理解すること◇朱の総裁
「…なぁアニキ」
「ん?」
「……あのさ…、ここの…総裁の、その…、名前、なに?」
「ユタバだよ。父上の義兄、ユタバ・ティスカル」
「義兄?」
「言葉の綾さ。養子でね、父上と血の繋がりはないんだ」
「へぇ…」
秘密の通路を使ってあっさりと朱の要塞に入った兄弟は、総裁の手引きによって、深部にある応接室に通されていた。
「ま…、正面からは入れないよな」
「お前はお尋ね者だからね」
「で? なんであの通路を知ってたんだ?」
「いやぁ、蒼にも同じようなのがあるからね。もしやと捜してみたら」
…偶然見つけただけらしい。ジークはガックシと脱力した。
ここは総裁一家や幹部が住む区域のようだ。目の前のテーブルに氷入りの冷茶が出されたが〔組織〕のモノにホイホイと手を出すほどジークは無知ではない。
警戒する弟に、文字どおりの毒見をしてみせるシュウ。それでもジークは、疑いつつグラスに口をつけた。
「――悪い、待たせたな」
「…ッ!?」
前触れなく開かれたドアに驚き、今まさに飲み込もうとしていたお茶を気管に入れたジーク。顔を真っ赤にしてもがく弟に、シュウが「ちょっとユウ、しっかり」と笑いながら背を叩く。
そんなジークに、朱の総裁ユタバ・ティスカルが大爆笑した。
「おいおい甥っ子、大丈夫か?」
馴れ馴れしいヤツだなっ、と伯父である男を睨みつけたジーク。殺気立つ甥に怯むことなく、ユタバは側近を退席させて向かいのソファにつく。
ジークは不機嫌に相手をじろじろ観察した。黒髪に白髪が見えるが老いを感じない容姿。ジークの不躾な視線すらも楽しむように、その茶眼で自分兄弟を眺めている。
「さて、初対面の甥っ子には話したいことが盛りだくさんだがなぁ…。
――シュウ、先にお前の用件を手短に済ませるか」
「そうですね。ユウ、ちょっと待っててね」
隣の弟の肩をポンポンと叩いて笑い掛けた後、シュウはユタバと少し離れた別のテーブルに移動していく。
チラリと少しだけ様子をうかがうと、シュウは懐から封書を取り出してユタバに手渡している。手慣れた様子でそれを開き、総裁としての表情で黙読するユタバ。場に張りつめる緊張感。
――…この感覚は苦手だな…。
どうせなら他の部屋でやってくれよ…、とも思うが、こんな所でシュウと離れるのは更にごめんだ。ジークは息苦しさに目を閉じる。
微かに聞こえる必要最小限のやりとり。
「…」
俺は何も聞いてないからな…、と自分に言い聞かせ、両者の会話を遮断する。
「……」
だ、だが…。シカトを意識すればするほどに、無意識に聴覚が研ぎ澄まされてしまう…。
「……」
あまり良くはわからないが…、どうやら蒼と朱の合同で何処かを攻める予定があるようだ。
これは、つまり…。
「……ぅ…」
――…何をどのように考えても、部外者の自分が聞いてはいけない内容である。
嫌な汗が止まらない。
「…うぅ……」
――…お…俺は悪くないぞ…。聞きたくて聞いたんじゃないからな……。
目をギュッと閉じて歯を食いしばり震えていると――、ポン、と頭に置かれた優しい手。
慌てて目を開け見上げると、にっこりスマイルの兄がいる。
「終わったよ、ユウ。その反応はー…、聞こえちゃってたかな?」
「きッ、聞いてねぇッ。聞きたくもねぇッ。てか、俺は何も知らねーからなッ!!」
「よろしい。…嫌だなぁ。そんなに怯えないでよ、ユウ。大丈夫だってばー」
ポンポンと撫でるシュウの手を払う考えも「ガキ扱いすんな」と怒る気力も失せ、ジークはクジラをも吐き出しそうな盛大なため息をついた。
そんな甥にユタバが小さく笑う。
「甥っ子。何がどこまで聞こえたのかは知らないが、まぁペラペラ言い触らしたりはするなよ? それさえなければ、何も問題はないさ」
言いながら、離れた机で何かを書いて蝋で封をしたユタバ。ジークの隣に座り直したシュウにその封書を手渡す。
シュウはそれを素早く懐へとしまった。
「さて、と。
――シュウ、席を外してくれ。この甥っ子とふたりで話がしたい」
え…、と間の抜けた声と同時に頬杖から顎を浮かすジーク。
シュウも怪訝な顔をする。
「何故です?」
「何故、と言われてもな…。『ふたりで話がしたい』と言っただろ?」
「僕に聞かれては都合が悪い話ですか?」
「そう言えば席を外してくれるか?
お前に聞かれては都合が悪い、席を外してくれ」
「ユウをどうするつもりです?」
――隣の兄がテーブルの下で剣を握るのが見えた。
ユタバが、まさか、と失笑する。
「冗談を言うな。お前は俺が甥っ子に怪我でもさせると疑っているのか?」
「疑っています」
シュウの容赦ない言葉の攻撃。
ユタバはやれやれとため息をつき――…、やがてそれは苦笑に変わった。
「安心しろ。話が済めば、すぐに解放するさ」
「どうだか」
「シュウ、お前も少しは――」
「この際だ、本音を言いましょう。僕個人はあなたを信用していないんですよ」
言い切った。
普段とは違う兄に狼狽するジーク。確かに、ユタバが登場してから刺々しい雰囲気をしているな、とは感じていたが…。
しかし。そんなシュウにも、ユタバは動じていないように見えた。
「朱は蒼と敵対する気などないさ。この甥っ子やお前に危害を加えれば、ユギハが黙っちゃいない。キレたユギハなら間違いなく、相手を徹底的に潰しにかかる」
「ユウの命を盾にされれば、あの方も簡単には手出しができない」
「お前なぁ…」
笑い損ねたような苦笑を浮かべ、ユタバは髪を乱暴に掻く。
「あー、わかったわかった。お前にも見せよう。
いいか甥っ子。――ユギハからの預かり物は、そこにある」
「………?」
そこ、と言われて室内を一瞥するジーク。
これといって変わった点などない応接室だ。石レンガを組んだ頑丈な壁、ソファとテーブル、執務用の机、飾り棚。バルコニーへのガラス戸から日の光がいっぱいに差し込んでいる。
その日差しを目で追って飾り棚脇の壁に視線を移し――…、ジークはそこで視線を止めた。何かが気になる…。
甥の様子に気がついたユタバが、驚いたように少し目を開く。
「驚いたな…。なぜわかった?」
「へ?」
立ち上がってその壁の前に移動したユタバ。確実に印を結ぶためにゆっくりと指を組み、払う。
サ…ッ!
「!」
空間が揺いだ――次の瞬間、人ひとりが通れる幅の通路がぽっかりと口を開けた。常識ではあり得ない光景である。
それにも動じなかった甥に、ユタバはいよいよ不思議そうに首を傾げる。
「なんだ甥っ子、魔法を見慣れているのか?」
――そりゃあもう見慣れていますとも。
そう喉元まで出てきたジークだったが、そこは堪えて「別に」と素っ気なく顔を背ける。
「…? まぁいいか。
預かり物はこの奥だ。お前さんひとりで取りに行きな」
「この中だぁ…? 勇気がいるぜ。閉じ込めたりしねぇだろうな?」
「誰がそんなことするか」
「ユウ、一緒に行こうか? お兄ちゃんがいればランプはいらないよ。少しはマシだろう?」
まぁ待て、と失笑するユタバ。
「シュウ、よく視ろ。これはユギハが創ったモノだ」
「父上が?
――…あ…、確かにコレは父上の波動だ。いつの間にこんなモノを」
「3年前に来た際にな。まったく…、チマチマした術は不慣れなくせに、こんな大層なモノを創って」
「そういえば…、朱から帰ってきた後に熱を出していた日があったっけ」
呆れたようなシュウの隣で、ジークはただポカンとしていた。
〔組織〕の人間が習得している魔法といえば、シュウの明かりの魔法程度の初級魔法が主だ。…つまり、これほどの術を扱う者を蒼では見たことがない。
しかも、コレを創ったのは父だという。
確かに父は初級以上の魔法も使えるらしい、とは知っていたが…、それ以上のことはジークにはわからない。父の剣術ならばともかく、魔術の実力をキチンと目にしたことがないのだ。
だが、まさか父がコレの術者だとは…。
未だに唖然としている弟を安心させるように、またその頭にポンと手を置くシュウ。そのまま少し乱暴に、けれども優しく、髪を撫で回される。
「父上が創ったモノなら安全だ。この人のチカラなんて足元にも及ばないから、コレに細工することなんてできない」
遠慮のない助言に失笑するユタバなど視界に入れることすらなく、立ち上がったシュウはスタスタとドアに向かう。
「じゃ、僕は行くね。機会があったら兄弟で仲良く呑もう。ああ、僕があげた酒は大事に呑んでよね。高かったんだから」
弟に慈愛の笑みを浮かべたシュウは、ドアをくぐる際に肩越しにヒラヒラと手を振った。閉められていくドア。
ぱたん…っ
「………」
呆気ないほど簡単に消えた兄に、ジークは肩の力を落とす。
「やれやれ…。まるで台風だな、シュウは」
頬杖をついてシュウの後ろ姿を見送ったユタバが、呆れ果てたように笑っている。
初対面の伯父と――〔組織〕の総裁とふたりでいる状況を全身で自覚し、ジークは一瞬で警戒を纏う。
そんな甥の緊張をほぐすためか、こちらが元々の気質なのか。ユタバの雰囲気が先ほど以上に親しみやすいそれへと変わった。
「さーて、行ってこい甥っ子。それとも、その暗闇が怖いのか?」
「…冗談を言うな、おっさん」
わざとらしい挑発にわざと乗り、ジークは気合いを入れて立ち上がった。




