るべきなのではないか。この人に残された時間を共に過ごすべきではないのだろうか。
この人の命は――…あと1年なのだから。
好き勝手に生きるのはその後からでもいい。そんな気がした…。
「……やっぱ、ここにいようかな」
この人が喜んでくれることを、心のどこかで期待していたのだと思う。
だからジークは、次の言葉に傷ついた。
「一度決めたことを簡単に覆すな」
「な…」
「半端な同情など、私には必要ない」
――…ジークの中で何かがブチリと切れた。
なんだよ…、俺がせっかく一緒にいてやろうと思い直してやったのに…!
思いを否定された悲しみに蘇るかつての憎悪。苛立ちのまま立ち上がり、グラスを床に叩きつけた。
ガシャン…ッ!!
「…ッざけんなよ!! そうやって俺の思いを踏みにじるところ、全然変わってねぇじゃねーかッ!」
「声をそう荒げるな。頭に響く」
「俺はアンタが昔から嫌いだッ。そうやって俺の感情とか無視した言葉はもうたくさんなんだよッ…!!」
「お前が掘り起こすからだろうが」
「だからッ…、そういうのが嫌だっつってんだよッ!! 俺ばっかりが悪いように言って、自分はなにも関係ねぇっつー顔しやがって!」
「そうは言っていないだろう? お前もどうしてそう私にいちいち言い掛かりをつける?」
「それが事実だからに決まってんだろッ!? アンタがそんなだからッ…、だから俺はッ…!!」
「わかったから落ち着け。あまり騒ぐと、クルテンどもがお前の侵入に気づくぞ?」
「ちったぁ俺の話を聞けよッ!!」
「だからこうして聞いているだろうが。落ち着け。な? シュウを見習ってみろ」
「またその話かよ…!? 昔からいつも『シュウを見習え』っつって、俺の感情を押さえ付けやがって!」
「私はそんなつもりはなくてだな――」
「もういい加減にしてくれよ! どうせシュウはアンタの本当の子じゃねぇくせに――…!」
パァン…ッッ!!
体がソファに倒れ込むほどに頬を強くはたかれ、その音の大きさに、そしてその痛みに驚き、ジークは怒りのままに怒鳴りつけようとした。
だが――。
「――…いいか。その言葉、二度と口にするな。今手元に剣がなくて正解だったな。お前を殺していたかもしれんからな…ッ!!」
とてつもない怒りを押し殺した声に、ジークはすっかり正気に戻った。
同時に――…なんという言葉を言ってしまったのだろうと、深い深い後悔に駆られた。
力が抜け、ソファに座り込む。
ばふ…っ
「――――…どうしてお前が知っている?」
「……」
「答えろユウガ。何故お前が知っている?」
「………」
「答えろッ!!」
やり場のない怒りの恐怖に、ジークはビクッと体をすくませる。
…この人を見ることができない…。
「……そ…その…、だから……俺…、だ…だから……その…、えっと…、あ…あの人が……その…、だから……」
言葉にならない答え。だが、ユギハには十分だったようだ。
フッ…と小さく自嘲し、膝に肘をついて前髪をくしゃりと乱す。
そして、また自嘲した。
「――あの野郎、ようやく吐きやがったか。しかも俺にではなく、よりによってお前にとはな……!
…いいかユウガ。シュウには絶対に言うな。あいつの父親は俺だ。ただそれだけだ」
「……」
「お前も忘れろ。いいな?」
「………」
「いいな?」
「……ああ…」
ならいい…、と呟き、ユギハは深く深く背もたれに寄りかかった。目を閉じ、深くゆっくり息を吐く。
あまりの後味の悪さに…、ジークは自分でさらに傷つく。
「……ごめん…」
「気にするな。もう忘れろ」
「………」
様々な思いがごちゃ混ぜになって、ジークは泣きそうになる自分を必死で堪えた。膝の上で強く強く拳を握る。
――…俺…、ホントになんてこと言っちまったんだろ…。最悪だ…。どうすりゃいいか、わかんねぇよ……。
ユギハが動く気配がした。立ち上がり、テーブルを回り、そして隣に座って――。
「………」
息ができないほどの緊張と罪悪感に気絶しそうになったジークの髪を、ユギハがくしゃりと掻き乱す。
「気にするな、と言っているだろう?」
「…」
「もうあの話は終わりだ。
その代わりに、お前の話を聞かせてくれないか?」
「……俺の…?」
「ああ」
おそるおそると顔を向けると、膝に頬杖をついて自分を見ているユギハの姿。
その眼差しは、とても穏やかで――…。
「…」
シュウはこの人を「弱い人間だ」と言っていた。だが違う、とジークは思う。
だって…、ただ弱い人間なら、今こうしてこんな目で俺を見るなんて出来ない。
…ジークはまた、視線を落とした。
『俺は憎まれたままでもいい。俺を憎悪することで、それであれが救われるというなら――…。俺はこのままで構わない』
…キオウに頼んで視た過去で、この人はそう呟いて泣いていた。
この人は…、なんて哀しい人なんだろう…。
「……俺は…」
「ん?」
「俺は…、それなりに、幸せだから…」
――安心させたい、と思った。
「俺、ひとりじゃないから」
――苦しんでいない、そう伝えたかった。
「仲間がいるから」
――だから。
「なんでも相談できるヤツとかも、ちゃんといるからさ」
――――だから。
「俺、けっこう満足してる」
――――――…もう…、アンタも力抜けよ…。
…戻りたい、と思った。
どこへ?
蒼に? デスティニィ号に?
どちらもそうで――どちらも違う気がした。
「俺、は…」
…戻りたい。
――…嫌だ。
「俺は…っ」
――――…嫌だッ!!
「俺…、俺嫌だ…ッッ!!」
今すぐ戻りたい!
アンタが死ぬなんて知らずにいた、あの日々に…!
「なんで勝手に死んじまうんだよ!? 勝手に俺を傷つけて、勝手にアンタ自身を傷つけて…! それで、死んで…ッ。そんなんで、アンタ幸せなのかよ!? なんで耐えていられるんだよ!? どうしてッ、どうしてだよ…ッ」
「……ユウガ…」
「ちくしょうッ…、俺はアンタの前で泣きたかねぇんだよッ! なんでアンタなんかに泣き顔見せなきゃならねぇんだよッ!! アンタのせいだッ、全部アンタのせいだッ!! ちくしょうッ、ちくしょう…ッ! さっさと死んじまえよッ、馬鹿野郎…ッ!!」
…嗚咽に乗せて拳を打ち付けてきた息子が、涙を抑えるように左肩に目を押しつけてくる。
心の苦しみを堪えてわずかに眉を寄せ、ユギハは静かに息子の頭に手を乗せる。
「…私はお前とシュウが幸せなら、それでいい」
「アンタ自身はどうなんだよッ!? 今アンタは幸せなのかよッ? ちゃんと満足して生きてるって言えるのかよ…ッ?」
「…ユウ…」
「俺には…、そうは見えねぇよ……」
嗚咽に消えそうな声音を漏らす息子に、ユギハはただその髪をそ…っと撫でて応える…。
「アンタには…、なんか望みとかはねぇのかよ?」
父の肩に顔を預けたままジーク――ユウガが問う。
「望みがあるならさ、それを叶えればいい」
願いを――。
ユウガの髪を撫でる手が止まった。そして、その手は静かに離れていく。まるでなにかを恐るかのように。…それだけでユウガはわかった。
やっぱり馬鹿だよアンタは…!
「アンタ、本当は俺に一緒にいて欲しいんだろ? なら、簡単じゃねーか。このまま俺をとっ捕まえればいいだろ?」
「――冗談を言うな」
「冗談じゃねーよッ。俺って蒼には罪人だし、他の誰が俺を捕らえたら面倒だろ? 俺はまだ死にたくねぇ。他の連中が手出しする前に、総裁のアンタがやってくれよッ」
「ユウガ」
咎めるような強い口調にもユウガは退かない。
「アンタさっき『一度決めたことを簡単に覆すな』って言ったよな?
アンタは…裏切られるのが怖いだけだッ! 裏切るのが怖いだけだッ!」
馬鹿やろう!
ユウガは叫んだ。
「俺『このまま残る』って言ったよな? なんでそれを速攻で拒みやがったッ。なんで自分の望みを断ちやがったッ」
「ユウ…」
「俺はもう決めたッ。アンタのそばにいるって…! だから、さっさと捕まえてくれよ」
「……できるはずがないだろう」
「なに言っていやがるんだよ! 俺が堂々とアンタのそばにいるには、アンタに捕らえてもらわなきゃ困るんだからな。俺がこーんな無防備にいるのは珍しいんだぜ。アンタなら片手でも俺を」
「俺はもうお前を苦しめたくないッ!!」
悲鳴のような叫びと同時に、ユギハは愛子を力強く抱き締めた。加減を忘れた力でその体にしがみついた。
「俺はもうお前を傷つけ苦しめる真似はしたくないッ! わかってくれユウガ…ッ、これ以上俺を追い詰めないでくれ…!」
――…頼む…っ、と。自分を抱き締める手が、震えていた。
だからこそ…、ユウガは穏やかな声音を紡ぐ。
「…追い詰めてなんかいないさ。俺が望んでいるんだ、アンタは無理やり俺を拘束するんじゃない。
そう言いながらも、結局また俺が逃げるんじゃねーかって不安なら…、またあの塔に幽閉しても構わねぇからさ。
俺さ、それでいいから…」
「………」
「アンタの願いを、叶えてぇんだよ…」
もういいから…、もう……。
胸に顔をうずめ、ユウガは目を閉じる。
――いいんだよ、これで。
家族と一緒に生きること。かつて自分はそれを切ないまでに強く強く望んでいた。
けど…、それはもう叶っていたんだよな…。
この人があまりにも不器用なだけだったんだよな…。
もういいよ。わかったから…。
恨む気持ちもどこか薄まった気がする。
恨んでいた気持ちこそが、この人を慕っていた証のような気がする。
もう、いいんだ…。
――…自分に体を預けたまま目を閉じるユウガに、ユギハはひたすらにうろたえる。
これほどに時間をかけてもたつけば、いつものこの子なら「さっさと決めろよ!」と苛立ち怒る。そうすれば自分は「それならやめる」と言い訳ができる。
自分に体を預けているこの子がいとおしい…。この子の誕生日を共に過ごしたとき、この子は飢えたように甘えてきた。そのぬくもりが心地よくて、一緒に昼寝を楽しんだものだ…。
「………」
――…これからの時を、この子とシュウと共に過ごせるというのか…?
とてつもない誘惑だった。
死を目前にした自分には、充分過ぎるほどの誘惑だった。
その誘惑を手にしたい。
そう、思った…。
…視線を落としたユギハは、ユギハの手に腕輪を見つける。自分がこの子に託した腕輪だ。
そして――ようやく気がついた。
それまでは不思議と違和感がなく、気がつかなかった。
この腕輪は、この子には――…。
「――…ユウガ?」
「うん…?」
「その腕輪はな――…、ユレンの形見なんだ」
「…お袋の、形見…?」
「ああ」
「そうなんだ…」
「………」
この子自身はこの矛盾に気づいていない。それはつまり――…、この子にとってそれは矛盾ではない、ということだ。
だからこそ――。
静かに目を閉じたユギハは、愛情深くその体を抱き締める。
「…なぁ、ユウガ」
「なに、オヤジ?」
――「オヤジ」と呼ばれた。
物心ついた頃から「アンタ」としか呼ばなかった、この子に…。
熱くなる目頭。ユギハは幸せな想いでその髪に額を寄せる。
「ユウ…」
――ユギハは、思った。
この子に直接この言葉を言うのは、これが初めてだということを。そして。
――これが最後になるだろう、と。
「ユウ…、俺はお前を心から愛している。今も昔もこれからも…、それだけは何があっても絶対に変わらないからな。
忘れるなよ――…、どこへ行っても……」
「オヤジ…?」
ユウガの記憶はそこで途切れた。
ユギハがその首へと手刀をくれたのだ。




